五稜郭(ごりょうかく)

五稜郭の基本情報

通称・別名

柳野城

所在地

北海道函館市五稜郭町本通1

旧国名

蝦夷国

分類・構造

稜堡式

天守構造

なし

築城主

徳川幕府

築城年

元治元年(1864)

主な改修者

主な城主

旧幕府軍(蝦夷共和国)

廃城年

明治2年(1869)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)

指定文化財

特別史跡(五稜郭跡)

再建造物

箱館奉行所、石碑、説明板

周辺の城

四稜郭(北海道函館市)[3.4km]
弁天台場(北海道函館市)[5.1km]
志苔館(北海道函館市)[6.4km]
茂別館(北海道北斗市)[12.9km]
戸切地陣屋(北海道北斗市)[13.1km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

2 五稜郭

設置場所

箱館奉行所付属建物「板庫(休憩所)」[地図
五稜郭タワーチケット売り場[地図

五稜郭の解説文

五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に江戸幕府により蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に建造された稜堡式の城郭である。同時期に築城された長野県佐久市の龍岡城も稜堡式城郭であり「五稜郭」と呼ばれるが、単に「五稜郭」といえば函館の城郭とする場合も多い。

予算書時点から五稜郭の名称は用いられていたが、築造中は、亀田役所土塁(かめだやくしょどるい)または亀田御役所土塁(かめだおんやくしょどるい)とも呼ばれた。元は湿地でネコヤナギが多く生えていた土地であることから、柳野城(やなぎのじょう)の別名を持つ。

五稜郭は箱館開港時に函館山の麓に置かれた箱館奉行所の移転先として築造された。しかし、1866年(慶応2年)の完成からわずか2年後に幕府が崩壊、短期間箱館府が使用した後、箱館戦争で旧幕府軍に占領され、その本拠となった。明治に入ると郭内の建物は1棟を除いて解体され、陸軍の練兵場として使用された。その後、1914年(大正3年)から五稜郭公園として一般開放され、以来、函館市民の憩いの場とともに函館を代表する観光地となっている。

国の特別史跡に指定され、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産に選定されている。なお五稜郭は文化庁所管の国有財産であり、函館市が貸与を受け、函館市住宅都市施設公社(指定管理者)が管理している。

沿革
築造
1854年(安政元年)3月、日米和親条約の締結により箱館開港が決定すると、江戸幕府は松前藩領だった箱館周辺を上知し、同年6月に箱館奉行を再置した。箱館奉行所は前幕領時代(1802年-1807年)と同じ基坂(当時は松前藩の箱館奉行詰役所があった)に置かれた。初代奉行の竹内保徳は松前藩の建物を増改築して引き続き使用する方針を示したが、続いて奉行に任命された堀利煕は、同所は箱館湾内から至近かつ遮るものがなく、加えて外国人の遊歩区域内の箱館山に登れば奉行所を眼下に見下ろすことができるので防御に適さず、亀田方面への移転が必要だと上申。そして竹内と堀は江戸に戻ると、箱館湾内からの艦砲射撃の射程外に位置する鍛冶村中道に「御役所四方土塁」を築いて奉行所を移転する意見書を老中・阿部正弘に出した。これが幕閣に受理され、五稜郭の建設が決定した。

併せて、矢不来(やぎらい、現在の北斗市矢不来(やふらい))・押付・山背泊(やませどまり)・弁天岬・立待岬・築島・沖の口番所の7か所の台場の新改築からなる箱館港の防御策も上申されたが、阿部はこれらを同時に築造するのは困難なので、まず弁天岬(弁天台場)と築島(着工されず)に着手するよう指示している。

1855年(安政2年)7月にフランスの軍艦コンスタンティーヌ号が箱館に入港した際、箱館奉行所で器械製造と弾薬製造の御用取扱を務めていた武田斐三郎が同艦の副艦長から指導を受け、大砲設計図や稜堡の絵図面を写し取った。武田は、この絵図面を基に五稜郭と弁天台場の設計を行っている。そして五稜郭と弁天・築島・沖の口台場の築造からなる総工費41万両の予算書が作成された。当初は工期20年の計画だったが、蝦夷地警備を命じられた松前藩(戸切地陣屋)・津軽藩(津軽陣屋)・南部藩(南部陣屋)・仙台藩(白老陣屋)の各陣屋が既に完成していたことから、五稜郭や台場の工事が遅れると箱館市民や外国人に対して幕府の権威を失うことになるので、弁天台場と五稜郭の築造を急ぐこととなった。

1856年(安政3年)11月、組頭・河津祐邦、調役並・鈴木孫四郎、下役元締・山口顕之進、諸術教授役・武田斐三郎らを台場並亀田役所土塁普請掛に任命し、1857年(安政4年)7月に五稜郭の築造を開始。建物については、1856年(安政5年)から郭外北側に役宅を建設、1861年(文久元年)に奉行所庁舎建設を開始した。施工は土木工事を松川弁之助、石垣工事を井上喜三郎、奉行所の建築を江戸在住の小普請方鍛冶方石方請負人中川伝蔵が請け負った。当初は、まず掘割と土塁工事、続いて建物工事、最後に石垣工事を行う計画だったが、この地は地盤が脆弱で冬季の凍結・融解により掘割の壁面が崩落したため、急遽石垣工事を先行させた。

1864年(元治元年)に竣工、6月15日に箱館奉行・小出秀実が奉行所を五稜郭内に移転し業務を開始した。引き続き防風林や庭木としてのアカマツの植樹や付帯施設の工事も行われ、1866年(慶応2年)に全ての工事が完了した。

五稜郭の総工費は10万4090両(予算14万3千両)、その内訳は堀割・土塁・石垣などの土木工事に5万3144両(予算9万8千両)、建物の建築工事に4万4854両(予算2万5千両)、水道の敷設工事に6092両(予算2万両)というもので、これとは別に弁天台場が10万7277両(予算10万両)を費やして築かれた。この大事業に最繁期で5〜6千人の人夫が使われたといわれ、箱館には人が満ちて街は大いに潤った。...

五稜郭の口コミ情報

五瓜ニ唐花紋右大臣や〜きみ様[2017年05月08日]
デカイです。
駐車場あり。
外郭お堀の外を一周もかなり時間が掛かります。
タワーを登って上から見てもそこそこ時間が掛かります。

縄張りのなかも広いし、建物内部(庁舎跡)の展示はかなりハイテクで案内人のスタッフもかなり教育されてる感じで、館内城郭内も歩くとかなり時間を使います。
じっくり堪能すると半日位いてしまうかも。

まなやん1960様[2017年02月18日]
2016年10月24日に、函館北斗駅よりレンタカーにて訪問しました。

へルマン君様[2013年09月29日]
引っ越した友人宅訪問の際訪れました。桜~きれいでした!

函館肥後守雄一郎様[2013年04月29日]
桜はまだつぼみも出てない状態です。GWには間に合いそうもありません。

函館肥後守雄一郎様[2013年04月01日]
今年の桜開花予想日は4/30です♪

徳川内大臣源朝臣康武様[2010年07月11日]
復元中の箱館奉行所に拭かれている瓦は、福井産の越前赤瓦。事前の発掘調査で赤瓦が出土したことから。
会津若松城も旧来の赤瓦に拭き直し。寒冷地に強い赤瓦です。

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