獅子ヶ谷城(ししがやじょう)
獅子ヶ谷城の基本情報
通称・別名
- 獅子ケ谷城、獅子ヶ谷殿山、御薗城
所在地
- 神奈川県横浜市港北区師岡町/鶴見区獅子ヶ谷
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 小田切氏
築城年
- 慶長年間(1596〜1615)
主な改修者
- -
主な城主
- 小田切氏
廃城年
- 慶長12年(1607)?
遺構
- 曲輪、土塁?、横堀(空堀)?
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
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獅子ヶ谷城の解説文
[引用元:Wikipedia「獅子ヶ谷城」の項目]
獅子ヶ谷城(ししがやじょう)は、神奈川県横浜市鶴見区獅子ケ谷3丁目と港北区師岡町の境にあった安土桃山時代から江戸時代初頭とされる日本の城(山城)。御薗城(みそのじょう)、獅子ヶ谷殿山(ししがやとのやま)ともいう[1]。
概要
鶴見川に面した獅子ヶ谷地区の谷を臨む標高45メートルの「殿山」上に位置する。山頂は東西100メートル×南北60メートル程の平坦地となっており、南西端に土塁と空堀が残るという。現在は「獅子ヶ谷市民の森」となっている[2]。
殿山と山麓の上獅子ヶ谷村は、江戸幕府の旗本・小田切氏の所領であり、1812年(文化9年)完成の『寛政重修諸家譜』によれば、小田切光猶が1597年(慶長2年)から1607年(慶長12年)にかけて居住していたとする。これに対し1830年(文政13年)完成の『新編武蔵風土記稿』では、光猶の息子小田切須猶(美作守)が慶長年間に住んでいたとしている。また『風土記稿』では、小田切氏の江戸移住に際し、屋敷を上獅子ヶ谷村名主の横溝氏に譲ったと伝わる。現在殿山の南東麓には江戸時代末期に建築された横溝家(横浜市指定有形文化財「旧横溝家住宅」)があり[3]、みその公園「横溝屋敷」として公園化されている[4]。横溝屋敷が旧小田切氏屋敷とすると、背後の殿山は詰城と考えられる。
なお、『日本城郭大系』では横溝屋敷背後の山が獅子ヶ谷城となっているが、横浜市の埋蔵文化財包蔵地地図では獅子ヶ谷の谷地を挟んで向かい側の丘陵(こちらも獅子ヶ谷市民の森となっている)を獅子ヶ谷城(遺跡番号・鶴見区47)とし、横溝屋敷背後の山は縄文・弥生時代の遺跡(遺跡番号・港北区192)とのみ記載しており、情報に相違がある[5]。
参考文献
- 平井聖ほか 1980「獅子ヶ谷殿山」『日本城郭大系』第6巻(千葉・神奈川) p.282
- 【書籍】「新編武蔵風土記稿」|publisher=内務省地理局|date=1884-6|ref=}}
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獅子ヶ谷城の口コミ情報
2024年03月10日 ヤマ中務大輔
獅子ヶ谷城
横溝屋敷の裏から木段のトレイルを登った先が獅子ヶ谷城跡です。頂上は広場になっていて、東屋やベンチがあります。西には丹沢と富士山が見えます。
2023年12月23日 楠刑部大輔みけわんこ
獅子ヶ谷城
この城の城主である、小田切氏は、綱島の諏訪神社の綱島十八騎と同じく武田家臣が関係しているところが共通しています。諏訪神社のほうは、異説もありますが、相模や武蔵の国は、甲斐の隣国といえる場所ですからあり得る話だと思います。平地の少ない甲斐国に比べ、関東は、平地が多く、武田家臣が、耕作にも適した魅力ある新天地として、相模や武蔵国を移転先として考えるのはよく分かります。
2023年07月10日 隠岐守丸に澤瀉
獅子ヶ谷城
地図見て道があるのかなって思ったら、普通に健康の森の中でした。途中階段などもあり、夏場は虫も多いので気をつけて行ってください。
2023年03月05日 maki156
獅子ヶ谷城
横溝屋敷の横から現在は公園と思われる頂上へ探索できる。横溝屋敷とセットで行くには良いが城跡の石碑も無く横溝屋敷も改装中だった。
2023年02月27日 きた大学允ひろ
獅子ヶ谷城
城跡という案内板は見当たりませんでしたが、プチハイキング気分が味わえる公園として、保護されているので、意識もって歩き回り、見晴らしてみると、「あーたしかに、ここに砦があったんだろう」と味わえると思います。参考まで)公園近辺には、バイクや車の置き場はありませんでした。路上駐車だと即、ご近所さまのご迷惑になりそうでした。
2022年02月07日 左近衛少将てつ
獅子ヶ谷城
横溝屋敷の左奥の山道を登ると、主郭があった思われる開けた場所に着きます。展望が素晴らしいです。
2021年02月21日 鉄武蔵守紺太郎信繁
獅子ヶ谷城
鶴見駅からのバスはいくつも行き方が有りますが、表谷戸バス停で降りリア攻めしました。師岡町梅の丘公園を目指して住宅地の中をクネクネ3分ほど歩きます。Googleマップの案内とおりに行くと公園脇の道を通り住宅地の行き止まりとなった為、戻って公園の中の道を丘の上を目指し歩くと口コミに既述にある主郭のような平坦地に飛び出します。西側が見晴らしの良い広場で往時は敵が良く見えたことでしょう。ここはテーブル、ベンチ、東屋なども整備されてピクニックの子連れもいます。背後は崖で竹林の為冬でも見通しは無し。城跡の説明板、土塁など遺構は確認出来ませんでしたが砦だったと想像できる地形が残されており、麓のみその横溝家住宅見学(無料)と併せて散策が楽しめます。
写真は梅の丘公園から見上げた丘、丘の広場から西側に下る道(横溝屋敷側ではない方!)、雛飾り展示中の横溝屋敷主屋一階、横溝屋敷長屋門と背後に獅子ヶ谷城です。
2020年04月25日 きつね左近衛中将
獅子ヶ谷城
国土地理院地形図から師岡町公園〜獅子ヶ谷城跡までがひと繋がりの城跡との予測のもとで、実際に歩いてみました。
師岡町公園には、階郭曲輪様の地形と、人為的な感じの切立った丘になっており、そこから獅子ヶ谷城跡に切通しで繋がっています。
Google mapで出てくる獅子ヶ谷城跡までに更に1箇所曲輪様の地形があります。獅子ヶ谷城跡は曲輪がひとつだけですが本丸になりそうな広場があり、周囲はかなり急斜面です。
そこから丘を降りた地点に横溝屋敷があり、湧き水が出てました。
この一帯は獅子ヶ谷市民の森として歩けます。
2016年06月25日 相模守愛洲久忠
獅子ヶ谷城
鶴見川南岸の入り組んだ丘陵地帯の一角の緩やかな半独立丘にあり、一帯は「みその公園」として歩道が整備されています。
頂上は見晴らしの良い平坦地で周囲には切岸や土塁跡、堀跡を散見することができます。
平坦地の北東には一段低い畑となっている部分があり、腰曲輪のように見えなくもありませんが、残念ながら後世の耕作によるものなのかは判別がつきません。
頂上の平坦地を主郭とする単郭で、小机城の支城として、物見台や兵の駐屯地としての役割が大きかったのではないでしょうか?
アクセスはJR新横浜駅と鶴見駅からそれぞれバスがあります。
城趾南東の「横溝屋敷」には無料の駐車場もあります。