小沢城(おざわじょう)

小沢城の基本情報

通称・別名

天神山城

所在地

神奈川県川崎市多摩区菅仙谷1-4

旧国名

武蔵国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

稲毛重成

築城年

平安時代後期

主な改修者

後北条氏

主な城主

小沢氏、後北条氏

廃城年

遺構

曲輪、横堀(空堀)、堀切、土塁、井戸、物見台

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

寺尾城(神奈川県川崎市)[1.6km]
大丸城(東京都稲城市)[3.5km]
枡形城(神奈川県川崎市)[4.1km]
深大寺城(東京都調布市)[4.4km]
狛江入道館(東京都調布市)[4.8km]

小沢城の解説文

小沢城(おざわじょう)は神奈川県川崎市多摩区菅仙谷にあった日本の城である。現在は小沢城跡を含めた周辺は小沢城址緑地保全地区に指定され小沢城址里山の会が緑地保全を行っている。小沢天神山城とも呼ばれる。

概要
小沢城は多摩丘陵の先端に位置し、鎌倉道・矢野口(多摩川)の渡しを抑える交通の要衝、丘のふもとを三沢川が流れる要害の地である。尾根のピークに主郭を置かない特異な構造の城としても知られる。

概要
平安時代末期、稲毛三郎重成により築かれると伝わる(あるいは重成の子小沢小太郎が築城とも)。

観応2年(1351年)、足利直義方の小沢城を足利基氏方の高麗経澄が攻め落とす。この時焼失した。

享禄3年(1530年)6月には、小沢城から出陣した北条氏康が、北条領に侵攻した上杉朝興を迎え討つ小沢原の戦いが起こり、氏康が上杉勢を退け初陣を飾る。

戦国時代以降は廃城となり放置されるが、江戸時代に入ると富士講が流行し、峰を富士塚として利用されるようになる。文化3年に祠が、万延元年に富士登山三十三度大願成就記念碑などが建てられている。

太平洋戦争中には探照灯が設置され、生田にある桝形山に置かれた高射砲でB29を砲撃していた。

交通
京王相模原線京王よみうりランド駅より徒歩6分。
JR南武線稲田堤駅、京王相模原線京王稲田堤駅より徒歩17分。

小沢城の口コミ情報

くりぼーず武蔵守太郎様[2017年05月22日]
京王稲田堤駅より三沢川沿いに歩いて登城口(笑)から自然歩道を歩きました。地元保存会の方のご尽力で頂上まで歩き易く、浅間山にある富士塚まで一気に進めます。幾つもの合戦の舞台となり、源義経の逸話もこの地にはあるそうです。

ふーきち右近将監様[2016年07月03日]
熱中症で倒れた方が多い日に行ってしまいました。南武線稲田堤駅から徒歩18分ほど。住宅街の中にあります。車でのアクセスは、難しい。ある家の門脇に登城口が。川崎市とボランティアさんが整備してくれてるので、鬱蒼とした竹藪の中を登り、歩きやすい。

león伊豆守大途様[2015年08月25日]
南武線稲田堤駅から三沢川沿いに歩いて15分程。城山南側の住宅地の中に登城口がありました。
尚、京王よみうりランド駅からジャイアンツ球場に向かう道の途中からも登城できます。

登城口周辺に駐車場は見当たりませんでした、周りは道の狭い住宅地なので車では来にくいかもしれません。

散策路はよく整備されており、比高も40m程なのでスニーカーでも気軽に登れます。
郭や堀切といった遺構も良く残っていました。
削平地と堀切で構成された初期の山城といった感想です。

戦国期には扇谷上杉氏と後北条氏の間で争奪戦が繰り広げられたようで、享禄3年(1530)1月には上杉朝興が攻略(石川忠総留書参照)。その後再び後北条氏が奪還し、同じ年の6月に北条氏康が初陣を飾った小沢原の合戦でも使用されたと思われます。

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