牟礼砦(むれとりで)
牟礼砦の基本情報
通称・別名
- 牟礼の砦
所在地
- 東京都三鷹市牟礼2
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 北条(高橋)綱高
築城年
- 天文年間(1532〜1555)頃
主な改修者
- -
主な城主
- 高橋氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板(神明社)
周辺の城
-
天神山城(東京都三鷹市)[1.8km]
烏山城(東京都世田谷区)[3.2km]
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牟礼砦の解説文
牟礼砦の口コミ情報
2024年10月02日 マグロ常陸介祐平
牟礼砦
北条氏の家臣、北条綱種(綱高)が築いた砦で、現在は牟礼明神社が建ちます。高台にあり、砦に適した場所ではありますが、遺構は残っていません。神社の由緒の説明板は、ほぼ北条(高橋)氏に関する内容です。
扇谷上杉朝定は、北条氏に対抗するため深大寺城に難波田弾正を置きますが、対抗するために築かれたのがこの砦となります。この際、砦の鎮護の為に東京芝にある飯倉神明宮から勧請されたのが、牟礼神明社の原点となるようです。
北条綱種の父は高橋高種です。高種は筑後の豪族高橋統種の長男で、継母の讒言により出奔、足利義尚に仕え、その後は堀越公方政知に請われ伊豆に行き、堀越公方家が衰えると北条早雲に仕え、早雲の養女を妻に迎え、北条一門の扱いを受けるようになります。一方、高種の弟の長種は筑後の高橋家を継ぎ、名跡は高橋紹運へと続きます。
高種が45歳の若さで亡くなると、綱種は北条早雲に養育され、後に北条氏綱の猶子となり、北条の家号と綱の偏諱を受けています。
綱種の子の康種は、小田原征伐で北条氏が滅びると長男の氏資を北条氏直に同行させ高野山に入れ、自身は砦のあった牟礼の地に帰農し開墾に従事、高橋姓に復しています。子の氏資は、一時福島正則に高禄で仕えるも、正則改易の前に、開墾の為に牟礼に帰郷したとされています。
新編武蔵風土記稿では、牟礼(無禮)村の開発は、新座郡小榑村から来た高橋図書と伝わり(小榑村(大泉学園付近)の江戸期の名主は御鷹場預りも務めた高橋氏、保谷市の高橋一族も同族?、長々と書き込みましたが、実は上記の記述は架空でこちらが真実に近いと思われます)、小田原所領役帳では大橋氏9貫文の地としていますが、大橋氏の所領は高井戸のようですので、参考になりませんでした(この家と思われる高橋(北条)氏の記載なし)。
経歴は凄いのに、あまりメジャーではない高橋氏です。港区や品川区が北条氏の軍制で引用する「小田原旧記」、1度読んで見たい本です。
2024年08月26日 民部大輔こやまん
牟礼砦
牟礼地区は、丘のような地形ですが、ここは砦にするためなのか?切り立った上に今は神社があります。
2024年08月08日 にゃにゃんこ左近衛少将
牟礼砦
井の頭線三鷹台より南に向かって徒歩10分歩き道沿いに小さな森のようなものが見えたところです。消防署のところから入る道もあります。
2024年05月12日 だって左兵衛督まさむね
牟礼砦
京王線の仙川駅から30分程歩いて『天神山城跡』を攻略した後、京王井の頭線の三鷹台駅方面に向かって更に30分程歩いた辺りが『牟礼の里』と称するエリア(写真の案内図板は途中の新川天神社にあるもの)となっており、その核となっている自然豊かな『牟礼の里公園』に程近い『牟礼神明神社』の境内が砦跡となっていました。
神社の範囲はそれ程広くはありませんが、エリア内に幾つかある公園と同じく昔からの原風景を感じさせる林になっており、気持ちが落ち着く空間だと感じました。
2023年05月14日 みよ釆女正
牟礼砦
神社⛩になっていました。神社の裏に駐車場ありました。深大寺城の帰りに向かうのが良いかなぁ、10分位でつきました。
2023年05月10日 みっちゃん
牟礼砦
車で行きました。参拝用の駐車場があります。いつ行っても静かです。
2023年05月04日 左近衛少将てつ
牟礼砦
跡地には牟礼神明神社があります。遺構は見つけられませんでした。
2021年06月12日 中務少輔忠治郎
牟礼砦
今は牟礼神社です。周囲から見て丘のようになっており、昔は眺望が良かったと推測できます。
2021年02月15日 さすらいライダー
牟礼砦
最寄り駅から、徒歩でも10分かからないくらいの距離です。駅前の道をしばらく行き、玉川上水渡ると左手に、牟礼神社の旗が見えてきます。一応、駐車場もありました。神社の中に、案内板もありました。
跡地とされる場所は現在、牟礼神明神社となっているが特に遺構などを確認する事は出来ない。