河崎氏館(かわさきしやかた)
河崎氏館の基本情報
通称・別名
- 河崎堀之内、川崎堀之内
所在地
- 神奈川県川崎市川崎区宮本町(稲毛神社)
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平城
天守構造
- なし
築城主
- 河崎基家
築城年
- 平安時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 河崎基家
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板(弁天池(河崎冠者基家居館堀跡))
周辺の城
-
八幡塚砦(東京都大田区)[1.7km]
小田殿屋敷(神奈川県川崎市)[2.3km]
潮田館(神奈川県横浜市)[3.7km]
行方氏館(東京都大田区)[4.2km]
大井氏館(東京都大田区)[4.6km]
矢上城(神奈川県横浜市)[5.1km]
寺尾城(神奈川県横浜市)[5.5km]
池上氏館(東京都大田区)[5.5km]
獅子ヶ谷城(神奈川県横浜市)[5.8km]
新井宿城(東京都大田区)[6.1km]
河崎氏館の解説文
河崎氏館の口コミ情報
2023年11月03日 治部卿丸に澤瀉
河崎氏館
川崎駅から歩いて少し行ったら着く、現在は稲毛公園になっています。
2023年05月02日 RED副将軍
河崎氏館
鎌倉有力御家人の渋谷氏の祖である河崎氏の居館
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。歴史は古く平安時代に河崎基家が築いた居館と伝わります。
河崎基家は、桓武平氏の系譜である秩父氏の一族で、後三年の役で出羽国金沢柵において清原家衡に勝利した戦功で武蔵国河崎荘(今の川崎市)を所領とし河崎氏と称しました。
河崎基家の子が重家で、武蔵国豊島郡谷盛庄(
今の渋谷)を所領として渋谷城を築きます。また、禁裏の賊を討伐した功績で堀河天皇より渋谷姓を与えられ渋谷重家と名乗りました。これが渋谷の始まりと言われています。
ということで、川崎と渋谷は成り立ちに親子関係がありました。
1160年、平治の乱において渋谷重家の子である渋谷重国は源義朝の陣に付くも敗戦。所領を失い敗走する佐々木秀義と四兄弟(近江守護となる六角氏、京極氏等の祖)を渋谷氏の庇護により約20年間匿います。 この時に佐々木秀義に与えたのが川崎城とも云われます。
1180年に源頼朝が挙兵しますが、渋谷氏は初戦となる石橋山の戦いでは平家方の大庭景親に付き勝利しました。その際も源頼朝に付き敵方であった佐々木四兄弟と頼朝の弟の阿野全成を匿っています。 その後は頼朝に臣従し御家人となり、1184年には源範頼が率いる源義仲追討に参戦しています。 渋谷氏は有力な御家人でしたが、1213年に北条義時との関係が悪化した和田義盛が反乱を起こします。乱は鎮圧され和田氏は滅亡しますが、和田氏に加担した渋谷氏は所領の多くを没収されてしまいます。 弱体化するも渋谷氏はその後も渋谷城を居城とし存続していましたが、1524年に小田原城の北条氏綱が攻め寄せ落城し、渋谷氏は滅亡しました。
見所
宅地開発により遺構は消失。
現在の稲毛神社が推定地とされており案内板が立っています。
ちなみに川崎は「多摩川の崎」という意味です。
2023年02月01日 赤鷺ノ宮右兵衛佐武尊
河崎氏館
稲毛神社⛩宮内です。近くに六郷橋の遺構あります。
2022年12月17日 くっしー治部大輔尚人
河崎氏館
現在は稲毛神社になってます。川崎駅から徒歩10分。
2022年11月08日 左近衛少将てつ
河崎氏館
跡地付近に稲毛神社があります。色々な説明板があり、楽しめます。
2022年04月11日 寺左京大夫にゃん
河崎氏館
館の遺構は無くとも、往時を知る御神木が稲毛神社境内にそびえてますよ。
2022年02月09日 七沢駿河守七郎
河崎氏館
川崎を訪れたついでに寄りました。現在は神社になっており、特に遺構は残っていません。
2021年01月11日 パジェロ
河崎氏館
ここは、稲毛神社になっておりツール・ド・フランスならぬ、ツール・ド・御朱印の中のひとつの神社になってます。
2020年10月14日 明石家船上
河崎氏館
鎌倉時代は現在より海岸がもっと陸よりにあり、海の近くの城館であったと思われる。多摩川の右岸にも相当し、舟運を考慮した立地である。
遺構はなにも残っていないが、地名が「堀之内」と残っており、中世の館を囲っていた堀があったのであろう。
河崎氏館の周辺スポット情報
間宮信盛館(周辺城郭)
稲毛神社がこの館跡と推定されており、神社内には解説板がある。