高幡城(たかはたじょう)

高幡城の基本情報

通称・別名

所在地

東京都日野市高幡町

旧国名

武蔵国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

高幡氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

平山季重居館(東京都日野市)[3.1km]
三田城(東京都国立市)[3.3km]
立川氏館(東京都立川市)[3.5km]
関戸城(東京都多摩市)[3.6km]
由木城(東京都八王子市)[4.0km]
高安寺城(東京都府中市)[5.7km]
横山党館(東京都八王子市)[6.8km]
片倉城(東京都八王子市)[6.9km]
小野路城(東京都町田市)[7.2km]
大丸城(東京都稲城市)[7.3km]

高幡城の解説文

高幡城は、高幡氏・平山氏の居館であったとされるが、史料が少なく正確なことは分かっていない。

城跡は新選組・土方歳三の菩提寺として知られる高幡不動尊のすぐ裏手にあり、はっきりとはしていないものの、郭や土塁、堀などを確認する事が出来る。

高幡城の口コミ情報

2024年11月02日 いれぶん[⭕️雁雁]
山内経之供養塔[高幡城  碑・説明板]



鎌倉幕府を滅亡させた元弘の乱(1331〜33)の後、中先代の乱(1335)、建武の乱(1336〜38)に続く、常陸合戦(1338〜43)の初期に討死する室町幕府方の地頭である山内経之は、合戦前から自身の最期まで克明に手紙を残してくれています。歴史に登場する事がない、小領主のいじましいまでの生活臭溢れる辛苦ぶりは身につまされるものですが、だからこそ南北朝時代の武将達の鼓動が生き生きと伝わってくるのです。

山内経之の文書や当時の社会情勢などは市政図書室(日野市役所1階)で領付されている「日野市史通史編(2上)」「史料集:高幡不動胎内文書編」で入手可能です。通販もあります。

山内経之供養塔と像内文書(重要文化財)
 当山に南北朝期の貴重な像内文書を残した土渕郷(日野市日野本町及び日野市日野とその周辺地域)の小領主山内経之は、北朝方の高師冬の北畠親房攻め(常陸合戦)に参加し、下総国の駒城合戦で戦死した。
 像内文書は、経之が下総へ向う途中やさまざまな合戦のさ中より留守家族や高幡山の僧しゃうしんなどに届けた書状が中心で、戦費調達の苦しさや所領経営の破綻・戦闘の実態・寺院との関係など中世武士の生の生活記録となっており、六十九枚の文書中五十枚は経之の筆であることが確認されている。
 これらの文書は、経之の遺族や関係者が戦死した経之ゆかりの書状の背面に不動明王や大黒天の印仏をして、当時建武二年の大風の被害を受け修理中であった不動明王の頭部に納めて故人の冥福を祈ったものである。
 文書の存在は昭和初年に確認されたものの鼠の被害等損耗が激しく解読不能と見られていたが、昭和六十年からの文化財綜合調査でその重要性が指摘され、その後日野市教育委員会の手で数年をかけて全容が解明され、全国に類例のない中世武士の貴重な文書として重要文化財に指定された。
 文書を残した山内経之一族の消息はその後当地方から絶えており判然としないが、当山では此の度中世の九輪塔(中島久榮氏寄贈)を山内経之供養塔として山裾に移設し、その菩提を弔うと共に、経之の事績を末永く後世に伝えんとするものである。
 平成二十五年四月二十六日
 高幡山金剛寺現董 祐勝誌之
(案内看板全文)

2024年01月02日 paki
高幡城



去年今年と、元旦にリア攻め。高幡不動尊は大混雑だけど、お城の方は人もまばらで歩きやすいです。
八十八ヶ所巡りをしながら山頂を目指し、富士山も見えたりします。帰りは参道のそばを食べるもよし、飲み屋でいっぱいやるのもよしです。

2022年11月14日 左馬助トムトム
高幡城

高幡城に関する説明板があまりないので、分かりにくいと思います。まずは本丸跡を目指し、そのあとその周囲を回れば、城の縄張りが見えて来ます。ひたすら歩く事をお勧めします。

2022年11月13日 ひ〜ふ〜
高幡城

高幡不動の境内で、五重塔の横から八十八ヶ所巡りの山を登ると攻略できますが、陽が沈んで来ると、迷ってしまいますので、夕方は気をつけて下さい。

2022年09月10日 武蔵守マクシミリアン
高幡城



高幡山金剛寺(高幡不動)の背後の山がお城だったようです。写真の五重塔や土方歳三像の背後の山です。その山内が四国八十八ヶ所の霊場になぞられたハイキングコースになっており、順番に辿れば、比較的楽に山頂部分の城址に行けると思います。
実は逆のコースを登ったため、息が上がりそうな長い急坂でした。犬に引っ張ってもらいました。

2022年05月11日 いれぶん[⭕️雁雁]
川辺堀之内城[高幡城  周辺城郭]



陣馬山辺りに水源を持つ浅川は、多摩丘陵にぶつかり長沼付近で大きく湾曲し、豊田・東豊田を経て川辺堀之内周辺で最大の川幅を持ちます。北岸は豊田〜川辺堀之内で段丘を成しており、豊富な湧水と川水で古くから稲作が容易な定住農作民の土地です。日奉氏や高麗氏が領有していたとされます。

段丘が最も張り出した位置が現在の川辺堀之内城跡とされる部分で、ゴルフ場の先端部分の林です。裾野に段丘湧水の水路があり、堀の役目にみえます。この部分だけでは如何にも小さいのですが、赤色標高図に見える通り段丘は神明二丁目辺りを最高部分とし神明一丁目付近まで続きますから、実際には大きな範囲のものだったのかもしれません。いずれにしても、平山城・高幡城・百草城と続く浅川南岸に対応する、唯一の北岸山城ですからロマンは感じられます。遺構となる物は少ないですが、麓の稲荷神社や湧水路や延命寺に、日奉氏の痕跡を残す日奉氏館・田村氏館に往時を偲ぶしかありません

2022年02月23日 左近衛少将てつ
高幡城

高幡不動尊の山内八十八ヶ所巡拝路の75番を過ぎると、高幡城本丸址の看板があります。

2021年07月10日 【若】北条主水正創左衛門
百草城[高幡城  周辺城郭]



現在は、京王百草園になっています。整備されています。だけど
スタッフさんでも百草城のことを知らないみたい…知名度低い💦とにかく広かったです。池や昔の建物(寺跡や家など)や、池、森などがたくさんありました。夏はあじさいやまゆりがとてもキレイです。だけど蚊🦟やアブ、虫がたくさんいます。入場料は、大人が三百円で子供が百円です。駅から遠いです。行くまでに急な坂があります。駐車場はありません。見晴らしが良くて、筑波山や、スカイタワー西東京(スカイツリーでは無い)などが見えます。


櫓台や土塁、堀などが残っています。遺構の状態は良く、城跡であることが分かります😄ですが石碑や看板はありません。


ちなみに、写真の木は、徳川家康の長男信康追悼のために植えられたという伝説があります。

2021年05月01日 カンスケ伯爵
高幡城



高幡不動尊まで行き土方歳三像前ではリア攻めならずナビを頼りに一度表通りへ出て通り沿いを250m位歩き指した入口は普段誰も通らない獣道のような幅の狭い通路を結構な傾斜を上り詰めたら高幡不動尊内の敷地に入ることができ頂までは道も広がり人もちらほら居りました。
最初から高幡不動尊内から歩いていけば問題なく頂まで到着できますね。100%ナビを信じるのはどうかと勉強になりました。高台からの景色は良いと思います。このあとの季節は紫陽花が咲き秋には紅葉の素晴らしい所となります。
都会から電車一本でこの高幡城を堪能できるのは楽しいですね。
不動尊内の売店にて桑の葉茶をご馳走になりお土産購入しました。
現在コロナ禍ですが全く密にはなりませんし自然も満喫できますよ。

2021年02月15日 銀英10島大和守誠長
高幡城

高幡不動の山内八十八ヶ所巡りの場所にあります。少し急な階段あります。

2021年01月28日 さすらいライダー
高幡城

駅から、すぐの、高幡不動尊の敷地内にある、小高い丘の上にありました。登り口から、アジサイが植えられており、時季により、非常に混雑するそうです❗️たいした距離はないですが、けっこう急坂です。頂上からの眺めは、最高でした。

2020年11月30日 いれぶん[⭕️雁雁]
百草城[高幡城  周辺城郭]



百草城は1987年になって地元の郷土史家である宮田太郎氏によって発見された城で、鎌倉〜戦国時代に稼働したとされていますが、築城者も城主もはっきりしない山城です。

平安末から鎌倉時代に真慈悲寺と言う大寺院が存在していた事がわかっており埋蔵物も出土しています。また江戸中期から明治までは松連寺が存在しましたが廃仏毀釈。その後百草園が作られたと言う歴史です。

百草園内に物見(見晴台)等の最高到達ヶ所がありますが庭園の為にかなり手が入っています。また南隣の百草八幡神社も曲輪と目されていて、更に西側の朝日山緑地には余り手の入っていない馬場・堀切・土塁・虎口と思われる地形が確認できます。京王線・百草八幡・日野市の三者にまたがる形となっている事で、山城としてのアピールがしにくいのかも知れませんが、日野市内の山城としては最も原形を留めるヶ所を持つ重要な場所だと思います。

写真8枚は朝日山緑地側から5枚、百草園側から3枚を選択しました。

2020年11月08日 tosono 左馬助
高幡城

高幡不動に御詣りしました。その後10 分位登ります。御朱印とリア攻め 両方ゲットできる。こういうところがいい と思います。

2020年02月23日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
高幡城

【バイク用駐輪場】
バイクでリア攻めするときは、高幡不動尊の駐車場の隅に駐める事ができます。ちょうど、車やバイクのお祓いするお堂の横辺りに"バイク用P"の紙が貼ってあるコーンが置いてあります。まず、高幡不動尊に参拝してからリア攻めする事をお勧めします。駐車場の係のおじさんにお祓いですか?と聞かれるので参拝しに来たと言えば無難です。(笑)

2020年02月23日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
高幡城

高幡不動尊の御朱印ですが、先に納経所(御朱印所)に御朱印帳を預けてから参拝することをお勧めします。

2019年05月18日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
高幡城



定番ですが、二の丸への入り口!たぶん立っている所が土橋かなと?後ろが三の丸でしょうか?残念ながら遺構がはっきり残っていません!
山内八十八ヶ所詣りをしながら、ぐるっと城址を回ると良いかと思います!

2019年05月07日 長森原
上杉憲顕公墳[高幡城  寺社・史跡]



犬縣上杉家・上杉憲顕(上杉禅秀の子)は享徳の乱緒戦に足利成氏に敗れ深傷を負い、ここ高幡不動にて自刃。

2019年04月30日 寿甘図書助桃兎姫
高幡山[高幡城  関連施設]

高幡不動尊の裏手、高幡山の中に高幡城の遺構が少しあります。高幡山は軽装でも登れますが、急斜面もあり事故もあるため日中の天気のいい時に訪れることをおすすめします。

高幡不動尊に参拝されるなら、高幡不動尊の駐車場やトイレを使用できます。また、不動尊の敷地内から高幡山に登ることもできますし、七福神巡りやハイキングコースを散策することもできます。

土方歳三の菩提寺なので、幕末が好きな方にもオススメしたいです。毎年5月には日野新撰組祭りを開催しています。

高幡城の周辺スポット情報

 川辺堀之内城土塁(遺構・復元物)

 山内経之供養塔(碑・説明板)

 百草城(周辺城郭)

 川辺堀之内城(周辺城郭)

 日奉城 (周辺城郭)

 上杉憲顕公墳(寺社・史跡)

 百草八幡神社(寺社・史跡)

 真慈悲寺推定地(寺社・史跡)

 田村氏館跡・安養寺(寺社・史跡)

 日奉氏館①・日野宮神社(寺社・史跡)

 日奉氏館②・東光寺薬師堂(寺社・史跡)

 日奉氏館③・東光寺神明社(寺社・史跡)

 石田寺(寺社・史跡)

 宝泉寺(寺社・史跡)

 大昌寺(寺社・史跡)

 高幡山(関連施設)

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