毛呂氏館(もろしやかた)
毛呂氏館の基本情報
通称・別名
- 毛呂顕季館、毛呂山城
所在地
- 埼玉県入間郡毛呂山町小田谷鳳谷
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 毛呂李光
築城年
- 鎌倉時代
主な改修者
- -
主な城主
- 毛呂氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)跡
指定文化財
- 県選定重要遺跡(毛呂氏館跡)
再建造物
- 石碑(毛呂顕季館跡)
周辺の城
-
田波目城(埼玉県坂戸市)[2.7km]
中山家範館(埼玉県飯能市)[8.1km]
大築城(埼玉県比企郡)[8.1km]
大蔵館(埼玉県比企郡)[10.5km]
小倉城(埼玉県比企郡)[10.9km]
城山砦(埼玉県狭山市)[11.0km]
菅谷館(埼玉県比企郡)[11.2km]
大堀山城(埼玉県川越市)[11.7km]
高坂氏館(埼玉県東松山市)[11.7km]
青鳥城(埼玉県東松山市)[12.4km]
毛呂氏館の口コミ情報
2024年05月05日 埼玉だ
毛呂氏館
館跡は長栄寺の裏手、笹藪に覆われた小径の先にある狭い墓地の先に、こちらも笹に覆われた場所に名称のみ表示されていました。
曲輪と思われる小規模のエリアがありました。
周囲はほぼ樹木や藪で覆われており、あまり見通しはよくありませんでした。
車は長栄寺の参拝者用の駐車場を使用させて頂きました。
2021年05月16日 マグロ常陸介祐平
毛呂氏館
長栄寺というお寺の裏が城址です。手前には毛呂氏の供養塔があります。毛呂氏館跡と石尊山の分岐点の裏側に土塁らしきが確認できます。植林された山ですが倒木も多く、墓地があったり廃屋があったりと全体を回るのは困難な状況です。毛呂山の市街地にある妙玄寺は毛呂氏の陣屋跡に隣接しており、こちらにも毛呂氏の供養塔があります。
2021年02月16日 eiki
高取山城[毛呂氏館 周辺城郭]
東武越生駅の西側に連なる大高取山から東に延びる尾根の173メートルの峰の上に築かれていた城、麓に鎮座する越生神社から急な山道を登ると奥の院がある山頂に到ります。ここが本郭跡、回りに竪堀2本、二郭、三郭が確認できます。この地域を治めた越生氏の詰めの城として築かれた山城で山の急峻が要害性を高めていることを感じることができます。ここから約20分山道を奥に入ると幕岩展望台があり越生氏の領地が一望できます。
2021年02月01日 eiki
竜ヶ谷城[毛呂氏館 周辺城郭]
JR八高線の毛呂山駅から徒歩で40分位、入口には雷電山登り口の案内板があります。舗装された山道を上がっていくとゴルフ場に遭遇します。開閉式のフェンスを通過し案内にしたがって雷電神社を目指します。標高200メートルの山頂は郭になっており、回りは土塁と切岸で防御されていたことがわかります。毛呂町方面が開かれていて物見も優れた詰めの城であったこともうかがえます。
2021年01月14日 Marky武蔵守
竜ヶ谷城[毛呂氏館 周辺城郭]
西の郭に駐車スペースがあり、そこまで車で行けるようですが、ゴルフ場内の道が判りにくいです。
門を入って左折すると、正面に赤色の塗装(滑り止め)の急坂があるので、そこを上って山を回り込む様に行くとたどり着けます。
2021年01月04日 三輪左近衛少将直虎
竜ヶ谷城[毛呂氏館 周辺城郭]
ゴルフ場の真ん中にある城ですが、本丸跡にある雷電神社への参道は通行可能です。土塁と堀切に竪堀が残り、最近は案内板も設置されました。毛呂氏が立て籠もった毛呂要害は毛呂氏館ではなく竜ヶ谷城と考えられています。
2020年12月23日 【不楽是如何】まつ2左近衛大将
毛呂氏館
先人の口コミ通りでした。お寺の上り坂は意外と険しいです。土塁は結構高いです。登れません。
2020年12月04日 裕太中納言
毛呂氏館
お寺さんの裏にありました。
小さな矢印方向へ行くと
獣道の先に個人のお墓があらわれて、その先に倒木ありの雑木林。
整備されてる訳ではないので、詳しくは解らずです。
2017年01月21日 まー刑部卿
毛呂氏館
県道30号線を埼玉医大側から行くと右手に看板がある。『長栄寺』もしくは『毛呂山霊園』を目印に行くと良い。電車の人は八高線毛呂駅下車すると良い。長栄寺・毛呂山霊園の駐車場を利用。長栄寺山門を潜ると『毛呂氏居館跡』の標柱がある。左手に進み坂道を上ると『毛呂氏墓』が右手に。更に上ると『毛呂氏居館跡』『石尊山』の分岐点があるが右手に折れる。お墓を通り過ぎると居館跡がある。左手には高土塁がありその脇にはだいぶ埋まっているが空堀がみてとれる。ちなみに毛呂城跡(山根城跡)の石碑は『妙玄寺』の先にある踏切(第二大師踏切)の脇に小さい石碑がある。詰城である毛呂要害城は竜ケ谷山にあったが時間がなかったため次回訪れる予定。