高安寺城(こうあんじじょう)

高安寺城の基本情報

通称・別名

高安寺館、高安寺塁

所在地

東京都府中市片町2-4-1

旧国名

武蔵国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

新田義貞、鎌倉公方

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

都選定歴史的建造物

再建造物

周辺の城

大丸城(東京都稲城市)[2.9km]
三田城(東京都国立市)[3.3km]
関戸城(東京都多摩市)[3.7km]
高幡城(東京都日野市)[5.7km]
玉川上水陣屋(東京都小金井市)[6.2km]
小沢城(神奈川県川崎市)[6.2km]
立川氏館(東京都立川市)[6.8km]
深大寺城(東京都調布市)[7.2km]
寺尾城(神奈川県川崎市)[7.8km]
狛江入道館(東京都調布市)[8.1km]

高安寺城の解説文



高安寺(こうあんじ)

寺院 

  • 高安寺 (郡山市) - 福島県郡山市にある臨済宗の寺院。
  • 高安寺 (東京都府中市) - 東京都府中市にある曹洞宗の寺院。
  • 高安寺 (上越市) - 新潟県上越市にある曹洞宗の寺院。
  • 高安寺 (恵那市) - 岐阜県恵那市にある曹洞宗の寺院。
  • 高安寺 (八尾市) - 大阪府八尾市にある曹洞宗の寺院。

地名 

  • 高安寺 (三条市) - 新潟県三条市の町字。

高安寺城の口コミ情報

2024年06月03日 国府左京大夫城介
府中御殿(武蔵国司館)[高安寺城  周辺城郭]



徳川家康が関東移封直後に築いた最初期の御殿

【歴史】
天正18年(1590)に、徳川家康が関東に移封直後に造営した御殿。

徳川家康が奥州仕置きに向かった豊臣秀吉を接待するために造営したと云われていますが、近年では秀吉本人が造営したという説もあります。
江戸幕府が開かれると、家康が鷹狩をするために滞在するための施設となり、秀忠、家光と三代にわたり利用されましたが、正保3年(1646)の府中大火で焼失し、再建されることはなかった。また、元和3年(1617)には、家康の柩が久能山から日光へ遷された際には、3月21日から翌日にかけて逗留して、法要が行われた。

なお、この地は7世紀後半から8世紀前半(飛鳥時代から奈良時代頃)に造営された武蔵国司館がありました。

【遺構】
府中御殿について遺構は、大型石組井戸のみが残っている。しかし、発掘調査によると、井戸の中からは三葉葵紋鬼瓦や焼土が出土し、井戸以外にも、堀立柱建物跡、柵跡、厩(推定)が発見されている。

武蔵国司館跡としては、主殿、脇殿、付属建物の跡(現在は、柱跡が復元されている)や、大型土坑が発見されている。

【感想】
関東近郊で、江戸幕府に造営した御殿・御茶屋の遺構を確認することができる数少ない御殿跡です。(ここ以外だと、浜御殿(港区)、御茶屋御殿(千葉市)の二か所のみ。石戸御茶屋(北本市)は近年それらしき遺構が発見されたようです)
井戸しか見ることはできませんが、その井戸もかなり大型で立派な石組井戸で、しかも家康公が使ったかもしれないと一見の価値はあるかもしれません。

また、武蔵国司館としての価値もありますので、一粒で二度おいしい史跡です。国府自体は、大国魂神社あたりにあり、ここと同じように一部柱跡が復元されています。

【アクセス】
府中本町駅から徒歩数十秒。
利用時間:午前9時~午後5時

【写真】
①入口と武蔵国府跡の石碑
②説明板
③大型石組井戸
④国司館の主殿
⑤武蔵国府の国司館(復元模型)

2024年05月10日 埼玉だ
高安寺城



高安寺、とても立派な寺院で、宗徒さん用の駐車場に駐車させてもらい駆け足で見て回りました。

2024年02月04日 まりん兵部少輔
高安寺城



分倍河原駅から歩く時は北に向かって歩くとT路地(左に踏切)の所が旧甲州街道で、右に曲ります。高安寺の入り口はこの旧甲州街道沿いで、駅から10分もあれば着きます。静寂な雰囲気です。奥に・弁慶硯の井戸・があります。

2023年11月25日 大納言Z武蔵守369
秀郷稲荷堂[高安寺城  寺社・史跡]



平将門を討ち取り、大百足を退治したという伝説を持つ藤原秀郷(俵藤太)の居館があったこの場所に、高安寺の鎮守として建立された。

2023年11月25日 大納言Z武蔵守369
弁慶硯の井戸[高安寺城  寺社・史跡]



檀ノ浦の合戦で平家を滅ぼし、平宗盛を鎌倉に護送することになった源義経と武蔵坊弁慶。ところが、義経は兄頼朝の許可なく勝手に朝廷から検非違使の任命を受けたことで怒りを買い、鎌倉に入る事を許されませんでした。

仕方なく、立ち寄ったのが高安寺で(旧名称は見性寺)、義経は赦免祈願として大般若経を書写したといわれているが、弁慶が墨をつくるのに使う水をこの井戸から汲んだので「弁慶硯の井戸」と呼ばれたようです。

2023年08月28日 八咫烏紀伊守鉄龍
高安寺城



静かなお寺です。奧に弁慶井戸があります。往時に気持ちをはせながら訪れましょう。

2023年02月26日 宮内大輔こやまん
高安寺城



静かな佇まいのお寺でした。分倍河原駅方面から行くと、ちょっと分かりづらいかもしれません。

2023年02月26日 秋田城介カンスケ伯爵
高安寺城



秀郷稲荷。藤原秀郷が武蔵国国守となり館を建てた跡に秀郷稲荷があります。

弁慶硯の井。
源義経が頼朝の怒りを買い鎌倉入りを拒否され見性寺(高安寺)に滞在。
赦免祈願の大般若経を写した時に使われたのが本堂裏山から清水を汲み取ったのが弁慶硯の井。

足利尊氏が開基となり本堂正面にある当持院の扁額は尊氏の法嗣名で寺紋も足利氏の紋章丸に二つ引両を用いています。
建武の中興による功賞で高氏から尊氏と改名したが高氏の一字をあて髙安寺としたものといわれています。

寺領は東は世田谷代田、西は立川貝坂、南は川崎向山、北は所沢山口に及び四方四里を有していた。

以上曹洞宗龍門山髙安寺より抜粋。

城跡らしきものは見当たりませんが境内保育園裏手辺りに土塁と思われる場所があります。

厳かな場所を散策してみてはいかがでょう!

2023年01月27日 武州左兵衛督 憧れの天守閣
高安寺城

静かな佇まいのお寺です。お城の感じはあまり無い。

2022年02月25日 左近衛少将てつ
高安寺城

城址は高安寺内にあり、高安寺には、弁慶硯の井戸があり、歴史が感じられます。

2022年01月25日 のぶ修理大夫
高安寺城



分倍河原駅から7分、弁慶硯の井戸があります。

2021年12月27日 後志守あったらもんだ
高安寺城



曹洞宗の古刹、古井戸以外に遺跡はないが境内の雰囲気は良い

2019年06月16日 満州里
高安寺城



夏日の暑さでしたが、弁慶硯井戸の辺りは涼やかな日陰となっており、行き交う車を遠目に往時を偲んで来ました。

2019年05月07日 長森原
高安寺城



弁慶硯の井から秀郷稲荷神社を見上げる。足利氏ゆかりの寺となった高安寺は府中崖線のきわに建つ。鎌倉街道上道も近くを通っており交通と軍事の要衝の地だったそう。

高安寺城の周辺スポット情報

 武蔵国府跡(遺構・復元物)

 分倍河原古戦場跡の碑(碑・説明板)

 鎌倉街道上ノ道・元応の板碑(碑・説明板)

 源義家の銅像(碑・説明板)

 武蔵国府(周辺城郭)

 府中御殿(武蔵国司館)(周辺城郭)

 武蔵国分尼寺跡(寺社・史跡)

 武蔵国分寺跡(寺社・史跡)

 武蔵府中熊野神社古墳(寺社・史跡)

 弁慶硯の井戸(寺社・史跡)

 秀郷稲荷堂(寺社・史跡)

 新田義貞公之像(その他)

 伝・鎌倉街道上ノ道(その他)

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