狛江入道館(こまえにゅうどうやかた)

狛江入道館の基本情報

通称・別名

伝狛江入道館

所在地

東京都調布市佐須町5(晃華学園敷地内)

旧国名

武蔵国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

狛江入道増西?

築城年

不明

主な改修者

主な城主

狛江入道増西?

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

深大寺城(東京都調布市)[0.9km]
天神山城(東京都三鷹市)[1.8km]
牟礼砦(東京都三鷹市)[3.6km]
烏山城(東京都世田谷区)[4.4km]
寺尾城(神奈川県川崎市)[4.7km]
小沢城(神奈川県川崎市)[4.8km]
喜多見城(東京都世田谷区)[5.1km]
枡形城(神奈川県川崎市)[5.7km]
大蔵館(東京都世田谷区)[5.9km]
大丸城(東京都稲城市)[6.7km]

狛江入道館の解説文

狛江入道館は、鎌倉時代の『吾妻鏡』にも記録されている、武蔵七党のひとつ、西党に属した狛江入道の居館である。

石碑があり、遺構も残っているとされるが、跡地は現在晃華学園の敷地となっており、一般の立ち入りは禁止されている。

狛江入道館の口コミ情報

2026年04月11日 マグロ常陸介祐平
狛江入道館



承元2年(1208年)に武蔵威光寺(川崎市多摩区、現在の妙楽寺)に悪党50人を率いて乱入し、狼藉をはたらいた狛江入道増西の館とされます。

風土記稿によると、温井氏の先祖が建立した里の稲荷の背後に古屋敷の跡があり、その屋敷跡は東西凡そ七~八間、南北二~三十間、東北の二面は空堀をめぐらし(その後も遺構の説明が長く続くが省略)、櫓台とおぼしきところもあり、狛江入道の館跡などといわれているが証拠はなく、この屋敷跡は昔から名主の温井氏の所有地で、慶長の頃まで社のそばに住んでいたとしています。温井氏は元の名を佐須氏といい、村名の佐須村は先祖の佐須豊後(稲荷社の神職)の姓をとって名付けられたとされています。風土記稿の稲荷社の内容を見る限りでは、江戸時代後期に空堀や櫓台などの構造が残り、慶長年間まで佐須氏が住んでいたということで、館の主は単純に佐須氏と思えてしまいます。

館跡には石碑が立ち、遺構も残るとされていますが、晃華学園の敷地内となっており、立ち入ることは出来ません。学校敷地の南西部には今も里の稲荷が鎮座しており、そこからは、台地の端であることがわかります。

2026年04月10日 マグロ常陸介祐平
柴崎陣屋[狛江入道館  周辺城郭]



日本城郭全集に、「江戸氏が江戸の館より戦国時代の初期、喜多見(北見)に移り住んで北見氏を名乗り、子に領内の城を与えた。この柴崎の城には五男をおいたというが、これが調布市の柴崎であるという確定的な証拠はない。」と書かれています。柴崎稲荷神社が比定地となりますが、風土記稿にはお城としての記述はなく、調布市百年史によると、古くは天満宮山王稲荷合社と称し、修験寺である三開寺の跡に社殿が築かれたとのことで、戦国期には寺社地だった可能性が高いようです。また、明治39年の明細帳には神社は北条氏により社地の保護を受けていたことが記載されています。

城郭的な構造は見られません。台地の端部に位置しており、立地的にはお城に適した場所となっていますが、上段ではなく寺社地らしく中段となっています。喜多見氏の館の西には狛江入道館があり、並び方が5km程南を走る小田急線を連想してしまいました。

2024年01月31日 暴走老人一征
狛江入道館



晃華学園の敷地内にあるため、リア攻めは難しいが「汚れなき修道会」「マリアンハウス」の門標がある入口から入りしばらく進むと、この晃華学園を運営する修道会の本部らしき建物があるが、これ以上は立ち入り禁止となり遺構らしきものは見当たらない。

狛江入道館の周辺スポット情報

 柴崎陣屋(周辺城郭)

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