沢山城(たくさんじょう)

沢山城の基本情報

通称・別名

澤山城、三輪城

所在地

東京都町田市三輪町

旧国名

武蔵国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

戦国時代

主な改修者

主な城主

不明

廃城年

遺構

曲輪、腰曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸

指定文化財

再建造物

周辺の城

成瀬城(東京都町田市)[4.5km]
小野路城(東京都町田市)[6.1km]
荏田城(神奈川県横浜市)[6.1km]
小沢城(神奈川県川崎市)[6.6km]
寺尾城(神奈川県川崎市)[6.7km]
枡形城(神奈川県川崎市)[7.3km]
榎下城(神奈川県横浜市)[7.6km]
淵野辺城(神奈川県相模原市)[7.6km]
大丸城(東京都稲城市)[7.7km]
有馬城山(神奈川県川崎市)[8.3km]

沢山城の解説文

沢山城は別名を三輪城といい、北条氏の属城であったとされるが詳細は不明である。

小田急線・鶴川駅の近くであり周辺は開発されているが、城山は現在も維持されており、井戸、空堀、腰曲輪、土塁なども確認することが出来る。

沢山城の口コミ情報

2021年03月16日 へこ
沢山城



鶴川駅からは2キロくらいで城に向かってだんだん登っていく感じでそこそこ疲れますが、139号線の陸橋から見ると城域がよく分かりオススメです。
沢谷戸自然公園の調整池側はかなり谷が深いので見応えがあります。是非ぐるりと回って見てください。

2021年03月12日 【若・目付】玄蕃允りんた
沢山城



中々いい城でした。初めは小城かとおもっていましたが、そこそこの規模でした。

まず、虎口は普通の平虎口でしばらく平坦な曲輪が続いた後に堀切で隔てられた小さな櫓台があり、堀切からしばらくして鳥居があります。そこから先は詰め城(?)で最上段に神社、その下に中規模の曲輪があり、さらに下には大きな曲輪がありました。

一城別郭の二重連郭式にみえました。恐らく前半が居住スペース(地元の方のお墓があります。関係があるかは不明。)で、後半は詰め城でしょう。また後半部分の入り口は、食い違いのように見えました。

2020年12月19日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
伝沢山城の出城[沢山城  周辺城郭]



白坂を登ると直線の道になります、進行方向左側に大きな榧の木(カヤの木)が見えて来ますが、この木は現在の国会議事堂造営の折にシンボルツリーに選ばれた木ですが運搬不能のため今もこの地に残っているとの事です、これだけの大木ですから、きっと沢山城の歴史を見続けてる事だと思いました、白坂を登り切った所からこの木の右側までが伝出城です、白坂の坂を登り切った所の右側に細道が有り途中まで行けますが、回りは私有地なので入れません!

2020年12月19日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
白坂横穴墓古墳群[沢山城  その他]



沢山城の城の坂が白坂と言われる様になったと言われる白坂の途中にこの地の有力者の遺体を安置した横穴古墳が有ります、こちら側から沢山城に向かうと坂の上の右側に伝出城が有り左側に沢山城と出城を隔てる空堀?らしき素敵な風景が広がっています😁

2020年12月19日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
沢谷戸自然公園中央?入口[沢山城  その他]



沢谷戸自然公園には駐車場が有りません、某は公園中央?入口付近に路駐して登城しました、公園中央?入口の前面は宅地造成地で道路は広いです、家は建っていません、某が帰って来たら多数の車が止まっていました、しかしながら路駐なので駐車は自己責任になりますので要注意😅
尚、トイレはここの公園中央?入口の所に有ります、トイレはここだけで近くに他のトイレは有りません!


2020年12月19日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
登城口[沢山城  その他]



沢谷戸自然公園の西側入口に沢山城の登城口が有ります、公園には駐車場が無いので、某は公園の中央入口?付近に路駐して、公園入口を入り左に曲がり、公園の西側入口に向かい登城しました!

2020年12月19日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
白坂横穴古墳群側登城口[沢山城  その他]



白坂横穴墓古墳群を見学してから沢山城に行かれる方はここより登城してみてください!

2020年12月14日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
王禅寺ふるさと公園駐車場[沢山城  その他]

400円/120分以降は、50円/30分駐車台数64台(神奈川県川崎市麻生区王禅寺533-2)
料金は事前に確認して下さい!

2020年12月14日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
コインパーキング[沢山城  その他]

亀井城跡下のコインパーキング
駐車台数が4台なので満車の可能性大なので要注意です😅

2020年12月14日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
化粧面谷公園[沢山城  その他]

二代将軍徳川秀忠の正室「お江与」の方と関係が有る公園です!
化粧面の由来は、寛永九年(1632年)の王禅寺村水帳にある「けわいめん」の地名は二代将軍秀忠夫人の正室のお江の方が化粧料を賄ったところと伝えられ(御料地なのでお江の方がこの地に来た事はおそらくないだろうと想像します)、化粧面にその名が継がれています、化粧面谷公園の周辺には、昔この一帯が城跡であったと思わせる腰曲輪らしい平場や松の木がたくさん生えるエリアには空堀や土塁のような跡が点在しているようです!
公園に駐車場が有りませので、王禅寺ふるさと公園駐車場に駐車して徒歩1km15分位です(川崎市麻生区王禅寺東5ー16付近が公園入口です)

2020年12月14日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
龍口池ノ公園[沢山城  その他]

籠口の池と白蛇伝説の有る公園です、籠口の池は、下麻生村の耕地をうるおすため池であったようです、この池には奇妙な白蛇伝説が伝えられていて、二代将軍徳川秀忠公の夫人であるあの有名な江姫が亡ったあと、巨大な白蛇に化身して闇夜に籠口ノ池に水を飲みに現れたという伝説が有り、この伝説は江戸時代に王禅寺村は鷹狩を通じて秀忠公と縁があり、お江の方の化粧料を賄う幕府の直轄地だったことから生まれたものと伝わっているようです!
公園に駐車場は有りませので、化粧面谷公園より徒歩450m5分位です(因みに、亀井城跡の登城口の月読神社の参道入口まで徒歩1km15分位です)
(川崎市麻生区下麻生2ー23ー1)

2020年12月14日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
亀井城[沢山城  周辺城郭]



亀井城は、源義経四天王の一人であった亀井六郎の居城と伝えられていて、北条氏の頃には布施蔵人の所領ですが、しかし、あまり文献は残っていないらしく、城の存在に関しては謎に包まれているとの事です、亀井城跡とされる月読神社まで鳥居からの参道はかなり長く、その先には100段くらいの階段があり、亀井城の存在を示す資料が無いものの、月読神社の由緒書きには、「亀井城の卯(東)の方に社殿を創建」と記載されています。東の方角に創立したとあることから城の中心部は宅地化している事になり、月読神社境内は城郭の一部になるのかなと思いました、月読神社境内には、遺構らしい遺構はありません、しかし参道の脇の竹林の中に土橋の様な地形とその脇の空堀の様な地形が見えるのですが、竹林は所有地なでの中に入ることができないので詳細な確認はできませんでした!
しかし城の実在自体も定かではないので遺構かどうかなと、辺りを見回り想像をかき立てられながらのリア攻めとなりました!
因みに、亀井城跡と関連は有りませんが、月読神社境内には下麻生亀井古墳群は所在していて、3基の古墳が確認されており、参道脇に墳丘を確認する事が出来る1号墳は直径約11mを測る円墳で、墳丘には石祠が祀られていますが、2号墳、3号墳は所有地に有り確認する事は出来ないとの事です、発掘調査により古墳は2基の円墳からなり、埋葬施設は横穴式石室が確認され、大刀や多量の鉄鏃が出土したそうです。残念なことに調査後、破壊されてしまったようです!
また、近くには、お江の方の伝説が有る龍口池ノ公園と化粧面谷公園が有りますので亀井城跡と合わせ散策してみて下さい!
*車の場合は月読神社の駐車場らしき場所は有りますが、神社の参拝者駐車場か確認出来ていません、路上駐車出来るスペースは有りますがあくまでも自己責任になります😅
または、月読神社参道入口近くにコインパーキングが一箇所有り月読神社参道入口まで徒歩5分位、コインパーキングの直ぐ横にも登城口が有りますので、ここを利用する事をお勧めします!
徒歩の場合は、月読神社までは小田急柿生駅より1.5km位登り坂有り徒歩30分位、月読神社参道入口まで最寄りバス停の小田急バスの亀井橋(小田急柿生駅〜約10分位)から150m位徒歩5分位です!

2020年12月14日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
登城口[沢山城  その他]



コインパーキングの横の細い道が亀井城登城口です、月読神社⇒案内板が有り住宅への道の様な感じですが
大丈夫です、月読神社まで階段で行けます、そして途中の右側に小さな石祠が有りますがそこに物見台?櫓台?と思って仕舞うような1号墳にお目見出来ます!
(投稿写真は月読神社から下って来た感じです😅)

2020年12月14日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
亀井城跡参道入口[沢山城  その他]



小田急バス亀井橋バス停から徒歩の場合は、月読神社参道入口から登城出来ますが、参道の先に約100段の階段が有ります😅

2020年12月13日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
元木山城[沢山城  周辺城郭]



元木山城跡(別名武州元木山柵大笠館)は越後国から来た、神蔵氏第24代当主甚左衛門盛清が、大永五年(1525年)小田原の北条氏綱の許しを得て元木山柵(城)を造営したとの事です、盛清は浄土野森において扇谷上杉勢と戦い勝利を得、その功により永30貫文(24万坪)の地を後北条氏より賜わりその後、当地を直ヶ谷(のうがや)と名付け、天文十三年(1544年)に柵内に瑞香殿を建立した、天正二年(1574年)能ヶ谷と改めた、江戸時代になると瑞香殿は幕府によって焼かれたが、元禄六年(1693年)に建て替えられ、現在の建物は明治三十九年(1906年)に建立されたものであるが、建物の一部に元禄時代の柱、棟札、大戸が残されている、木造書院造、寄棟千鳥
戦国時代の遺構は残らないが、明治時代に子孫により瑞香殿と池泉回遊式日本庭園は守られ、香山園(かごやまえん)として一般公開されていたが現在は閉館していて敷地内には立ち入り出来ないとの事です!
(南側と西側には土塁が有るようです)
元木山城跡まで、小田急線鶴川駅から徒歩で3分位!

2019年06月01日 長森原
沢山城



熊野神社前の道。
北条氏照の命により沢山城に備蓄されていた御城米を急ぎ(江ノ島経由で)小田原に輸送した鶴川街道に続きます。
沢山城についての参考文献を一つ見つけました。洋泉社発行・中田正光著「村人の城・戦国大名の城 北条氏照の領国支配と城郭」(2010年4月初版)。この本の第4章「年貢米の保管場所・沢山城と江ノ島」では、沢山城の近くの民家から発見された北条氏照印判状の内容に基づいてこの城の役割と特質についての考察がなされています。
また、高蔵寺や熊野神社を外郭として含む広範囲の縄張図が同書に載っていますので、本郭周辺だけでなく広くこの城の遺構を見て歩きたい方の参考になるかと思います。

2019年05月29日 長森原
沢山城



沢山城跡は現在私有地ですが、地主様のご厚意により七面神社(主郭の櫓台に建っています)への見学は許可されているようです。
ただし「団体での入山」「犬の散歩」「テレビの取材」「許可されている区域以外への立ち入り」は禁止されているのでご注意ください。
城跡は素晴らしく良く保存されていて、草刈りなどの地主様による丁寧なお手入れに感謝あるのみです。

2015年09月08日 浜浜左衛門佐二郎勝頼
沢山城

沢谷戸自然公園の西側の公園入口から、左手の尾根上の道に分け入る。小径の左側には数基のお墓が有り身が引き締まる。さらに進むと城郭の遺構が散見。私有地とのことで、二の郭入り口には団体、TVはご遠慮との立看板。二の郭過ぎたら最高点の神社はすぐそこ。神社裏側は本郭の平坦地。そこから下を見ると高度差が結構あった。
城を時計回りに一周すると、東側に白坂横穴古墳群がある。7世紀頃の横穴で、河原の石が敷き詰められ遺骨が発見されたとの説明板有り。その説明板には『沢山城は後北条氏の重要な出城の一つ』とある。但し、城の戦歴は不明。
個人的には、古墳群あたりの東側から覗き込んだ谷が結構深くて、東京にもこんなところがあるのかと驚きでした。


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