砂原陣屋(さわらじんや)
砂原陣屋の基本情報
通称・別名
- 東蝦夷地南部藩砂原陣屋
所在地
- 北海道茅部郡森町砂原3
旧国名
- 蝦夷国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 南部美濃守
築城年
- 安政3年(1856)
主な改修者
- -
主な城主
- 南部藩
廃城年
- 明治元年(1868)
遺構
- 土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 国史跡(東蝦夷地南部藩陣屋跡)
再建造物
- 石碑、説明板
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-
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砂原陣屋の解説文
砂原陣屋の口コミ情報
2024年08月18日 気分爽快豊後守
砂原陣屋
方形の高い土塁で囲まれた陣屋。北と南の土塁に切れ目があり、入口となっている。このまま山に持っていって、大きな木を生やすと、甲賀や伊賀の城になりそう。
①西の土塁
②陣屋の西側
③南の入口
④東の土塁
⑤北東から見た陣屋内部
⑥北の入口
18世紀末頃から蝦夷地(北海道)周辺の海には外国船が多く見られ、鎖国政策をとる江戸幕府は南部藩や津軽藩に蝦夷地の警備を命じた。嘉永7年(1854)の日米和親条約の締結後、恵山岬から東蝦夷地幌別の海岸一帯を任された南部藩は、へケレオタ(室蘭)に出張陣屋、ヲシャマンベ(長万部)と砂原に分屯所(砂原陣屋跡)、函館に元陣屋を置いて警備についた。
砂原陣屋跡は安政3年(1856、諸説あり)に建てられ、慶応3年(1867)の引き揚げ時に壊されたようだ。陣屋は内部の建物を四角く囲むように高さ2~3mの土塁が築かれ、さらに外側に堀がめぐっていた。現在、土塁は東西約66m、南北約59mの大きさであり、海に面する北側の土塁の中央部に表門、南側の土塁には裏門とみられる土塁の切れ目を除けば、四角く中央を囲むように残存している。土塁の外側にあった堀は見ることができない。近年、この堀の存在を調べる目的で発掘調査を実施したところ、現地表面より0.8m下に幅約6m、深さ約2.5mの堀が存在したことを確認できた。調査した部分も含め、堀は土砂で埋没しており、土塁の外側を巡る堀が現在も残されていることが推測できる。