青鳥城(おおどりじょう)

青鳥城の基本情報

通称・別名

石橋城

所在地

埼玉県東松山市石橋城山2104他

旧国名

武蔵国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

伝・青鳥判官

築城年

室町時代

主な改修者

主な城主

北条氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(青鳥城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

高坂氏館(埼玉県東松山市)[3.5km]
武蔵松山城(埼玉県比企郡)[4.0km]
大蔵館(埼玉県比企郡)[4.3km]
山田城(埼玉県比企郡)[4.4km]
菅谷館(埼玉県比企郡)[4.9km]

青鳥城の解説文

青鳥城(おおどりじょう)とは、武蔵国比企郡石橋村(現在の埼玉県東松山市大字石橋)にあった日本の城。県指定史跡。

立地・構造
比企丘陵と岩殿丘陵に挟まれた東松山台地上にあり、城の南方1kmには都幾川が流れている。

構造は城の南端に一辺約100mの方形の本郭があり、それを取り囲むように北に二の郭・三の郭が広がる。城全体の規模は東西約700m、南北約400mであり、中世城郭としては巨大なものである。

歴史・沿革
築城の年代は現在不明であるが、『太田道灌状』には文明12年(1478年)に、扇谷上杉定正と太田道灌が青鳥に在陣したという記述があり、この頃には城(あるいは城の原型となるもの)はあったと推定されている。
1560年代前半の松山城の攻防戦では、北条氏康方の城として機能したと思われる。なお、永禄2年(1559年)に成立した『小田原衆所領役帳』には狩野介が比企郡青鳥に、久米新左衛門が松山筋石橋にいたとしており、この頃の城主はこの二人のうちのどちらかであると考えられている。
その後、廃城になる。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐において豊臣氏方の前田利家・上杉景勝らが後北条氏方の松山城を攻める際、前田利家は廃城となっていた青鳥城跡に陣を置いた。
近年、青鳥城が廃城になったのは16世紀後半ではなく、16世紀前半とする説が現れた。

アクセス
東武東上本線森林公園駅から徒歩30分
関越自動車道東松山ICからすぐ

参考文献
福島正義、「青鳥城跡」、東松山市市史編さん課編 『東松山市史 資料編 第1巻(原始古代・中世 遺跡・遺構・遺物編)』 東松山市、1981年、357-360頁。

青鳥城の口コミ情報

立花飛騨守様[2017年05月08日]
遺構が想像以上によく残っていてビックリしました!

竹藪の中に空堀がしっかり。土橋や、虎口状の土塁の切れ目もはっきり確認できます。

玉に瑕は、あの臭いと、城趾にラブホがあることかな(笑)

永眠武蔵守釋 葱進様[2016年06月14日]
関越道東松山ICに近い割にはそれなりに遺構があるようです。二の郭や三の郭はかなりの部分が道路や建物と化すも、本郭はほぼ残っています。
ヤマト運輸の駐車場出入口向かいの未舗装の道を上ると本郭です(青鳥城趾碑あり)。
郭内は私有地なのか一部は畑となっています。
四方を土塁に囲まれており土塁上は通行可、堀側は竹やぶで見通し悪く降りるにはちょいと難儀。
本郭から道路を少し北上すると左手に縄張り図付き案内板があり、左折後道なりに進むと二の郭土塁と板石塔婆があります。
(関越道東側に三の郭の遺構があるが今回は未訪)

近くに堆肥工場があるようで、その手の臭いに敏感な方は覚悟した方がいいでしょう。

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