大蔵館(おおくらやかた)

大蔵館の基本情報

通称・別名

源義賢館、大蔵堀の内

所在地

埼玉県比企郡嵐山町大蔵522他

旧国名

武蔵国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

源義賢

築城年

仁平2年(1152)

主な改修者

主な城主

源義賢

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、掘立柱建物跡

指定文化財

県史跡(大蔵館跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

菅谷館(埼玉県比企郡)[1.1km]
小倉城(埼玉県比企郡)[3.0km]
杉山城(埼玉県比企郡)[4.2km]
青鳥城(埼玉県東松山市)[4.3km]
山田城(埼玉県比企郡)[5.7km]

大蔵館の解説文

大蔵館は、8次にわたる発掘調査や館周辺の遺跡群の発掘調査、現存する考古資料などから、小館と大館の2つの構えが存在したことがわかっている。

現存するのは大館の跡で、土塁や空堀の配置状況から推定される規模が東西170、南北220メートルを測り、面積にして4万平方メートルに及ぶ。

一方、小館の跡は、発掘調査により遺構が確認されたものであり、一辺が70メートルの堀を方形にめぐらせた区画である。堀の内側には柵列のような柱穴列や掘立柱の建物跡などが確認された。しかし、大小の館が築かれ、存在した年代の詳細は明らかではない。

この地域の中世史は、大きく3期に分けて理解することができる。第1期は、12世紀代、すなわち史料に見る源義賢の年代である。第2期は、13世紀から14世紀前半代、この時期は周辺遺跡群や考古資料とも一致する大蔵の最盛期で、鎌倉街道大蔵宿の繁栄が背景にあったと予想される。

小館の堀は、この時期の終わりには完全に埋め戻されている。第3期は、15世紀以降、極端に出土品や考古資料が少なくなり、地域の衰退期と捉えることができるが、大館の普請が行われた時期と考えられる。

発掘調査によって判明した大小の館跡は、「鎌倉街道」と都幾川の河川交通の交わる大蔵宿の中心としての姿や、街道筋で南北朝~室町、戦国期に繰り返された多くの合戦の際にも、攻防の場、また拠点として利用されていた様相をうかがわせている。

情報提供:嵐山町文化スポーツ課

大蔵館の口コミ情報

永眠武蔵守釋 葱進様[2016年04月02日]
大蔵神社境内に新しい案内板が設置され(28年3月)、そこに描かれた図に残存する土塁や堀の場所が記されています。
西側(境内)土塁・東側土塁と堀・北側土塁をぐるりとめぐっても10分ほどで廻れます(見学時間は別途)

武蔵嵐山駅からバスの便あり(ときがわ町営)、休日でも二時間に一本程度の運行本数あります。
また菅谷城も比較的近くにあるので、そちらと一緒に廻るとよいと思います。

まー宮内卿様[2015年10月20日]
県道172号線は車の往来が激しいので写真を撮ったりする時は気をつけましょう。大蔵神社過ぎてすぐ左折すると端に寄せて駐車出来ます。案内板や石碑は木に隠れてます。

ぎっちゃん様[2011年10月17日]
大蔵神社の東、民家横にも土塁と案内板がありますので見逃さないように。源義賢らの供養塔もあります。

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