滝山城(たきやまじょう)

滝山城の基本情報

通称・別名

所在地

東京都八王子市丹木町

旧国名

武蔵国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

大石定重

築城年

大永元年(1521)

主な改修者

北条氏照

主な城主

大石氏、北条氏照

廃城年

永禄12年(1569)〜元亀3年(1572)頃

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸、馬出、虎口

指定文化財

国史跡(滝山城跡)

再建造物

橋、石碑、説明板

周辺の城

高月城(東京都八王子市)[1.5km]
二宮城(東京都あきる野市)[3.1km]
横山党館(東京都八王子市)[4.6km]
戸吹城(東京都あきる野市)[4.7km]
立川氏館(東京都立川市)[6.8km]
小田野城(東京都八王子市)[7.0km]
片倉城(東京都八王子市)[7.0km]
平山季重居館(東京都日野市)[7.7km]
網代城(東京都あきる野市)[8.0km]
浄福寺城(東京都八王子市)[8.2km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)123 滝山城

設置場所

滝山城跡中の丸[地図
加住市民センター[地図

滝山城の解説文



滝山城(たきやまじょう)は、東京都八王子市丹木町にあった戦国時代の日本の城。国の史跡[1]。大石氏、北条氏照の居城。

概要 

現在は『滝山城址公園(たきやまじょうしこうえん)』として整備済み。八王子駅から西東京バスによる定期便あり。 多摩川と秋川の合流点にある加住丘陵の複雑な地形を巧みに利用した天然の要塞で、関東随一の規模を誇ったという。

現在、遺構として本丸・中の丸・空堀・竪堀・虎口・曲輪・土橋・土塁・竪堀、曲輪などが残っており、国の史跡に指定され1951年(昭和26年)6月9日指定)。大部分が東京都立公園「滝山自然公園」となり桜の名所であるが未だに私有地もあるので公園化されない部分が多いのも現状である。

遺構の保存状態がよく、かつそれがわかりやすいため、中世城郭の最高傑作とも言われている。

築城時期・氏照入城時期 

1521年(永正18年・大永元年)山内上杉氏の重臣で、武蔵国の守護代大石定重、定久が築城し、高月城から移ったといわれているが、実際は分かってない。1546年(天文15年)、北条氏康が河越の夜戦(河越城の戦い)で扇谷上杉氏を滅ぼし、山内上杉氏の勢力を武蔵から排除すると、大石定久は北条氏康の三男・氏照を娘婿に迎え、事実上、大石氏は北条氏の軍門に下った。1558年(永禄元年)頃、北条氏照は城の大改修を実施した。

その一方で、1561年(永禄4年)春に上杉輝虎が小田原城を攻めた際に滝山城下を経由した形跡があるのに合戦が起きていないこと、同年7月に北条氏康が三田氏を攻めた際に滝山城よりも遠い由井城(浄福寺城とみられる)に本営を置いていることなど、滝山城が存在していれば起こり得ない事例を挙げて、同年当時滝山城はまだ存在していないという説もある。この説によれば、小田原城から由井の北条氏照への棟別銭免除の指示を示した朱印状が出された1563年(永禄6年)4月より北条氏照が滝山城への年貢納入を命じた発給文書が出された1567年(永禄10年)9月までの4年余りの時期に上杉謙信の南下に対抗するために滝山城が築城されたとする[2]。また、他にも滝山城への移転理由を北条氏が三田氏を滅ぼしてその旧領(勝沼領)を氏照に与えられたことをきっかけととも言われる[3]

滝山合戦 

天文2年の滝山合戦

天文2年(1533年)、北条氏綱、鶴岡八幡宮造営。定久等費拠出を拒み、滝山城の口実を与えたか。 天文5年(1536年)北条氏康、武田の加勢を得て滝山城攻撃か。(北条記・甲陽軍鑑本編巻九・甲陽軍鑑末筆下巻上)。 なお、前述のように永禄年間築城説を採るとまだ存在しない滝山城を攻めることはできないため、大石氏の別の城攻めなのか、後世の創作かと言う問題が発生する。また、天文4年(1535年)に北条氏が甲斐に侵攻して武田氏と戦っており、両氏が和睦をするのは北条氏康と武田信玄に代替わりをした後であるという別の問題も存在する。

天文21年の滝山合戦

天文21年(1552年)、長尾景虎方と後北条氏方が滝山城方面にて交戦。ただし、この年の長尾軍の南下(謙信の初めての関東出兵でもある)は、上野国内に止まっており、西武蔵方面で実際に戦闘があったのか不明。

永禄12年の滝山合戦

永禄12年(1569年)、小田原攻撃に向かう武田信玄軍約2万人が滝山城の北側の拝島に陣を敷き、別働隊の小山田信茂隊1千が未整備の間道(甲州街道の前身)を通り小仏峠から進入、これに対し北条氏方は廿里で迎撃したが一蹴された(廿里古戦場)。後北条氏方は予測外の方向より攻められた為、滝山城三の丸まで攻め込まれ落城寸前にまで追い込まれたが、2千の寡兵で凌いだ。しかしこの戦いは、滝山城の防御体制が不十分であることを痛感させ、八王子城を築城し移転するきっかけとなったともいわれているが、真相は謎である。

なお、滝山城の三の丸や中の丸まで、落城寸前まで攻められたとは、江戸期に書かれた甲斐の武田氏の軍記物語【甲陽軍鑑】や【武田記】が書かれたよるものである。

しかし、氏照本人が永禄12年10月24日に、越後の上杉輝虎の家臣山吉豊守および河田重親に宛てた書状によれば、滝山城の城下町である宿三口で戦いが行われたと書かれているが、実際は不明である。(上杉家文書より)

または、1577年(天正5年)2月5日、武田の家臣で都留郡上野原(山梨県上野原市)の領主である加藤信景が都留郡諏訪神社の奉納された棟札の記載によれば、加藤信景の父丹後守景忠は武田信玄に従い、北条氏攻撃のため、氏照の居城滝山城下に放火し裸城とし、10月27日に本郷(八王子市本郷町または元本郷町)に陣取ったと記載がある。(諏訪神社棟札銘写より)

滝山合戦以降

天正15年(1587年)前後、氏照が八王子城に本拠を移すまでの期間、滝山城は政庁として使用されていた。

古河公方足利義氏が小山秀綱に送った書状の中に、北条氏政が1569年(永禄12年)11月23日、滝山城と相模国津久井城の普請を指示した記述がある。(小山氏文書より)

1570年(永禄13・元亀元年)8月13日、上杉氏の使者大石芳綱、北条氏側との交渉について山吉豊守に報じた中で、上杉輝虎が越山するなら、北条方からは家老の子兄弟二・三人を人質に提供し、上杉方から家老の子一、二人を人質にとって滝山か鉢形におくとの提案があったと記す。(上杉家文書)

1570年(永禄13・元亀元年)10月16日、氏照、小山田八々郷に対し、敵が入間川まで来た場合の戦争に備え、男は武器を持って18日未明に滝山に集合し点呼を受けるように命じる(新編武蔵・多摩郡成瀬村)

1572年(元亀3年)7月25日に氏照は、多摩郡の家臣中村弥五郎・岩田・石川・宮本を翌日早朝に滝山城に召し出すという朱印状を出す。(三島明神社文書より)

1575年(天正3年)11月19日、氏照、埼玉郡久下分(埼玉県飯能市)の山に直轄の立林を設け、下草の刈りも禁じ、違反者は滝山に連行するよう島村図書助氏・吉田氏に命じる(武州・高麗郡飯能村又右衛門所蔵)

1576年(天正4年)1月11日、氏照、長田村(永田・埼玉県飯能市)の立林で下草刈りなどをした者を滝山に連行するよう、長田村の藤七郎・弥十郎に命じる。(細田文書)

1577年(天正5年)2月10日、氏照、八王子山麓の 根古屋(https://kotobank.jp/word/%E6%A0%B9%E5%8F%A4%E5%B1%8B-1043340) 保護のため、八王子側の竹木・下草の伐採を禁じ、違反者は滝山に連行するよう薬師山(薬王院)別当に命じる(高尾山薬王院所蔵)

1578年(天正6年)10月26日、氏照は、並木弥六郎に小山城の在番を命じ、大石照基とともに来月7日滝山を出て、久喜・大室、榎本を経て、10日に小山に到着するよう命じる朱印状を出す。(青梅市郷土博物館所蔵並木家中世文書より)

1580年(天正8年)閏3月4日、氏照は、武田方との戦争に備えて滝山宿に陣取り、陣触次第出発するよう、土方弥太郎に命じる朱印状を出す。(日野市金剛寺所蔵土方文書より)

小田原征伐(決戦)

1590年(天正18)豊臣秀吉方が北条攻めに際し作成した城と軍勢に関する覚書の中に、北条氏照の管轄する六か所の城の名と四五〇〇騎という軍勢数が記載される。その中に竹山の城は滝山城を指しているとも言われている(毛利家文書: 関東八州諸城覚書・ 北条氏人数覚書より)。

1590年(天正18)6月、広田出雲守・高橋越前守・市川三郎兵衛・小沢甚三郎らが八王子城・滝山城で討死するとあるが、真実は不明である(高勝寺所蔵)。

現代 

1951年(昭和26年)6月9日、 史跡名勝天然記念物に指定された。[4]

2017年(平成29年)、日本城郭協会により「続日本100名城」(123番)に選定された。[5]

2020年(令和2年) 6月19日、「霊気満山 高尾山 ~人々の祈りが紡ぐ桑都物語~[6]」のタイトルで文化庁による日本遺産に八王子城と高尾山ともに滝山城もその際、構成要素として関連史跡として認定された。

三宿三転 

現在の八王子市の中心にあるJR八王子駅北口の近くにある【八幡町】【横山町】【八日町】は、もともとは滝山城の城下町から始まり、八王子城を経て、大久保長安により現在の地に至る。このことを【三宿三転】という。

八王子織物[7] の起源も、滝山城下の市で取引きされたころだと言われている。

滝山城の城下には、もともと、善龍寺、宝生寺、御嶽神社(八王子市)、少林寺 (八王子市)、極楽寺、大善寺などがあり、御嶽神社(八王子市)と少林寺 (八王子市)は現在も滝山城の近くにあり、少林寺と御嶽神社以外は八王子城を経て、現在の地に至る。中でも少林寺は特に氏照と家臣と大石氏のゆかりが強い寺である。

他にも北東を鬼門除けとして、かつて武蔵村山のあたりにあり、現在は国分寺市に移った 観音寺(http://www.kannonji.jp/engi.html) と昭島市にある天台宗の普明寺の所有の 大日堂(https://www.syougai.metro.tokyo.lg.jp/bunkazai/week/tama/tama08.html) も滝山城の鬼門除けされている。

構造 

滝山城は、伝二の丸の集中防衛を意識して作られており、二の丸の周囲には馬出状の曲輪のようなものがあり、滝山城には伝二の丸の周囲だけで、千畳敷の角馬出、南馬出、大馬出、東馬出の防御性の高い遺構群が残っている。

馬出に入る際、またはたとえ馬出曲輪を突破しても、土橋や枡形状の虎口により、迷路のように敵方を小分けにして殲滅できるように非常に防御性が高い構造になっている。

鍛冶谷戸と言われる谷戸から侵入すると、最終的には伝二の丸の櫓台から180度の方向から狙われることになる。

天気と空気が澄んでいれば、富士山が見えるスポットである。

この構造が同じ北条氏の城で静岡県三島市にある山中城、氏照の最期の城である八王子城にも影響を与えたとも言われている。

大手

滝山城の大手口と言われているのは天野坂から登城路、少林寺がある鍛冶谷戸からの登城ロ、地元幼稚園すみれ幼稚園からの専国坊谷戸などが言われており、実際、どのルートが正規ルートは分かっていない。

発掘調査

滝山城で発掘調査を行われた場所は、伝千畳敷・伝中の丸、伝本丸の曳橋の大堀切と伝本丸の枡形状の虎口だけである。中でも伝本丸の枡形状の虎口の発掘調査によると、加工されてない多摩川から採石された河原石を使った石畳や暗渠や三方を土塁で築かれていることが見つかった。さらに一箇所だけ、城割りの際に虎口を壊している跡が見つかったが、これが八王子城へ移った際に行われたのか、現時点は不明である。

曳橋は橋を引く装置などが見つかっていないことから、非常時の時は伝本丸側または伝中の丸側に曳き込んだり、燃やしたり橋桁を落としたとか、橋板を落としたというとさまざま説もあるが、未だに滝山城も未発掘箇所が多く全容の解明に至っていない。

整備・保護

滝山城の遺構は、同市の八王子城ほどではないが、八王子市や地元自治会によって保全されているのではなく、東京都とNPO法人の有志団体によって少しずつであるが、見やすくなっている。

城郭図 

滝山城に関する絵図は、慶安元年(1648)7月の紀年銘が記された「武州滝山古城図」や 西尾市岩瀬文庫所蔵江戸中期の尊王論者山県大弐(1725~67)が兵学講義の資料として諸国の城郭縄張図を収集したもの「主図合結記」と旧広島藩主浅野家に伝えられた城絵図集「諸国古城之図」や 鳥羽藩が兵学研究用に収集して保管していた「 日本古城絵図  」、旧日本陸軍築城部が城郭史を編纂すべく大正初期から資料の収集に着手した「 日本城郭史資料」、八王子市郷土資料館所蔵の城郭図などがある。

  • 個人蔵【武州滝山古城図】
  • 陸奥国弘前津軽家文書【城築規範全(http://dbrec.nijl.ac.jp/DHADNac1947002_02852)】
  • 安芸国広島浅野家文庫【諸国古城之図(https://www.library.city.hiroshima.jp/hiroshima/webgallery/kojo.html)】
  • 山県大弐作岩瀬文庫所蔵【主図合結記】
  • 伊勢国鳥羽藩稲垣家所蔵【日本古城絵図(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286357)】
  • 東北大学所属狩野文庫【武州瀧山城圖】
  • 旧日本陸軍築城部が城郭史を編纂【日本城郭史資料(https://tenjikuroujin.sakura.ne.jp/t03castle11cm5/)】

観光 

  • 京王八王子駅・JR八王子駅北口から「戸吹(ひよどり山トンネル経由)」行きバスで約20分、「滝山城址下」下車徒歩5分
  • 拝島駅から西東京バス工学院大学行きまたは純心女子学園行き乗車約15分、「滝山城址下」下車。
  • 近隣の城郭は高月城戸吹城がある。

参考文献 

  • 八王子市「新八王子市史 資料編2『中世』」平成26年3月31日発行
  • 中田正光著 揺籃社発行 よみがえる滝山城ハンドブック「滝山城戦国絵巻 中世城郭のからくり」2009年11月20日

滝山城の口コミ情報

2023年12月22日 RED副将軍
滝山城



北条氏照が改修した深い空堀と馬出群が見事な関東屈指の名城🏯

続日本100名城

1521年に大石定重により築城。
大石氏は木曽義仲の系譜とされ、信濃国佐久郡大石発祥で関東管領上杉氏のもとで四宿老に数えられ武蔵国守護代にも任じられた有力国人です。
高月城を居城としていましたが、五代当主である大石定重は滝山城を新たに築いて居城を移しました。
1546年、北条氏康が河越夜戦で両上杉氏に大勝。扇谷上杉氏は滅亡し、関東管領山内上杉氏は越後に退去すると、六代当主の大石定久は北条氏康に服従し、次男の北条氏照を養子として家督を譲りました。いわゆる家督乗っ取りです。その後に北条氏照の居城として改修、拡張が行われました。
1569年には武田信玄の侵攻により、三の丸まで落とされ二の丸まで攻め込まれたが落とすことは出来なかったと甲陽軍鑑にあります。
しかし、防御体制が不十分であることを痛感し、1587年に新たに築いた八王子城に居城を移したとされます。
その後の滝山城の動勢は不明ですが、豊臣秀吉による小田原攻めの際には北条氏の拠点として利用され、北条氏が滅亡すると廃城になったと思われます。

見所
多摩川と秋川の合流点にある加住丘陵に築かれており、浸食の進んだ複雑な地形を利用した要害です。
巨大な空堀と土塁によって区画された30ほどの郭群で構成された巨大山城であり、広過ぎるが故に防御が手薄な個所が生まれ八王子城に移らざるを得なかったのも納得です。
城域北東部に本丸、中の丸、二の丸が連なり中核となります。本丸と中の丸の間には引橋が架けられており、本丸の南側と北側には桝形が併設されています。
中の丸の南に二の丸があり、東に信濃屋敷、刑部屋敷があり、西には千畳敷、三の丸、小宮曲輪と続き、北西部には山の神曲輪があります。
二の丸を中心として千畳敷の角馬出、南馬出、大馬出、東馬出が配されており、多数の馬出で徹底的な防御線が張られているのが特徴的です。
また小宮曲輪の周囲など深く残存度の高い空堀が巡っています。

国指定史跡であり滝山城址公園として整備されています。小宮曲輪などガイド付きでないと入れない場所もあるので注意が必要です。
かなり広い城域なのでまともに回ると半日くらいかかります。

2023年11月06日 京都産かんばん右近衛大将
滝山城



車で伺いました先にトイレも行きたかったので、加住市民センターへ行って、スタンプはゲット。リア攻めには無料の駐車場(30台)があります。本丸まで徒歩で20分くらい、道はほとんど舗装されてました。Googleで城を検索すると裏側の運動公園をへて細い道へ誘導されました。

2023年09月24日 伊達図書助
滝山城



八王子駅からバスで「滝山城址下」まで20分ほど。1時間に3本程度(日曜日)。バスは混んでいましたが、ここで降りる人は少なかったです。八王子からだと道を渡って反対のバス停のすぐ横に、城址入口があります。近くにコンビニと小さい無料駐車場もありました。

公園として整備されているので、ほとんどが歩きやすい道ですが、中には草生い茂る細道などもあります。ナラ枯れ発生で危険なためということで、一部入れないエリアがありました(山の神曲輪、二の丸)。帰路は、かたらいの道→鎌倉道と通って道の駅八王子滝山まで歩きました。下り坂で20分くらいでしょうか…桜の季節にも来てみたいです

2023年09月24日 宮内大輔こやまん
滝山城



たくさん遺構が残っていて、城から出られなくなるほどハマりました!

2023年09月04日 マグロ常陸介祐平
滝山城



国の史跡で、続日本100名城に選出とあって、天守閣のない土の城ですが沢山の人が訪れていました。実際に規模、縄張、遺構の状態も抜群のお城です。

鉄道ファン同様、城巡りにも色々なスタイルがあるようで、スタンプの話題で盛り上がりながら登城していた3人組の方は、中の丸でスタンプを押すと隣の本丸を見ずに下城して行きました。楽しみ方は人それぞれですね。

基本的に土のお城ですが、本丸の井戸の中はキレイに石積みされていました(写真3枚目)。

2023年07月17日 VTR美濃守シゲ桜の大阪城
桑都日本遺産センター八王子博物館[滝山城  関連施設]



JR八王子駅南口j:COMホール八王子の3階に有ります

写真1 八王子城と滝山城の御城印扱ってみえます
写真2 入り口からの内観

2022年11月14日 特にありません
滝山城



朝8時に駐車場が空きます。丁度良い散歩コースですが、なだらかなので防御力は少々劣るかも。本丸の紅葉が良かったです。

2022年11月14日 ひ〜ふ〜
滝山城

滝山城の東側の運動公園側からのルートだと、住宅地の中に迷い込んでしまいます。

2022年11月13日 副将軍ナンバー7両軍に感謝
滝山城

素晴らしい遺構です。自治体、地元の方々、地主さんによる保存活動も行き届いています。後世に残して行きたい城です。写真は別途上げます✨

2022年09月26日 いれぶん武蔵守
少林寺[滝山城  寺社・史跡]

(紹介パンフレットより)
開基 滝山城主北条氏照
開創年 元亀二年
宗派禅宗
少林寺は元亀二年(一五七一)の創建です。徳川家光公より慶安元年に御朱印貳拾伍石を賜わりました。
滝山城主北条氏照開基の寺です。氏照の乳母の子圭厳暁嫩大和尚により開山しました。末寺十数ヶ寺を有し、檀家七割は北条家臣団の末裔瀧山城の東南の山麓の景勝地、龍の池ほとりに建立し出入り口が辰巳という神相応の地で氏照の住居だったと云われています。
天保年間に建立された荘厳な七堂伽藍の建築に祭して創建時に氏照寄進の北条の壱千有株の松(二七〇年程の松)を伐採しました。
明治十九年の一月の火災で惜しくも全建築の本堂他消失してしまいました。現在の本堂は平成五年に落成した本造入母屋造りです。
ここは、八王子町並みの元となっており、現在でも少林寺を中心として参道の西側を「八幡宿」東側を「八日宿」「横山宿」と呼ばれております。

(紹介パンフレット御住職挨拶転記)
私は少林寺の24代目の住職です。
約450年前、地元滝山城の城主であった、大石定久の娘「比左」の婿養子として入られたのが少林寺を造られた北条氏照であります。
このことから「住職は大石氏の末裔ですか?」とよく聞かれます。少林寺は北条氏照と妻「比左」の住居の所でした。北条氏は豊臣秀吉に敗れ、その責任をとり兄氏政と切腹させられましたが、その後も「比左」は生き抜いて少林寺におられたと云われております。
私は北条氏照の辞世の歌が好きです。「天地のあつきめぐみに生まれ来て元の姿に帰るべるなり」です。
私もこの様な境地で生きて参りたいと思っております。
住職 大石 創元

2022年03月22日 今川党山県右兵衛尉ニャン八
滝山城



凄く面白い造りが多く、本当に人工なのか?と思うような堀もあり、とにかく広いです。ある程度時間に余裕を持っておいた方がいいですよ。時間がかかりますから。

2022年02月24日 武蔵守与作兵衛
滝山城



大手口の傍に滝山観光駐車場があり30台くらいは停められますが、城跡は都立滝山公園になっているため、城攻め以外の方も利用し満車の場合もあるのでご注意ください。

住宅地を抜けて大手口から竹林に囲まれた急坂を上るところと、二の丸東側にある行き止まりの曲輪から千畳敷に戻るルートの2か所は、小机城によく似ていて一瞬デジャビューのような不思議な感覚を覚えました。同じ北条が作った城だからかなぁ?もう一度両方の城を同じ日にリア攻めして確かめたいと思いました。

続日本100名城スタンプのある加住市民センターや現地に置いてあるパンフレットから、無料のARアプリが入手できて、音声ガイドの他450年前の城の姿を現在の風景の上に重ねて表示させることができ、そのまま写真にもできます。結構楽しめました。

2022年01月16日 じんま
滝山城

中の丸のスタンプ、インク補充してありました。

2021年11月24日 四間飛車左衛門佐とみー
滝山城



2021年11月20日、八王子攻城ミニ縦走その3
二宮城、高月城攻略後、滝山城に向かいました。
高月城からは徒歩で20分ほどで到着しました。

麓の多摩川河川敷からの球音や選手の声を聴きながらの攻略になりました。前回(5月)の訪問時は緊急事態宣言下だったため、全くにぎわいがなかったのとは様相が一転しており、日常が戻ってきていることを実感しました。

二度目の攻城ですが、やっぱりいいですね。城郭内を散策したのですが季節によって彩り含めて趣きが異なり、訪れる度に新しい発見があります。縦走中ではありますが、丹念にその作りを味わいました。季節に1回くらいは攻略してもいいかな?そう思える城です。

2021年11月17日 熊谷図書頭直実
滝山城

周辺に駐車場は一ヶ所しかない。駐車可能台数も少ないのですぐにいっぱいになる。出入りも頻繁ではないので時間に余裕を持って行きましょう。

2021年11月15日 カズ@大高の信長
滝山城



木が生い茂っているため、なかなか全体が分からないが、中央に池、周囲に曲輪群があり、奥に急峻な河岸に挟まれた本丸がある。

滝山城から移った八王子城は、少数の兵力で守れるよう設計された城とのことだが、ある意味見慣れた山城だが、滝山城は複雑で初めて見る変わった城だった。一見の価値あり。
八王子城と滝山城の写真を添付。

2021年11月05日 みの民部少輔
滝山城

ポイントで滝山城跡ARアプリを利用して見ると建物や塀が現れ、解説も流れますので、わかりやすく楽しめます。

2021年07月08日 長森原
鎌倉道[滝山城  その他]



滝山城のパンフレットの縄張図右下をよく見ると、「鎌倉道」の表記が有ります。(写真は説明板のもの)
この「鎌倉道」は後北条氏の滝山城築城以前から使われていた道で、北は滝山城のある加住丘陵を縦断し、大石氏の居城である高月城と二宮城へと向かう古道でした。

南は谷地川を渡り梅坪を通って、ひよどり山の所で川越道と合流し相模国に向けて南下していたと思われますが、現在は八王子インターの建設によって途中から消滅しています。

興味深いのは、この鎌倉道と川越道の合流推定地の近くに、左入城(滝山城の出城)跡の石碑が建てられている事です。
地元口伝により建立された碑だそうですが、此処が本当の「左入城」なのかは別として、確かに街道結節点の監視の為の砦が置かれてもおかしくない場所です。八王子インター建設で削平される前は、石碑周辺は舌状の尾根でした。

なお先人の口コミによると、左入城の候補地としては、他に滝山城址東端、現・八王子陸運局あたりが目されるそうですが、こちらも川越道と平の渡しの監視場所として、出城を築く絶好ポイントです。
もしかしたら、どちらの地点にも街道監視の為の出城があったのかも知れません。

2021年06月23日 長森原
平の渡し[滝山城  寺社・史跡]



滝山城東方2kmの地点にある平の渡し。
この渡しは古来、武蔵・河越と相模国・当麻を結んでいた「古・川越道」が多摩川を渡る渡河点でした。
後北条氏が台頭した中世においては、この川越道は小田原→当麻→御殿峠(=杉山峠)→平の渡し→村山→川越→北武蔵という後北条氏の北関東への進出ルートとして使われ、平の渡しと平の渡しを扼する滝山城は軍事的要衝地となりました。
なぜなら川越道は後北条氏の北関東進出の為の道になると同時に、逆に北関東から平の渡し経由で後北条氏の本城・小田原城へダイレクトに攻め込めるルートとなった為です。

永禄12年(1569)の武田信玄による小田原攻めでは、信玄本隊は碓氷峠から関東に侵入し鉢形城→拝島→平の渡し→御殿峠(杉山峠)→当麻→小田原へと侵攻しました。

2万もの大軍を小田原に遠征させる為に、北から鎌倉街道+川越道南下のルートを選択し、途上の平の渡しを守る滝山城は別働隊を城南面に回して封殺・無効化、易々と多摩川を渡河して小田原に向かった武田信玄はやはり無類の戦上手でした。

最後の写真は、武田信玄が布陣した拝島の大日堂の森から多摩川対岸の加住丘陵を望んだものです。

2021年06月20日 長森原
桑都日本遺産センター八王子博物館[滝山城  関連施設]



4月開館予定が緊急事態宣言のため長らく延期になっていた「桑都日本遺産センター八王子博物館(はちはく)」が、今月12日に遂にオープンしました。

スペース的には小さな博物館ですが、八王子の歴史と伝統文化について学ぶ事ができました。八王子城と滝山城関連の展示も多数有り、両城の3D模型に縄張図や陰陽図を投影できる装置が面白く、立体的に縄張を考察する事が可能です。

場所はJR八王子駅南口すぐのサザンスカイタワーの3階。入場無料。写真撮影・SNSアップ共にOKとの事です。

2021年05月04日 長森原
御嶽神社[滝山城  寺社・史跡]



三の丸東の無名曲輪から伸びる尾根筋に鎮座する御嶽神社(旧名蔵王権現社)。社殿と燈篭に三つ鱗の紋を刻むこの神社は、元は高月にあったものを北条氏照公がこの地に遷座したという由来を持ちます。

神社がある尾根は滝山自然公園外になるのですが、滝山城二の丸前に設置された縄張図を見ると、この御嶽神社がある尾根筋が滝山城南面の防衛上の重要地点だった事が判ります。

この尾根の両側には、二の丸、三の丸直下まで深く食い込む谷戸があり、南面には古甲州道(府中から大菩薩峠経由で甲府に通じる古道)が走っていました。(地図上の赤いラインの滝山街道は新道なので中世には存在していません)。
御嶽神社の眼下でこの古甲州道が直角に4回クランクし枡形を形成しており、築城者がこの地点に防衛上の仕掛けを注力していた事を示しています。

小宮曲輪〜三の丸〜無名曲輪〜大馬出へと連続して続く空堀のラインは、滝山城南面の街道・谷戸側からの侵入を防ぐ為のものですが、そのラインから突出した御嶽神社のある尾根筋は、両側の谷戸の防衛と街道の監視の為の出城的役割を負っていたと思われます。

公園外にあるため訪れる人も少ないポイントですが、神社ですので参拝は可能です。南面にある参道の階段は後世に竪堀を利用して作られたのではないかとも言われています。
(写真は2021.04撮影)

2021年02月23日 三ツ鱗▲钁湯無冷所
中山勘解由家範館[滝山城  周辺城郭]

北条氏照重臣で埼玉県飯能市出身、中山勘解由家範館跡です。現況は養鶏場で入れません。氏照が滝山城を本城としていた時に、この地点を館としていました。滝山城から八王子城に氏照が移動したのと同時に、中山の館も八王子城に移動。八王子城の麓、現氏照没後記念碑の近くが八王子城時代の中山の屋敷跡地です。

2021年02月23日 永久楽武蔵守マクシミリアン
滝山城

駐車場は城の南側に「滝山観光駐車場」があり、そこから歩いて登れます。いきなり急坂で少しめげますが、そこを登り切ればあとは緩やかです。三の丸、千畳敷、二の丸、本丸、堀切、土橋、大馬出しなど遺構がしっかり残っています。

2021年02月22日 Taka右近衛大将Ponchi
滝山城



昨日、滝山城の中の丸にある続100名城のスタンプですが、ほぼインク切れで使い物にはなりませんでした。加住市民センタまで行ってスタンプを押しました。インクを補充などしてお手入れされる事を願います。

2021年02月05日 さすらいライダー
滝山城

無料の駐車場が完備され、城跡内も、遊歩道が整備されていてとても歩きやすい。とても広いので、飲み物や食べ物を持って、出掛けましょう❗️

2021年02月02日 ずば刑部卿
滝山城

建物は残っていませんが、自然の地形を利用した空堀や土橋など見応えのある城址でした。公園として地元の人に大切にされている様子も見られてとても良い場所です。

2020年12月13日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
昭島市信玄堤[滝山城  寺社・史跡]

東京都昭島市拝島町五丁目近くの多摩川堤防には、なぜか堤防が途中で途切れて2重になっているところが有り、ここが、武田信玄が考案したとされる「信玄堤」の名残との事です、拝島の信玄堤(武田信玄公が造った?)がいつどのようにして造られたのかは分かっていませんが、永禄12年(1569年)、北条氏照公が守る滝山城を攻めるために武田信玄が拝島大師境内の大日堂の森に本陣を構えましたので、このときに造られたのではないかとの事です、(諸説あり)また、江戸時代の古地図には、この付近に伝信玄堤が数か所あったようですが、現在残っているのは1か所だけとなっているようです!

2020年12月13日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
拝島大師武田信玄本陣[滝山城  寺社・史跡]

戦国期、滝山城築城の際にその鬼門厄除けとする為、拝島大師の境内に大日堂移されたとの事ですが、永禄12年9月末、前年、三国同盟破棄して駿河侵攻を開始した武田信玄公は、多摩川を渡河し北条氏照公が守る滝山城を攻めます、その時武田信玄公が拝島大師を含む大日堂の森に本陣を構えました!

2020年06月20日 来住野
滝山城

滝山城は、高尾山と八王子城跡と共に令和2年6月19日、八王子市が文化庁に申請したストーリー「霊気満山 高尾山 ~人々の祈りが紡ぐ桑都物語~」が東京都初の日本遺産に認定されました。【日本遺産】のストーリーの構成文化財として認定されました。

2020年04月30日 来住野
滝山城

閉鎖】滝山観光駐車場

更新日:令和2年4月28日
ページID:P0011767
臨時閉鎖のお知らせ(~5月31日)

新型コロナウイルス感染症の拡大防止に伴う政府の緊急事態宣言を受け、滝山観光駐車場は4月18日(土)から5月31日(日)までの期間につきまして臨時閉鎖いたします。
皆様の御理解の程、どうぞよろしくお願い申しあげます。

https://www.city.hachioji.tokyo.jp/shisetsu/011/p011767.html

2020年04月19日 来住野
滝山城

臨時閉鎖のお知らせ(~5月6日)

新型コロナウイルス感染症の拡大防止に伴う政府の緊急事態宣言を受け、滝山観光駐車場は4月18日(土)から5月6日(水・祝)までの期間につきまして臨時閉鎖いたします。
皆様の御理解の程、どうぞよろしくお願い申しあげます。

https://www.city.hachioji.tokyo.jp/shisetsu/011/p011767.html

2020年04月09日 三ツ鱗▲钁湯無冷所
滝山城

※4/9(木)確認
駐車場:8時~18時
続100スタンプ箇所:①中の丸の管理建物(24h使用可能) ②八王子市立加住(かすみ)市民センター9時~17時 ③道の駅滝山9時~21時


2020年04月05日 来住野
滝山城

滝山城は小宮公園や東京都西部公園緑地事務所や私有地など土地が入り組んでおり、園路以外に通ろうとすると小宮公園や西部公園緑地公園事務所の方や地権者などに通報、注意されます。

特に小宮曲輪の空堀、三の丸の横堀のような看板が無いと言って入ると特に。なんでそこまで注意されるかとお聞きしたところ、過去に城好きで、自転車で堀の中に入っている人がおられたり、竹の子を盗む人がいたり、自生する山野草が生えなくなってしまうなど要因があるそうです。

本当に1人の意識で遺構が見れなくなるのは残念です。

2020年03月07日 フー甲斐守
滝ヶ原運動場第三駐車場[滝山城  駐車場]



搦手口からの登城であれば、こちらの駐車場が便利です。

私は一旦運動場を出て農家さんの間の道を上がりましたが、テニスコート裏からも登城できます。

駐車場の時間は一応写真の通りのようですが、運動場のオープン時間とズレており、ご利用の際にはご確認されるのがベストです。

高月城近辺に駐車場が無いので、ここから徒歩もありかと思います。20分程度でした

2020年01月04日 さと左近衛少将けんさん
滝山城

城の所のスタンプがインク薄くて残念でした。

2019年10月06日 フー甲斐守
専国谷戸からの登城路[滝山城  その他]



専国谷戸からは池を越えて竪堀下をカゾノ屋敷に抜けるルートです

2019年08月13日 天下泰平刑部卿
滝山城

登城前に八王子市加住市民センターに寄ることをお奨め致します。
続日本100名城のスタンプと縄張り図付の解説パンフレット、もらえます。
職員の人が、とても優しかった。

2019年07月27日 まさある甲斐守
駐車場[滝山城  駐車場]



滝山観光駐車場。無料です。8:00〜18:00。

2019年06月29日 芋沢みやぎ雅楽頭❖感謝
左入城[滝山城  周辺城郭]

・滝山城の出城、左入城

中丸淡路守の館跡で西山十右衛門が城主といわれます。
①滝山城址の東端で滝山東側尾根付近である八王子陸運局辺りにあったとされる説(出典:日本城郭全集)と、
②現在の国道16号八王子インター付近の村内家具辺りにあったという説(地元口伝)、その他説あり。
村内家具の社長が②を信じ、自社敷地内のその場所に立派な石碑を建てています。

ただし、滝山攻め総大将の武田勝頼(当時、諏訪四郎勝頼)は滝山城北東の拝島大師付近に布陣した信玄に対して、滝山城南東の八王子IC付近である尾崎山に布陣(出典:多摩の古城址)とあるので、口伝の場所が正しいとすると、勝頼はわざわざ出城と滝山城の間に布陣した事になるので甚だ疑問。新たな史料の発見と研究が待たれます。

①の八王子陸運局は用途上、広大な駐車場があるが、土日は閉鎖。平日も夕方は早く閉まるので要注意。②も家具屋で広い駐車場あり。

2019年06月16日 来住野
屋敷跡の先の堀切[滝山城  遺構・復元物]



滝山城の謎の屋敷跡の先にある堀切。
ここがさらに整備されると滝山城の大手の真相が分かる模様。
ガイドなしで危ない場所であり、今後も整備する模様。

2019年06月09日 信州左衛門佐克幸
滝山城



数々の堀や横矢、馬出があってとても守備力が高い!案内図や立て看板がないと迷ってしまうかも~

2019年05月11日 織田上総介晃司
滝山城

滝山街道(国道411号)沿いに滝山城跡入口の看板がありますが、ここは車は進入禁止です。少し進むと滝山観光駐車場があります。無料ですが8:00〜18:00の利用時間となっており、朝駆けは無理です。

都立自然公園となっており、自然の中に多くの遺構が残されて散歩がてら楽しめる城です。
ただ進入禁止の場所も多くあります。

2019年05月02日 松之助尾張守
滝山城

2019.5.2現在、続100名城スタンプは中の丸にありません。蓋しか残っていませんでした。

2019年04月24日 三ツ鱗▲钁湯無冷所
山の神曲輪跡[滝山城  遺構・復元物]

城主北条氏照公が、滝山城襲撃に備え領国民を避難させる為に作った曲輪。北条流テクニカルな曲輪では無いが、平坦削平地がそこそこ広く、避難領国民が簡易建物を建てる事を想定していた。

2019年04月24日 七代目尾張守宗春
本丸への木橋[滝山城  遺構・復元物]



大堀切の上を、中の丸と本丸とを繋ぐ木橋。『当時の木橋はもう少し下に架けられていた。おそらく、中の丸に敵が押し寄せてきたら本丸へ半分程引き込むことができたと思われる。人工的に掘られた大堀切の上に架けられており、本丸が最終的な砦となっていた様子がわかる。』滝山城城攻めマップより引用

2019年04月24日 七代目尾張守宗春
角馬出[滝山城  遺構・復元物]



この馬出は方形に作られていることから「角馬出」と呼ばれている、そうです。

2019年02月04日 葵上総介
滝山城

続100名城スタンプですが、2019.2.3現在中の丸のスタンプはインクが補充されたようでしっかり押せました。雪もありませんでした。
スタンプは道の駅八王子滝山でも押せます。

案内板がしっかりしており、パンフレットも駐車場や城内の何箇所かに置いてありました。
ARアプリも良く出来ていて、当時の様子がよく分かるようになっています。
ARはマーカーに合わせて暫く待つと読み込みします。

基本的に良く整備されておりスニーカーで行かれますが、一部滑りやすい場所もあります。
ベンチがあちこちにありますので、お天気の良い日にお弁当を持って行かれては如何でしょうか。

2018年12月25日 感謝修理大夫はる ◢͟│⁴⁶
滝山城

続100名城スタンプ情報

2018.12.23日に中の丸で押したスタンプはかなり薄く、お城EXPOで城郭協会の方に聞いたところ無効になる可能性があるとの事でした。

他の有人のところにもあるそうなので問い合わせして、聞いてみてください

2018年11月18日 藤陸奥守重真
滝山城

JR八王子駅北口から西東京バスで20分ほどで滝山城址下バス停に到着します。整備されているので、歩き易いです。

2018年11月06日 三ツ鱗▲钁湯無冷所
滝山城

高月町方面に抜ける搦め手口(北側)は、石畳が敷かれています。その昔、国民宿舎が滝山城内に有った時代、車で上がる為に敷設された物だそうです。雨天後等で水で濡れている場合、下りはとても滑る上に苔むしてる部分も多く、本当によく滑ります。注意されて下さい。

2018年11月05日 唯一無二
滝山城

八王子駅北口12番バスのりばから20分ほど。滝山城址下で下車。バス停の向かいに緑の立看板があるので、迷わないと思います。
看板から5分も歩くと、細い山道に。舗装されていて歩きやすいです。いかにも山城と言う感じでテンションが上がります。坂を上りきってしばらく行くと左手に千畳敷。お弁当を食べている人がちらほら。千畳敷のすみに看板があり、馬出しの説明が書かれていました。ARに対応しているとのこと、早速アプリを入れてみると、建物や兵士の様子がバーチャルで見え、解説が聴けます。面白いので、時間があればお勧めします。
この城は、まさにザ山城で、攻め手守り手両方の気持ちになって縄張りを見て回るのにもってこいです。本丸と中の丸の間にある引き橋を見上げると、本丸が最後の砦として独立した作りになっているのがよくわかります。
続100名城スタンプは、中の丸に置いてあります。他の方も書いていらっしゃいましたが、建物に試し押しがたくさんあり、残念な気持ちになりました。パンフレットは、至るところに濡れないようにケースに入って置いてあります。こうした気配りは嬉しいですね。

2018年10月28日 鼓舞式部卿勘助
滝山城

電車とバスで来ました。さすが日曜ですね新設市営無料駐車場はAM10:30には満車でしたよ。

2018年10月08日 マンボウ
滝山城

スズメバチ封鎖からのリベンジ訪問
山城の構造美を堪能できました
山の神曲輪は封鎖中です

2018年08月11日 マンボウ
滝山城

本日も滝山城址下バス停側の入口は封鎖中でした

2018年08月10日 衣谷太閤其土
滝山城

本日8月10日早朝現在、メインゲートのところにスズメバチが巣を作ったとのことで封鎖中。そこに住んでるオバサンは本日中に取ってくれるだろうと言ってたけど…。

2018年06月04日 京急渡島守ドレミファ♫
滝山城

■アクセス■
JR八王子駅北口バスターミナル12番乗場より西東京バスに乗車し、約20分の「滝山城址下」下車(IC309円、現金310円)。
乗車するバスは、乗換案内アプリで検索しました。
バスは1時間に3本程度あり。
車の場合、無料駐車場あり。

■スタンプ■
加住市民センター(月曜定休!)、中の丸、道の駅八王子滝山の3ヶ所。
ボクは中の丸で押しましたが、状態は悪くないです。

■見所■
二の丸の3ヶ所の虎口が全て角馬出になっており、その土橋が萌えます!
その他も山城の教科書のような造りで、立入禁止になっていないところはどんどん進んで行った方が吉(クモの巣に注意!)。
ARアプリもなかなかよくできていて、このお城を理解する手助けになります。

■その他■
トイレは中の丸にありますが(但し個室は和式)、自販機は城内にはありません。
バス停、駐車場のある交差点にファミマがあるので、一度立ち寄って準備を整えましょう。
城内にはテーブルやベンチが多数設えられているので、お弁当持参でピクニックがてらの城めぐりには向いています。

2018年05月11日 野面積子
滝山城

新百名城になったので、また行かなきゃと思ってます。お弁当を持ってゆっくり出来る所です
アプリで色々見れるのを楽しみにしていたのですが、私のスマホでは反応しませんでした。ちょっとガッカリでした

2018年04月12日 裕太弾正尹
滝山城

無料の駐車場に車を停められます。駐車場内に資料あり。
道はさんでファミマ。
登城口方面にローソンあります。
民家の間を抜けて、急斜面を上がると、堀や土塁の凄さに圧倒されます。
都立の公園だからか案内板も丁寧で、地図の通りに廻っていたら2時間ほど散策していました。
色々と書くより見て感じてもらうのが一番かと。

中丸にしかトイレは無いので注意。
その中丸にスタンプがあるのですが、建物自体にスタンプを押している人がいるのには、怒りを覚えます。
城好きならやらないと信じて。
スタンプブックには書かれていませんが、道の駅八王子滝山にも置いてあります。
21時までやってます。

2018年02月10日 甑岩式部卿正頼
滝山城

↓先人の口コミに補足です。
駐車場脇にコンビニできてます。
本丸南側虎口から弁天池に降りるつづら折りに続いて千畳敷から弁天池に降りるみちも通行禁止になってました。2018年2月10日現在。
大雨の影響らしいです。
あと、『タキヤマ』アプリをダウンロードしてAR見ると楽しさ倍増です。

2018年01月05日 百済門徒衆修理大夫とら❖
滝山城

屈指の名山城です。都立公園なので、とても整備されてます。登城口付近にコンビニ有りとの情報がありましたが、2017/12/17の時点では無くなったのか有りませんでした。ただコンビニらしきものが建つような工事をしていました。付近には、それ以外郵便局ぐらいしか有りませんでした。バスを降り、突如もよおしてきたので、一目散に中丸のトイレに行きましたが、堀が凄すぎて何度も立ち止まってしまいました。うしろ髪を引かれつつ、無事トイレにて用を足すことが出来ました。立派な綺麗なトイレです。さすが都立です。その後2時間ほど見学しましたが、馬出し、出丸、凄いです。何より整備されてます。山の神曲輪は少し離れていて、周りの土地が地主さんの土地なので、同じ道を戻らなくてはなりません。残念なのは、弁天池に下るつづら折りの道が立ち入り禁止になっていました。今度は春に来たい!!

2017年05月21日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
滝山城

バスで行けますよ。
バス停の前が城の入口です。
その隣は駐車場なので自家用車無料で停めれます。

なお上記入口の他にもあと二ヶ所入口あります。

トイレは城郭内奥地の国民宿舎があった場所付近にあるので、駐車場にはないです。
入口前でトイレ行きたければコンビニがあるのでそこで借りて下さい。

駐車場は夏場夜六時、冬は四時で自動でチェーンが上がるみたいなのでその前に出口から出庫しましょう。

縄張内は無料アプリの看板があり、スマホで説明が聞けます。

2017年04月09日 大膳大夫マイリバ
滝山城

続日本100名城選出を祝して、初代城主として書き込み(^^ゞ
「丹木町三」交差点の滝山観光駐車場の利用時間は8時~18時(11月1日~2月末は16時)までです
時間を過ぎると、出庫できなくなるので、お気をつけください
駐車場には加住地域に残る三つの戦国山城・滝山城、高月城、根小屋城の「滝山三城」とアプリ「AR滝山城跡」のパンフレットが設置されていますので、入手をお忘れなく

2016年12月07日 ばくりんこ民部卿
滝山城

都立滝山自然公園となっていますが、中世の城郭跡として空堀や土塁、曲輪からの視線など大規模に遺構が残っており城マニアには(城マニアにしか)たまらない城跡です。

2016年11月08日 石畳治部少輔三成
滝山城

先日ガイドさんに滝山城を案内して頂きました。一般には武田信玄に三の丸付近まで攻められたと言われてますが、氏照の書簡を見ると実際は城外で戦があったそうです。八王子城に移ったのは、城内で比高さが余りなく鉄砲に対応出来ないからだそうです。滝山城の堀は発掘調査が行われていませんが、畝堀や障子堀がある可能性が高いとか。実際に堀底を歩くと波があるのが分かります。

2016年05月27日 紗璃武蔵守さり
滝山城

地元でもあまり知られていないのですが
桜の名所であり約5000本の桜(3000本との紹介もあり)が植えられていて、桜の季節の城攻めもおすすめです。


各遺構には説明板もあり、城知識の乏しい私でも比較的分かりやすいのですが、滝山城跡群・自然と歴史を守る会のホームページ「よみがえる滝山城」でも同じものを確認することが出来き便利です。

他に、城攻めのコース等も紹介されています。


最近知ったのですが、
「AR滝山城跡」という無料アプリがあり、ダウンロード出来ます(私はandroidなのでiPhoneは未確認です)

カメラ機能を利用し、450年前の城の様子をアニメーションで体験できたり、城跡についての情報が含まれていてるのですがアプリの容量は大きめです(汗)

私もまだ現地で使用していないので、是非再訪し試してみたいと思ってます





2015年07月14日 
滝山城

八王子駅、拝島駅からバスで滝山城址下で下車。アクセスはしやすいと思います。

築城時期は上杉氏の下で武蔵守護代であった大石氏を継いだ北条氏照が由井城(浄福寺城か?)から拠点を移して築城された説と、大石氏の代からあった城を氏照が改修した説があります。
どちらにしても八王子城築城までの間、後北条氏の支城制で滝山領を形成した重要拠点であり、それに見合うとにかく広大な土づくりの平山城です。

土塁・桝形虎口・堀・馬出と遺構も多く残っており、かなり楽しめました。
千畳敷の東側や二の丸の東側・南側には後北条氏の築城に多く見られる角馬出が残ります。
小宮曲輪から山の神曲輪までの各曲輪や、本丸北側の出丸や馬出曲輪等、公園として整備されてない場所にもはっきりした遺構がありました。
しかし、未整備の場所は薮がしげりクモの巣や虫だらけなので、夏場に登城される方は充分な準備を。
土づくりの城が好きな方にはかなりオススメです。

2015年05月06日 ひな中務大輔ひな⭐️
滝山城

とにかく広い!マニアにとってはまるでテーマパークのよう。八王子城とはまた違った趣で楽しめました。
駐車場や登城口にパンフ設置BOXがあるのですが空で、中の丸でようやく入手。
最初に山の神曲輪まで行ったのでかなり迷ってしまいました。
案内板がもう少し増えるといいですよね。


2015年04月01日 待雪民部少輔おこわ
滝山城

滝山街道沿い丹木町3丁目交差点傍に30台ほど停められる駐車場完成しました!開門は9:00〜17:00までで無料で利用できます。大手口まですぐで非常にアクセスいいです!

2014年07月20日 雑賀
滝山城

加住市民セの方に確認しましたが、空いている限り駐車OKだそうです。バスの際はバス停前が入口。遺構は自然の中で守られており,そのまま保全し自然景観を中心に遺跡を活用する重要な事例。表面観察で構造がよくわかる滝山城ならではとの事。とにかく各所見応えありです。【東国戦国時代No.1の名城】とうたった資料もあり!

2014年06月20日 おかっぴき
滝山城

加住市民センターに車を置いて行くのが良いでしょう。小宮曲輪を見学しながら本丸まで行くのがベストじゃないかな?私はそう思います。

2013年04月22日 すかんぴん左馬助
滝山城

駐車場が無いのが最大のネックになってます。
近くのコンビニに停めさせてもらう方が多いようです。
その場合は天野坂から、すぐ登城できます。

他には道の駅・滝山も利用出来ると思います。
少し歩きますが、伝カゾノ屋敷、信濃屋敷側から登るルートです。



2013年02月23日 すかんぴん左馬助
滝山城

2013年2月現在、公園の整備中です。
木を伐採して見やすい状態になってます。
ただ中の丸から本丸への橋を修理していて、直接行くことは出来ません。
中の丸のトイレは使用出来るようです。
整備終了は3月下旬の予定。
縄張り図の載ったリーフレットが置いてありますが、図は少し古いかもしれません。



2013年02月09日 中務卿一之介
滝山城

倒木のために、遺構の堀が崩れたのですが、八王子市は補修もせずに、一年半も放置していたようです。役所内の課の間の意志疎通がうまくいっていなかったため、とか…。国の史跡でもあるのに、あまりにもひどい!

(情報元:2013年2月7日付 東京新聞 地方面)

2012年04月07日 野舘宮内少輔サラマンダー
滝山城

2012年4月7日12時45分(120分)
花見の為に家族で行きましたが、まだ二割位しか咲いていませんでした
新しく設置されていた解説版には、地形図と復元イラストで説明があり、初心者の私にもとてもイメージしやすくなっていました
解説版は9箇所見つけましたが全部で幾つかは不明です…
子供と池址や馬出しなどを走り回りましたが、雑草等が刈り取られ綺麗に整備されていました
来る度に新たな発見が出来るとても良い山城です
明日4月8日はイベントがあるようです

2012年03月19日 新田トロ
滝山城

今日訪問して来ました 平日の月曜日なので、人は疎らでした。

曲輪などの解説板の設置が始まってるみたいで、あちこちに置いてありました。
シートが被さっていて見えませんでしたが…
てゆーか、有名な城址なのに今頃設置だなんて…遅すぎです
でも、今度はそれを見に行かなきゃです

歩いて見ても飽きない遺構ばかりで、小宮曲輪の堀は特に素晴らしかったです

2011年11月26日 野舘宮内少輔サラマンダー
滝山城

2011年11月26日13時半頃
駐車場が無いので南側の滝山城祉下バス停近くにあるファミリーマートに話して停めさせて頂きました
ありがとうございました〜
道は舗装されていて、本丸迄のんびり歩いても30分位
途中の引橋は渡るのがちょっと怖い深さです
本丸に今も残る井戸は直径2m位、深さは10m以上ありそうです
都の方が金比羅杜からの見晴らし改善の為に来ており、何とか駐車場を完備したいと話していました
子供と一緒に戦いごっこをしながら楽しめるとても良い公園でもあります

2011年08月17日 ピカドラ
滝山城

北に多摩川を外堀に死角が生じぬ様バランス良く各曲輪を配置している。武田信玄、勝頼率いる強兵で聞こえた甲軍すら攻めあぐねた縄張りに納得してる。山の神曲輪から西方に高月城が指呼の間に眺望出来るのも嬉しい

2010年10月13日 大膳大夫マイリバ
滝山城

今年は11月3日の文化の日に都立東大和南高校の公開講座として『戦国史の古城を歩く~武蔵滝山城跡の見学~』が開催されます
詳しくは同校もしくは東京都のホームページをご参照くだされ
ちなみに募集期間は10月15日まで・・・って、明後日なのね

2010年09月14日 大膳大夫マイリバ
滝山城

日本名城ならぬ『日本名城百選』なるものに選定されています
『戦国のカテナチオ』ともいうべき二の丸集中防御はキルゾーン満載
この二の丸を巡る攻防で寄せ手の武田勝頼が城方の師岡山城守将景と一騎討ちに及んだと云われていますが、蛮勇ではなく、二の丸の固さを実感した勝頼なりに突破口を開こうと考えた結果だったのかもしれません(贔屓目かな?)
都内唯一の道の駅・滝山では滝山城に関する資料『よみがえる滝山城』や『滝山城戦国絵図』を購入できますので、キャッスリングのお供にどうぞ

2010年08月07日 侍従えっき
滝山城

車で攻城しようという方は注意

公園になっているにも関わらず、パーキングはなく、何カ所も看板はあれど狭い道路を進まされた挙げ句、バックで戻らなきゃいけないはめになります

何とかしろ!八王子






滝山城の周辺スポット情報

 山の神曲輪跡(遺構・復元物)

 角馬出(遺構・復元物)

 本丸への木橋(遺構・復元物)

 天野坂(遺構・復元物)

 櫓跡(遺構・復元物)

 大馬出の横堀(遺構・復元物)

 屋敷跡の先の堀切(遺構・復元物)

 屋敷跡内の土塁(遺構・復元物)

 二の丸の横堀(遺構・復元物)

 井戸跡(遺構・復元物)

 出丸(遺構・復元物)

 土橋(遺構・復元物)

 古甲州道・枡形(遺構・復元物)

 古甲州道・枡形(遺構・復元物)

 古甲州道・クランク(遺構・復元物)

 古甲州道・クランク(遺構・復元物)

 古甲州道・クランク(遺構・復元物)

 古甲州道・クランク(遺構・復元物)

 古甲州道・クランク(遺構・復元物)

 桝形虎口(遺構・復元物)

 小宮曲輪(遺構・復元物)

 木橋(引き橋)(遺構・復元物)

 土橋(遺構・復元物)

 解説板(碑・説明板)

 滝山城跡の碑(碑・説明板)

 拝島の渡し記念碑(碑・説明板)

 平の渡し・説明板(碑・説明板)

 滝山公園説明板(滝ケ原運動場口)(碑・説明板)

 主郭搦手口側公園案内看板(碑・説明板)

 左入城(周辺城郭)

 中山勘解由家範館(周辺城郭)

 左入城 (丸山城)(周辺城郭)

 少林寺(寺社・史跡)

 拝島大師武田信玄本陣(寺社・史跡)

 昭島市信玄堤(寺社・史跡)

 子安神社(寺社・史跡)

 御嶽神社(寺社・史跡)

 平の渡し(寺社・史跡)

 市民センター内入口(スタンプ)

 道の駅滝山内(スタンプ)

 スタンプ置き場(スタンプ)

 中の丸トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 滝ヶ原運動場第三駐車場(駐車場)

 桑都日本遺産センター八王子博物館(関連施設)

 滝山城址入口(その他)

 専国谷戸からの登城路(その他)

 かまくら道(その他)

 かまくら道(その他)

 かまくら道(その他)

 鎌倉道(その他)

 鎌倉道(その他)

 鎌倉道(その他)

 古甲州道(その他)

 古甲州道(その他)

 古甲州道(その他)

 古甲州道(その他)

 古甲州道(その他)

 鎌倉道(その他)

 古・川越道(川越〜当麻)(その他)

 古・川越道(川越〜当麻)(その他)

 古・川越道(川越〜当麻)(その他)

 古・川越道(川越〜当麻)(その他)

 古・川越道(川越〜当麻)(その他)

 古・川越道(川越〜当麻)(その他)

 古・川越道(川越〜当麻)(その他)

 古甲州道・古川越道の交点(その他)

 古・川越道(川越〜当麻)(その他)

 鎌倉道(→高月方面へ・ほぼ消滅)(その他)

 滝山公園北側園路(その他)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore