片倉城(かたくらじょう)

片倉城の基本情報

通称・別名

八王子城

所在地

東京都八王子市片倉町2423他(片倉城跡公園)

旧国名

武蔵国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

長井時広

築城年

応永年間(1394〜1428)頃

主な改修者

主な城主

大江氏、長井氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、土橋、櫓台

指定文化財

都史跡(片倉城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

横山党館(東京都八王子市)[2.4km]
平山季重居館(東京都日野市)[3.9km]
由木城(東京都八王子市)[4.1km]
初沢城(東京都八王子市)[5.4km]
高幡城(東京都日野市)[6.9km]
滝山城(東京都八王子市)[7.0km]
小田野城(東京都八王子市)[7.5km]
八王子城(東京都八王子市)[7.9km]
立川氏館(東京都立川市)[8.1km]
津久井城(神奈川県相模原市)[8.3km]

片倉城の解説文



片倉城(かたくらじょう)は、東京都八王子市片倉町にあった日本の城。別名八王子城。都指定史跡[1]

概要 

片倉城は東京都八王子市片倉町にあった平山城である。扇谷上杉氏の家臣長井氏が拠ったとされる。現在片倉城跡公園として整備され、公園内にはカタクリの群生地がある。

歴史・沿革 

  • 平安時代中期以降、武蔵七党の一つ、横山党の領地となった。
  • 建保元年(1213年)、和田合戦により大江広元の領地となった。
  • 室町時代、大江広元を祖先に持つ大江備中守師親あるいは長井時広が在城(築城)したと言われているが、諸説ある。
  • 長井氏以降の片倉城に関しては詳らかでないが、その堅固な構造から、後北条氏の領地になってからも砦として戦国時代後期まで使用されたと考えられる。
  • 永禄12年1569年、三増峠の戦いで北条氏照と北条氏邦が片倉城より出陣した。
  • 天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐の八王子城落城時に落城とされる。
  • 昭和46年(1971年)、八王子市により片倉城跡公園として整備される。
  • 平成11年(1999年)、東京都指定史跡となる。

構造 

湯殿川とその支流の兵衛川(宇賀川[2])に挟まれた小比企丘陵の東端に位置する。主郭及び二郭が配置され、北方には腰郭が設けられている。丘陵方面は空堀で遮断する構造となっているが、南東に開く虎口に、二重の馬出し様の小郭を設け、守りを更に厳重なものとしている。主郭二郭間は鉤の手状に折れた空堀で区画され、                                   

空堀中央部に設けられた木橋を防御する構造となっていた。また、主郭東面には櫓台、張出部、横堀、横堀内の櫓台が設けられ、二郭同様厳重な構えとなっている。

考古資料 

遺構

太平洋戦争中の高射砲の設置時、及び、公園としての整備時に、遺構の一部が旧態を失ったとされるが、空堀、土塁、土橋、櫓台等が良く残る。

観光 

アクセス

  • JR横浜線片倉駅下車。
  • 京王電鉄高尾線京王片倉駅下車。

片倉城の口コミ情報

2026年03月17日 MAHARAJA釧路守77
片倉城

駅から近くてとても助かりました。坂がきつかったです。

2026年03月16日 佐藤左京大夫雅俊
片倉城

山野草の名所。春の花がとてもかわいい。駅からも近くピクニックに最高です

2026年03月02日 内記かずりヾ(・ε・。)
片倉城



さて、今回の口コミは信濃を離れてジモティーとしてDEEP WEST、三多摩を応援!東京で中世城館を見たけりゃ都心の人混みを避けてこっちに来るがいいさ。でもびっくりすんなよな、電車のドアーが自動では開かなかったりするからな。開くのを待ってたら乗り越しちゃう…ちなみにリア攻め中にお腹が空いたら山田うどんだ。安く済む上に店は腹ぺこの気持ちがよく解っている。そして食後にはとらやの羊羹じゃなくて、乙訓おやき店で関東の小麦粉文化に触れてみよう!どうだい?日本茶が欲しくなるけど気持ちがほっこりするだろう?

…片倉城は兵衛川北岸(左岸)、湯殿川南岸(右岸)、両川に挟まれた丘陵地丘陵先端部上、標高約139m地点の平場を中心に立地する要害です。南麓の兵衛川からの比高は35m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。片倉城跡公園として整備されており駐車場も付いている。

城歴等についてはアプリの城郭基本情報を参照して下さい(最近の口コミを見てて思うんだが…少しは読んでから投稿したらどうだろう。先人様の口コミと丸被りなのも問題だと思うぞ。)。城めぐの情報はほぼwikiからの転載なので深入りしなければそれで事足りる。但し、同情報はライター次第、推測や伝承が確定事項として記載されてしまう事が多い(特に後者…)。ちなみにお城はどっからどう見ても後北条氏の縄張だ。

現在の八王子市の一部は、中世には武蔵国多西郡船木田庄、横山庄等と呼ばれた地域である。同庄の本庄は九条家、新庄は一条家が伝領し、早い時期から地頭請が行われていたが、南北朝時代に両家の菩提寺である東福寺に寄進された。「横山」は現在の多摩丘陵を表すと考察されており、かつては横山党本宗家が拠点としていた一帯だが、建暦三年(西暦1213年)五月の「和田合戦」によって没落、横山庄は幕府に没収された。

北条時政とその子、義時による有力御家人等の排斥は、相模、武蔵両国の御家人の多くが本領を失う結果となったが、横山氏の旧跡である横山庄を宛行われたのが鎌倉幕府政所別当、大江大膳大夫広元である。

片倉城の城主として登場する長井氏は、この大江広元の次男である時広を祖とし、「承久の乱」によって実兄の親広が没落すると同氏が大江氏の惣領となっている。城主の一人には、応永年間(西暦1394年〜1428年)の大江備中守師親が伝承されているが、八王子市散田町内、真言宗智山派の寺院、常光山真覚寺の縁起には、延文年中(西暦1356年〜1361年)、長井大膳大夫広乗とその一族が片倉城等を差配していたとある。

お城なんだけど、こり、ごく最近になって見易く整備されたて事でよいんでしょか。冬場に訪ねた事が一度も無いとはいえ、以前はもっともっさりとした部分が多かったような…よく見りゃ切株なんかは新しいものだし、矢竹なんかがばっさりと纏めて切られていたりもする。堀底を歩くのも快適、ポテンシャルが高い事は知っていたけど、こんなにも凄かったっけ…今更ながらこれに気付いたおいらは片倉城に申し訳無い気持ちで一杯だ。兎に角、探索が滅茶苦茶楽しい。小机城や滝山城よりも縄張が単純な分、後北条氏系城郭のダイナミックな土の造作を手っ取り早く理解出来たりもする。もはや感動でしかない。そして自らの不明を此処で詫びる事にする。おいらはめぐら〜としてダメな奴だったのさ。

…亡くなった祖母が、太平洋戦争中、八王子には高射砲陣地と探照灯陣地があったて教えてくれた事があったんだけど、祖母によって語られたその「探照灯陣地」のあった場所がこの片倉城跡だ。祖母の実家は八王子市左入町にあり、戦時中は食料を届けに頻繁に行き来していたそうだから、探照灯が照らす夜空を遠くから見上げた事も度々だったのかもしれない。

城跡に残る防空壕はこの陣地に駐屯した旧陸軍の1個小隊のためのものだ。部隊は食料調達に難があったらしく、城域内では耕作が行われてこれを補っていた。片倉城の改変は探照灯の設置に加えてこの時のものが大きいんだそう。

お城には少なくとも二期があったとも言えるんだろう。室町時代〜戦国時代にかけての要害は、かつての廃城を経た後に近代においても活用されていた。遮るものの殆ど無い丘陵地上の一高地は、戦う相手を四発重爆撃機等に変えて正に物見の役目を果たしていた事になる。

※「承久の乱」の際に後鳥羽上皇に与した一族の毛利氏を執り成し、安芸国吉田荘と越後国刈羽郡佐橋荘南条の領有を北条氏に認めさせたのは長井時広の子、泰秀である。後に長井氏の惣領家は滅亡したが、子孫は安芸福原氏として毛利氏を支えた。福原貞俊の名を知っている方は多い筈…

※知らなかったけど、新版の「八王子市史」は入魂の一作だ。

2025年08月10日 三宅坂246
片倉城



公園になっていて駐車場もあり、アクセス容易です。丘陵地が城趾の面影を良く残しています

2024年12月03日 くるみ丸
片倉城



横浜線片倉駅近いです 本丸、二の丸など縄張りが城跡公園として整備されてます 添付写真のとおり紅葉綺麗です

2024年02月23日 埼玉駿河守
片倉城



登城口に駐車場が整備されており、車で行っても安心✨本郭、二の郭はともに広く芝生広場になっていました。空堀が深く歩き回るに都合よく整備されていました。

2024年02月15日 いれぶん武蔵守
住吉神社[片倉城  寺社・史跡]



住吉神社

鎮座地
八王子市片倉町二四七五番地

御祭神
上筒男命うわつつおのみこと
中筒男命なかつつおのみこと
底筒男命そこつつおのみこと

由緒
鎌倉管領片倉城主、長井大善大夫道広が、応安五年(一三七二年)城の鎮守の神として、摂津国(大阪市)住吉大社を勧請したのである
慶安二年(一六四九年)十月十七日、徳川三代将軍より朱印七石を受ける
境内は城跡で、都の指定を昭和十一年三月受ける

例祭日
八月第四日曜日

附記
当神社には、嘉永四年(一八五一年)川幡元右衛門泰吉および、その門人が「数学の実力がつきますように」という祈願された算額が奉納されています
(境内の由緒書看板より全文)


境内には"一文字に三つ星"の家紋があり、確かに大江長井氏の存在を感じさせます。

2024年02月12日 いれぶん武蔵守
廣園寺[片倉城  寺社・史跡]



兜卒山 廣園寺(とそつざん こうおんじ)

宗派:臨済宗 南禅寺派
御本尊:弥勒菩薩
寺宝:開山像(都重宝)
開創年:称光天皇年間

縁起
称光天皇宣して勅願所となし給い往古は山内四十九院末寺百ヶ寺を擁する盛運を開いたのでありますが天正十八年豊臣秀吉の天下統一の際八王子城陥落と共に戦火に罹り

以上、八王子市仏教会HPの当寺紹介記事による

開基:諸説あるが大江氏の誰かです
(大江)毛利師親(新編武蔵風土記稿)1389年
(大江)毛利道弘(師親の子で片倉城主とされる)
(大江)長井広秀(江氏系譜)1389年、長井氏八代

新編武蔵国風土記稿はこの地を大江氏居館としています。和田義盛の乱(1213年)で討ち死にした横山氏の代わりに横山荘を所領とした大江広元ですが、度々の災禍もあり文献資料は全くありません。一文字に三つ星の家紋だけが僅かに寺と大江氏を繋げています

駐車場は檀信徒専用と標識されてます
山田駅近辺にコイン式があります

写真は東京都の案内看板と山門総門です

2024年02月11日 いれぶん武蔵守
斟珠寺[片倉城  寺社・史跡]



常龍山 斟珠寺(しんしゅうじ)

宗派:臨済宗 南禅寺派
御本尊:弥勒菩薩
寺宝:地蔵講板碑(文安2年、1445)
開基:長井広房(斟珠庵殿一翁宗徹大居士)
開創年:応永16年(1409)

縁起
応永十六年(一四〇九)大江備中守師親(初代片倉城主)の嫡子長井広房の内室、地蔵菩薩を深く信仰し寺有地内、中島と称せる所に安置し当寺第二世明友和尚住居、その後明応元年(一四九二)に至り今の地に本堂を建立地蔵尊を移し而て後、本尊弥勒菩薩、開山春林玄甫和尚を勧請し奉る。

以上、八王子市仏教会HPの当寺紹介記事による。

"五輪様の伝説"
新編武蔵風土記稿によると「相州街道現国道十六号」ノ左方二五輪の碑アリ事実は詳ナラズと記されている。古くから村人はこの碑を五輪様と名づけていた。この五輪様にはいくつかの伝説として伝承されてきました。戦国時代の末「今から四百年以上も前」八王子城が天正十八年六月二十三日豊臣、徳川の連合軍に攻め滅ぼされ、北条方の武士五人が城を逃れ、片食まできたがついに力尽きて切腹をした。哀れに思った村人がここに碑を建てて葬ったものだという、又小田原本城にいた北条方の武士五人が八王子城に帰る途中にこの地で落城を知り切腹をしたとも伝えられている。
他の説としてこの地で切腹をしたのは後北条片倉城主、永禄十二年十月三日寂(切腹)安藤犬炊充常貞墓である「郷土史家村下要助氏」の説です。昭和二十八年頃国道十六号の拡張工事があり、五輪様は永年住み慣れた地を移転することになり、京王片倉駅の人り口付近に一時移されました。その後の昭和三十一年頃由井事務所の北側にある斟珠寺の住職のはからいにより斟珠寺の境内にある弁天様の池のほとりのとても良い場所に安住の地を得たのである。又工事の際には碑跡より人骨と馬骨が出土し、地元の人々により斟珠寺に手厚く葬られたそうです。
いつの頃からか五輪様に祈願をすれば病を治してくれる神仏として崇拝されるようになった。
五輪様のお姿ですが、高さが八十センチ程の丸型の細長い形おした石の塔です。お地蔵様ではないようですが、赤い帽子によだれがけ、赤い花が巻かれており、千羽鶴もかけられ祈願の様子がうかがわれます。現在のお社は病が治った方がお礼として寄進されたそうです。
現在斟珠寺では八十八夜の日に行われる弁天様の祭事とあわせて「五輪様」のご供養をしていただいております。私達は郷土の歴史と文化を大切に守り次の世代へと申し送る義務があると思います。
平成十九年五月二日写真と文
片倉町一丁目尾川好央
(祠内の縁起全文)

本堂棟押さえには大江長井氏の家紋"一文字に三つ星"が飾られています

駐車場は参拝客専用ですが第一から第三まで其々10台程度収容可能なようです

2023年03月23日 マタローちゃん右衛門督
片倉城



国道16号を八王子方面から南下してくると、城の手前の右側に突如駐車場入口が出現します。それが狭いため見落とす可能性があるので、注意されたし。車は10台くらい停められ感じ。城は城址公園として整備されており土塁や郭などが確認出来ます。

2023年02月13日 気分爽快左馬助
片倉城



国道16号沿いに駐車場入口がありますが、注視していないと見落とします。城址公園として整備されていますが、広い東郭と西郭、幅広の空堀、土橋、竪堀など、往時を偲ばせる遺構が点在しています。

①住吉沼
②西郭
③西郭西の堀
④⑤西郭南の堀
⑥西郭南の土橋と堀
⑦東郭と西郭間の堀
⑧東郭

2022年12月02日 千葉相模守早雲
片倉城



丘陵の頂上部分を削平し、主郭と二郭を(もしくは三郭まで)配しています。現在は城址公園となっており、その整備による改変なのか、年月と共に埋まってしまったのかは不明ですが、堀はかなり浅くなっています。しかし、空堀、土塁、土橋などの遺構をちゃんと見て取れ、城郭を味わうことは出来ますので、ご心配無く😁

ニ郭にある案内板には、応永年間(1394〜1428年)に大江備中守師親が在城していたとの記録があるが、確証は無いとの説明がありました。
主郭下の腰郭には住吉神社がありますが、その手水鉢には一文字三つ星が記されていました。大江氏の在城は間違いなさそうです😁

1.主郭の東南隅部。登城路を兼ねる空堀が分岐。
2.主郭とニ郭間の随分と浅くなってる堀底から。当時は木橋が掛かっていた?
3.主郭。土塁も僅かに認められます。櫓台かも。
4.ニ郭北西には奥の沢と呼ばれるすり鉢状の谷が広がります。
5.ニ郭と三郭間の堀切①
6.ニ郭と三郭間の堀切②
7.土橋が傾斜を持って本郭へ。
8.住吉神社のある腰郭からの登城路がL字に折れて竪堀のように下ります。

2022年11月27日 長けた 左衛門督 進言
片倉城



城郭説明にある通り、城址公園となっています。駐車場もありますが、時間外はシャッターがしまっている模様ですので、訪問時間に注意が必要です。トイレもあります。

公園内は綺麗に整備されており、歩き易く散策するには丁度良い大きさでした。
幼稚園?が隣接しており、園児たちの遊び場にもなっているようです。

2022年02月01日 兵部大輔てつ
片倉城

片倉駅から徒歩5分、片倉城跡公園として整備されています。
無料駐車場やトイレもあり、ノンビリ過ごすには、とても良い公園です。
バードウオッチングしている人が沢山います。

2021年11月30日 四間飛車左衛門佐とみー
片倉城



2021年11月20日、八王子攻城ミニ縦走その5
八王子ラーメンでお腹を満たして幸せな気分になった後、ミニ縦走を再開、片倉城に向かいました。八王子駅から徒歩で20分ほどで到着しました。いやぁ、想像以上によかったです。公園として整備されておりますが、本丸、二の丸の間の空堀は城であったことを偲ばせるには十分です。また、城郭内の木々の彩りが美しくのんびりとしたひと時を過ごすことができました。

八王子から向かうと京王片倉駅の方が高台にあるような感じますが、実際に登ってみると差はないように思います。湯殿川を防衛線と利用できる分、こちらの方が良いと思われます。本城もスキをみて、時々足を運びたいと思いました。

2021年10月31日 noble右大臣弥勒菩薩
片倉城

八王子みなみ野駅近くの福昌禅寺も合わせて訪問したい。小田原北条家中の医師、後藤将監の墓石があります。

2021年08月01日 うっきー
片倉城



片倉駅から歩いて10分弱。現在は公園として整備されています。奥の沢に行く途中の堀切は見応えあります。写真のところがその堀切のあるところですが、ちょうどこの写真を撮ったところで、電池切れになりました。

2021年05月13日 いれぶん武蔵守
殿丸城[片倉城  周辺城郭]



町田市相生町の山城または砦で、鎌倉街道(鎌倉古道)の東にあったと伝えられます。町田街道の相原から北上する部分の古道がよく残されており、滝山城を攻めた武田軍や八王子城 を攻略した豊臣軍が小田原城を目指して進んだとか、戸吹の天然理心流二代目・近藤三助が相原の青木家に出稽古するに通った道だとかと伝えられています。

雑木林がよく残されている地ですが、鎌倉古道は掘割状遺構と呼ばれる切通しが多用されていて昇降が少ない平坦な道です。
光寶院と言う不動寺院の正面にあたるスクラップセンター前の道から入るのが尤も容易でした。古道から一歩入った処にロープや立入禁止表示がありましたので、山道に入る手前で畑の手入れをされている御婦人に伺ったところ、土日は多くの方が通られると言う事でして、古道自体の通行は許されているようです。

東側下方に砂利敷駐車場が見えるのを通り過ぎた所で、古道は見事な堀割状遺構となり、東側が殿丸城と呼ばれる山頂です。割と広々とした処ですが、特に遺構らしいものは何もありません。北側が御殿峠になり,片倉城方向は見通せません。

鎌倉古道を更に北上しますと唐突に無くなります。日本閣前を通る生活道路で分断されたようですが、駐車場に入る道として古道が利用されているようです。御殿峠の最高到達点にはここからお邪魔できます。こちらからは片倉城方向が見通せますので、戦国時代には物見として使われていたかもしれないなと思いました。

写真は城手前2、城部分4、城の先2です

2021年02月14日 源豊後守ポンコ2…
片倉城



行き方は先人の方々が記載されてるように、公共交通機関でも車でもアクセス良好でした。公園化や戦時中に放射台になったりして一部失われてるものの、遺構は、空堀や土橋、土塁など確認できますが、空堀などから横矢掛なども見られます。

比高20㍍前後の舌状台地の先端に普請され、北や東側は天然の急崖に、台地と地続きの二ノ丸(西郭)の西側に空堀で遮断されています。西側の空堀や本丸(東郭)と二ノ丸の間の空堀などは、深さはかなり浅いですが、かつてはもっと深さがあったようです。本丸と二ノ丸の高低差はなく、空堀で区切っており、本丸下の住吉神社がある帯郭は、数㍍低くなってます。台地先端部の周囲の3方を沼で囲まれてたそうで、今は北側の住吉沼など一部がありました。築城に向いた地形なのが、周囲など歩くとわかりました。

公園利用者に交じり、お気楽に行ける城址でした。

2021年02月05日 さすらいライダー
片倉城

R16沿いに入口があり、私鉄、JRの両駅からも、アクセスしやすいところにあります。駐車場、トイレも完備され、ほどよい広さの城跡でした❗️

2020年10月18日 サザンクロス相模守
片倉城

駐車場もあり、京王片倉駅からも徒歩圏内。
整備された公園内にあります。

2019年07月27日 まさある甲斐守
駐車場[片倉城  駐車場]



片倉城址公園駐車場。無料です。9:00〜17:00。17:00に閉門施錠されますので注意。

2019年06月22日 愛甲左京大夫【相模の狂人】
二の丸[片倉城  遺構・復元物]



二の丸南端付近には土橋で登る坂虎口があり、その両側に立派な空堀が伸びています。西側、土塁上のトレイルを進むと笹薮に覆われた3郭、さらに外郭の空堀にもアクセス出来ます。★こちらへは住吉神社方面とは別に国道16号からの入口がありますが、周囲が住宅地であるせいか積極的に案内されていない様子です。素晴らしい遺構といい静かな雰囲気といい、穴場的な魅力があると思います。

2019年06月21日 龍馬備中守【】
片倉城



副郭より独立した三郭下の空堀内部より☆(奥)副郭☆この場所は空堀の交差点☆この先の副郭下の空堀は更に一段と深くなる☆因みに主郭に対する場所から見てこの円形状の三郭は馬出し?だと思われる☆

2019年06月18日 龍馬備中守【】
片倉城



(奥)副郭背後の・巨大な空堀☆湯殿川と兵衛川に挟まれた小比企丘陵の東端に位置☆城主は長井氏☆長井氏は扇谷上杉氏に属す☆扇谷上杉氏にとって重要な拠点の1つだった☆

2019年06月15日 龍馬備中守【】
片倉城



二の丸土塁上部より☆空堀を挟み(奥)土塁は土橋状になる☆大手口がこの空堀側となる☆大手側はシッカリ戦闘スペースになってます♪

2019年06月15日 龍馬備中守【】
片倉城



二の丸の土塁は形から櫓台の様に見える☆二の丸背後は深い空堀となる☆もともとは武蔵七党の1つである横山党の勢力圏内☆

2019年06月15日 龍馬備中守【】
片倉城



谷の地形を加工し深い堀を形成する☆雨交じりにより新緑深く楽しめた☆

2019年05月03日 片倉上総介遼和
片倉城



大手口から大手道周辺の下草刈りが行われたようで、空堀や出丸がはっきり分かります。二の丸と畑の間の空堀も従来の藪部分も通れます。片倉城が攻撃的な城である事が良く分かります。大手口は本丸を背にして、二の丸の左側の柵の切れ目を進んで下さい。

2018年03月04日 kuwat相模守aman
片倉城

曲輪であるなら三の丸といってよい位置にある住吉神社には,江戸時代(1851年)に片倉村の川幡さんらが奉納した算額があります。本物は拝殿内が暗いのでよく見えませんが拝殿正面右上のコピーで中身を知ることができます。3問の題意はなんとなく理解でき,ピタゴラスの定理を習った中学生なら解けそう。しかし解答は摩訶不思議な記法で私には理解不能です。最後は遺題継承問題のようです。150年ちょっと前のこのあたりの普通の人たちが数学を趣味として楽しんでいたのは間違いありません。

2018年01月13日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
片倉城

駐車場は国道16号線に片倉城址公園駐車場看板がありました、公園として整備されていますので小さなお子様連れでも城攻め出来ます、特に二の丸跡は芝生広場になっています、周りは畑、遠くに富士山が見える長閑な空間なのでお弁当を食べたり
するのも良いかなと思います!

2016年09月24日 高田山吹守道灌
片倉城

京王片倉から行きました。北口から国道16号をJr.片倉駅方向に南下し、川をちょっと越えたところが公園の入口です。この公園が片倉城です。緑、豊かな自然環境です。麓は沼地で湿性植物が群生しています。登って行くと神社が、あって腰郭だそうです。またちょっと行くと野球とかゴルフがやれそうな草原が二郭。その左側に空堀の橋を渡れば本郭。あまり、面白そうではないような城跡ですが、春から初夏にかけて来るといいようです。麓の沼地の草花に期待したいです。何となく思えば深大寺城と自然環境がそっくり。それから、城とは関係ないですが、その前を流れる川を上流に沿って歩いて行くと巨大なスーパーがあり、そのとなりに巨大な日帰り温泉があります。手頃な料金なので是非とも、おすすめします。実に健康的な散策でした。この日帰り温泉と城の学問的なことはインターネットで調べてください。是非とも。

2015年02月22日 はろん大膳大夫ぼう
片倉城

駐車場は今は整備されて、障がい者用の駐車スペースを含め、22台分あります。
国道16号線に面した城跡公園入り口の道幅もかなり広くなり、分かりやすくなりました(^^)

2012年08月15日 かぴ
片倉城

駐車場は小さくて三台くらいしか停められないかな。横浜線の片倉駅から徒歩5分くらいですので散歩にいいですよ!
近くには八王子ラーメンのお店もありますし公園も整備されていてサンダルでも歩けます

片倉城の周辺スポット情報

 二の丸(遺構・復元物)

 空堀(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 物見(遺構・復元物)

 片倉城跡説明板(碑・説明板)

 片倉城跡説明板(碑・説明板)

 殿丸城(周辺城郭)

 住吉神社(寺社・史跡)

 斟珠寺(寺社・史跡)

 廣園寺(寺社・史跡)

 高乗寺(寺社・史跡)

 慶泉院(寺社・史跡)

 兜率山法界庵(寺社・史跡)

 永明院(寺社・史跡)

 同證院(寺社・史跡)

 西笑院(寺社・史跡)

 相原八幡宮(寺社・史跡)

 来光寺公園(寺社・史跡)

 水洗トイレ(トイレ)

 仮設風常設トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 カタクリ群生(その他)

 古・川越道(その他)

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