毛呂氏館(もろしやかた)

毛呂氏館の基本情報

通称・別名

毛呂顕季館、毛呂山城

所在地

埼玉県入間郡毛呂山町小田谷鳳谷

旧国名

武蔵国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

毛呂李光

築城年

鎌倉時代

主な改修者

主な城主

毛呂氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)跡

指定文化財

県選定重要遺跡(毛呂氏館跡)

再建造物

石碑(毛呂顕季館跡)

周辺の城

田波目城(埼玉県坂戸市)[2.7km]
中山家範館(埼玉県飯能市)[8.1km]
大築城(埼玉県比企郡)[8.1km]
大蔵館(埼玉県比企郡)[10.5km]
小倉城(埼玉県比企郡)[10.9km]
城山砦(埼玉県狭山市)[11.0km]
菅谷館(埼玉県比企郡)[11.2km]
大堀山城(埼玉県川越市)[11.7km]
高坂氏館(埼玉県東松山市)[11.7km]
青鳥城(埼玉県東松山市)[12.4km]

毛呂氏館の口コミ情報

2026年03月30日 マグロ常陸介祐平
高取山城[毛呂氏館  周辺城郭]



越生氏の詰め城とされ、風土記稿では「越生四郎左衛門屋敷跡」として長文で紹介されています。越生氏は、入西三郎大夫資行の子の越生三郎有行を初代とする児玉党の武士で、吾妻鏡では生越氏として頼朝上洛の随兵や宇治川の合戦にその名が見られます。また、屋敷の名前の越生四郎左衛門は、太平記で北畠顕家を討ち取った武士として登場します。地元法恩寺に伝わる文書(主に寄進関係、前田利家の禁制も)によると文明18年(1486年)を最後に中世越生氏の名は見られなくなります。風土記稿では、今に於いては正しい子孫もなく、且つ確かな家系も伝わらないとしており越生氏の戦国期の動向派不明です。お城は戦国期のものとする見解もあるようですので、文献に残らない越生氏が関連したのか、越生氏に変わって戦国期に法恩寺の文書に現れる難波田正直、善銀などが関係したのかもしれません。

お城へは、居館跡ともされる越生神社の背の登城口から登ります。つづら折りの山道を登ると10分も掛からずに主郭に到達します。主郭には越生神社の奥社が建ち、西に向かって2郭、3郭と段々に郭が並びます。3郭の南側には横堀があり、横堀が途切れる場所からは薄めの竪堀が確認出来ます。3郭の先にはハイキング道の分岐点となっていますが、その先は尾根道となっており、堀切の跡のようにも感じられます。

越生神社は居館跡としてGoogleマップに位置登録もされていますが、当の越生神社の説明板には東に200m程の絹会館が立つ一画が居館跡としています。近隣の同族岡崎氏や黒岩氏の居館が山の斜面近くに築かれていることから、個人的な感想ですが、越生神社付近が居館のような印象です。

2026年03月29日 マグロ常陸介祐平
岡崎四郎三郎有基館[毛呂氏館  周辺城郭]



越生氏館とされる越生神社から北に約500m、越生氏の分家岡崎氏の居館です。現在は岡崎氏の守り本尊を祀ったと伝わる岡崎薬師が建っています。

岡崎氏は越生有平の三男有基を祖とし、鎌倉時代末期になると石見の加志岐別府に移住し、南北朝期には北朝方として活躍したことが確認できるようです。

鎌倉時代の館跡ということもあり、遺構らしきは見られませんが、説明板は充実しています。立地的には谷戸式の居館だったように思えます

2026年03月28日 マグロ常陸介祐平
斎藤氏館[毛呂氏館  周辺城郭]



斎藤氏の館となります。風土記稿に記載はありませんが、入間郡誌には、「平山氏居跡、平山の西部、古宮明神に近く、土居の稍長方形に連続せる処あり、土人称して堀内と謂う、今は斎藤氏の居となれり。」とあるようです。所領役帳の平山領主の平山氏の館ということでしょうか。斎藤加賀守の孫の富治が、松山城落城後に平山に入ったとするものもあるようですが、平山氏の後に斎藤氏が居館したということでしょうか。館跡には今も斎藤さんがお住まいのようです。

人がお住まいなので、南側から眺めることしかできませんが、高さのある土塁が残り、お宅の入り口は、虎口を利用されています。お隣(150m程東)の村田氏館同様、方形単郭の館と思われます。

2026年03月28日 マグロ常陸介祐平
村田氏館[毛呂氏館  周辺城郭]



風土記稿の滝野入村の項に、「旧家者和藤次・代々名主を勤む、大野を氏とす。北条の後胤と伝へて系図を所蔵せり。是を見るに、平氏国より北条久太郎氏宗、安房守氏重、大炊助照重或は民部とも云、照重より佐渡守序重、玄蕃福重、五郎兵衛政成、利兵衛積重と続き、是より今の和藤次に至り九代なり。大炊助照重は小田原北条氏直に仕へ故ありて氏直より大野を名乗るべき由の命あり、故に大野を以て苗字とす。其頃は小田原に居りしが何の頃か武州八王子に移住し、夫より又当郡の内毛呂郷平山村に移り屋敷を構え居住せしが、又そこをば村田和泉守と云ものに譲りて佐渡守代に今の村に来住して和藤次に至る。平山村には堀の内屋敷とて今屋敷跡あり。前に云系図誤多きものにて信じがたけれども伝のままを出す。文書一通を蔵せり。天正十八年七月五日、大野佐渡守重久は、大野玄蕃に判物を与え、松田尾張守逆心により誅され、明日一戦をするとの行為を褒める。此文書の名佐渡守は玄蕃の父なるべけれども名乗異同あり疑し」とあり、系図は疑わしいものの北条氏の後胤と伝わる大野氏の館に、後から村田氏が住んだとしています。風土記稿の滝野入村の項には、村田和泉守は家康の関東入国後に上野国から来て住んだとしていることから、北条氏の滅亡を境に館主が入れ替わったことになります。北条氏の所領役帳によると、平山の地は他国衆の平山善九郎16貫700文となっており、大野氏は平山氏の寄子ということでしょうか。

なかなか遺構が見える場所が見つからず、西側の集会所の隙間から覗かせていただきました。遺構としては、高さは低いものの土塁がL字形に残っています。また、今回確認出来ていませんが、北側にも一部が残るようです。方形単郭の館と思われますが、広さを感じます。150m程西には、斎藤氏の館があります。

2026年03月27日 マグロ常陸介祐平
山根城[毛呂氏館  周辺城郭]



吾妻鏡に登場する毛呂冠者季光の子孫の毛呂氏のお城で、別名を毛呂城と呼ばれます。鎌倉時代以降も断続的に毛呂氏の名は散見され一貫してこの地域に居住したようで、1km程南の小田谷には登録城である毛呂氏館があります。毛呂顕季は始め山内上杉氏に従い、後に北条氏に従っています。大永4年(1524年)には上杉氏の攻撃にあい、詰めの城である竜谷山城に籠ったとされています。小田原の役では顕季の子の秋重(顕繁?)は八王子城に籠り討死しています。子孫は旗本として200俵と分家も姓を大谷木と変え200俵の旗本となり存続しています。

山根城に隣接する妙玄寺は天文3年(1533年)に毛呂顕季夫人の創建で、毛呂氏館に隣接する長栄寺の二世和尚を開山とし、墓域には毛呂氏の墓があります(写真2~5枚目)。

お城は妙玄寺から八高線を渡った南東側で、小字は現在も「堀ノ内」のようですが、住宅地となり遺構は残っていません。踏切の脇には小さな石碑が立っています(写真1枚目)。風土記稿に「毛呂氏陣屋跡所の字を堀ノ内といへり、今陸田となる、九反九畝十六歩の地なり」とあることから、江戸時代後期には遺構は消滅していたようです。

2026年03月13日 東堤北星
田代氏館[毛呂氏館  周辺城郭]



聖医と称された江戸時代の医師である田代三喜の生地です。 
曲直瀬道三は田代三喜に出会ったことで医学の道へ進んだと伝わっています。

築城者とされる田代兼綱は、源平期の武将である田代信綱の子孫であるとされ、三喜の親にあたる人物です。伊豆の豪族である田代氏一族である兼綱が越生に居を移した理由は不明です。
なお、田代氏は代々医を業としていたそうです。

まとめると、この館の来歴は田代信綱の子孫である田代兼綱が築館し、この地で聖医と称された田代三喜が生まれたことだけ理解すれば事足りると思います。

現在館跡は畑や住宅、梅林などになっています。リア攻めマップやGoogleマップが示す場所には田代三喜に関する碑がたてられています。ただ、若干敷地内に入った場所にあるので近づくのは少し気が引けますがね…。
付近の案内板などは医師としての田代氏を紹介しており、武家家系としての田代氏に言及した文は確認できませんでした。
館の遺構は残ってないようですが、城館が関係していそうな地形もいくつかありました。

2025年05月10日 マグロ常陸介祐平
黒岩次郎有光館[毛呂氏館  周辺城郭]



黒岩氏は、鎌倉時代に児玉党越生氏の初代越生有行(九州で活躍した小代氏の初代遠弘の弟)の孫の有光が起こした一族で、越生梅林の向かいにある梅園神社の永正12年の棟札に黒岩民部少輔顕季の名が見られることから、300年以上この地に居住していたと思われます。

ツツジの名所である五大尊つつじ公園付近が館跡に比定されるようですが、明確な遺構は残っていないようです。説明版によると、五大尊の本尊である五大明王像は平安様式の作で、境内からは鎌倉時代から室町時代にかけての宝篋印塔や板碑が見つかっており、古くから地域の中心だったことが確実視されるとのことです。

つつじ公園のツツジは、享保年間(1716~1736年)に植えられたもので、園内には四国・西国・坂東・秩父の板碑状の石碑や句碑が並びます。5月5日に訪れましたが、かろうじてツツジを見ることができました。

2024年05月05日 埼玉内記
毛呂氏館



館跡は長栄寺の裏手、笹藪に覆われた小径の先にある狭い墓地の先に、こちらも笹に覆われた場所に名称のみ表示されていました。
曲輪と思われる小規模のエリアがありました。
周囲はほぼ樹木や藪で覆われており、あまり見通しはよくありませんでした。
車は長栄寺の参拝者用の駐車場を使用させて頂きました。

2021年05月16日 マグロ常陸介祐平
毛呂氏館



長栄寺というお寺の裏が城址です。手前には毛呂氏の供養塔があります。毛呂氏館跡と石尊山の分岐点の裏側に土塁らしきが確認できます。植林された山ですが倒木も多く、墓地があったり廃屋があったりと全体を回るのは困難な状況です。毛呂山の市街地にある妙玄寺は毛呂氏の陣屋跡に隣接しており、こちらにも毛呂氏の供養塔があります。

2021年02月16日 eiki
高取山城[毛呂氏館  周辺城郭]



東武越生駅の西側に連なる大高取山から東に延びる尾根の173メートルの峰の上に築かれていた城、麓に鎮座する越生神社から急な山道を登ると奥の院がある山頂に到ります。ここが本郭跡、回りに竪堀2本、二郭、三郭が確認できます。この地域を治めた越生氏の詰めの城として築かれた山城で山の急峻が要害性を高めていることを感じることができます。ここから約20分山道を奥に入ると幕岩展望台があり越生氏の領地が一望できます。



2021年02月01日 eiki
竜ヶ谷城[毛呂氏館  周辺城郭]



JR八高線の毛呂山駅から徒歩で40分位、入口には雷電山登り口の案内板があります。舗装された山道を上がっていくとゴルフ場に遭遇します。開閉式のフェンスを通過し案内にしたがって雷電神社を目指します。標高200メートルの山頂は郭になっており、回りは土塁と切岸で防御されていたことがわかります。毛呂町方面が開かれていて物見も優れた詰めの城であったこともうかがえます。

2021年01月14日 Marky武蔵守
竜ヶ谷城[毛呂氏館  周辺城郭]

西の郭に駐車スペースがあり、そこまで車で行けるようですが、ゴルフ場内の道が判りにくいです。
門を入って左折すると、正面に赤色の塗装(滑り止め)の急坂があるので、そこを上って山を回り込む様に行くとたどり着けます。

2021年01月04日 三輪左近衛少将直虎
竜ヶ谷城[毛呂氏館  周辺城郭]



ゴルフ場の真ん中にある城ですが、本丸跡にある雷電神社への参道は通行可能です。土塁と堀切に竪堀が残り、最近は案内板も設置されました。毛呂氏が立て籠もった毛呂要害は毛呂氏館ではなく竜ヶ谷城と考えられています。

2020年12月23日 【不楽是如何】まつ2左近衛大将
毛呂氏館



先人の口コミ通りでした。お寺の上り坂は意外と険しいです。土塁は結構高いです。登れません。

2020年12月04日 裕太大納言
毛呂氏館

お寺さんの裏にありました。
小さな矢印方向へ行くと
獣道の先に個人のお墓があらわれて、その先に倒木ありの雑木林。
整備されてる訳ではないので、詳しくは解らずです。

2017年01月21日 まー兵部卿
毛呂氏館

県道30号線を埼玉医大側から行くと右手に看板がある。『長栄寺』もしくは『毛呂山霊園』を目印に行くと良い。電車の人は八高線毛呂駅下車すると良い。長栄寺・毛呂山霊園の駐車場を利用。長栄寺山門を潜ると『毛呂氏居館跡』の標柱がある。左手に進み坂道を上ると『毛呂氏墓』が右手に。更に上ると『毛呂氏居館跡』『石尊山』の分岐点があるが右手に折れる。お墓を通り過ぎると居館跡がある。左手には高土塁がありその脇にはだいぶ埋まっているが空堀がみてとれる。ちなみに毛呂城跡(山根城跡)の石碑は『妙玄寺』の先にある踏切(第二大師踏切)の脇に小さい石碑がある。詰城である毛呂要害城は竜ケ谷山にあったが時間がなかったため次回訪れる予定。

毛呂氏館の周辺スポット情報

 毛呂氏館跡(碑・説明板)

 毛呂氏供養塔(碑・説明板)

 竜ヶ谷城(周辺城郭)

 高取山城(周辺城郭)

 斎藤氏館(周辺城郭)

 岡崎四郎三郎有基館(周辺城郭)

 黒岩次郎有光館(周辺城郭)

 児玉雲大夫館(周辺城郭)

 山根城(周辺城郭)

 榎堂(周辺城郭)

 越生氏館(周辺城郭)

 村田氏館(周辺城郭)

 田代氏館(周辺城郭)

 自得軒(周辺城郭)

 越生氏館(比定地)(周辺城郭)

 出雲伊波比神社(寺社・史跡)

 妙玄寺(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

 毛呂山町歴史民俗資料館(関連施設)

 山吹の里歴史公園(その他)

 越生梅林(その他)

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