網代城(あじろじょう)
網代城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 東京都あきる野市網代
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 青木氏、貴志氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、堀切、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
戸吹城(東京都あきる野市)[3.3km]
戸倉城(東京都あきる野市)[4.1km]
浄福寺城(東京都八王子市)[5.5km]
小田野城(東京都八王子市)[6.0km]
二宮城(東京都あきる野市)[6.4km]
高月城(東京都八王子市)[7.0km]
八王子城(東京都八王子市)[7.6km]
滝山城(東京都八王子市)[8.0km]
勝沼城(東京都青梅市)[8.8km]
檜原城(東京都西多摩郡)[9.0km]
網代城の解説文
網代城の口コミ情報
2022年09月17日 ファン掃部助トム治郎
網代城
秋川駅から滝山街道を南へ。根古屋城を経由し、秋川丘陵を西へ。雹留山、重忠の駒つなぎ石。古甲州道と一致したルートですが私は、東電の鉄塔管理路を通り五日市GCへ。再度北へぬけ古甲州道と合流して網代弁天山へ上り網代城を歩き高尾神社へ下山。武蔵五日市まで。4時間くらい。
2022年06月05日 うっきー
網代城
武蔵五日市駅から歩いて登城。Googleマップに従って歩いていたら、結局一つ前の駅で降りた方がよかったことが判明。弁天山経由して歩いたのですが、後からこちらが大手道であることが分かり結果オーライではありました。城の曲輪跡には説明板が建てられています。
2020年08月26日 マイ兵庫助リバ【人間豚骨】
網代城
解説板より↓
『網代城跡
15世紀中頃、農山村の地侍(武士)達は山村民らの指導者として各地に村単位の自営権力を保持し「南一揆」と呼ばれる武装集団を成立させていた。この山城は、そうした者達によって利用されていたと考えられてる。この様な小規模な山城は、村人らの兆散(領主の重税などからのがれる)の場としても使用されていた。16世紀中頃、八王子の滝山城に入城した戦国大名北条氏照により南一揆は解体し、網代城は滝山城の支城として再び役目を果たしたと考えられている。』
2015年06月28日 やまと相模守
阿伎留城[網代城 周辺城郭]
城基本情報では、三内神社が比定地。神社はJR五日市線の向こう側にあり、線路を渡ったところに駐た1台分のスペースはあるが、とめずらい雰囲気。神社も城郭も広くないので短時間なら可能か。
2010年06月28日 マイ兵庫助リバ【人間豚骨】
阿伎留城[網代城 周辺城郭]
阿伎留城だけに3分も居れば「飽きる」でしょうから、別ネタを。約500m東にある大悲願寺は、かの独眼竜・伊達政宗が鮎漁で秋川渓谷に来た時に立ち寄った場所です。
その際、庭に咲く白萩を一株所望したそうですが、このエピソードがなければ、銘菓「萩の月」は、この世に存在していなかったかも。ちなみに、政宗が立ち寄ったのは大悲願寺に弟が在山していたからであり、この人物が政宗に斬られたはずの小次郎であるとも云われています。
2010年06月28日 マイ兵庫助リバ【人間豚骨】
阿伎留城[網代城 周辺城郭]
三内神社周辺が城跡ですが、明確な遺構、石碑、解説板・・・いずれも存在しません。拝殿の画像を撮影しようとしたら、中から「ガサガサッ」っと物音が。一瞬、「敵襲」かと思いましたが、右横に回り込むと、破れた屋根に2匹のイタチが住み着いているのが見えました。
網代城の周辺スポット情報
横沢入からの阿伎留城登り口(碑・説明板)
別れ道説明(碑・説明板)
石山ノ池(碑・説明板)
三内神社(天竺山)案内(碑・説明板)
三内神社本社(碑・説明板)
鎌倉古道・石碑(碑・説明板)
阿伎留城(周辺城郭)
三内神社(寺社・史跡)
畠山重忠・駒繋ぎ石(寺社・史跡)
鎌倉街道・山ノ道(その他)
鎌倉街道・山ノ道(その他)
鎌倉街道・山ノ道(その他)
鎌倉街道・山ノ道(その他)
鎌倉街道・山ノ道(その他)
鎌倉街道・山ノ道(その他)
鎌倉街道・山ノ道(その他)
鎌倉街道・山ノ道(その他)
鎌倉街道・山ノ道(その他)
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古甲州道(その他)
古甲州道(その他)
古甲州道(その他)
古甲州道(その他)
古甲州道(その他)
古甲州道(その他)
登城口(その他)
登城口(その他)
重忠橋(その他)