潮田館(うしおだやかた)
潮田館の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 神奈川県横浜市鶴見区汐入町2-43
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 潮田光行
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 潮田氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
小田殿屋敷(神奈川県川崎市)[1.5km]
寺尾城(神奈川県横浜市)[3.3km]
河崎氏館(神奈川県川崎市)[3.7km]
獅子ヶ谷城(神奈川県横浜市)[5.0km]
八幡塚砦(東京都大田区)[5.4km]
神奈川御殿(神奈川県横浜市)[5.7km]
神奈川台場(神奈川県横浜市)[5.9km]
篠原城(神奈川県横浜市)[6.0km]
権現山城(神奈川県横浜市)[6.3km]
青木城(神奈川県横浜市)[6.4km]
潮田館の解説文
潮田館の口コミ情報
2026年06月27日 マグロ常陸介祐平
潮田館
潮田氏の館とされ、光永寺というお寺となっています。
風土記稿によると「今川氏の末流の入野将監光興の3男で初名入野三郎某(出家して純應)が、父の命により能登総持寺で出家し、天正4年に庵を結んだのが始まりとされる。光興の嫡男中務光行の嫡男を潮田左馬介というが、これは祖父光興が入野を名乗っていたのを後に潮田と改めたといわれており、これは当所に移り住んで在名を名乗ったのであろうか。光永がかつてこの地に一宇の寺閣を営んだことから潮田山光永寺と名付けた。光永の父光行は、北条氏康の旗下に属した人で永禄11年卒、光行と光永親子の位牌は当寺に安置されている。」としています。
時系列が前後し、分かりづらい文章ですが、鎌倉時代に吉良氏から分かれた今川氏初代今川国氏の子の入野三郎俊氏の子孫の光興がこの地に移り潮田を称し、子の光行は北条氏康に仕え、光行の子の光永は伯父の純應を開山として光永寺を建立したということでしょうか。
光永寺付近は都市化が進み、規模なども想像がつかない状況です。一応お寺周辺は城跡として埋蔵文化財包蔵地となっています。
小田原衆所領役帳では、潮田の地は江戸衆の太田新六郎(康資)と他国衆の向山(北条氏との取次を務めた武田氏の家臣向山又七郎)の所領となっており、どちらもこの地に館を置く感じではありません。
2026年06月14日 MAHARAJA釧路守77
潮田館
現在はお寺です。鶴見線で行きましたが比較的近かったです
2026年04月04日 nao86star
潮田館
今回自分は、鶴見線・弁天橋から。産業道路を超えて公園を横切らせてもらい少し行くとすぐに光永寺の裏手の道。彼方には潮田神社の鳥居が見えて参道になってるのだけど、今の神社の場所は大正のときに移ったとある。この地、鶴見潮田地区は北西側が鶴見川、南は海岸(現代は海浜工業地帯)、東北側は1時間強歩けば多摩川にたどり着ける、当時多摩川はもう少し南側だったかも。水を意識した守りと統治を気にかけていたのかな、と思ってマス。
2025年07月01日 秋津武蔵守宗駿
潮田館
2025.06.29 来城
鶴見駅から徒歩で20分前後、小田殿屋敷跡から徒歩で30分程の所にあります🚶館跡は光永寺の境内にありますが、堀や土塁といった遺構は全くありません。
潮田氏は駿河今川氏の庶流の出である入野将監光興の嫡男・光行の代に鶴見の潮田に入り、潮田氏を称したといわれる。また、光永寺は後北条氏家臣・潮田光行の嫡子・光永が開基したと伝わっています。彼は小机衆の目付役も務めていたそうです。
2025年04月27日 三宅坂246
潮田館
光永寺という立派なお寺が建っていて、すぐに分かります。
2024年10月13日 能登守丸に澤瀉
潮田館
現在は光永寺になっており、これといった遺構は見られませんでした。
2022年11月07日 兵部大輔てつ
潮田館
跡地付近に光永寺があります。遺構は見つかりませんでした。
2022年11月06日 ヤマ右兵衛督
潮田館
場所はお寺です。ジョギング中に立ち寄りました。
2021年04月30日 ☀みどりいろ弾正尹たおる☀
潮田館
ほぼ、跡形も無い感じで、その場所には立派なお寺がお出迎え😄
2013年12月02日 すかんぴん左馬助
潮田館
光永寺の周辺は潮田という地名が残っています。










現在、潮田氏が開いたと伝わり現在まで続いている光永寺が館跡とされるが遺構などは特に残っていない。