天神山城(てんじんやまじょう)
天神山城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 東京都三鷹市新川2
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 大永4年(1524)?
主な改修者
- -
主な城主
- 不明
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
狛江入道館(東京都調布市)[1.8km]
牟礼砦(東京都三鷹市)[1.8km]
深大寺城(東京都調布市)[2.4km]
烏山城(東京都世田谷区)[3.1km]
成宗城(東京都杉並区)[5.5km]
喜多見城(東京都世田谷区)[5.6km]
大蔵館(東京都世田谷区)[6.0km]
赤堤砦(東京都世田谷区)[6.4km]
寺尾城(神奈川県川崎市)[6.4km]
小沢城(神奈川県川崎市)[6.6km]
天神山城の口コミ情報
2024年09月25日 あんどー主計頭
天神山城
蛇行した仙川に囲まれた城趾です。小高い丘の公園で、土塁は少し低いものの確認できます。石碑はないですが、説明板でわかりやすいです
2024年09月02日 hino
天神山城
仙川駅から1川沿いの歩道を10分ほど歩くと公園に着きますが 案内板しかなく城跡とはわかりにくいですが 小高い場所がおそらく城址です、堀などは無く遺構などはありませんでした
2024年06月04日 いれぶん[⭕️雁雁]
天神山城
千川の河川改修により城域の舌状台地先端部分が削られ、東側の天神山通りにほんの少し侵食されてしまっていますが、ほぼ築城されたと考えられている16世紀中頃の姿を維持しているありがたい城です
遺構は土塁・堀切・河川際の切岸・用水際の切岸あたりでしょうか
特にS字クランクを見せている堀切と付属する土塁は、横矢掛りを取り入れたとして、戦国時代の築城若しくは改修の証拠と考えられているようです。堀底道の底を過ぎた辺りで民有地となる為、フェンスや万年塀で仕切られており、堀の向こう側は見れません
西側の河川際切岸は公園化の手が入っているとはいえ、千川が蛇行していたママの形をとどめていて、ちょっと嬉しいです。
東南側は中央高速道路の整備用地となっていて入れませんが、ゲートの隙間から切岸の様子は拝めます。弓矢時代ならそれなりの優位を持って防御する事は可能な感じです。説明看板によれば、二〜三段の切岸で帯郭状の平場があるようですが、現状は公園の導入路になっています
規模は小さいとは言え、築城意図を充分に感じさせるありがたい城でした。トイレ有り。駐車場は付属してませんので天神山通りを南に千川を越えた先にあるコイン式を利用しました
◾️写真の説明
①②③④
⑤⑥⑦⑧
①堀底道-北東端部
②堀底道-ほぼ中央、左側が土塁
③西側北端から千川跡に沿って湾曲した切岸
④舌状台地端部が切り取られた部分
⑤南東部旧用水路際の切岸
⑥同上切岸上の帯郭的平場部分を使った通路
⑦南東端部天神山通り際の水洗トイレ
⑧説明看板の縄張り図
2024年05月11日 だって右衛門督まさむね
天神山城
京王線の仙川駅から仙川沿いに30分程歩くと、住宅地の真ん中に涼しげな日陰のこんもりとした杜が見えてきたと思ったら、それが天神山城跡の小高い丘でした。
看板があるくらいで特に石碑も遊具もない公園ですが、それがかえって昔が偲ばれるいい雰囲気だと感じました。
2024年02月27日 むーたん図書頭
天神山城
車を停めるところがないので、川沿いの道路に停め迷惑にならぬ程度に駆け足で城攻めしました。
2024年01月27日 大膳大夫DanchiGuy
天神山城
仙川駅から25分ほど徒歩で到着。
建物や石垣はありませんが、整備と清掃を自治体か地域住民の方々かがされているようで、非常に綺麗な城跡でした。
また、三鷹市の説明板がありがたかったです。
2023年09月08日 左近衛少将利信
天神山城
仙川駅から徒歩で攻城。 この日、五城目で疲労がたまってましたが、なんとか到着。 土塁と空堀を見学した後、柴田家菩提寺に向い柴田家家碑を確認しました。
2022年12月23日 けつお大納言
金子氏館[天神山城 周辺城郭]
仙川駅からのバス停がわからす、結局歩いて約25分ほどで到着。マンションの敷地になっており看板があるだけだった。
2022年11月11日 明智民部大輔ひろやす
金子氏館[天神山城 周辺城郭]
京王線仙川駅下車。白百合女子大学方面に歩き、「仙川」にぶつかったら左折して川沿いに歩きます。今はマンションエリアですが、街並みもなんとなく「縄張り」を思わせますし、川向うには砦跡のような公園も。城とも様と秋の散歩を楽しみました🍁
2022年06月14日 うっきー
金子氏館[天神山城 周辺城郭]
仙川駅から歩いて登城。川を挟んだ反対側には天神山城がありますので、併せて登城しました。
2022年05月31日 国府左京大夫城介
春清寺[天神山城 寺社・史跡]
柴田勝家の孫が中興開基した柴田家の菩提寺
【歴史】
慶長7年(1602)に、旗本(青山百人組)の大原春清(無徹玄心)がこの地に小さな庵を開創した。
元和元年(1615)、柴田勝重(柴田勝家の孫。父親は勝家の姉の子で、後に勝家の養子となった柴田勝政(越前勝山城主))が大坂の夏の陣での功により、多摩郡上仙川村等500石を加増された。そして、先祖の菩提を弔うために草庵を改築し、春清寺として中興開基した。その後、勝重の孫である勝門の代に三河に転封され、柴田氏はこの地を離れている。
その後、寛政8年(1796)に、勝重から数えて10代目の勝房によって、柴田家の由来を書いた石碑(柴田家家碑)を建立している。
【遺構】
柴田勝重を始め、柴田氏一門の墓が20基ある。柴田勝重の墓石は宝篋印塔で、武家では三鷹市内唯一の物となっている。
柴田勝房が建立した柴田家家碑も、柴田家の墓の側にある。
【感想】
柴田勝家が好きな人であれば、一度は訪問してもいいかもしれません。柴田家の菩提寺であるため、寺紋はちゃんと「丸に二つ雁金」となっています。また、柴田家家碑には、柴田勝家の功績や勝家の兜を埋めた勝淵神社、春清寺などが記されています。
【アクセス】
仙川駅から徒歩15分。
金子氏館から徒歩8分。
春清寺の駐車場を利用可能。
【写真】
①春清寺正門
②本堂
③寺紋の「丸に二つ雁金」
④柴田家家碑
⑤柴田勝重墓
⑥説明版
2022年05月22日 国府左京大夫城介
天神山城
三鷹市内で唯一明確な遺構が残る城
【歴史】
築城者・築城年代共に不明。仙川を挟んで北西に位置する島屋敷(伝・金子氏館)と関連があると考えられている。また、天文年間(1532~1555)における扇谷上杉氏と北条氏との深大寺城を巡る合戦に備えて築かれた可能性がある。(説明版より抜粋)
【遺構】
金子氏館より、仙川を挟んで南西275mに位置する舌状地形に築かれた単郭の城郭です。蛇行する仙川を背後に、台地と接続している北から東にかけては、横矢掛けのある堀切と土塁を設けて遮断している。主郭の北西部分は、往時は仙川に接する切岸となっていたようだが、河川改修によって地形が変更されている。なお、堀切は発掘調査によると、箱堀で、現在の地表面より1m深く掘られていた。
【感想】
三鷹市内にある城郭としては、土塁や堀切、切岸といった遺構が明確に残っている城郭です。特に、堀切は横矢が掛かるようになっており、戦国時代に築かれたものであることを明確に示しています。しかし、この城にあっては全く史料が残っておらず、かなり謎が多い城です。ただ、北条氏側の牟礼砦・烏山城、扇谷上杉氏側の深大寺城から、それぞれほぼ中間地点に位置しており、どちらの勢力が築いてもおかしくないと思います。個人的には、扇谷上杉氏が築いた深大寺城の東側を守る出城の一つだったのではないかと思います。
【アクセス】
京王線・仙川駅より徒歩20分。
井の頭線・三鷹台駅より徒歩30分。
仙川駅または三鷹台駅からバスで、「新川天神山青少年広場」バス停で下車し、徒歩1分。
【写真】
1:説明版
2:主郭
3:仙川に接する切岸
4:土塁
5:堀切
2021年12月20日 後志守あったらもんだ
金子氏館[天神山城 周辺城郭]
新川団地の管理事務所前に説明板が立っている。解説によれば中世以前から地域の拠点であったことが分かる。
2021年05月05日 vol012修理大夫
天神山城
新川天神山青少年広場の北東側に、空堀跡と土塁跡が残っています。京王線仙川駅から、徒歩20〜25分くらいです。
2021年05月04日 vol012修理大夫
勝淵神社[天神山城 寺社・史跡]
柴田勝家の兜が、孫勝重によってこの地に埋納されたという言い伝えがあるそうです。
2013年07月21日 陸奥守でくのぼう
金子氏館[天神山城 周辺城郭]
三鷹駅から仙川駅まで徒歩で行軍!金子氏館でなく、島屋敷を目標しないとわかりにくいかな。近くには柴田勝重(柴田勝家の孫)の菩提寺「春清寺」があるが、大阪の役の戦功により500石(上中仙川二村)を得た縁もあり、当寺の中興開基となっているそうな♪