腰越城(こしごえじょう)

腰越城の基本情報

通称・別名

根古屋城

所在地

埼玉県比企郡小川町腰越

旧国名

武蔵国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

伝・山田直定

築城年

天文年間(1532〜1555)

主な改修者

主な城主

山田氏

廃城年

遺構

曲輪、堀切、竪堀、横堀(空堀)、腰曲輪、虎口

指定文化財

県史跡(腰越城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

高見城(埼玉県比企郡)[5.8km]
小倉城(埼玉県比企郡)[6.0km]
杉山城(埼玉県比企郡)[7.5km]
大築城(埼玉県比企郡)[7.8km]
鉢形城(埼玉県大里郡)[7.8km]
菅谷館(埼玉県比企郡)[8.2km]
大蔵館(埼玉県比企郡)[9.0km]
本田城(埼玉県深谷市)[9.1km]
花園城(埼玉県大里郡)[10.1km]
千馬城(埼玉県秩父郡)[10.2km]

腰越城の口コミ情報

2023年05月28日 パジェロ歴31年目
おいでなせえ小川町[腰越城  御城印]

腰越城他、数種類の御城印が売ってます。近所に来た時は、是非

2022年08月29日 キャワ
腰越城



遺構がよく保存されています。眺望も良かったです。

2022年08月19日 つか征夷大将軍
浄蓮寺[腰越城  寺社・史跡]



武蔵松山城の城主であった上田朝直等の上田氏のお墓があります。またこちらのお寺は元々は武蔵七党の流れをくむ豪族大河原氏の館があった場所だそうです。

2022年07月24日 RED副将軍
武蔵中城[腰越城  周辺城郭]



折れの伴う二重土塁と横堀が巡り、単郭ながらも見事なものでした✨

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。鎌倉時代は猿尾種直、室町時代初期には斎藤重範の居城であったと伝えられています。戦国時代には腰越城主である山田直定の出城となっていた様です。江戸時代には旗本の金子伊予守の陣屋が置かれました。

見所
主郭内部はテニスコートとなっている単郭の城跡です。二重の土塁と横堀が巡り、土塁は折れが伴い、横矢掛かりが効いていて、なかなか見応えがあります。

行き方は、陣屋沼緑地公園として整備され、北側に車1台分の駐車スペースがあります。仙覚律師遺跡としての案内の方が多いと思います。西側の登城口から登りました。

2022年07月02日 茅小屋武蔵守太郎
腰越城



パトリアの駐車場より登城しました。7月2日現在、途中にある木の橋から先は通行止め。橋の左側に本廓まで迂回するルートがあります。案内図の看板が何箇所かにありますので、写真を撮って登城しました。写真が無いと迷うかもしれません。小さいながらもとても良い山城です。

2022年04月17日 長森原
武蔵中城[腰越城  周辺城郭]



伝承では鎌倉時代の地元の豪族・猿尾太郎種直の居城跡とされ、学僧・仙覚律師がこの城で「萬葉集註釈」を完成させたとも伝わりますが、発掘では鎌倉時代に遡る遺構・遺物は発見されておらず、城跡と伝承との関わりは不明です。

そして現在残っている遺構は、明らかに戦国時代のもので、単郭ながら折れの有る高い二重土塁や空堀、櫓台などを見る事ができます。

中城は、鎌倉街道山辺ノ道を見下ろす台地の先端にあり、付近にある青山城、腰越城とは互いに視認する事が可能な立地でした。

ちなみに中城が見下ろしていた麓の鎌倉街道山辺ノ道は、八王子から飯能を経由して上州へと向かう古道です。(現在のJR八高線は、ほぼこの古道に沿って走っています)

この街道は戦国後期には、鉢形城大手口と滝山城、小田原城を結ぶメインルートとなった為、後北条氏にとって大変重要な道となりました。

腰越城の支城として語られる事の多い中城ですが、鉢形城が後北条氏の支配下となってからは、鉢形城と小田原城・滝山城を結ぶ連絡路の中継基地として使われる事もあったかも知れません。

2021年11月25日 主計頭yagoyago
腰越城



11/23時点で本郭に登る道に紐が張られていて、立ち入り禁止のようでした。そこまでの山道は急勾配の木段が続くので、滑りにくい靴で行くことをおすすめします。

2021年04月28日 みめぐり
武蔵中城[腰越城  周辺城郭]



戦国時代には腰越城の支城として利用。
小川町駅から徒歩10分程度の住宅街の台地にあり、テニスコート(主郭)を囲む2重の土塁と空堀が残っています。住宅街に現れる土塁の高さには驚きます!!
ちょっとわかりにくいですが、仙覚律師遺跡(中城)という案内が周辺にいくつかあります。

2021年01月03日 大膳大夫マイリバ
安戸城[腰越城  周辺城郭]

安戸城解説板より

安戸城跡 東秩父村指定 記念物(史跡)
昭和56年12月20日指定

 安戸の西端に連なる城山の山頂端部に造られています。安戸側に伸びるやせ尾根東側を小さく堀り切り、その堀切から南回りで西側にかけて、本郭の西から南を2m50cm程切り落として鉢巻状に幅2〜4m程の腰郭を置いています。
 二の郭は幅2m程の竪堀に遮られ15m×8m程の広場になり、本郭は二の郭より2m程高く、本郭は幅10m、長さ40m程の規模に造られています。
 本城は、室町から戦国時代に数多く繰り広げられた松山城争奪合戦の折、松山城主・上田朝直の退路とされたところで、浄蓮寺と腰越城との間に位置し、物見の城か村の城であったと思われます。
 本村内唯一の中世城跡として、きわめて貴重です。

安戸地域計画策定委員会 平成27年12月1日

2020年11月09日 拓之助中務少輔【若者組】
武蔵中城[腰越城  周辺城郭]

台地上に築かれた単郭の城郭で構え堀に二重土塁、食い違い小口、櫓台が見られます。発掘調査で15世紀後半頃の出土物が見られ文明6年「太田道灌状」にある上田上野介在郷地小河に関係する城郭と考えられます、
現在、本郭に石碑、櫓台に神社、2の郭にテニスコートと変わっていますが、堀、土塁など上手くのこっています。

2020年11月09日 拓之助中務少輔【若者組】
腰越城

槻川の蛇行点の山に築かれたこの城は上田氏の松山城の詰城として機能しました。
大小17の郭がありこの城は特に小口の形式と名前に注目。囮小口や隠し小口などの工夫が見られ所により崩れ防止の石垣が築かれています。

2020年03月24日 フー甲斐守
陣屋沼緑地[腰越城  駐車場]



本郭以外は住宅地化しており、本郭もテニスコートになっていたりしますが、先人のコメント通り、高い土塁と空堀がよく残っています。小川町駅から徒歩15分程度ですので、機会あればご訪問されては如何でしょうか?

2020年03月24日 フー甲斐守
腰越城



総合福祉センターパトリアおがわはコロナウイルスのため、当面休館でしたが、駐車場と通用口側はオープンしており、トイレは利用できました。
今回は公共交通機関で行きましたが、小川町駅とパトリアおがわとの間はイーグルバスが1時間に1本程度出ています。私は行きはバスで帰りは中城に行きたかったので歩きました。腰越・中城間は徒歩30分程度です。
中城の駐車場は陣屋沼緑地に1台分の駐車場がありました。中城の下にも広い空き地がありましたが、人がおらず止めて良いかは確認できていません。
写真はパトリアおがわ前の現在のバス時刻表、腰越縄張、腰越遠景と駐車場、中城遠景と空き地です。
令和2年3月24日現在

2020年02月09日 Nerikyu
腰越城

(説明板③・追加情報)
埼玉県指定史跡 腰越城跡
腰越城跡は、寄せ手の横への移動を防ぐ竪堀が多用されており、「隠小口」や「囮小口」と呼ばれる巧みな作りの小口などの遺構が良好に残されています。
(小川町教育委員会)

2020年02月09日 Nerikyu
腰越城

(本郭 説明板②)腰越城跡
この正面(西)に向いては、眼下に安戸(やすど)の宿や伝山田屋敷(館)跡、安戸城跡やその麓に広がる大河原谷、そして外秩父山地の山々を眺めることができます。
腰越城は、安戸を本拠地とし松山城主上田氏の家老として仕え、永禄五年(1562)に荒川沿いの赤浜の合戦で討死にした山田伊賀守直定の居城と伝えられています。
大河原谷にある浄蓮寺は上田氏の菩提寺であり、腰越城から青山城、その先の小倉城、菅谷城(館)、青鳥城などを経由して、上田氏の居城である松山城へとつながるネットワークが形成されていたと考えることもできます。腰越城はまさに安戸への入口をおさえる重要な城であったといえるでしょう。
上田の出自は不明ですが、領地の変動が進んでいた応永二十三年(1416)の上杉禅秀の乱前後には既に当地に進出していた可能性があります。その後、扇谷上杉氏の重臣として文明八年(1476)からの長尾景春の乱などで活躍しました。
後北条氏の勢力が及んだ天文十五年(1546)頃にはその配下となり、上杉景虎(謙信)勢との一進一退の攻防の末に松山城主としての地位を固めました。
豊臣秀吉の重臣前田利家に攻められ落城する天正十八年(1590)までの間は、安定した領域支配を行っていたと考えられます。
腰越城も松山城の落城とともに廃されたと思われます。
また、麓の集落には「根古屋」の地名が残っており、当時の武士達の居住地が広がっていたことがうかがえ、往時を偲ばせます。

[浄蓮寺]
大河原氏の草創と伝えられる浄蓮寺は、日蓮宗の名刹です。
松山城主上田氏の菩提寺であり、この一角には県内でも珍しい宝塔形をした上田氏三代の墓(県指定文化財)が残されています。


2020年02月09日 Nerikyu
腰越城

(説明板①)県指定史跡 腰越城跡
腰越城跡は、槻川に三方を囲まれた天然の要害の地に築かれた戦国時代の典型的な山城です。
本郭からは、東に小川筋、西に安戸筋(東秩父村)をよく眺めることができます。
城跡には「城山」、西側山麓には城を守る武士達の居住地を示す「根古屋」、南東側山麓には城への入口を思わせる「榎木戸」などの地名が残っています。
この城は安戸を根拠地とする、松山城主上田氏の家老として仕えた山田伊賀守直定(1562歿)の居城と伝えられ、安戸への入口を守る重要な役割を果たした城と考えられます。
城跡は最高所の本郭を中心に、二の郭・西の郭・帯郭・竪堀・堀切などから構成されています。
中でも寄せ手の横への移動を防ぐ竪堀が多いことや、本郭へ至る通路が複雑なことがこの城の大きな特徴です。
平成2年7月 小川町教育委員会

2019年05月09日 愛甲太閤【相模の狂人】
腰越城



城の心臓部たる本郭への道は、かなりエグい経路になっています。★麓から尾根に登り詰めた城郭東端の二重堀切から、主郭南面の横堀や囮虎口の下を通して西端の堀切まで誘導し、堀切底を通して尾根北側に出してから東へ戻りながら主郭直下の二の郭まで登らせます。★ハッキリ残る個々の遺構もさることながら、この経路のエグさがなかなかに楽しめます。

2019年05月08日 愛甲太閤【相模の狂人】
堀切(西の郭―三の郭)[腰越城  遺構・復元物]



囮虎口から帯曲輪状をさらに西へ進むと、右手に深い堀切が現れ、登城経路は堀切の中へと入って行きます。帯曲輪状はトラロープで立入禁止になっていて、自然と堀切の中へ誘導されます。★堀切は幅がわりあい狭く、両側が鋭い見事なもので、一番の見ものでしょう。左側が西の郭で、登降する木の階段が整備されています(写真に手すりが写っています)。右側の三の郭には登れません。

2019年04月24日 愛甲太閤【相模の狂人】
囮虎口[腰越城  遺構・復元物]



帯曲輪の西端付近に囮虎口なる場所がある。実体は急峻な竪堀で二の郭下まで登っている。名前の通りならここへ寄せ手を誘い込み、進退窮まらせて殲滅するのだろう。今でも落ち葉が滑って登れん…

☆囮虎口上の登城経路は、上に続く二の郭まで空堀状で外側が土塁に守られていた様子。囮虎口の下は横堀〜西の丸の前まで水平に走る登城経路で、上から落石などで攻撃出来るようになっていたと思われる。

2019年04月24日 土塁ルイ
武蔵中城[腰越城  周辺城郭]



武蔵中城(猿尾城)です。戦国期は腰越城の支城でした。小川町の市街地にあり、土塁、堀、櫓台など良く残っています。陣屋沼の北側に小さな駐車場あり。腰越城攻めの際は一緒に巡ってみてください。

2018年02月11日 三男坊.k大学頭
腰越城

大手虎口から北に進むと三郭、二郭、本郭下の馬出し的腰郭があって本郭につながります
本郭は小さいですが、樹木が伐採されてて眺望が良いです

下山は来た道を戻りましょう

山ツツジがたくさん植えられてるので5月くらいはキレイになるかもです

2018年02月11日 三男坊.k大学頭
腰越城

腰郭のどん突き手前の右手の虎口を上がると西郭です
上がってすぐ左手に土塁が土壇に続いています
西郭に北に進むと三郭との堀切があるので、降りて左手に下ると西の腰郭と竪堀ですよ~
そこを北に進むと大手虎口ですよ(続く)

2018年02月11日 三男坊.k大学頭
腰越城

すぐに竪堀が出てきて道標では右に上がれと指示がありますが左に降りて行くと2つの竪堀の後に立派な横堀と土塁が出てくるのでそのまま進みましょう
横堀のどん突きで竪堀が出てきてその先に囮虎口があります
先に進むと右手に大きな堀切が出てきますが横目で見ながら腰郭を先に進みましょう(続く)

2018年02月11日 三男坊.k大学頭
腰越城

復原の榎門(既に朽ちてますが)を潜るとすぐに道が二本になりますが、左が正解。
右に行ってもすぐに合流するのでご安心を。
暫くキツメの登りですがすぐに二重堀切に出ます
突き当たり左が腰越城です
正面が本郭ですが直登はできません
左手の巻き道を登って武者走り沿いに進みましょう(続く)


2017年11月12日 雑賀
腰越城

こちらを始め、この辺りの城址はハズレなし!

総合福祉センターの駐車場、トイレ、血圧計(リア前後の体調管理用にどうぞ)が使用できます。陳列はされていませんが、訊ねたら窓口でパンフレットも頂けました。

複雑で方向が分からなくなるような通路、囮虎口、竪堀、堀切、土塁…
遺構の保存状態も良く、小さいながらも防御の工夫が散りばめられた山城です。

整備されており、案内板も設置されているので非常に見やすいです。ただし、かなりきつい登りから始まりますのでご覚悟を!

2017年06月06日 田上太閤久兵衛
腰越城

登城口付近には駐車場等はありませんので、先駆者の仰る通り、パトリアおがわの駐車場を利用された方が良いと思います

また縄張りがやや複雑な為、迷わぬよう事前に縄張り図等を印刷して行く事をオススメします


登城口から登っていくと、先ずは開けた場所に辿りつき、早速二重堀切に出会えます

その左手側から各郭に行けますので、案内板を見ながら進まれると宜しいかと

郭自体には遺構はあまり残って居ないのですが、縄張りの随所に工夫が見受けられます!
中でも囮小口や、折れの多い縄張り、多数の竪堀がお見事!


所感としましては縄張りや郭の工夫、立地から迎撃よりも籠城向けの縄張りであると感じました
戦に使われた記録は無いそうですが、北条氏に攻められた際の最後の砦で、上杉からの援軍を想定しての拠点だったのかな?

城より数キロほど西に、城主と伝わる上田氏菩提寺である浄蓮寺があります
寺の近くにキレイな道の駅も有りますので攻城後の休憩がてらお墓参りなど如何でしょうか?

2017年05月01日 昌幸石見守4/20宍戸吉川
腰越城

迷路のような城です。
本郭をグルグル回り、なかなか目的地に行けないというのは近くの杉山城に似ています。
山の凹凸を上手く利用しているので、道が下ったり(本郭から遠ざかるように感じる)、囮虎口あり(現存1ケ所ですが、ここもそうでは?思わせる所あり)と攻め手の戦意を削ぐ縄張りと思います。
一つ気になったのは、決して広くない本郭に関係各所のモニュメントが。過剰な気もします(笑)

2013年02月15日 すかんぴん左馬助
腰越城

小川町総合福祉センターパトリアおがわの駐車場を利用しました。そこに案内板もあります。
榎戸という門のある所から登ります。杖がありました。
林の中の一本道である階段を登りきったところから城が始まります。
トリッキーな作りなので楽しめました。
パトリアおがわには日帰り入浴の施設もあるので、最後に汗を流すのもいいですね。



腰越城の周辺スポット情報

 囮虎口(遺構・復元物)

 堀切(西の郭―三の郭)(遺構・復元物)

 石垣跡(遺構・復元物)

 竪堀(遺構・復元物)

 横堀、土塁(遺構・復元物)

 竪堀(遺構・復元物)

 竪堀、堀切(遺構・復元物)

 小口(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 武蔵中城(周辺城郭)

 安戸城(周辺城郭)

 穴八幡古墳(寺社・史跡)

 大梅寺(寺社・史跡)

 浄蓮寺(寺社・史跡)

 おいでなせえ小川町(御城印)

 駐車場(駐車場)

 陣屋沼緑地(駐車場)

 パトリアおがわ駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

 青山城登城口(その他)

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