斟珠寺

斟珠寺([片倉城  寺社・史跡])

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斟珠寺の口コミ情報

2024年02月11日 いれぶん[⭕️雁雁]


常龍山 斟珠寺(しんしゅうじ)

宗派:臨済宗 南禅寺派
御本尊:弥勒菩薩
寺宝:地蔵講板碑(文安2年、1445)
開基:長井広房(斟珠庵殿一翁宗徹大居士)
開創年:応永16年(1409)

縁起
応永十六年(一四〇九)大江備中守師親(初代片倉城主)の嫡子長井広房の内室、地蔵菩薩を深く信仰し寺有地内、中島と称せる所に安置し当寺第二世明友和尚住居、その後明応元年(一四九二)に至り今の地に本堂を建立地蔵尊を移し而て後、本尊弥勒菩薩、開山春林玄甫和尚を勧請し奉る。

以上、八王子市仏教会HPの当寺紹介記事による。

"五輪様の伝説"
新編武蔵風土記稿によると「相州街道現国道十六号」ノ左方二五輪の碑アリ事実は詳ナラズと記されている。古くから村人はこの碑を五輪様と名づけていた。この五輪様にはいくつかの伝説として伝承されてきました。戦国時代の末「今から四百年以上も前」八王子城が天正十八年六月二十三日豊臣、徳川の連合軍に攻め滅ぼされ、北条方の武士五人が城を逃れ、片食まできたがついに力尽きて切腹をした。哀れに思った村人がここに碑を建てて葬ったものだという、又小田原本城にいた北条方の武士五人が八王子城に帰る途中にこの地で落城を知り切腹をしたとも伝えられている。
他の説としてこの地で切腹をしたのは後北条片倉城主、永禄十二年十月三日寂(切腹)安藤犬炊充常貞墓である「郷土史家村下要助氏」の説です。昭和二十八年頃国道十六号の拡張工事があり、五輪様は永年住み慣れた地を移転することになり、京王片倉駅の人り口付近に一時移されました。その後の昭和三十一年頃由井事務所の北側にある斟珠寺の住職のはからいにより斟珠寺の境内にある弁天様の池のほとりのとても良い場所に安住の地を得たのである。又工事の際には碑跡より人骨と馬骨が出土し、地元の人々により斟珠寺に手厚く葬られたそうです。
いつの頃からか五輪様に祈願をすれば病を治してくれる神仏として崇拝されるようになった。
五輪様のお姿ですが、高さが八十センチ程の丸型の細長い形おした石の塔です。お地蔵様ではないようですが、赤い帽子によだれがけ、赤い花が巻かれており、千羽鶴もかけられ祈願の様子がうかがわれます。現在のお社は病が治った方がお礼として寄進されたそうです。
現在斟珠寺では八十八夜の日に行われる弁天様の祭事とあわせて「五輪様」のご供養をしていただいております。私達は郷土の歴史と文化を大切に守り次の世代へと申し送る義務があると思います。
平成十九年五月二日写真と文
片倉町一丁目尾川好央
(祠内の縁起全文)

本堂棟押さえには大江長井氏の家紋"一文字に三つ星"が飾られています

駐車場は参拝客専用ですが第一から第三まで其々10台程度収容可能なようです

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