越畑城

越畑城([杉山城  周辺城郭])

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越畑城の口コミ情報

2020年09月08日 大膳大夫マイリバ
城主子孫が建立した越畑城石碑には、裏面に『越畑城址の記』が刻まれていますので、お忘れなくチェックしてください。


越畑城石碑より(一部現代文に修正)

 越畑城址の記

 この城は、荘山城守秀俊が築いた城です。西は鎌倉街道に臨み、北は高見城を経て鉢形城、深谷城に達し、南は菅谷館を過ぎ、松山城、川越城に至っています。城のある場所は高峻にして険阻、空堀、塁址が歴々として現存し、実に北武蔵の要害といえます。
 荘氏は武蔵七党児玉氏から出た一族で、庄權守弘高、庄太郎家長などは源義朝、頼朝に仕え功名があり、家長五代の孫・四郎泰家、五郎為久、泰家の子・太郎弘長などは、建武中興の際、新田義貞に従い勲功がありましたが、南朝に風は吹きませんでしたので、新座郡橋戸に退いて郷士となりました。
 時は戦国の世に及び、弘長から三代の末裔・秀俊は山城守を名乗り、永享10年(1438年)には管領上杉憲実に従い、武蔵野国・分倍河原合戦での軍功により領地を比企郡内に賜り、この地に城を築いて居住しました。子の左近将監秀政は越畑の南・杉山の地に支城を築き、その城址は今なお存在しています。
 その後、秀光、弘忠等がこの地を相続し、山内上杉氏、後北条氏に属し、数多の戦場を疾駆し、行秀の代に至って式部少輔と称し、後北条氏の家宰となりました。天正18年(1590年)の小田原攻めの後、太平の世が及んで荘氏の子孫は橋戸及び足立郡新曽に居住し土地を開墾し、祖先の祭祀断たず
 今、荘家系譜の編纂を志し、当所の青木義夫氏の後援により城址を踏査し、この記を作りました。

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