茂別館(もべつだて)

茂別館の基本情報

通称・別名

茂辺地館、下国館

所在地

北海道北斗市矢不来129他

旧国名

蝦夷国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

安東盛季

築城年

嘉吉3年(1443)

主な改修者

主な城主

安東氏、茂別氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切

指定文化財

国史跡(茂別館跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

弁天台場(北海道函館市)[8.2km]
戸切地陣屋(北海道北斗市)[9.4km]
五稜郭(北海道函館市)[12.9km]
四稜郭(北海道函館市)[15.1km]
志苔館(北海道函館市)[18.0km]
二股口台場山(北海道北斗市)[20.1km]
館城(北海道檜山郡)[24.9km]
脇本館(北海道上磯郡)[27.5km]
戸井館(北海道函館市)[33.8km]
砂原陣屋(北海道茅部郡)[39.8km]

茂別館の解説文

茂辺地川左岸の丘陵地南端(標高役34m)に、道南12館の一つである国指定史跡「茂別館跡」がある。

嘉吉3年(1443)、津軽の管領・安藤太郎盛季が南部義政に十三湊を攻略され、さらに小泊も奪われ蝦夷島に渡った時、館を造ったのに始まる。のち安東政季、茂別(下国)家政が守備した。

長禄元年(1457)5月、コシャマインの戦いの時、道南の10館は相次いで攻め落とされたが、ここ茂別館と上ノ国花沢館だけが堅く守って屈せず辛うじて残ったという。

この茂別館跡は、南の大館、北の小館から成り、自然の沢で区画されている。大館、小館とも北・東・南の三方に土塁を巡らしており、館内部には仕切状の土塁が認められる。道南に存在する同時代の館跡のなかでも最も雄大な館跡の一つであり北海道中世期の貴重な史跡である。

交通 

道南いさりび鉄道「茂辺地駅」より徒歩約20分

情報提供:北斗市教育委員会社会教育課


茂別館の口コミ情報

2023年08月15日 大納言Z周防守369
宇須岸館[茂別館  周辺城郭]



享徳3年(1454)、安東師季に従って蝦夷に渡った河野政通によって築かれたといわれている。

しかし、長禄元年(1457)のコシャマインの戦いで、地元アイヌ勢によって攻め落とされた。政通ら河野一族の消息は不明である。

2023年05月16日 陸奥守新九郎
茂別館



土塁と梁の痕跡が確認できますが、どのようなチャシであったのかは、なかなかに厳しい残存状況です。箱館戦争の影響もありそうです。

2021年09月11日 さらつむん
茂別館

車でリア攻め、神社の鳥居を通り越してちょっとしたスペースに駐車、鳥居より登城、急な坂道あがると拝殿あって右手に土塁らしきもの、こぐちから外に出ると4m程度の土塁でした。手前は、深そうな堀、もともとこちら側が大手道かと思えます。お宮さんとしては、裏参道と案内ありました。で、無理くり駐車が祟り、パンク神罰のおまけまでいただきました。駐車場所にはお気をつけあそばせ

2016年11月06日 イオニア渡島守
茂別館

茂別地駅近所の矢不来天満宮が跡地で城碑と説明板があります。

茂別館の周辺スポット情報

 茂別館跡説明板(碑・説明板)

 宇須岸館(周辺城郭)

 中野館(周辺城郭)

 矢不来館(周辺城郭)

 矢不来天満宮(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

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