白老陣屋(しらおいじんや)
白老陣屋の基本情報
通称・別名
- 白老仙台藩陣屋、仙台藩シラオイ元陣屋
所在地
- 北海道白老郡白老町陣屋町
旧国名
- 蝦夷国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 三好監物
築城年
- 安政2年(1855)
主な改修者
- -
主な城主
- 仙台藩
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 国史跡(白老仙台藩陣屋跡)
再建造物
- 門、塀、木橋、石碑、説明板
周辺の城
-
ペサのチャシ(北海道千歳市)[34.5km]
アッテウシのチャシ(北海道千歳市)[36.3km]
モロラン陣屋(北海道室蘭市)[39.0km]
茂漁チャシ(北海道恵庭市)[39.3km]
館山チャシ(北海道伊達市)[41.0km]
島松川左岸チャシ(北海道北広島市)[44.0km]
中の沢チャシ(北海道北広島市)[48.8km]
天神山チャシ(北海道札幌市)[50.8km]
発寒チャシ(北海道札幌市)[56.4km]
トニカチャシ(北海道沙流郡)[57.3km]
白老陣屋の解説文
[引用元:Wikipedia「白老陣屋」の項目]
白老仙台藩陣屋跡(しらおいせんだいはんじんやあと)は、北海道白老郡白老町にある、幕末期に蝦夷地警備を命じられた仙台藩が置いた陣屋があった場所。国指定の史跡で、約6万6000平方メートルの史跡公園として整備されている。この項目では、博物館の仙台藩白老元陣屋資料館(せんだいはんしらおいもとじんやしりょうかん)についても記述している。
概要
白老川とウトカンベツ川に挟まれた場所にあり、陣屋を守る天然の堀として利用した[1]。北海道内で数少ない、江戸幕府の蝦夷地支配の姿を現代に残す[2]史跡である。国の「民族共生象徴空間」(ウポポイ)の関連施設に位置づけられており[3]、敷地内の設備や資料館の改修、「保存活用計画」策定を計画している。白老駐留中の仙台藩士は地元のアイヌと融和に努め、昆布養殖に賃金を払い、物々交換で手に入れた鮭皮の履物や毛皮で寒さに耐えた。
敷地内には塩釜神社や仙台藩白老元陣屋資料館があり、少し離れた丘陵地には愛宕神社がある。資料館には史跡の絵図面や古文書、武具など約300点の資料を所蔵しているほか[4]、白老に関する郷土資料展、講演会、日本史にまつわる展示会など、定期的なイベントも開催している。
仙台藩士は、北海道に当時自生していなかったアカマツを数百本持ち込んで植え、唯一生き残った樹齢160年の巨木が残っている。前述の塩釜神社は、倒れたアカマツを使って1955年に再建されたものである。
歴史
江戸幕府は1854年(嘉永7年)の日米和親条約によって鎖国に終止符を打ち、アメリカ合衆国に続いてイギリス、ロシア、オランダとも和親条約を締結した。ロシアの南下政策を警戒した幕府が松前藩や東北地方諸藩に蝦夷地の分割警備を命じ、各藩は計24カ所の陣屋を築いて沿岸の警備にあたった。仙台藩は白老から襟裳岬を経て国後島・択捉島までの東蝦夷地を守備範囲とし、1856年(安政3年)に陣屋を白老に築いた。なお、白老町はこの年を町の開基としている[5]。陣屋は面積が約66,000 m²、堀と土塁に囲まれた曲輪があり、内曲輪と外曲輪の中に6基の門を構えて本陣、勘定所、殻蔵、稽古場、長屋などを築き、常時120名の藩兵が駐屯していた。1859年(安政6年)に藩領地となったことによって代官が置かれ、白老の民政を行った。明治維新によって時代が変わり、1868年(慶応4年・明治元年)に戊辰戦争が勃発すると官軍が白老陣屋を攻撃する危険性が高まったため藩士は白老を離れて仙台に引揚げ、陣屋は12年の歴史に幕を閉じた。
1966年(昭和41年)に国指定の史跡となり、白老町が整備を行っている。1981年(昭和56年)に縁のある仙台市と「歴史姉妹都市」を提携し[6]、1984年(昭和59年)には町制施行30周年を記念して「仙台藩白老元陣屋資料館」が開館した。
仙台藩白老元陣屋資料館
利用案内
- 開館時間:9:30 - 16:30
- 休館日:毎週月曜日(祝祭日の場合は翌日)、年末年始(12月29日 - 1月3日)
- 入館料(※白老町民は無料)
- 個人:一般300円、小中学生150円
- 団体(20人以上):一般250円、小中学生120円
アクセス
- 道央自動車道白老ICから車で約5分
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)白老駅から車で約10分
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白老陣屋の口コミ情報
2024年10月21日 ゆきのじょう
白老陣屋
幕末に外国から蝦夷地を守るために、東北諸藩が築いた陣屋の一つで仙台藩が築いたものです。仙台藩は気の毒としか思えないほど、広範囲の警備を任され、東の果ては択捉までと、なんというか北海道の広さを知らない江戸が適当に決めた感が半端なかったです。白老町でも寒さで何人も藩士が亡くなったそうですが、択捉などはもっと大変だったでしょうね。故郷から遠く離れたところで亡くなった方々を想い、しんみりしてしまいます。
史跡については資料館で勉強できます。十分程度の映像資料で歴史的概略を把握できます。紙の資料の展示が多めなので、じっくり読むとなかなか時間がかかります。外の史跡は街灯はないので、日没までに余裕をもって入りましょう。
陣屋は内郭と外郭の2つの郭から形成されており、どちらも高い土塁に守られています。内郭は土塁の周りに水堀も設けられています。季節のせいかあまり水はありませんでした。外郭の入り口には馬出も残されていました。また、建物の柱跡には石が置いてあり、建物の位置関係が把握しやすいです。史跡として綺麗に整備されており、道内では数少ない整備された貴重なお城と言っても差し支えないと思います。登別温泉からも近いので、温泉ついでに立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
白老町に入ると案内板がありますので、それに従って行けば迷わず辿り着けます。資料館前に広い駐車場がありますので、駐車場に困ることはないです。
2024年08月13日 伸中務少輔
白老陣屋
整った城址でした。資料館や駐車場も完備されていて、100名城?とおもってしまうくらいでした。
2024年06月22日 日和山
カムイエカシチャシ[白老陣屋 周辺城郭]
カムイエカシチャシ
所在地 白老郡白老町虎杖浜
分類・構造 山城
築城主・築城年 不詳(疱瘡蔓延伝承によると江戸時代中期以降?)
遺構 空堀?、平場
ポンアヨロ川河口、太平洋に臨むアヨロ鼻灯台の建つ高台がチャシコツです。国道36号から未舗装道を約1km。灯台入口にチャシの案内板があります。
カムイエカシは「神、老翁」の意味らしく、「和人と交易中、疱瘡にかかってしまった釧路方面の人々がポンアヨロに寄港した時、コタンに蔓延して死者を出し、偉い老翁まて感染してしまった。翁は病のため立つことができず、座ったまま小便をした。その頃までは女も立って小便をしていたのだが、老翁(カムイエカシ)に恐れ多いと、しゃがんで小便をたすようになったと云々」という伝承があります(「日本城郭大系」)。
周辺には、神様が尻餅をついた跡という「オソロコチ」や神様の庭の意味の「カムイミンタル」があり、海や河口の監視の役割の他、祭祀の場であったのかもしれません。
※現在のアイヌ語由来の言葉で、カタカナを小文字で書くべきところも、大文字で書いています。
2022年11月19日 気分爽快豊後守
白老陣屋
珍しい円形の陣屋です。資料館が併設されており勉強になります。
2022年05月08日 伊豆守十郎
白老陣屋
しっかりとしま土塁と本曲輪と二の曲輪のような作りに外敵防御拠点と感じられる
白老陣屋の周辺スポット情報
井戸跡(遺構・復元物)
穀蔵跡(遺構・復元物)
本陣跡(遺構・復元物)
兵具蔵跡(遺構・復元物)
詰御門(遺構・復元物)
御門(遺構・復元物)
勘定所跡(遺構・復元物)
三番長屋跡(遺構・復元物)
二番長屋跡(遺構・復元物)
五番長屋跡(遺構・復元物)
四番長屋跡(遺構・復元物)
稽古場跡(遺構・復元物)
説明板(碑・説明板)
陣屋跡全体図(碑・説明板)
内曲輪説明板(碑・説明板)
外曲輪説明板(碑・説明板)
白老チャシ(周辺城郭)
白老山城のチャシ(周辺城郭)
カムイエカシチャシ(周辺城郭)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
仙台藩白老元陣屋資料館(関連施設)