八幡塚砦(はちまんづかとりで)

八幡塚砦の基本情報

通称・別名

八幡塚行方氏館

所在地

東京都大田区東六郷3(六郷神社付近)

旧国名

武蔵国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

行方明連

築城年

永禄年間(1558〜1570)

主な改修者

主な城主

行方氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

なし

周辺の城

河崎氏館(神奈川県川崎市)[1.7km]
行方氏館(東京都大田区)[2.5km]
大井氏館(東京都大田区)[3.0km]
小田殿屋敷(神奈川県川崎市)[3.9km]
池上氏館(東京都大田区)[4.2km]
新井宿城(東京都大田区)[4.6km]
馬込城(東京都大田区)[5.0km]
潮田館(神奈川県横浜市)[5.4km]
矢上城(神奈川県横浜市)[5.5km]
丸子城(神奈川県川崎市)[5.7km]

八幡塚砦の解説文

八幡塚砦は、武田信玄が北条氏の本拠である小田原城に進軍する際、途中にこの地を守る領主であり、北条氏の家臣である行方氏と戦ったと言われる場所である。

現在は六郷神社となっており、八幡塚は現存するものの、その他遺構は特に残っていない。

八幡塚砦の口コミ情報

2022年06月26日 瑞大光之介
八幡塚砦

比定地の六郷神社は京急雑色駅より京浜国道を川崎方面ヘ徒歩10分ほど。左手に鳥居が出現します。落ち着いた社殿・前栽は格式の高さを伺うものですね。

2022年04月29日 長森原
水堀跡[八幡塚砦  遺構・復元物]



八幡塚砦(現・六郷神社)はかつては水堀で四方を囲まれており、砦のすぐ東側を中世期の東海道が通っている立地でした。

元和9年(1623)に神社西側に東海道が付け替えられた際、西側の水堀が一部埋められましたが、大部分の水堀はそのまま明治期まで残っていました(迅速測図で確認)。現在は残念ながら、水堀は全て道路等に変わっています。立地と地形からは、砦というより領主の居館か、東海道を扼する関所的な施設を思わせます。

八幡塚砦には、かつて武田信玄軍と地元の領主・行方氏が交戦したという伝承があるとされていますが、武田信玄軍が大田区に来襲した史実は無く、常々不思議に思っていました。調べてみるとその伝承の元となっているのは、軍記物語の「北条記」(小田原記)のようです。

「六郷に行方弾正居たりしが、己が屋敷の近所なる八幡に要害を構え、稲毛の田島横山、駒橋等を引率し、甲州勢を通さず、信玄は品川の宇多見石見守、鈴木等を追散し、六郷に出でられけれど、六郷の橋を焼落しければ、池上へ懸かりて、池上寺を追捕(ついぶ)す」(北条記)

「北条記」では信玄軍は品川から東海道を通り六郷で多摩川を渡って小田原に向かおうとしたところ、行方弾正が六郷の橋を焼き落としていた為、やむなく池上本門寺に向かったという事になっています。

六郷の橋とは江戸初期に東海道の多摩川渡河点・六郷の渡し場に架けられていた橋で、八幡塚砦の西南600mの所に在りました。ただ、戦国時代に六郷に前身の橋がすでに存在していたのかは判っていません。

しかし東海道や多摩川の渡しを舞台にした軍記物語は、江戸時代の人々にはイメージし易かったのでしょう。いつしかそれが史実として語り継がれるようになったのではないかと思われます。

八幡塚砦の周辺スポット情報

 水堀跡(遺構・復元物)

 水堀跡(遺構・復元物)

 水堀跡(遺構・復元物)

 六郷の渡し・説明板(碑・説明板)

 東海道・万年屋跡(碑・説明板)

 東海道・石碑(碑・説明板)

 東海道・石碑(碑・説明板)

 殿町城(周辺城郭)

 東海道(近世)(その他)

 六郷の渡し(その他)

 東海道(中世)(その他)

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