中山家三代墓

中山家三代墓([中山家範館  寺社・史跡])

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中山家三代墓の口コミ情報

2024年02月27日 いれぶん武蔵守


飯能市指定史跡
能仁寺中山勘解由三代の墓

飯能市大字飯能一三二九番地
昭和三七年五月一日指定

 中山氏は鎌倉時代の武人加治助季が中山の地に住し、氏を名乗ったのが初めとされる。わけても家勝、家範、照守の三代は、室町末期〜江戸時代初期の戦乱期に郷土の武人として活躍した。また家勝は飯能諏訪神社の勧請や能仁寺の開基、家範はその中興に力を尽くした人として知られている。
 墓地の階段東側に並ぶ三代の墓は、上段より、家勝、家範、照守と縦列に建立されている。
 家勝のものは、高さ一・五㍍、自然石、「能仁寺殿大年全椿大居士」天正元年(一五七三)七月没
 家範のものは、高さ一・四五㍍、自然石、「獅颜院殿本室宗無大居士」天正一八年(一五九〇)六月没
 照守のものは、高さ一・九三㍍、無縫搭、「無相院殿加山宗印大居士」寛永十一年(一六三四)二月没
とそれぞれ刻まれている。

平成一〇年三月
飯能市教育委員会
(説明看板全文)

八王子城の戦いで最も苛烈であったと伝わる中山家範。本人とその父親である家勝と長子で江戸幕府旗本である照守の墓がここにあります。場所は能仁寺本堂西側の門を出て、墓地を山なりに登った東側になります。説明看板はそのちょっと上に掲示されています。

2019年05月12日 野呂利左衛門督休三


墓地の東側の通路に沿って中山家の墓域を示すかのように三段で並んでいます。
三代の一番下の段の無縫塔が旗本中山家の初代の照守、その上の自然石のが照守の祖父で能仁寺開基の家勝、さらにその上の自然石のが照守の父の家範の墓です。なお、説明板はさらに通路の階段を数段昇ったところにあります。

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