辛垣城(からかいじょう)

辛垣城の基本情報

通称・別名

西城

所在地

東京都青梅市二俣尾4-1025

旧国名

武蔵国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

三田綱秀

築城年

永禄年間(1558〜1570)前期

主な改修者

主な城主

三田氏

廃城年

永禄6年(1563)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(辛垣城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

勝沼城(東京都青梅市)[5.2km]
藤橋城(東京都青梅市)[7.3km]
今井城(東京都青梅市)[8.5km]
阿伎留城(東京都あきる野市)[8.6km]
戸倉城(東京都あきる野市)[9.8km]
中山家範館(埼玉県飯能市)[10.7km]
檜原城(東京都西多摩郡)[11.8km]
戸吹城(東京都あきる野市)[12.0km]
二宮城(東京都あきる野市)[12.7km]
高月城(東京都八王子市)[14.2km]

辛垣城の解説文

辛垣城(からかいじょう)は、東京都青梅市にあった日本の城。青梅市指定史跡。

概要
三田氏により築かれた山城。上杉謙信の関東侵攻後後北条氏を離れ上杉方に付いた三田氏がその峻険な地形を頼んで拠り、名族三田氏の終焉の地となった。

歴史・沿革
永禄年間初期、三田綱秀によって築かれた。ただし、永禄年間以前より存在したという説もある。
永禄3年(1560年)の上杉謙信関東出兵後、城主の綱秀は後北条氏を離れ上杉方に付いた。
永禄4年(1561年)の上杉氏撤兵後、後北条氏と対立した綱秀が勝沼城から居を移した。
永禄4年(1561年)〜永禄6年(1563年)頃、北条氏照に攻められ落城した。

構造
雷電山から延びる尾根上に聳える、独立性の高い円錐形様の辛垣山山頂付近に郭を重ねる。北方を除く三方の尾根上には郭が認められ、特に南に延びる尾根上には馬洗い場と呼ばれる比較的大きな郭が設けられている。

考古資料
遺構
山頂付近に郭、空堀、土塁、縦堀等の遺構が残るが、江戸期以降採石場として利用されたため、一部遺構は旧態を失っている。

観光
アクセス
JR二俣尾駅下車。...

辛垣城の口コミ情報

2021年02月23日 中務卿一之介
辛垣城



御城印を2021年3月28日まで、青梅市吉川英治記念館にて来館アンケートの回答者全員に無料で配布しています。月曜日は休館。

2021年01月29日 三輪左近衛少将直虎
リュウガイ城[辛垣城  周辺城郭]



リュウガイ城は飯能市内では屈指の山城だと思います。唐竹橋のバス停から原市場へ抜ける峠道へ登り切通しにある高圧鉄塔の保全道から尾根を歩くのですが、ここからアップダウンがきつい山道を1時間ほど歩かねばなりません。
登っては下りの繰り返しで嫌になりますが急傾斜の山道を登ると唐突に堀切と出会います。そこから腰郭を経て主郭へと着きます。案内板もなくほとんど人が訪れることもない山城ですが道は明確で遺構はよく残っています。主郭と二の郭に残る土塁は立派なもので木々に邪魔されていますが堀切も大きくて迫力がありました。最近は地元の人たちが登山道を整備して道標なども設置してくれたおかげで北側から登れるようになっています。

2020年11月25日 秋山縫殿允紅守
辛垣城



東京都青梅市の山城で、ハイキングコースとして整備されています。健脚者は青梅駅下車して山上のグラウンドからハイキングコースに入れます。最短コースは二俣尾駅からハイキングコースに入る方法で2時間もあれば駅に戻って来られます。二俣尾から山側を見上げて見える墓地のある所が長泉院で、まずここを目指します。長泉院の門を左手に通り過ぎて直進すると西林道に出ますからここが入り口です。林道を登ってしばらくするとやっと案内板がありほっとします。ここからは迷う事はありません。途中の2又で辛垣山方面とハイキングコース方面に分かれていますが、帰りは左から下りてくる事にして右のハイキングコース方面に登ります。そこそこアップダウンがあって面白いです。東京の山と侮るがなかれ、気を緩めると谷底へという場所が結構あるので滑らない靴で登りましょう。城跡は杉に囲まれていますが昔は遠くまで見渡せたであろうと想像できます。3キロ青梅方面へのハイキングコース上に矢倉台という見晴らし台があります。

2020年09月30日 3000ロス征夷大将軍マイリバ
楯の城[辛垣城  周辺城郭]

『新編武蔵風土記稿』や『武蔵名勝図絵』によると、田辺清右衛門やその子孫が住んだ場所と伝えられています。
それぞれの地誌の中で、移住時期や経緯について説明が若干異なっているため、詳細は明らかになっていません。
東方の勝沼城と西北の辛垣城、桝形山城の中間におる楯の城は、番所や狼煙等の合図の中継点になったと考えられています。

企画展 中世青梅の城館跡 ~静かに眠る杣保の城~ パンフレットより

2020年08月25日 3000ロス征夷大将軍マイリバ
矢倉台[辛垣城  周辺城郭]

解説板より↓
『市指定史跡物見櫓(矢倉台)
青梅地方、かつての杣保(そまほ)に拠点を置いた豪族三田氏は、代々、市内東青梅の勝沼城に居住していたが、北条氏照の八王子滝山入城による多摩地方の情勢の変化をうけ、永禄年間(1558~1569)の初め頃、二俣尾の辛垣山(からかい)に城を築いたといわれる。物見櫓(矢倉台)は、この辛垣城(別名西城)から南東約三キロメートルに位置し戦略上重要な物見の場所であったという。「武蔵名勝図会」には「柵跡、ここには二俣尾の城より峰続き、三田氏居城のころ、この山に砦を構えて遠見の地なりしゆえ、この地をまた櫓台という」と書かれている。
昭和四十六年十一月三日指定 青梅市教育委員会』

2018年04月30日 三ツ鱗▲アマビヱ⑦
辛垣城

車でリア攻め…と思いきや、近くに有料無料の別無く駐車場はありません。路駐するスペースもありません。青梅線を利用し、二俣尾駅下車での攻城が宜しいかと。

2017年07月10日 カーネル
辛垣城

城へのルートは沢山ありますが、一番近い。と思う青梅線の二俣尾駅から

北にある長泉院から登山道があるのですが、駅の北西の道へ行ってしまい、道がわからずウロウロしてたら地元のおじさんが声を掛けてくださり、それに従ったら伐採の林道の分岐に2回くらい騙されて行ったり来たりをしながら、尾根を直登すると鉄塔作業の整備道に合流し、さらに尾根を登り続けると、雷電山と辛垣城の間の道に出れました

少し進むと、二俣尾駅への看板。おじさんが教えてくれた道はこれか?と思いつつさらに東進

山の斜面を削った高低差のない道を進むと城の案内があるので、それに従い山頂を目指す

頂上はハイキングの人でにぎわってました

帰りは道標に従って尾根を下り長泉院に出ました。こっちから来てれば迷わなかったと思います

荷物が軽かったこともあり、1時間半で駅に帰ってこれました

2013年12月27日 中務卿一之介
辛垣城

城主にも就任していたので、2度目の登城。
去年倒木で通りにくかったところは、片付けられていました。
縄張図付きの説明板へは、主郭跡に行く登り坂ではなく、そのまままっすぐ進みます。この分岐点から5分ほど、ハイキングコース沿いにあります。この説明板の前には、城のものに見える石垣がありますが、残念ながら江戸期から大正期にかけての採石施設の跡です。ただ、これはこれで貴重な遺構だと思いますが…。

今回、主郭跡に行ってとても不愉快になりました。遺構の説明が書かれている説明板に「何も無い!」との落書きがあり、近くの木にも城主の豪族を罵倒した落書きがありました。両方とも同じ輩の仕業と思われます。
こういうことをする奴には、「お城が好き」とか、「武将は○○が好き」などと言ってほしくないです。

2012年11月10日 中務卿一之介
辛垣城

青梅線二俣尾駅が最寄り駅です。ところどころに案内板が立っているので、山道ですが、迷うことはありません。
途中にかなり急で足場が悪い坂道があるので、滑らないように気をつけてください。
でも、主郭跡にたどり着くと、疲れも吹き飛びます。解説にあるように、遺構は分かりにくいですが、約450年前の雰囲気が感じ取れます。

2010年09月06日 3000ロス征夷大将軍マイリバ
辛垣城

杣保(そまのほ)と呼ばれた奥多摩地方の盟主・三田氏と武蔵に進出した新興勢力・後北条氏の最後の戦いの舞台となった城です
後年の採石により、遺構に手が加えられているのが非常に残念ですが、訪れる人も少ない主郭に立ち、土塊だけが知っている東京の片隅で行われた合戦の記憶に触れれば、それなりの充実感を得られるはず
軍畑駅の付近には、討ち死にした両軍の兵を埋葬したと云われる「鎧塚」もありますので、時間があれば立ち寄って手を合わせていってください

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