杉山城(すぎやまじょう)

杉山城の基本情報

通称・別名

初雁城、雁城

所在地

埼玉県比企郡嵐山町杉山614番地他

旧国名

武蔵国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

庄主水?

築城年

室町時代?

主な改修者

主な城主

伝・庄主水

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口、馬出、土橋

指定文化財

国史跡(比企城館跡群)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

菅谷館(埼玉県比企郡)[3.2km]
小倉城(埼玉県比企郡)[3.6km]
大蔵館(埼玉県比企郡)[4.2km]
山田城(埼玉県比企郡)[4.9km]
高見城(埼玉県比企郡)[5.2km]
青鳥城(埼玉県東松山市)[6.8km]
本田城(埼玉県深谷市)[6.8km]
比企能員館(埼玉県東松山市)[7.3km]
腰越城(埼玉県比企郡)[7.5km]
平山館(埼玉県熊谷市)[8.7km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)119 杉山城

設置場所

嵐山町役場[地図

杉山城の解説文



杉山城(すぎやまじょう)は、埼玉県比企郡嵐山町にあった日本の城。別名は初雁城。

概要 

市野川左岸の山の上に築かれた山城だが、築城の主や年代についてはほとんど分かっていない。地元豪族の金子主水による築城との伝承はあるが、文献資料には現れない。従来、縄張りが極めて緻密で巧妙なため、後北条氏の時代に造築されたものではないかとの見方が有力であったが、発掘調査にもとづく考古学的な知見からは、山内上杉氏時代の城である可能性が強くなっている。

この縄張りを主とする城郭史的観点と考古学的観点の見解の相違を「杉山城問題」と呼んでいたが、後に発掘調査を裏付ける文書の提示により文献史学的観点を含めた見解の相違へと深化している。

2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(119番)に選定された。

史跡指定 

2008年(平成20年)3月28日、すでに国の史跡に指定されていた菅谷館跡(嵐山町)に、松山城跡(吉見町)、小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)とともに杉山城が追加指定され、「比企城館跡群」の名称で一括して国の史跡に指定された。

検出遺構 

基本的には曲輪とそれに伴う堀や土塁のほか井戸跡の遺構が確認されている[1]

2002年(平成14年)〜2006年(平成18年)にわたってトレンチを用いた範囲確認調査が5次にわたって行われ、遺構面は1面(すなわち1相)のみで時期差をうかがわせる層位は確認されなかった。

本郭で、土塁及びそれに伴う溝、本郭の東虎口に平坦な石を用いて石列がつくられていた。東虎口から郭内へは「ハ」の字状に広がる構造になっていて、幅1.8mの石積みが確認された。石積みは43cmの高さで残っていた。東虎口の西側には石積みを崩したことによって発生したと考えられる礫が多量に検出された。本郭から南側へ「コ」の字状に張り出した先に西向きに南虎口があって、石列が確認された。挽き橋が西方向に井戸郭へ向かって架けられていたと考えられる。

本郭南虎口の対岸にあたる井戸郭の東側部分には8m×6mの長方形で、周囲との比高差1.2mの台状遺構が確認された。東側の堀に平行に柵ないし柱の跡と思われる穴(ピット)が検出されている。

南2の郭では、南虎口に関連する施設(柵ないし柱か)の跡と思われる穴(ピット)が2基確認されている。建物跡は確認されなかった。

南3の郭でも建物跡は発見されなかった。部分的であるが石敷き状に礫が敷き詰められている状況が確認された。

出土遺物 

出土遺物については以下のものが確認されている[2]

本郭

3,759点の遺物が確認され、うち

  • かわらけ(土師質皿)3,344点(約89%)
  • 火鉢152点(約4%)
  • 在地産[3]擂鉢(すりばち)32点(約0.9%)
  • 銭貨48点(約1.3%)
  • 常滑産陶器(甕10点、玉縁口縁壺36点、約1.2%)
  • 瀬戸美濃産陶器(擂鉢11点、天目茶碗14点、約0.7%)
  • 青花皿(明染付皿)18点(0.5%)
そのほか釘28点、硯12点、板碑9点、褐釉壺8点、在地産捏鉢(こねばち)5点、石臼4点、青磁皿3点、白磁皿3点などが出土している。これらの遺物の相当量が二次被熱を受けて、2,535点にのぼる焼けた壁土の破片や炭化物と共伴する状況で出土した[4]

南2の郭

781点の遺物が確認され、うち

  • かわらけ753点(約96.4%)
  • 火鉢4点(約0.5%)
  • 在地産擂鉢3点(約0.4%)
  • 在地産捏ね鉢12点(約1.5%)
  • 常滑甕3点(約0.4%)
  • 瀬戸美濃産丸皿1点(約0.1%)
などであった。

南3の郭

107点の遺物が確認され、うち

  • かわらけ82点(約76.6%)
  • 常滑甕22点(約20.6%)
そのほか青磁皿1点、白磁皿1点などが出土している。

杉山城問題 

杉山城の築城を山内上杉氏によるものとする根拠は、次のとおりである。

  • 遺物の型式及び様式[5]が、
瀬戸美濃産陶器;古瀬戸後Ⅳ新段階〜大窯1段階(15世紀後半〜16世紀初頭)(藤澤1993,1996,2001など)[6]
常滑甕10期;1450〜1500[7]
明青花皿(染付皿B1類、15世紀後半〜16世紀初頭)(森田1982)[8]
白磁皿C群(15世紀後半〜16世紀初頭)(小野1982)[9]
などいずれも15世紀後葉から16世紀前葉の様相を示す。
  • 山内上杉氏に関連する遺跡(城など)から出土する体部が直線的に開く独特な器形のかわらけの出土。
  • 16世紀中葉から後半の後北条氏時代の遺物が出土しない。
  • 遺物が二次被熱を受けて、遺構の一部である焼けた壁土の破片や炭化物と共伴する状況で出土し、特に3号土坑から焼けた壁土とともに出土した常滑焼破片が周囲の遺構面の破片と接合する(同一個体)であることから遺構と遺物の同時性がうかがわれる。

さらに近年、『足利高基書状写』に「椙山之陣」と記されている事が判明し、この書状の原本が天文15年(1546年)の河越夜戦以前の史料であることは明白なことから、上記の調査成果とも合致する内容となっている。このような事情で遺物から見た場合には、杉山城の築城が後北条氏によるものである可能性は低くなった。

一部の縄張り研究者は、そもそも陶磁器のような商品は生産・流通・使用・廃棄まで相当にタイムラグがあり、しかも杉山城のような前線基地に最新の生活用品を持ち込むとは想定し難い。また、松山城のように歴史上明らかに戦国末期まで使用された城でも、発掘調査では16世紀中頃までの遺物しか出てこず、最新の生活物資を伴わないような城の使われ方が存在した可能性があることから[10]、部分的な調査の出土遺物で年代を決めることに対し慎重な意見もある。時系列で見ても、戦国前期の相模・武蔵地域の城の縄張りは総じて単純で、杉山城のものに類似する城は無く、後北条氏の滝山城の虎口に類似していること及び曲輪から「コ」字もしくは「J」に張り出しをつくって、正面は土塁で固め、側面に出入り口を設けて防御を強化した「比企型虎口」の形成過程をたどると、15世紀末〜16世紀初頭の他の城との技術的相違[11]が見られる。更に、「椙山之陣」と杉山城の構造は当時の陣のあり方にそぐわず、両者をイコールとは必ずしも言えない事から[12]、後北条氏の築城の可能性を主張する。しかし、一方では縄張り研究者も縄張りから築城主体や築城年代を推し量る事はできない事を認めている。

なお、杉山城について、山内上杉家の家宰を務めた長尾顕忠の居城であったとする説がある。この説は当初竹井英文が主張[13]し、竹井は後にこの説を撤回[14]したが、一方で黒田基樹が再びこの説を主張[15]している。

アクセス 

  • 埼玉県比企郡嵐山町杉山614番地外
    • 0.5km ほど北西に関越自動車道の嵐山小川インターチェンジがある。

参考文献 

  • 村上伸二「発掘調査からみた杉山城跡」『3館連携シンポジウム・後北条氏の城-合戦と支配-』所収、2008年
  • 西股総生 『杉山城の時代』 KADOKAWA〈角川選書592〉、2017年10月27日、ISBN 978-4-04-703614-7

杉山城の口コミ情報

2022年10月24日 のぶ中務少輔
杉山城



菅谷館を見学後やっぱりどうしてもいきたくなって行ってきました!御城印は駅で購入。スタンプは区役所。日曜日でも押せるが交通手段がなく徒歩。山の上でびっくり。菅谷館から区役所経由で徒歩1時間(^^;;でも行ってよかった!よく整備されて遺構も残っていて起伏のある道、眺めも良く素晴らしい山城でした

2022年07月25日 マーヴェリック伊勢守
杉山城



スタンプは役場でと。リア現場にはスタンプはないし、日曜日はダメかなと思いながら、役場を探す。開いてましたよ。人も居ました。ありがとうございました。遺構もよく残っておりました。

2022年07月17日 千葉相模守早雲
杉山城



車で行く場合は、玉ノ岡中学の裏手側に専用の無料駐車場があります。玉ノ岡中学の裏門?から入り、校舎を脇に見ながら、大手口を目指します。幟が立ち並び、ルートを示してくれています☺️

杉山城は比企城郭跡群の一つ。近年の発掘調査で山内上杉氏の城との説が有力になっているそうです。

堀や土塁は折れを繰り返します。段郭は複雑に繋がり、目の前の郭に容易に行けなかったりと迷路のような土の城。北条氏以外にもギミック好きがいたんですねぇ😆

城郭部分の木は伐採されて、とても見晴らしがよく城郭全体を一望出来ます。また整備も行き届いているため、遺構がくっきりと浮かび上がり、分かりやすくなっています☺️

少し足を伸ばせば、北条流築城術の傑作・鉢形城もあるので、見比べてみてはいかがでしょうか😁

1.大手口脇の横堀。雨の後で水が溜まり、堀の形がくっきり😁
2.外郭と南ニの郭間の空堀。南三の郭、馬出しまで続いている。
3.南ニの郭と三の郭を分ける空堀。
4.南ニの郭(左)と井戸郭(右)の間のクランクした空堀。
5.南ニの郭下の横堀。奥に本郭、木に隠れたところに東ニの郭がある。
6.本郭。奥に虎口が見えてます😁
7.本郭、南ニの郭、外郭が段郭となって広がる。
8.本郭にある城址碑。背後に本郭土塁が見える。

2022年05月07日 無限織部正武威鉄駆
杉山城



保存会の方のご尽力で木々や草の伐採、案内板の設置、転落や侵入防止のロープ等が整備されていますので杉山城の魅力を存分に堪能出来ます。東郭から駐車場方面に向かう小道もありましたので大手口→南郭→本郭→北郭→東郭と一筆書きで探索も出来ます。写真は駐車場から東郭に向かう案内板です。少し分かりにくいかも知れませんが中学校に入る道とは別の細い道に入口があります。

2022年04月27日 尼崎城摂津守一口城主
杉山城



4月23日菅谷館を下城後、一旦武蔵嵐山駅に戻り東口から出発。嵐山町役場で続100名城スタンプを押し、義仲公を大河の主役にという署名🖊を書き再出発。 

私が持っている山城の本には杉山城は山城の教科書と紹介してあるのでワクワクしながら登城。地元の方々に整備、保存活動して頂いているお陰でとても歩き易く遺構もよく分かる状態でした。食い違い虎口もよく分かりました。 

下城後、嵐山駅で嵐山のお土産を買って嵐山→寄居→熊谷🚃と乗り継ぎ会社OBと久々の再会で祝杯🍺をあげました。充実したいい一日でした。

2022年04月17日 しゅう太政大臣
杉山城



駐車場は中学校入口に整備されています。何年か前に訪れた時にはなかったので体育館の所に停めたのだが今は整備されています。

2022年01月30日 武蔵守与作兵衛
杉山城



城跡の北東の玉の岡中学校入り口横に50台くらいは停められる専用の駐車場があります。(なので積善寺の駐車場の利用は控えましょう)
駐車場からは中学校の敷地を通って城に向かいます。学校内に入ってもいいのかなと 一瞬躊躇するかもしれませんが大丈夫、案内板の通りに行けば大手口にたどり着きパンフレットもここにあります。
城跡は保存会の方々の努力で奇麗に整備されています、一方余計な手は加えていないので往時の姿がよく残っていると思いました。
コンパクトな印象ですが、「築城の教科書」「戦国期城郭の最高傑作のひとつ」と言われるだけあって郭の構成や、虎口、空堀等見所がたくさんあり来た甲斐がありました。いかにも「山城」という雰囲気も魅力の一つだと思いました。
お急ぎの方は、搦手口から道路に出て右に200m位進むと専用駐車場に戻れます。

2021年11月16日 みその三河守
杉山城



縄張り図をみながら、虎口、曲郭を制覇。土橋を渡り、今度は土塁に登り土橋の敵を狙う。この城は、土塁、土橋、切岸、堀切などがしっかり残っていて、上杉管領が作ったとは思えませんませ。初級の山城ファンにはうってつけ。木橋、堀切からの竪堀などが整備されると、さらに魅力的になる。

2021年10月16日 伊勢右近衛少将新九郎宗瑞
杉山城



堀がとても多いお城でした。特に本丸に近づくにつれて空堀があります。何度もいきたくなるような城です。オススメは南ニ郭と南三郭、そして北ニ郭です。

【写真】
①北ニ郭の空堀。
②空堀。

2021年08月26日 乱会
杉山城

駅からそこそこ距離がある(徒歩45分くらい)以外は、さほど高さがあるわけでもなく、広大すぎるわけでもないので、軽装備で行っても満足度の高い城です。広くもない範囲に、城郭としての技巧がこれでもかと詰め込まれています。横矢掛かりすぎ。導線折れすぎ。小型枡形すぎ。
築城者や築城年代については、文献史学・考古学・縄張り研究をごっそり巻き込んで血で血を洗う大論争が繰り広げられていました。地獄を見たい人だけ調べてみてください。

2021年05月06日 きみたん
杉山城

他の方も言ってますが山城の教科書にはひったりです。後世まで残して欲しい城ですね。近くにある小倉城とセットをオススメします❗2つとも行ってよかったですね❗

2021年05月06日 永久楽武蔵守マクシミリアン
杉山城



「戦国期城郭の最高傑作の一つ」との評価がらある山城。登山靴が必要という口コミで心配しましたが、普通の靴で犬連れで登れました。写真は出郭から見上げた本郭。

2021年05月05日 ホリ部弾正忠タカ安兵衛
杉山城



わざわざ嵐山町役場まで行って100名城スタンプを押してから登城しましたが、城の入り口の特設テント案内所にもスタンプ台がありました。

2021年03月29日 宝咲三河守利樹之丞
杉山城



お寺の前は駐車しないほうがよろしいかと思います。登山靴必要かもしれません。

2020年12月12日 長森原
杉山城



埼玉県内の鎌倉街道上ノ道(上道、上ツ道)の道筋の要所には県が設置した鎌倉街道の説明板がありますが、この説明板の地図の杉山城周辺部を見ると鎌倉街道は菅谷で2つに分岐し杉山城の所で再び合流している事が分かります(この地図は右=北)。

「歴史の道調査報告書」によると、街道の1つは菅谷から県道菅谷寄居線に沿って進み、もう1つは菅谷から平澤寺の前を通過し平澤から杉山城の方へ向かっていました。

アプリの赤色立体図を見ると、杉山城の南西約800mの所に「い」の字型の山が有りますが、平澤ルートの道はこの山と山の狭間の隘路を通り抜け、杉山城の真正面を通過し、今の小川パークヒルの辺りでもう1つの鎌倉街道と合流していました。

築城者についてはまだ謎が残る杉山城ですが、その最大の築城目的が鎌倉街道上ノ道の合流・分岐点の監視・掌握である事は立地から見て明らかです。

今でも井戸郭や北三の郭の木立の間からは、鎌倉街道平澤ルートが山と山の間から出てくる開口部が肉眼ではっきり視認でき、斜面の木が伐採されていたなら本郭からは南北に伸びる2つの鎌倉街道とその合流・分岐点が一望出来た事と思われます。

赤色立体図で杉山城周辺を見る時、築城者の絶妙な選地と計算された緻密な縄張に毎回感嘆させられます。

2020年11月01日 へこ
杉山城

城域の木が綺麗に整理されて草刈りもよくされている。非常に分かりやすい。
駐車場が案内とか無く分かりにくいので事前に調べておくのを進める。

2020年09月08日 マイ兵庫助リバ【人間豚骨】
越畑城[杉山城  周辺城郭]

城主子孫が建立した越畑城石碑には、裏面に『越畑城址の記』が刻まれていますので、お忘れなくチェックしてください。


越畑城石碑より(一部現代文に修正)

 越畑城址の記

 この城は、荘山城守秀俊が築いた城です。西は鎌倉街道に臨み、北は高見城を経て鉢形城、深谷城に達し、南は菅谷館を過ぎ、松山城、川越城に至っています。城のある場所は高峻にして険阻、空堀、塁址が歴々として現存し、実に北武蔵の要害といえます。
 荘氏は武蔵七党児玉氏から出た一族で、庄權守弘高、庄太郎家長などは源義朝、頼朝に仕え功名があり、家長五代の孫・四郎泰家、五郎為久、泰家の子・太郎弘長などは、建武中興の際、新田義貞に従い勲功がありましたが、南朝に風は吹きませんでしたので、新座郡橋戸に退いて郷士となりました。
 時は戦国の世に及び、弘長から三代の末裔・秀俊は山城守を名乗り、永享10年(1438年)には管領上杉憲実に従い、武蔵野国・分倍河原合戦での軍功により領地を比企郡内に賜り、この地に城を築いて居住しました。子の左近将監秀政は越畑の南・杉山の地に支城を築き、その城址は今なお存在しています。
 その後、秀光、弘忠等がこの地を相続し、山内上杉氏、後北条氏に属し、数多の戦場を疾駆し、行秀の代に至って式部少輔と称し、後北条氏の家宰となりました。天正18年(1590年)の小田原攻めの後、太平の世が及んで荘氏の子孫は橋戸及び足立郡新曽に居住し土地を開墾し、祖先の祭祀断たず
 今、荘家系譜の編纂を志し、当所の青木義夫氏の後援により城址を踏査し、この記を作りました。

2020年03月24日 フー甲斐守
杉山城

先人の仰る通りに小川パークヒル(バス停)を利用しました。バスの本数もあり利用しやすかったです。折角なので大手口から登りましたが、バス停の真正面に見えるのが、杉山城北二の郭辺りですので、搦手口から登れば時間的には近いと思います。バス停から10分程度で搦手口入口かなと思います。搦手側は但し駐車場はありませんので、公共交通機関利用の方のみとなりますね。武蔵嵐山駅までは徒歩45分程度でした。

2020年02月09日 Nerikyu
杉山城

(説明板)
国指定史跡 比企城館跡群
杉山城跡 ー戦国期山城の最高傑作一
杉山城の概要
杉山城は鎌倉街道を見下ろす丘陵上につくられています。
傾斜が急な切岸(きりぎし)、各郭にめぐらされた横堀と屏風のように連続する折れ、さまざまな形態の虎口などが複雑に組み合わされていて、高度な築城技術の粋を集めたこの城は、実戦のための城として風格をもち、戦国期山城の最高傑作と高い評価を得ています。城廓研究者やお城好き、歴史ファンの方々が県外からも訪れる隠れた観光スポットです。
これまで築城年代や築城者が不明でしたが、国指定文化財に向けた発掘調査で出土した土器などから15世紀末から16世紀はじめ頃でることがわかり、さらに"杉山の陣"についての古河公方・足利高基の古文書も発見され、関東中が戦乱となった長享・永正の乱において関東管領・山内上杉憲房が扇谷上杉氏に対抗するために築城したということがわかってきました。
未だ、城郭の発掘調査が完了していないため、現在、保存整備計画も同時に計画中です。新たな発見、整備にご期待ください。
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国指定史跡 比企城館跡群
杉山城跡
指定 平成20年3月28日
時代 戦国時代(1520年代ころ)
築城者 上杉憲房(関東管領山内上杉氏)
嵐山町大字杉山字中窪513ほか
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(嵐山町教育委員会 文化スポーツ課)

2020年02月02日 長森原
杉山城



公共交通機関を利用して杉山城を訪れる場合、武蔵嵐山の隣の小川町駅前から小川パークヒル行きのバスを利用して行く事も可能です。終点の小川パークヒルから坂を降り市野川の対岸にある杉山城入口まで徒歩15〜20分程。
自分は再訪時に行きは小川町からバス、帰りは武蔵嵐山まで歩いてみました。夏場だったら往復ともバスを利用するのも有りかと思います。

2019年11月04日 まさある甲斐守
駐車場[杉山城  駐車場]

杉山城跡見学者用駐車場。砂利ですが広いし十分立派です。無料。

2019年06月01日 GINTOKI
杉山城



杉山城、山城のお手本と言われるだけのことはある!続100名城スタンプは嵐山町役場のホールにあります!見学者用の駐車場があります!トイレや休憩用のベンチ等はありません!

2019年05月30日 あおっち図書助
杉山城



攻城は春。
近くの中学校内に城用の臨時駐車場あり。駐車場は休日でも解放されていました。喰い違い虎口、堀など綺麗に残っていて、モコモコした地形に子供も大興奮でした。人が二人並べない程狭い小道(両脇は急な堀)を辿って、桜を愛でながらまわりました。
スタンプ置き場のある嵐山役場に城の模型もあり、ざっくり頭に入れてから回るといい感じでした(^^)

2019年05月12日 七代目尾張守宗春
1/500模型[杉山城  碑・説明板]



この模型は、昭和56年2月測量を基に、文化スポーツ課で手作りしたものです。 とのこと。

2018年10月15日 オレんじ
杉山城

武蔵嵐山駅からバスで女性会館下車で菅谷館を回って、そこからタクシーで嵐山役場を経由しスタンプを押し、杉山城に行く。
帰りは徒歩で武蔵嵐山駅に。

2018年10月14日 マンボウ
杉山城

行きはタクシー、帰りは徒歩で。
真夏だときついかな?
コンパクトに技巧が凝縮されたアスレチック感のあるお城でした。


2018年07月11日 相模守 影丸
杉山城

東武線でやって来る人に。菅谷館と杉山城をセットで回るのは徒歩ではちょっと大変ですよ。相互を繋ぐバスもレンタサイクルも無いので、半日はひたすら歩く覚悟がいるかと。
(出来ればレンタサイクルを駅の観光案内所辺りで確保して欲しいもんですが…。

2018年05月21日 ザキ佐渡守
杉山城

5/20の日曜日に行きました。
城跡の場所分かりにくいですね。
スタンプは日曜日でしたが役場に普通に正面玄関から入ってすぐにありました。

2018年04月21日 "長門守"小野の妹の子
杉山城

武蔵嵐山駅から公共交通手段がないので徒歩のみ。続100名城スタンプは嵐山町役場にあり、駅からだと20分位歩き坂を登ってたどり着く。そこからちょうどその裏の小高い丘が杉山城。町役場すら城館群の一つじゃないかと感じる。
ちなみにコンビニは駅前のローソンしかないので注意。

2018年04月07日 相模守 影丸
杉山城

続百名城スタンプは嵐山町役場入口入ってすぐのところにありました。土曜日でしたが。入り口は開いてました。

2018年01月15日 Nabeppu左馬頭
杉山城

嵐山町教育委員会に尋ねたところ、お寺の方から上がった所の入口のケースにパンフレットがあるのは、変わりませんが、4月から開始される続100名城のスタンプについては、城跡には設置されず、町役場に置かれる予定、また土日祝については、夜間休日窓口に廻って下さいとの事です。

2018年01月04日 シレトコスミレ
杉山城

続100名城に選定されたためか、嵐山町立玉ノ岡中学校の体育館北の駐車場が見学者用に提供されていました。駐車場から直接大手口に出られます。ただし、学校行事等の時は使用できないようです。

2017年06月04日 旗印は丸に桔梗
杉山城

コンパクトでありながら、見事な土累と堀でできた城です♪
先人が口コミ啓上したように、とても綺麗に整備保存されています。整備しすぎて訳が分からなくなっていることもありませんので、見応え満点です。
今回は武蔵嵐山駅から日差しを遮るものなしの乾っからの道を歩きましたが、30分位かかりました。夏場は十分な水分補給をした方がいいです‼


2017年03月18日 相模守 影丸
杉山城

杉山城に車で来る場合は積善寺前の駐車場が利用できますが、普通車2台程度しか停められませんのでご注意を。

2017年01月29日 治部少輔義龍
杉山城

圧倒される城。歩くのも楽です。遺構が良く残っており城好きなら一度は訪れたい城です。杉山城入口にある積善寺に車をとめさせてもらいました。

2016年03月13日 カーネル
杉山城

東武東上線 武蔵嵐山駅の北口に降りて線路沿いに歩く
しばらくすると線路と離れながら、北西へずっと歩く

途中の小川にかかる橋に中学校の名前が入った杉山城の案内板。地元に周知されている城っていいですよね

積善寺南の交差点に大手への案内板あり。登って出郭にパンフレットもあり

皆さん書かれている通り、整備が行き届いていて、尽力されている方々に感謝です
南の郭・本丸・東の郭・北の郭を見て、そのまま搦め手口を経由して北に降りる
ここから小倉城へ行くので舗装路にでたら左折します。ここまで駅から1時間半

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです


2015年11月03日 景政輝虎
杉山城

これでもか!っと言う位の横矢掛りに圧倒されました。他にも食い違い虎口屏風折れ等見所満載!実際見に行くと、中世城郭の教科書と言われるが分かります。土の城が好きな人は見に行って損はありません。後、先の方々も書いていますが、中学校やボランティアの方に感謝です。

2015年11月01日 浜浜左衛門佐二郎勝頼
杉山城

横幅120m・縦300mのコンパクトな山城で、全ての曲輪をじっくり見ても1時間かからない。

大坂城の大手門南の南外濠の半分の面積ながら、9つの曲輪を配し、しかも全ての虎口・木橋に横矢を配置。そんな狭さのため建物の遺構は無し。

土の城の芸術、築城の教科書、戦国期城郭の最高傑作の一つと言われながら、史書にはでてこない無名の城。

いつ築城されたのかいわゆる杉山城問題とは別に、南北問題・東西問題という東西南北の縄張りアンバランスさがある。

戦闘正面がどこなのか、謎謎しながら歩き回りたい。

印象的だったのは、ガイドに見せてもらった本丸で発掘された投石用の石ころ山盛りの写真、城の破却を意味する井戸に被せた巨岩、そしてその巨岩の下から今でも湧き出ている水。

そんな杉山城の主郭に立てば、きっとあなたも缶蹴りをしたくなるだろう。

2015年06月13日 永眠武蔵守釋 葱進
杉山城

嵐山史跡の博物館(菅谷城跡)に「比企城館跡群」の一つとして資料が展示されています。

杉山城址そのものは先の口コミにもあるように、「杉山城跡保存会」や隣の中学校によるボランティア活動によって整備されているようです。
おかげで快適な城跡散策が楽しめます。

2015年06月02日 田部朝臣土持安房守
杉山城

搦め手(北)側にある道路脇に車を止められるスペースが有りますが…お寺の方が正しく大手口で、見学者向けのパンフレットもそちらからでないと置いてないのでお勧め出来ません。
ボランティアの方々のご努力で夏期でも草刈がちゃんとしていて見晴らしが良く、大変に見応えのある遺構が残されているのが問題なく見れます。夏の山城はとかく虫に悩まされますが、ここなら安心に思います。
面積的には平均というべきで、一周にはさほど時間はかかりません。

2013年03月17日 すかんぴん左馬助
杉山城

玉ノ岡中学校の手前の積善寺へ入る道の所に『杉山城 大手口』の小さい立て札があります。
積善寺の駐車場に停めさせてもらいました。
仮設トイレもあります。

大手口には嵐山町発行の杉山城に関する小冊子が置いてあります。




2012年07月15日 尻啖え孫市右近衛大将
杉山城

杉山城を見て死ね、と言いたいぐらい戦国時代の典型的な遺構が所狭しと残っている。横矢掛、食い違い虎口、升形土塁、縦堀、城の真髄を知るには、小さな城に限る。私有地とのこと、雑草もない行き届いた管理をされている所有者の方にこの場を借りて心からお礼を言いたい。杉山にはヤマユリがよく似合う。

2010年08月01日 侍従えっき
杉山城

ちっちゃいながらも手入れが行き届いていて、楽しく見れました。オススメ

手入れされてる方、地権者の好意に感謝

杉山城の周辺スポット情報

 出郭と大手口(遺構・復元物)

 帯郭状土塁(遺構・復元物)

 馬出郭(遺構・復元物)

 南三の郭東側屏風折切岸(遺構・復元物)

 南二・南三の郭の食い違い虎口(遺構・復元物)

 本郭・井戸郭間の横堀(遺構・復元物)

 井戸跡(遺構・復元物)

 本郭北虎口(遺構・復元物)

 北二の郭の虎口(遺構・復元物)

 北三・北二の郭の間の横堀(遺構・復元物)

 搦手口跡(遺構・復元物)

 北三の廓土塁(遺構・復元物)

 1/500模型(碑・説明板)

 杉山城址碑(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 越畑城趾之碑(碑・説明板)

 説明板(搦手口入口)(碑・説明板)

 越畑城(周辺城郭)

 谷ッ城(周辺城郭)

 平澤寺・太田資康詩歌会跡(寺社・史跡)

 杉山六万坂の石仏群(寺社・史跡)

 積善寺(寺社・史跡)

 志賀観音堂の石仏群(寺社・史跡)

 嵐山町役場(スタンプ)

 簡易トイレ(トイレ)

 玉ノ岡中学校トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 小川パークヒル・バス停(その他)

 鎌倉街道上ノ道・市野川沿いルート(その他)

 鎌倉街道上ノ道・市野川沿いルート(その他)

 鎌倉街道上ノ道・平澤ルート(その他)

 鎌倉街道上ノ道・平澤ルート(その他)

 東曲輪群方面入口(その他)

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