由木城(ゆぎじょう)
由木城の基本情報
通称・別名
- 由木(柚木)氏館、大石氏館
所在地
- 東京都八王子市下柚木4(永林寺)
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 由木氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 由木氏、大石氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- 市史跡(大石氏居館跡)
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
平山季重居館(東京都日野市)[1.7km]
高幡城(東京都日野市)[4.0km]
片倉城(東京都八王子市)[4.1km]
横山党館(東京都八王子市)[5.4km]
小野路城(東京都町田市)[5.7km]
関戸城(東京都多摩市)[5.8km]
立川氏館(東京都立川市)[6.7km]
淵野辺城(神奈川県相模原市)[7.0km]
三田城(東京都国立市)[7.2km]
高安寺城(東京都府中市)[9.1km]
由木城の解説文
由木城の口コミ情報
2024年02月28日 ごこちゃん
由木城
永林禅寺は見応えのあるお寺でした。永林寺の奥に柚木城跡の石碑がありました。さくらの時期に又きてみたいです。
2023年11月08日 いれぶん[⭕️雁雁]
棚原の館跡[由木城 碑・説明板]
棚原の館跡
ここから左側(東側)に見える操車場付近にはかつて小高い丘がありました。江戸時代の地誌には戦国時代に八王子城で討ち死にした島崎二郎某の館跡があって鎮守の森や馬場跡もあったと記されています。
島崎氏の先祖は鹿島神宮や香取神宮に近い常陸国(茨城県)行方郡の島崎城付近から来たとも伝えられますが詳細は不明です。江戸時代の初め(寬永年間)には加右工門屋敷もあったと伝えられています。
(説明柱より転記)
多摩ニュータウン開発時に丘だった部分は大きく切り下げられて私鉄の操車場となってしまい、こちらの説明柱は道路を挟んだ向こう側にあります。辛くも土地の形状を表すものは当時からあったとされる奥州古道がカタチ作る輪郭だけでしょう。
2023年11月07日 いれぶん[⭕️雁雁]
中島源右衛門屋敷[由木城 周辺城郭]
北条氏照家臣で八王子城の戦いで討死したと伝えられる中島源右衛門の屋敷跡の地であるとされています(日本城郭体系)。多摩ニュータウン開発時に跡形もなくなってしまっていますが、館跡の南側を"よこやまの道"(奥州古道の痕跡)が走っていますので、輪郭だけでも味わえるかもしれません。
中島源右衛門屋敷跡は"東京都の中世城館"によれば多摩センター駅東側の台地上になります。
2023年09月04日 北条刑部少輔照忠
由木城
お墓を突き抜けて行きます。遺構は消滅していましたが、土塁と思われるものがありました
2023年04月03日 式部大輔こやまん
由木城
桜が満開の時期に行くと綺麗だと思います。散り際でしたが、綺麗でした。
2023年03月22日 マタローちゃん修理大夫
由木城
永林寺の敷地にあるため、寺の駐車場が借りられる。境内を進むとお墓があり、その奥が高台となっておりそのまま登ると碑がある。さらに奥には主郭部分と思える土塁らしきものがある。無料で城跡を見せてもらったのでお賽銭をいれてきた。
2023年03月05日 みよ釆女正
由木城
寺院建築が、素晴らしい。寺院の駐車場に、断って車を置かせて頂きました。寺院の中を通り抜けて、由木城跡地に歩いて向かわせていただきます。開門は17時迄でした。
2022年11月26日 長けた 右兵衛督 進言
由木城
建物にかなりの歴史を感じる立派なお寺となっています。 主郭と思われる部分へは墓地となっている所を通過して到達出来ます。歩き難さは無いものの、何だか申し訳ない気持ちになりました。開門時間が決まっているようですので、訪問の際はご注意を。
2022年10月12日 キャワ
由木城
遺構はありませんが見応えがある寺院です。
2022年07月25日 みなとん治部卿
由木城
禅寺の永林寺内の墓地の最上部に石碑があります。遺構は残っていません。
2022年06月12日 うっきー
由木城
平山城から歩いて登城。永林寺の本堂の裏側にあります。城址碑と城主だった人の像が建っています。
2022年01月31日 左近衛少将てつ
由木城
永林寺は、歴史を感じられる、素晴らしいお寺です。中に入って本堂裏の墓地の奥に城址碑があります。城址碑のそばに、石製のテーブルと椅子があり、座ると城主が眺めていたと思われる景色が見られます。
2020年11月26日 いれぶん[⭕️雁雁]
松木屋敷[由木城 周辺城郭]
足利持氏家臣である松木師澄(松木七郎師澄)の屋敷跡で、現在は浅間神社です。社の位置が屋敷跡です。この辺りの開拓につくし、それ故に松木村と言われたそうです。周囲より一段高く、よく見渡せたであろうと思いました。
松木七郎師澄墓とされている宝篋印塔が今も残っていて、既に風化して読めなくなっていますが、「永和二丙辰年六月十四日(1376年6月14日)」と彫り込まれていたようです。
2020年11月26日 いれぶん[⭕️雁雁]
大石やかた[由木城 周辺城郭]
大石定久の弟である信濃守宗虎(定基)が晩年に居住したと言われています。柏城主→ 滝山城信濃屋敷→大石屋敷です。墓もこちらにあります。大石やかた公園がありますが、これはただの麓で、大石屋敷跡は崖上にあります。
大石屋敷跡とされているのは当時の庭の木であるとされるさるすべりの木がある辺り。僅かに堀切らしい跡が残っています。私有地と思われる場所なので、迷惑はかけられません。農地中央の通路部分にある目印の木と、その木の位置から覗けるさるすべりの木附近の写真を入れておきます。
大石やかた公園にはトイレ等有りませんが隣接する富士見台公園にはトイレや50台分程(南北二ヶ所)の駐車場や児童遊具・見晴らし塔もあり、楽しめるようになっています
2016年05月30日 まー刑部卿
由木城
永林寺赤門前の駐車場に停め本堂まで進み左脇参道を進むと大石定久公墓(移築)があり墓地の中を進むと右手高台に由木城跡の看板が見えるのでその高台に上がると立派な石碑が建っておりその右手に大石定久公像がある。
現在の永林寺が跡地であったとされ、墓地の背後の丘に由木城跡の看板があり、境内には碑もあるが、遺構を確認することは出来ない。