戸倉城(とくらじょう)

戸倉城の基本情報

通称・別名

小宮城、大石定久隠居城

所在地

東京都あきる野市戸倉328-1

旧国名

武蔵国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

小宮憲明

築城年

戦国時代

主な改修者

主な城主

小宮氏、大石氏?

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸

指定文化財

都史跡(戸倉城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

網代城(東京都あきる野市)[4.1km]
檜原城(東京都西多摩郡)[4.9km]
戸吹城(東京都あきる野市)[7.4km]
浄福寺城(東京都八王子市)[7.5km]
小田野城(東京都八王子市)[8.6km]
八王子城(東京都八王子市)[9.5km]
辛垣城(東京都青梅市)[9.9km]
勝沼城(東京都青梅市)[10.4km]
二宮城(東京都あきる野市)[10.4km]
高月城(東京都八王子市)[11.0km]

戸倉城の解説文



戸倉城(とくらじょう)は、武蔵国多摩郡西戸倉城山(東京都あきる野市)にあった日本の城。都指定史跡。

概要 

戸倉城は、小宮氏により築かれた山城。両上杉氏が没落すると後北条氏の支配するところとなったが、この際、北条氏に家督を譲った大石定久が隠居の地として戸倉城を選んだと伝わる。

歴史・沿革 

  • 戦国時代、上杉氏の庶流で、武州一揆の主要構成員であった小宮氏により築城されたと伝わる。
  • 天文15年(1546年)、後北条氏から養子を迎え家督を譲った大石定久が、戸倉城に移り隠居したと伝わる。
  • その後の戸倉城に関しては詳らかではないが、八王子城の支城として小田原征伐まで維持され、同戦役後廃止されたものと考えられている。
  • 平成5年(1993年)、都史跡に指定される[1]

構造 

臼杵山から東に延びる尾根先端の独立性の高い峰上に占地し、秋川と盆堀川により刻まれた深い谷が三方を巡る天然の要害である。

山頂には東西二つのピークがあり、それぞれに郭が設けられている。東の郭郡の方がより大きな地積を持ち、また、枡形を備えるなど構えも厳重である事から、こちらが主郭部として用いられていたものと考えられている。

考古資料 

遺構

山上に郭、堀、及び土塁が良く残る。また、主郭部北方に井戸跡が残る。

戸倉城の口コミ情報

2023年04月01日 いれぶん武蔵守
三嶋神社文化財案内表示・石碑[戸倉城  碑・説明板]



本殿に関して大石定久や小宮上野介の事績を伝える他、所蔵する後北条氏虎印文書や南一揆文書を紹介する案内表示と、南一揆の石碑があります

2023年04月01日 いれぶん武蔵守
光厳寺公衆トイレ[戸倉城  トイレ]



男女別公衆水洗洋式トイレ。洗面あり。使い易い

2023年03月31日 いれぶん武蔵守
トイレ[戸倉城  トイレ]



主郭より少し下(二の郭?)に男女別公衆トイレがあります。水道無し・ポットンタイプです

2023年03月29日 いれぶん武蔵守
登城口[戸倉城  碑・説明板]



公民館脇に手頃な駐車場はありますが、関係者以外乗り入れ禁止になっています。城跡看板は2種類あり、1つは中田正光先生作図・分析の縄張図付きの物です

2023年03月17日 いれぶん武蔵守
ほうとう佐五兵衛(松姫伝承)[戸倉城  その他]



割箸入れにもう少し詳細な伝承が記されている。恩方では陣馬街道を通り避難して来たとされていて、こちらのものとは矛盾しているわけではないが、違いは感じられる。

「五日市ほうとう」の由来
 天正十年(約四百年前)武田勝頼は、天目山に敗れ武田家は滅亡した。此の折、勝頼は、妹松姫を八王子に落した。松姫一行二十数人は檜原村、浅間尾根道、白杵山道、小坂志道などを経て恩方、八王子方面へ逃れたと云われる。
 松姫を無事送った一行の一部は、檜原村を中心に散々吾々落ちついたと思われる。彼等一行は、檜原村に土着すると共に、地域社会に影響を及ぼした。特に食生活文化においては、信玄の陣中食と云われた「ほうとう」が伝えられ祝事、節の日などにはどこの家も「うどん」を打ち、季節の野菜、狩猟による肉などを入れて、味噌仕立て、塩仕立て、で食したものである。しかし後々は醤油の普及により、醤油仕立てに変わったようである。
 五日市、檜原につたわる十六世紀の伝統ある食文化を再現し、地域地場産業である猪豚養殖により生れた野性味あるうまみを調和させ「五日市ほうとう」と銘打って御賞味頂く次第でございます。
五田市ほうとう佐五兵衛
URL http:/www.sagohei.jp
E-mail sagohei@hkg.odn.ne.jp
でんわ042-596-0445

2023年03月03日 いれぶん武蔵守
五日市郷土館[戸倉城  関連施設]



城巡りファンにとっての目玉となると、やはり戸倉城の推定復元図と模型ですが、鎌倉公方足利持氏の恩賞状や後北条家文書もあり、楽しめます。トイレ・駐車場有り。真向かいに古民家、直ぐ近所に鎧塚(伝小山田信茂墓)があり、いにしえを纏めて偲ぶ事も可能です

2023年03月03日 いれぶん武蔵守
ほうとう佐五兵衛(松姫伝承)[戸倉城  その他]



五日市ほうとうの由来
天正十年、武田勝頼が天目山に敗れ武田家が滅亡した折、妹松姫は八王子方面へと逃れました。その松姫を送った一行の一部が檜原村を中心に定住し、信玄の陣中食と言われた「ほうとう」を、五日市、桧原村へ食文化として伝えたと言われます
(佐五辺衛HPより)

2023年03月03日 いれぶん武蔵守
鎧塚(伝小山田信茂の墓)[戸倉城  碑・説明板]



石碑裏面に
"岩殿城主 小山田信茂 同信光
二代の霊の塚と伝わる"
昭和の建立ですが衝撃的伝承です 近くに松姫一行から分かれてこの地に定着し、故郷の料理を今も伝えるとしている"ほうとう料理店"がありますが、そうした方々が故人を偲んだものかもしれませんね。信光さんの名は他では出てこないと思いますが、父親と共に処刑された嫡子ならば当時八歳です

2022年12月03日 摩免戸の蓮華各務弾正大弼
十里木バス停(登城口)[戸倉城  その他]



こちらからの登城、始まりは竹藪が素敵。しかしその後は下から見える鉄塔までは中々の傾斜のある山道。鉄塔の下を潜って出丸方面から本丸へ登城できます。

2022年07月18日 徳賀Y絵康安房守
戸倉城



武蔵五日市駅から西戸倉のバス停まで歩き、そこから山道を30分程登りました。山道には、ところどころに「城山」という看板あり、それに沿って登るため、道に迷うことはありませんでした。城山の山頂が戸倉城の本丸跡となっていて、遠くまで見渡すことができます。ちなみに城山山頂の標高は434.1mだそうです。

2022年02月23日 ルカ兵部卿
戸倉城



檜原街道のバス停から20〜30分登ったら山頂です。その山頂が城跡です。五日市線沿線が眼下に広がり、都心まで見渡せます。

2022年01月23日 せなっち勘解由長官
駐車場[戸倉城  駐車場]



3つのリア攻め道があるようです。
自分は戸倉しろやまテラスに車を停めて北上し、道標を左折して西南に向かう道を選択しました。
光厳寺からの道は崖を登るような険しい道があるようです。
また、十里木バス停からの道は比較的緩やかに登れるようです。
ちなみに、登りは30分程かかりました。また、戸倉しろやまテラスは小学校を改装した建物で、ランチも食べられます😋

2021年10月03日 nirl雅楽允
戸倉城



光厳寺から登り、十里木に下りました。登りは岩山、急峻な尾根、蜘蛛の巣に苦戦。下りは滑りやすい土のため何度か転びかけました。地図で光厳寺のところが通行止になってますが、実際に通行止なのは寺から東?へと下りる山道なので、城行きには影響ありません。

2021年06月11日 右近衛少将シエラ
戸倉城

戸倉城をリア攻めして見て、なかなかハードな路面で史跡状況を確認できませんでした。山頂にある城の説明図も、想像図と書いてあり、城を手入れし管理して、見学できる状況を作るのは、大変な事業だと思いました。 

2021年05月11日 マークⅡ左衛門督政宗
戸倉城



西東京バスで、西戸倉バス停下車。グーグルマップを頼ったが間違いで、光厳寺経由で登城を目指したら急坂の連続。最後は、崖を四つん這いになって、やっと山頂。バス停を降りたら、「戸倉運動場」の看板を左に進めば、「城山」の案内板が見えますので、後は案内板通りに進めば安全に城巡りが出来ます😃

2020年11月07日 フー甲斐守
十里木バス停(登城口)[戸倉城  その他]



十里木側の登城口です。坂を上がっていくと、突き当たりの民家の少し手前に登城口があります。

2020年11月07日 フー甲斐守
十里木駐車場[戸倉城  駐車場]

トイレあり、24時間です^o^
夏は車中泊の方、キャンプの方で混むかもしれません。11月でも結構停まってました。

2020年08月19日 いれぶん武蔵守
戸倉城



五日市警察署の裏手にある[五日市郷土館]で戸倉城のジオラマなどが拝見できます。無料。駐車場やトイレの利用が出来ます。

城の麓の光厳寺に戸倉城の説明文(2種類)があります。2020/6月時点で通行止め継続中。大石氏隠居となったこの地からは東京が一望に納められる。

2020年01月26日 駿河守じゅんじん
戸倉城



2020年1月25日現在で光厳寺にある登城口にて土砂崩れのため閉鎖中でした。来年再チャレンジします😢。
でも近くのお蕎麦屋『小春日和』はめちゃ美味しい。

2016年08月24日 カーネル
戸倉城

五日市線の武蔵五日市駅から、バス通りを西へ

バス通りは歩道も広く歩きやすいです。登山口がある光厳寺へ30分で到着
門の外に城の案内板があります。案内板から西方向に進むと指導標があります

南から尾根を登ります。傾斜はキツメですが、20分くらいで登れます。山頂の本丸からは、眺めがよかった

そのまま200m先の出丸へ。出丸は藪に覆われ、何も無いように思えました
帰りは反対側の十里木方面に下山。山頂の鳥瞰図によれば、途中に竪堀があるようですが、こちらも藪でわからず

鉄塔を2つくぐり西へ下山。ここにバス停があるのでバスに乗るつもりが、1時間待ちだったので駅まで歩いて戻りました
トータル2時間半くらい

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです


2015年06月28日 やまと相模守
戸倉城

檜原街道を東京方面から向かうと少し遠くから、急峻な魔女の帽子のような扇の勾配のある山が見えます。
あれ登るんだったら、ちょっと嫌だなくらいの感じですが、まさにそれが城山です。十里木にいく手前に駐在所とバス停があります。そこを左に曲がると道沿いにわかりづらいですが、城山という標識がでます。それに沿って二股を右にいって突き当たりが、麓です。自治館の駐車場がありますが、利用者のみ駐車可能性なので車を止める際は、ひとこえかけた方がよいと思います。
城自体やはり急峻で、かなりしんどいです。標高も400m以上あり、比高差もかなりありそうです。麓の地図代わりと本丸の地図が違い、山頂の本丸の地図には曲輪がわかるので、それを楽しみに登るしかないです。
景色は、新宿まで見渡せ、北条氏が武田氏の進行に備えて、檜原城の中継城として築いたことを偲ばせ、感慨深いです。

戸倉城の周辺スポット情報

 本丸の説明文(碑・説明板)

 登城口・説明板(碑・説明板)

 登城口(碑・説明板)

 鎧塚(伝小山田信茂の墓)(碑・説明板)

 三嶋神社文化財案内表示・石碑(碑・説明板)

 トイレ(トイレ)

 十里木公衆トイレ(トイレ)

 光厳寺公衆トイレ(トイレ)

 十里木駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 光厳寺駐車場(駐車場)

 五日市郷土館(関連施設)

 十里木バス停(登城口)(その他)

 古甲州道(その他)

 古甲州道(その他)

 古甲州道(その他)

 古甲州道(その他)

 古甲州道(その他)

 ほうとう佐五兵衛(松姫伝承)(その他)

 光厳寺側登城口(その他)

 登城分岐点(その他)

 急坂表示(その他)

 主郭前の岩場(その他)

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