菅谷館(すがややかた)

菅谷館の基本情報

通称・別名

菅谷城、重忠館

所在地

埼玉県比企郡嵐山町大字菅谷

旧国名

武蔵国

分類・構造

単郭式平城

天守構造

築城主

畠山重忠

築城年

鎌倉時代

主な改修者

主な城主

畠山氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸跡

指定文化財

国史跡(比企城館跡群)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

大蔵館(埼玉県比企郡)[1.0km]
小倉城(埼玉県比企郡)[2.3km]
杉山城(埼玉県比企郡)[3.2km]
青鳥城(埼玉県東松山市)[5.0km]
山田城(埼玉県比企郡)[5.5km]
高坂氏館(埼玉県東松山市)[7.8km]
比企能員館(埼玉県東松山市)[7.9km]
高見城(埼玉県比企郡)[8.0km]
腰越城(埼玉県比企郡)[8.2km]
武蔵松山城(埼玉県比企郡)[8.9km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)120 菅谷館

設置場所

埼玉県立嵐山史跡の博物館展示室受付[地図

菅谷館の解説文



菅谷館(すがややかた)は、埼玉県比企郡嵐山町(武蔵国比企郡)にあった日本の城。菅谷城(すがやじょう)とも呼ばれる。昭和48年(1973年)、国の史跡に指定された。館跡には埼玉県立嵐山史跡の博物館が設けられている。

2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(120番)に選定された。

沿革 

鎌倉幕府の有力御家人として知られる畠山重忠の館跡である。畠山氏は、重忠の父畠山重能の代から大里郡畠山荘の荘司であり、重忠も当初は同荘内に館を置いていたが、やがて鎌倉街道の要衝にあたる菅谷の地に移って館を構えたのが始まりである。

元久2年(1205年)、畠山重忠が武蔵国二俣川(現・神奈川県横浜市旭区)で戦死したのちは畠山の名跡を継いだ足利義純の子孫に伝えられたというが、15世紀後半に至るまでの詳細は不明である。

長享2年(1488年)、菅谷館そばの菅谷原において山内上杉家と扇谷上杉家が激戦を繰り広げ(須賀谷原合戦)、その前後に山内上杉顕定の命を受けた太田資康が扇谷上杉方の拠点である河越城に対するおさえとして、菅谷の旧城を再興した。やがて、「長享の乱」と呼ばれた一連の戦乱は山内上杉方の勝利に終わり、敗れた扇谷上杉朝良が一時菅谷城に幽閉された。以後、16世紀前半まで山内上杉家の拠点として使われる。

その後は、天文15年(1546年)の河越夜戦以降にこの地域に進出した後北条氏によって戦国末期まで使われ、小泉掃部助が城代となって守備している。

中世城郭研究会の中田正光によれば、当時の最前線だった松山城を強化する必要から付近の青鳥城杉山城と共にこの菅谷の旧城も更に築城拡大されたと述べており、全周を覆う堀には多くの折りが使用され、虎口には全て横矢が掛かる仕様、威圧感も兼ねた櫓、馬出しの併用、相互援助が想定された曲輪間の作り、外郭を予想される広大な縄張り等の特徴を指摘し、このような実戦的な城郭は後北条氏の典型的な特徴であり、それ以外は考えられないと指摘している[1]。なお、過去の発掘調査の結果では後北条氏時代の遺物が出土していないため、杉山城と同様に後北条氏進出以前に廃城になったという説もあるが、発掘調査面積自体が小規模だったため、今後の調査次第では畠山時代や後北条時代の遺物が出土する可能性も考えられる。

立地・構造 

館跡は都幾川と槻川の合流点北側の低台地にある平城で、館(城)の付近を鎌倉街道上道が通っていた。館跡中央のやや南寄りに平面長方形の本郭があり、その北側に二の郭、三の郭などを配置しており、それぞれの郭を土塁と堀で防備している。土塁の遺存状況は良好であり、郭の配置や土塁の構築法には近世的な平城の特徴をうかがうことができるが、本郭は単郭式の城館の面影をよくとどめており、鎌倉時代における菅谷館の中心部分と考えられる。中世館跡の遺構例としては稀少な遺跡であり、保存度もきわめて良好である。

史跡指定 

1973年(昭和48年)5月26日、「菅谷館跡」(すがややかたあと)として国の史跡に指定された。ただし、当時指定管理方針が確定していなかったため東側の堀跡の一部が未指定に終わった。

1976年(昭和51年)12月、1973年の指定において未指定とされていた東側堀跡の一部を埼玉県が史跡用地として管理することが決まったので、当該部分の追加指定がなされた。

2008年(平成20年)3月28日、既指定の国の史跡・菅谷館跡に加えて松山城跡、杉山城跡、小倉城跡が追加指定され、指定名称が「比企城館跡群」に変更された。

所在地・アクセス 

所在地

〒355-0221 埼玉県比企郡嵐山町大字菅谷

アクセス

  • 東武東上本線武蔵嵐山駅西口から徒歩約13分
  • 関越自動車道東松山ICから車で約10分
  • 関越自動車道嵐山小川ICから車で約10分

出典 

菅谷館の口コミ情報

2024年03月25日 太政大臣じじ
菅谷館



三、四回目ですが、草や灌木を綺麗にしたようで以前より土塁や堀がよくわかるようになっています。

2024年03月18日 ダネまま刑部大輔
菅谷館

武蔵嵐山駅からゆっくり歩いて徒歩15分位です。資料館も静かで、小ぢんまりしていました。土塁周辺の整備と草刈りがしてあり、高さと傾斜が分かりやすかったです。ぐるっと回るには、階段が所々有りましたが、頑張れば杖をついて歩いて行けました。東屋や手洗い場もあり、休憩しながらのんびり散策出来て良かったです。

2024年01月07日 大納言Z武蔵守369
稲荷塚古墳[菅谷館  寺社・史跡]



直径約20m、現存高約3.5mの円墳。南側に開口部がある横穴式石室が特徴。

2023年08月16日 HAL2000上総介
菅谷館



源平合戦の一の谷の戦い、鵯越の逆落としで愛馬を担いで崖を飛び降りた伝説で有名な、畠山重忠の城館だったとされています。今回は、史跡の博物館は時間的に見ることができませんでしたが、次のチャンスが有ればぜひ見てみたいです。

2023年06月18日 こうしん
菅谷館



草が生い茂っていましたが、土塁や堀がはっきりとみれました。マムシに注意の看板があり、6月ですが、スズメバチがいました。

2023年05月11日 蔵人頭ゆーき
菅谷館



武蔵嵐山駅から杉山城跡→嵐山町役場の後に徒歩で移動🚶‍♀️約35分でした。その後に徒歩で武蔵駅まで徒歩移動して,本日は終了

2023年05月07日 織田上総介晃司
菅谷館

埼玉県立嵐山史跡の博物館の駐車場に停めることができます。ただ17:15には施錠されるので、複数のリア攻めをする場合時間配分を考えてまず最初に行くことをお勧めします。

比企城館跡群のひとつで国指定史跡となってます。

2022年12月05日 ruiw0302
菅谷館

国道254号線を寄居方面に向かい、大妻嵐山高校入口の手前の道を左折で、埼玉県立嵐山史跡の博物館駐車場に入れば、菅谷館跡を見学できます。

今に残る遺構は戦国時代のもので、畠山重忠公の遺構は分からないということですが、鎌倉時代を築いた武士達が住んでいた比企丘陵の雰囲気は充分に味わえると感じました。

杉山城や鉢形城も比較的近くにありますので、おすすめです。

2022年11月13日 黒はんぺん中務卿
菅谷館



2度目の訪問。前回はナビにエリアの端っこの方?を案内され、よくわからずじまい。改めて行ってみると、国道沿いでわかりやすい場所でした。

2022年11月07日 菊左近衛少将
菅谷館

国道254号に看板があり、資料館の駐車場へ。堀割や土塁がはっきりとしていて、綺麗な公園として整備されていました。

2022年10月24日 のぶ大宰少弐
菅谷館



今注目の畠山重忠様の館へ。嵐山の駅から徒歩10分くらい。駅でパンフレットなどをもらう。御城印は埼玉県立嵐山史跡の博物館で購入。大小あり。大を買ったら御城印帳に入らなかった。博物館で展示を見てから館へ。かなり広大。土塁や空堀もきれいに残ってる。重忠様はここから鎌倉に向かったのだと思いを馳せる

2022年09月19日 RED副将軍
菅谷館



某国営放送で話題の武士の鑑と称された畠山重忠の居館跡🏯

鎌倉幕府有力御家人である畠山氏の居館跡。
畠山氏は、桓武平氏の流れを汲む秩父氏の庶流。畠山重忠の父である畠山重能は武蔵国司の平知盛の配下として活躍し、武蔵国畠山荘の荘官となって畠山氏を名乗りました。
畠山重忠が鎌倉街道の要衝である菅谷に移り館を構えたのが始まりと云われます。

畠山重忠は、1180年に源頼朝が石橋山で平家討伐の挙兵をした際は、父の重能が平家に仕ていたため平家方に属し、頼朝方の母方の祖父でもある三浦義明を討ちました。
その後は源頼朝に仕え、鎌倉入り先陣を務め、宇治川の戦い、一の谷の戦い、奥州藤原氏征討などで戦功を挙げました。
しかし、源頼朝が没し、武蔵守の比企氏が滅亡すると、執権北条時政の娘婿の平賀朝雅が武蔵守となり、さらに平賀朝雅が上洛して京都守護となると、代わって北条時政が武蔵国掌握したため畠山重忠と北条時政は対立。
やがて畠山重忠は謀反の疑いをかけられ討伐軍を向けられ奮戦した後に自害。
しかし、一連の出来事で御家人からの信頼を失った北条時政は牧氏事件へと発展し、北条時政と牧の方は失脚して伊豆国へ追放されました。
畠山重忠の死後は、重忠の未亡人と婚姻した足利義純が畠山の名跡を継いだと云われますが確かでは無い様です。
1488年には、扇谷上杉家と激戦を繰り広げていた山内上杉顕定が、その家臣である太田資康に命じて扇谷上杉氏の河越城に対抗するため菅谷館跡を再興し、菅谷城として拠点としました。やがて、長享の乱に勝利した山内上杉氏が16世紀前半まで支配しました。
その後は、1546年の河越夜戦より侵攻してきた後北条氏の拠点となり、小泉掃部助が城代として入城しました。
1590年の豊臣秀吉による小田原攻めにより北条氏が滅亡すると他の城と同じ様に廃城となったと思われます。

見所
畠山重忠の居館跡で有名ですが、その後も足利基氏、山内上杉氏、後北条氏の支配となり、現在の遺構は後北条氏の改修によるものです。
本郭、二ノ郭、三ノ郭、西ノ郭、南郭の5つの郭で構成された巨大な平城です。
郭は高土塁と空堀・水堀で区画され、至るところに折や出枡形土塁の横矢掛かりの張り出しがあります。

鎌倉殿の13人が好きな方はぜひ!

2022年07月19日 修民部卿
菅谷館

雨上がりには長靴の用意を。夏は虫除け忘れずに。

2022年04月27日 尼崎城阿波守一口城主
菅谷館



先週末、久々の関東出張がありチャンス到来とばかりに関東の100、続100名城巡りをしてきました。4月23日横浜から横浜線、八高線で北上し小川町から東武で一駅の武蔵嵐山(らんざん)で下車。嵐山駅西口から嵐山史跡の博物館を目指して登城。道中、幟や道標が所々にあったので迷わず当地に辿りつけましたが現地に到着後、何を思ったのかお堀を資料館と反対方向に沿って歩いてしまい中高一貫校の正門前まで歩いてしまいました😅偶々正門から学校関係者が出てこられたので菅谷館の入口を聞くと今きた道を戻るのが一番早いよと教えてもらい軌道修正。(余計なお世話ですが国道254号の菅谷第二歩道橋の奥に見える幟が目印です。)資料館に前では現在大河で活躍中の畠山重忠公がお迎えしてくれました。二の郭には重忠公の石像がありました。重忠公の視線の先には本郭があり今でも優しい目で領民を見守って下さっているように感じます。館跡を全て歩き回りましたが広大で土塁や堀も立派で守りの固さを感じました。散策中、白い花や赤い花が綺麗に咲き誇りまるで花の源平合戦かと思われました(意味不明ですいません🙇)また、学校🏫の塀?も鎌倉武士を感じさせる刀🗡と矢🏹のデザインでした。
観光マップに菅谷館から約2㎞木曽義仲公産湯の清水がある鎌形八幡神社⛩があると載っていましたが今回は続100名城巡りを優先して泣く泣く断念。駅前でレンタサイクルを借りたら良かったなと反省しました😅
大河ドラマで義仲公が戦死する前日に義仲公の生誕地である嵐山町を訪れることができ感無量です。
朝ドラのカムカム📺ではありませんが、[現地でしか見えないものがある、現地でしか発見出来ないものがある]という気持ちになりながら次の目的地の杉山城を目指しました。

2022年04月17日 やしち三河守
菅谷館



大河ドラマ聖地巡礼で攻城 駐車場は、嵐山史跡博物館の駐車場を利用出来ます。郭や土塁が分かりやすく整備されていて非常に見やすいですね。看板にも出ていますが、雨上がりは蛇が出ていることもあるので、くるぶしまでカバーされてる靴がオススメです。

2022年03月07日 刑部大輔初代野見心臓
菅谷館



思っていたより広い遺構でした。大河ドラマの影響か、結構賑わっていました。

2021年12月05日 薩摩相模守義弘維新斎
菅谷館



鎌倉幕府の御家人である畠山重忠の居館跡。続日本100名城に選定され、比企城館群の1つ。郭、大きく高い空堀や土塁等の遺構が残っており、館跡を散策するのが楽しいと思います。

2021年10月26日 蔵人頭マックイーン
菅谷館



嵐山駅から徒歩で10分くらい、ほぼ一本道でわかりやすいです(ちなみに駅の観光案内所に杉山城の御城印があります)。途中にコンビニ等はありません。城跡はわかりやすくいい感じでしたが、夏は虫が気になる人もいるかも。起伏もなくのんびり散策できました。

2021年08月26日 乱会
菅谷館

高い土塁、深い空堀、広い郭。とても中世城郭している城跡です。侵入経路に蔀があるとテンションが上がりますね。
城郭内部には博物館があり、菅谷館だけでなく付近にある他の城(杉山城、小倉城、松山城等)の模型も展示してあります。館内のしゃべる畠山重忠人形は必見。

2021年08月22日 マグロ常陸介祐平
菅谷館



菅谷館という名称からも畠山重忠のイメージが強いお城ですが(畠山重忠の立派な像があったりします)、実際には戦国期のお城そのものです。縄張りが大変分かりやすく、土塁、空堀、水堀?、虎口、土橋などの遺構がよく残っています。城内にある埼玉県立嵐山史跡の博物館は入館料100円とリーズナブルです。

2021年05月05日 永久楽武蔵守マクシミリアン
菅谷館



本郭に向かうニノ郭の間の堀。ツツジがきれいでした。どの郭も堀と土塁に囲まれ、大兵力が入れる広さがありました。

2020年08月16日 ひ〜ふ〜
菅谷館

菅谷館 嵐山史跡の博物館は、正面入口ではなく、職員入口から入って、体温を測って頂いてからの入館でした。

2020年02月29日 書き込み制限王
菅谷館

コロナウイルスの影響で2020年2月29日から3月16日まで嵐山史跡の博物館は臨時休館となります。
100名城スタンプが押せませんので注意してください
公式HPを要確認です

2019年06月01日 GINTOKI
菅谷館



菅谷館!土塁が見事です!続100名城のスタンプは、県立嵐山史跡博物館のホールにあります!

2019年05月12日 七代目尾張守宗春
菅谷館



蔀(しとみ)土塁:西ノ郭から三ノ郭の内部の様子を直接見通せないようにつくられたものです。との事。

2019年05月12日 七代目尾張守宗春
埼玉県立嵐山史跡の博物館[菅谷館  スタンプ]



博物館の入口に、こんな張り紙がありました。歩いて回るのに、この写真を撮っておいた事が役に立ちました (^^)

2018年11月18日 書き込み制限王
菅谷館

コンパクトにまとまっていて見やすいけど物足りないか
防御用ではないよなと思いつつ。
残念なのはポケモンやってる人かね
前見て歩いてほしい

2018/12/1から博物館は企画展「越山ー上杉謙信侵攻と関東の城ー」を開催予定

2018年10月17日 京急渡島守ドレミファ♫
菅谷館

【アクセス】
東武東上線・武蔵嵐山(らんざん)駅から徒歩15分。
ほぼ一本道ですが、心配なら観光案内所で聞くと良いでしょう。

【スタンプ】
「嵐山史跡の博物館」受付にて。
入館しなくても押印はできますが、入館料100円(JAF割引で60円)にしては内容が充実しています。
ウォシュレット付きトイレもあり、自販機も良心価格。

【見どころ】
保存状態が良く、縄張りが把握しやすいです。
土塁、空堀、虎口等の残り方もなかなか良いです。
博物館にある「菅谷館跡見て歩きガイド」という地図付きのガイドの順路通りに行くと、効率よく全体を見られます。
写真映えするポイントには乏しいですが、よく整備されていて歩きやすいです。

【その他】
駅前に飲食店が乏しく、目指していた道中の辛モツ焼そばの「五月」も休みで昼飯難民になりかけましたが、城の前の大きな道沿いにいくつか飲食店があって助かりました。

2018年05月02日 みやび姫
菅谷館

博物館の駐車場は無料。入館料は100円。入ってすぐの映像は必見です。杉山城のことも良くわかります。5/2訪問しましたが草がけっこう生い茂っていて虫や蜂もブンブンしてました。これから先行かれる方は虫除けスプレー持参した方が良さそうです。

2018年04月06日 銀英6阿天暮郎
菅谷館

博物館の飲み物の自販機は料金低め設定!(´∀`;) 菅谷館跡は結構広々としてるので散策のお供にどうぞ。

2017年05月10日 
菅谷館

2017年4月6日に、続日本百名城に選定されました。
三郭に、埼玉県立嵐山史跡の博物館があり、駐車場もあります。
私は車でしたが、東武東上線武蔵嵐山駅西口から、徒歩約15分くらいだそうです。
築城年代は定かではないそうですが、
鎌倉時代に畠山重忠氏によって築かれたと伝わり、二郭の土塁に重忠氏の像があります。
今見られる遺構は、戦国時代の城郭の姿を示しているそうです。
堀や土塁が結構残っていて、ゆっくり散策できました。


2015年06月13日 永眠武蔵守釋 葱進
菅谷館

併設されている嵐山史跡の博物館では、「比企城館跡群」として菅谷城とともに杉山城武蔵松山城小倉城についての史料展示およびパンフレットの配布があります。

菅谷館の周辺スポット情報

 正拈門跡復元木橋(遺構・復元物)

 建物跡(三ノ郭)(遺構・復元物)

 外堀(遺構・復元物)

 蔀土塁(遺構・復元物)

 三の郭の張出し部(遺構・復元物)

 二ノ郭門跡(遺構・復元物)

 本郭出桝形土塁(遺構・復元物)

 二ノ郭土塁(遺構・復元物)

 南郭(遺構・復元物)

 本郭二重土塁(遺構・復元物)

 空堀道(遺構・復元物)

 外堀(東側)(遺構・復元物)

 搦手門跡(遺構・復元物)

 三ノ郭堀と外堀の接合点(遺構・復元物)

 二重土塁(遺構・復元物)

 二重土塁と外堀(遺構・復元物)

 井戸跡(遺構・復元物)

 本郭(遺構・復元物)

 菅谷館立体図(碑・説明板)

 搦手門、説明板(碑・説明板)

 伝鎌倉街道跡と山王古墳群(碑・説明板)

 二ノ郭説明板(碑・説明板)

 本郭(碑・説明板)

 三ノ郭説明板(碑・説明板)

 畠山重忠と菅谷館跡(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 東昌寺(寺社・史跡)

 菅谷神社(寺社・史跡)

 中世墓(寺社・史跡)

 平澤寺(寺社・史跡)

 稲荷塚古墳(寺社・史跡)

 嵐山史跡の博物館(御城印)

 埼玉県立嵐山史跡の博物館(スタンプ)

 続日本百名城スタンプ設置場所(スタンプ)

 菅谷館ホタルの里 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 畠山重忠像(その他)

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