三田城(みたじょう)
三田城の基本情報
通称・別名
- 三田氏館、伝津戸三郎館、谷保の城山、谷保城
所在地
- 東京都国立市谷保6003他
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 津戸氏
築城年
- 室町時代
主な改修者
- -
主な城主
- 三田氏、津戸氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 都旧跡(三田氏館跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
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三田城の解説文
三田城の口コミ情報
2026年06月23日 マグロ常陸介祐平
三田城
古くからこの地に根付いた三田氏のお城で、現在も主郭には三田さんがお住いのようです。1986年に出版された古代氏族系譜集成によると大彦命の後裔の壬生吉士福正(平安時代の武蔵国男衾郡の大領)の子の継成が三田領主となり、その孫の貞盛が谷保県主を称し延喜15年(915年)栗原郷(谷保地区を指す)に住んだとされ、4代後の重貞が三田を名乗ってたとしているようです。南北朝時代の綱重は、武蔵野合戦で将軍方に付いたと注記されており、系図を信じるならば、千年以上に渡りこの地に居たことになります。付近には「三田領領主 谷保県主 壬生朝尊臣貞盛卿」と彫られた碑があるようですが、建立時期等は不明となっています。また、青梅で勢力を誇った三田氏も一族とされています(桓武平氏相馬一族とされるが、地域名の杣(ソマ)が相馬に通じることから仮冒した説あり)。
ここまでみると、城主は一貫して三田氏と考えてもよさそうですが、当の三田氏に伝わる古図には万治11年のものに「津田三郎為守城山」、天保11年のものに「津田三郎為守ノ城跡故ニ名テ城山ト云ヒ来ル」と記され、新編武蔵風土記稿にも「津戸三郎住居の跡なりと」としており(城の絵図も載る、現在の縄張りと変わらないが、郭内に建築物は無い)、江戸時代には鎌倉時代初期に活躍した御家人津戸氏の居館と認識されています。
津戸(ツノト)氏は菅原道真の子孫とされています。昌泰4年に道真が大宰府に流されると、3男の道武(通常の系図には見られない)は栗原郷(谷保)に流され、延喜3年に道真が亡くなると父を偲んでその姿を刻んで祀り、このことが谷保天満宮の始まりとなっています。武蔵名勝図会(江戸時代後期の書)に、道武は平貞盛と姻戚を結んだと書かれすふていますが、古代氏族系譜集成には三田氏の先祖とされる貞盛(壬生吉士)の娘との間に武英が生まれたとしているので、平貞盛は誤伝のように感じられます。伝承が事実かどうかは分かりませんが、津戸氏と三田氏は早い段階から交流があったと考えてよさそうに思えます。
平安時代末期から鎌倉時代初期の当主が、このお城の城主と伝わる津戸三郎為守(母は三田右馬允重久)で、為守は石橋山の戦いから頼朝に従い御家人となっています。また、熊谷直実と共に法然を訪ね弟子となり、法然の行年80歳になると、自身も同じ80歳で往生すると決め、念仏を21日間唱え割腹しています。
津戸氏はその後も鎌倉幕府の御家人として散見され、室町期の動向や居所は不明ですが、戦国期になると北条氏に仕えています。為守15代の後胤津戸山城守為長は国府台で討死、その弟の半左衛門尉為利は八王子城で討死、為長の子の山城守為次は小田原落城後に谷保に蟄居し、後に家康に召し出され1300石の旗本となり、孫の為茂が寛文年間に致仕したとされます(八王子市に帰農した子孫の系図の内容ですが、寛永譜に津戸氏は見られない)。為次の次男の為則は藤原姓の伏見金右衛門長景の養子となり津戸を伏見と改め、長景の家とは別に大番の旗本となっています。後に為則の伏見家は本姓を藤原から実家の菅原に改め存続しています(寛永・寛政譜に記載あり、八王子津戸氏の系図と整合する部分もある)。
また、旗本になった北条氏の旧臣津戸氏との関係はネットでは分かりませんでしたが、地元の谷保天満宮の宮司は現在も津戸氏に受け継がれています。
郭内は住宅となっており立ち入ることはできませんが、郭の東側には自然地形を利用したと思われる大規模な空堀となっており、郭の北西の隅にはやや狭い空堀が見られます。また、主郭(城山)入口の石柱の南側にある民家のお庭には切岸に沿って土塁が見られます。お城の西側には小さな神明社が鎮座していますが、神主は三田氏が務めていたようです。
長々と書きましたが、結局のところ当時の資料にお城に関することは見当たらないようですので、このサイト解説や市の設置した説明板の内容にならざるを得ないということです。
お城の南側は城山公園となっており、古民家の柳澤家住宅(市の文化財)が見られ、車も停められます。
2026年05月25日 武蔵守hino
三田城
南武線谷保駅から10分ほど 城山公園となっておりハイキングコースで周囲を歩く事が出来ますが、三田氏館跡が私有地で民間の家があり入る事が出来ず
2022年11月24日 いれぶん武蔵守
滝山城山門[三田城 遺構・復元物]
観音寺の山門:弁柄塗りの赤門
扉と骨組みは、鎌倉時代の作と伝えられています。 八王子の滝山城にあったものを移築したといわれる由来があります。(観音寺のHPより)
2022年05月05日 寺蔵人頭にゃん
三田城
公園がハイキングコースになってる。私有地なので写真が撮りにくい…
2022年05月02日 三ツ鱗▲如意成就
三田城
城の中央部(本曲輪跡比定)にある個人宅は、ここの城主の末裔三田さんのものです。(先達の方の記載通り、城周辺には三田姓多し)個人宅なので付近散策はお静かに願います。
2021年03月02日 板垣佐渡守賢信
三田城
本当に民家でした。小振りな館なので外周を簡単に廻れます。当たり前ですが近辺は三田さんが多かったですね。
2021年02月08日 へこ
三田城
城址公園といいつつ、城跡に関する説明など殆どありません。しかしながら歩いていけば土塁などあからさまに分かるので思いを馳せるのも一興。本丸跡は個人宅の様です。駅から少しあるので界隈を散歩するつもりでゆる〜く訪ねるのが良いかと。
2021年01月23日 さすらいライダー
三田城
谷保天満宮から、田んぼと住宅街を抜けると、古墳のような林が城跡です。周りが公園になっていて、遊歩道とトイレがあり、散歩するのに、ちょうどよい。
2020年08月19日 いれぶん武蔵守
三田城
付近にある[くにたち郷土文化館]と[旧柳澤家住宅]に三田城についての資料展示が若干あります。どちらにもトイレや駐車場があり、無料で利用できます。付近は段丘やママ下湧水もあり、豊富な水量を背景に居館(城)が築かれた事がわかります
2020年08月14日 もみじそうちゃん
説明板[三田城 碑・説明板]
説明板は空堀と土塁の間を抜けて坂を登ったところにあります。主郭部分は私有地のため立ち入り禁止です。
2019年12月29日 三ツ鱗▲如意成就
説明板[三田城 碑・説明板]
三田城本丸と比定させる所は、私有地です。
2019年12月29日 三ツ鱗▲如意成就
駐車場[三田城 駐車場]
暮れ正月は、駐車出来ません。
2012年05月17日 野舘宮内少輔サラマンダー
三田城
2012年5月17日14時35分頃(80分)
三田城南側が城山公園となっており、その西端に国立市指定文化財旧柳澤家住宅があり、駐車させて頂きました
ありがとうございました〜
城山公園内沿いに、ハケと呼ばれる崖が続いており、その上に三田城が存在します
高さ10m位でしょうか?
公園を東に抜けると北に向かう遊歩道があり、そこに案内板が
遊歩道の東に土塁、西に城が位置し、緩やかな上り坂です
一周20分位で回れます
城内は個人宅なので立ち入らないで下さいとのこと
公園が整備中らしく薄暗い感じがしました










だが遺構は比較的分かりやすく残っており、現在でも空堀・曲輪・土塁などを確認することが出来る。