中山家範館(なかやまいえのりやかた)

中山家範館の基本情報

通称・別名

中山館

所在地

埼玉県飯能市中山496-2他

旧国名

武蔵国

分類・構造

平城

天守構造

なし

築城主

中山氏

築城年

鎌倉時代

主な改修者

主な城主

中山氏

廃城年

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

県旧跡(中山家範館跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

今井城(東京都青梅市)[5.9km]
藤橋城(東京都青梅市)[6.9km]
田波目城(埼玉県坂戸市)[6.9km]
毛呂氏館(埼玉県入間郡)[8.1km]
城山砦(埼玉県狭山市)[8.6km]
勝沼城(東京都青梅市)[8.6km]
辛垣城(東京都青梅市)[10.6km]
根古屋城(埼玉県所沢市)[12.1km]
真福寺城(東京都武蔵村山市)[13.7km]
河越館(埼玉県川越市)[14.0km]

中山家範館の口コミ情報

2022年07月10日 永久楽武蔵守マクシミリアン
中山家範館

国道299号から北側の細い坂道を入った先の住宅地に、小さな表示版が立っている。車でも登れますが、すれ違いも難しく、もちろん駐車場はありません。
そこに説明書(飯能市教委作成)が置いてあり、自由に持ち帰れます。当時の縄張りや、中山氏の歴史などが記してある。

2022年07月08日 内大臣じじ
中山家範館



狭い道なので対向車のない事を祈りながらの道です。現地は石碑と看板ががあるだけですが、解説のプリントがあります。

2022年05月07日 武田陸奥守勝牛
中山家範館



GWリア攻め促進に併せて訪ねました。館跡は完全に住宅地になっており、一角に石碑と案内板があるのみ。が、直ぐ隣に中山氏菩提寺『常寂山蓮華院智観寺』があり、見応えありました。中山家範は、八王子城籠城戦で北条氏照配下として討死、その子中山信吉は徳川家臣となり、御三家水戸藩の家老を勤めた人物。その信吉を初代として、境内には代々の墓石が林立しています。当山の歴史をまとめた資料と納経印を頂きました。訪ねた際はオススメします。館跡は駐車スペースは無いのでご注意を。

2021年12月14日 くるみ丸
中山家範館



綺麗な掲示物あります その横にあるのは、空堀の跡?史跡は残ってなさそう

2021年05月07日 武蔵守与作兵衛
中山家範館



写真の石碑と説明板の奥に遺構の土塁があるようですが、住宅の敷地のような雰囲気だったのでそれ以上入り込むのは遠慮しました。周辺も住宅地になっていて、残念ながら当時の館の面影はほとんどありませんでした。

2021年02月05日 eiki
大河原城[中山家範館  周辺城郭]



標高246メートルの龍崖山の山頂にあった城飯能駅から車道を20分進むと龍崖山公園入口に至る、そこから良く整備された山道を行きました。山頂付近で切通となっている虎口があります。山頂は平場で郭になっています。説明板、ベンチのある、憩いの場で南側に堀切があります。山頂からは飯能の町、越上山、天覚山など奥武蔵の山が眺められます。

2021年01月21日 三輪左近衛少将直虎
大河原城[中山家範館  周辺城郭]

丹党大河原氏の詰め城とされる山城です。軍太利神社からわかりやすい登山道があり、近年は地元有志の方々により整備がされています。特に南側の堀切は見事な遺構です。眺望も素晴らしいですが、周辺の開発により少しずつ秘境飯能らしさが失われてきたのが残念ですね。

2019年05月13日 野呂利左衛門督休三
飯能河原[中山家範館  その他]



入間川の上流で伐採された材木は筏にして江戸に運びました(そのため西川材と呼ばれます)。この辺りから川幅が広がるので、ここで筏をつなぎ合わせていました。中世の頃は解りませんが、木材と入間川の水運がこの辺りの武士の経済基盤になっていたのではと想像してしまいます。

2019年05月13日 野呂利左衛門督休三
出世稲荷神社[中山家範館  寺社・史跡]



神社自体は中世とは関係ないかもしれませんが、丹党の武士の判乃(はんの)氏の館の鬼門に当たる場所にあるそうです。

2019年05月13日 野呂利左衛門督休三
飯能丹生神社[中山家範館  寺社・史跡]



丹生神社は丹党の祖の丹治武信が紀伊より勧請したと言われています。元々は中山家範館の西、智観寺の北にありました。由来の説明板によればここには元禄の頃に遷ったとされます。
加治神社では明治四十(1907)年に丹生神社を合祀したとありますから、分祀なのでしょうか?

2019年05月12日 野呂利左衛門督休三
諏訪八幡神社[中山家範館  寺社・史跡]



諏訪八幡神社の境内にある飯能恵比寿です。
中山家範の夢に大日如来が現れ、裏鬼門に不吉があることと、恵比寿を祀ることで不吉を取り除き、後世に名を残す子を授けることを告げたそうです。
家範は照守と信吉を授かりますが、照守は徳川家康に仕えて二千五百石の大身の旗本に、信吉は徳川家康から水戸城主の頼房の附家老に任じられ二万五千石を領しています。


2019年05月12日 野呂利左衛門督休三
諏訪八幡神社[中山家範館  寺社・史跡]



永正十三(1516)年に加治房菊丸による勧請と伝えられます。社殿向かって左手に黒い石碑がありますが、それには中山家範の父である家勝となっています。

2019年05月12日 野呂利左衛門督休三
軍太利神社[中山家範館  寺社・史跡]



軍荼利神社とも。鎌倉時代初期の建仁二(1202)年に大河原四郎という地元の武士が創建。この神社から山に登っていくと大河原城という小さな城に辿り着きます。
そばにある八耳堂は聖徳太子を祀るお堂で平安時代末期の保元元(1156)年の創建です。

2019年05月12日 野呂利左衛門督休三
黒田直邦墓[中山家範館  寺社・史跡]



沼田城主の黒田直邦は中山家の出身です。旗本中山家の初代の中山照守(家範の長男)の曾孫に当たります。
母方の祖父の黒田用邦の養子になりますが、用邦は徳川綱吉が館林城主の時の家老で、直邦はその関係で綱吉に仕え、下館城主を経て沼田城主になります。八代将軍の吉宗の時には寺社奉行や西の丸老中にもなっています。
飯能一帯は宝永四(1707)年から直邦の知行になっています。黒田家は次の直純(養子。実父は駿河田中城主の本多正矩)の時に久留里城主になりますが、そのまま幕末まで飯能を知行しています。

2019年05月12日 野呂利左衛門督休三
十六羅漢[中山家範館  寺社・史跡]



徳川五代将軍の綱吉が病気に罹った時、その母の桂昌院の諮問を受けた黒田直邦は能仁寺の和尚を推挙します。祈祷の末、快挙したことから桂昌院がここに十六羅漢を奉納しました。それまでは山頂に愛宕神社があったことから愛宕山と呼ばれていましたが、この時から羅漢山とも呼ばれるようになりました。
なお天覧山の名前は明治時代に飯能で行われた演習を明治天皇がこの山から観閲したことに因ります。

2019年05月12日 野呂利左衛門督休三
能仁寺不動堂[中山家範館  寺社・史跡]



能仁寺は元禄の頃、沼田城主の黒田直邦によりその菩提寺になっています。その五代後の久留里城主の黒田直方が奉納した不動明王が祀られています。

2019年05月12日 野呂利左衛門督休三
中山家三代墓[中山家範館  寺社・史跡]



墓地の東側の通路に沿って中山家の墓域を示すかのように三段で並んでいます。
三代の一番下の段の無縫塔が旗本中山家の初代の照守、その上の自然石のが照守の祖父で能仁寺開基の家勝、さらにその上の自然石のが照守の父の家範の墓です。なお、説明板はさらに通路の階段を数段昇ったところにあります。

2019年05月12日 野呂利左衛門督休三
能仁寺[中山家範館  寺社・史跡]



中山家範の父の家勝が開基となって開かれた寺です。旗本となった照守(家範の長男)の家系の菩提寺です。本堂北側の庭園(拝観料300円)は安土桃山時代の作庭と見られています。
飯能戦争では旧幕府側の振武軍が立て籠もり、灰燼に期しています。
山門からの参道には、戦後の芝公園の開発で各地に移された増上寺の石燈籠が20基並んでいます(飯能中心部では心応寺山門前や観音寺に確認)。

2019年05月12日 野呂利左衛門督休三
智観寺[中山家範館  寺社・史跡]



丹党の祖の丹治武信によって創建したとされる寺で中山氏の菩提寺。
この寺には鎌倉時代の板碑が3枚あります。今はすべて宝物館に収蔵され、県指定有形文化財になっています。うち2枚は中山氏の祖先で加治氏の祖の加治家季の供養のものと見られています。そのうちの一枚の複製を郷土博物館で展示しています。
幕末の飯能戦争では旧幕府側の振武軍が籠もり、被災しています。

2019年05月12日 野呂利左衛門督休三
風軒跡[中山家範館  その他]



信吉の子の信正の霊屋跡。この地域に対しては智観寺や丹生神社の復興、市の創設などを行っています。

2019年05月12日 野呂利左衛門督休三
中山信吉墓[中山家範館  寺社・史跡]



小高い塚の上にある水戸徳川家附家老中山家初代の信吉の墓。家範の次男。八王子城での家範の奮戦に感銘した家康が登用。駿府の大火では水戸徳川家初代となる頼房を救出している。また光圀を水戸家の次代に推挙したのも信吉である。
塚の前にはかつては信吉の子の信正の建てた霊廟があり、今は宝物館(毎年10月最終日曜に公開)にある木牌(林羅山撰文。県指定有形文化財)や信吉の木像が祀られていた。
初代から13代までの中山家墓地は県史跡で、この墓も県史跡で塚には進入禁止。

2019年05月12日 野呂利左衛門督休三
丹生堀[中山家範館  その他]



写真は智観寺の脇を流れる丹生堀。かつては、この堀の水源が中山家範館の西側の障壁となっていたそう。

2019年05月11日 野呂利左衛門督休三
鎮守十二社跡[中山家範館  寺社・史跡]



館の外郭北側には鎮守社があったとか。この地形はその跡なのかどうかはわからない。説明板とかもない。

2019年05月11日 野呂利左衛門督休三
北側の内堀[中山家範館  遺構・復元物]



この場所は堀の内側から外側を見る形です。つまり北側は、現況の地形からすると外郭の方が高いことになります(北側が山なのでそうならざるを得ないのだが)。

2019年05月11日 野呂利左衛門督休三
中山家範館跡説明板・県史跡碑[中山家範館  碑・説明板]



説明板はかなり劣化しています。一応、館の構造を地図で見ることができます。

2019年05月11日 野呂利左衛門督休三
中山家範館跡説明板・県史跡碑[中山家範館  碑・説明板]



説明板と碑のある場所は内郭の北端に当たります。ここの路地を入ると唯一の現存遺構である北側の内堀を見られます。

2019年05月11日 野呂利左衛門督休三
加治神社[中山家範館  寺社・史跡]



この神社は慶長元(1596)年に中山氏家臣の本橋備後新左衛門が勧請した聖天宮が始まりです。明治になって今の社名に改まりました。
ここには明治の合祀政策でいくつかの神社が合祀されましたが、その中で丹生明神と吾妻天満宮は中山氏と縁の深い神社です。
丹生明神は丹党中山家のその丹治武信が紀伊より勧請した神社。吾妻天満宮は河越合戦で敗走する中山家勝(家範の父)が入間川で洪水に遭遇した際に帰還を手助けしたとされます(そのため「導き天神」の異名がある)。
加治神社の参道には3対の石灯籠がありますが、いずれも寛永十九(1642)年に中山信正(家範の次男で水戸徳川家附家老になった信吉の子)が奉納したものです。

2017年05月14日 土塁ルイ
中山家範館

中山家範は北条氏照の重臣で、八王子城を守備し落城、討死しました。
その子孫は徳川家に召し抱えられ、水戸徳川家の歴代家老となり、常陸太田城が廃城後の「太田御殿」を管理しました。

TVドラマ「水戸黄門」の初回で、旅に出たい黄門様に出し抜かれる家老が、中山備前守か山野辺兵庫ということになっています。

車は、中山家菩提寺の智観寺に止められます。
館跡は、案内板と少しの堀跡がある程度ですが、智観寺の歴代墓所と一緒に回ってみるといいと思います。


2011年11月20日 国鉄103系右兵衛督
中山家範館

お寺の名前は智観寺といって、中山家菩提寺らしい。高麗坂東第一番霊場、新四国奥多摩二十八番霊場のようだ。

中山家範館の周辺スポット情報

 北側の内堀(遺構・復元物)

 中山家範館跡説明板・県史跡碑(碑・説明板)

 小瀬戸城(周辺城郭)

 大河原城(周辺城郭)

 中山信吉墓(寺社・史跡)

 鎮守十二社跡(寺社・史跡)

 出世稲荷神社(寺社・史跡)

 能仁寺不動堂(寺社・史跡)

 黒田直邦墓(寺社・史跡)

 智観寺(寺社・史跡)

 十六羅漢(寺社・史跡)

 軍太利神社(寺社・史跡)

 諏訪八幡神社(寺社・史跡)

 飯能丹生神社(寺社・史跡)

 加治神社(寺社・史跡)

 中山家三代墓(寺社・史跡)

 能仁寺(寺社・史跡)

 秩父往還吾野道(その他)

 秩父往還吾野道(その他)

 丹生堀(その他)

 風軒跡(その他)

 飯能河原(その他)

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