二股口台場山(ふたまたぐちだいばやま)

二股口台場山の基本情報

通称・別名

所在地

北海道北斗市村山

旧国名

蝦夷国

分類・構造

山城

天守構造

なし

築城主

土方歳三

築城年

明治2年(1869)

主な改修者

主な城主

旧幕府軍(蝦夷共和国)

廃城年

遺構

塹壕跡

指定文化財

再建造物

碑、説明板(二股口古戦場)

周辺の城

戸切地陣屋(北海道北斗市)[11.8km]
館城(北海道檜山郡)[18.2km]
茂別館(北海道北斗市)[20.1km]
砂原陣屋(北海道茅部郡)[22.8km]
四稜郭(北海道函館市)[22.9km]
弁天台場(北海道函館市)[23.1km]
五稜郭(北海道函館市)[24.1km]
志苔館(北海道函館市)[30.4km]
上之国館(北海道檜山郡)[40.2km]
脇本館(北海道上磯郡)[43.8km]

二股口台場山の解説文

二股口台場山は明治2年(1869)、箱館戦争において旧幕府軍の一員であった元新選組副長の土方歳三率いる部隊が台場山に築いた陣である。

箱館戦争において、新政府軍は江差付近から三手に分かれて箱館を目指したが、その中でも最短距離で箱館に辿り着ける二股口は旧幕府軍にとって死守すべき要衝であり、堅い防御が求められる場所であった。

この場所の防備を任された土方歳三は、台場山に16箇所の胸壁を築いて防御を固めた。新政府軍はこの二股口台場山を突破すべく、圧倒的な兵力をもって攻めかかったが最終的にこの二股口台場山が落ちることはなかった(その後、松前口・木古内口が突破されたことで土方歳三も五稜郭への撤退を余儀なくされた)。

現在も台場山の山中に、当時の胸壁と思われる遺構を確認することが出来る。

二股口台場山の口コミ情報

2021年05月22日 【隠者】史学会一兵卒
二股口台場山

場所
 大野国道こと国道227号線を新函館北斗駅方面から厚沢部、江差方面に台場山を目印に進む。中山峠(中山トンネル)の5キロ以上手前に台場山がある。国道の台場入口に「二股口交古戦場」の木柱と「二股口の戦い」の説明板があるのでこれが台場への目印となる。
 説明板の300Mほど北斗市側手前に大きな駐車場があるが、説明板までは歩道がない。道路は広くて歩くスペースはあるが交通量も少なくないので、歩くときは注意が必要。説明板の所を曲がれば数十M先に3,4台駐車できるスペースがあるのでここにも駐車できる。道沿いに歩くとすぐに左手に水道施設がある。
 水道施設から舗装された道にも見える配管設備に沿って南西に少し進めば、「土方歳三二股口激戦地の入口」の名称版があり、ここから右に曲がってに登る。いちおう道はあるが倒木で少し荒れた箇所もあるが何とか進める。300Mほど10分も歩かないで「江差山道通行の難所と二股古戦場跡」の説明板と「土方群戦死者の霊」の木柱がある。この周辺も古戦場の一画だが台場の遺構はここから西側に少し登る。かろうじて道は残っているが少し分かりにくい。登ってすぐの場所に胸壁(塹壕)跡がある。胸壁の案内は一切ない。集落から離れているの熊が出る可能性を考慮して行く必要がある。中級者以上向けの城。

現状
胸壁は江差方面から進撃する新政府軍の西からの攻撃に備えたものである。土も盛った土塁の胸壁ではない。地面を掘り下げて潜むスペースを作り、西から攻めてくる敵に対しては土が胸壁となる。確認出来ただけでも胸壁は数十M以上にわたって残っている。永久築城の近世城郭ではなく臨時築城の野戦陣地に相当する。


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