平山館(ひらやまやかた)
平山館の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 埼玉県熊谷市樋春宮表
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 平山豊後守
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 平山(新井)氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(水堀)
指定文化財
- 国重要文化財(平山家住宅)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
成田氏館(埼玉県熊谷市)[5.8km]
別府城(埼玉県熊谷市)[5.9km]
本田城(埼玉県深谷市)[6.6km]
比企能員館(埼玉県東松山市)[7.2km]
山田城(埼玉県比企郡)[7.4km]
中条氏館(埼玉県熊谷市)[7.4km]
庁鼻和城(埼玉県深谷市)[7.7km]
皿尾城(埼玉県行田市)[8.5km]
人見館(埼玉県深谷市)[8.5km]
杉山城(埼玉県比企郡)[8.7km]
平山館の解説文
平山館の口コミ情報
2024年03月17日 マグロ常陸介祐平
平山館
戦国時代に深谷上杉氏に仕えていた平山季重の後裔の平山(新井)豊後守が、深谷城落城により、深谷市域より当地の中世館跡に居を移し帰農したようです。元の居館主は、わかっていないようです。17世紀の建築と推定される住宅は平山家住宅(写真4枚目)として国の重要文化財に指定されています。代々名主を務めたようですが、あまり格式ばっていない素朴な建物です。
住宅の周りは南側を除き土塁と堀が見られ、単郭の中世館の雰囲気を感じさせます。当時、堀は水が引かれ水堀だったようです。南に100m程の場所には七社神社がありますが、こちらも玉石を使用した土塁(写真8枚目)に囲まれており、上部が欠けていますが板碑(写真7枚目、付近にある廃仏毀釈で廃寺となった観音寺には日本で2番目に古い安貞二年の板碑があり、県の文化財に指定されています)が見られ、土塁は近世のものと思われますが、古くからの土地であることが窺えます。
2023年10月09日 マグロ常陸介祐平
常安寺館[平山館 周辺城郭]
県道11号線沿いにある常安寺が城址です。お寺の西側から北側にかけて土塁が見られます。本堂の左脇に水堀のようなもの(写真5枚目)が見られますが、土塁の内側なので池ですね。
本堂北側にある土塁の上には、板碑が二本建っており、中世からの遺跡かもしれません。
2023年10月09日 マグロ常陸介祐平
上杉氏館[平山館 周辺城郭]
Googleマップに位置登録されているので立ち寄ってみました。埼玉苗字辞典では(小久保氏の項)、上杉氏憲の館というが、小久保氏出身で上杉の名称継承者の憲成らの居住ではないかと推測しています。
私有地の為入ることは出来ませんが、道路からやや高さのある土塁が一筋(写真3,4枚目)確認できます。
また、道路の角に雑木林に入る小道があり、民家の近くまで進むと土塁の痕跡のような土盛り(写真1枚目)がありました。
1982年の道路改修による調査では、堀・土塁・井戸・板碑・陶磁器などが、確認されたようです。
2023年10月09日 マグロ常陸介祐平
成沢城[平山館 周辺城郭]
静簡院が城址となります。
お寺の説明板によると、大永五年に成澤越前守隼人正義佑が、関東管領上杉憲政の保護下において武田信玄に対応するため、甲斐に通じる間道の要衝に築城したとありますが、年代があっていないように思われます。
義佑戦死後、上杉氏一門が守備した関係から、お寺は深谷城主上杉憲盛が創建し、境内には平成五年に建てられた憲盛の墓があります。
僅かですが、寺の背後と正面の駐車場裏に土塁が見られます。
2023年10月08日 マグロ常陸介祐平
増田氏館[平山館 周辺城郭]
日本三体文殊として有名な文殊寺が城址です。文明年間に文殊寺を再建した、増田四郎重富の館とされているようです(深谷にも同人の館があります)。
本堂の裏にまわると土塁状のものが見えますが、伐採された枝を積んだものでした(写真4枚目)。さらに奥に進むと霊園があり、道路の手前に薄い土塁と堀が確認できます。土塁と堀は、寺の西側から北側へと続きますが、堀の巾は2m程度で、防衛面では心もとない構造です。堀が浅く雑草が生い茂っているため、写真では分かりづらいと思います(写真2,3枚目)。
2023年05月03日 FUKU
平山館
民家敷地内にありお住まいの方かな(?_?)見学かと問いかけられました❗茅葺き屋根外観は史跡その物で建物内は私物な物もあり上手く利用しているようです🎵維持していくのは大変と思いました❕無料で見学出来ることに感謝します❤️
2022年08月22日 菊左近衛少将
平山館
通りすがりにみつけました。思ったよりしっかり石垣がはっきり残っていました。
2016年06月26日 永眠武蔵守釋 葱進
平山館
JA直売所なご味に車を置いて北へ2分弱歩くと茅葺き屋根の平山家住宅があります。
現在の建物は1700年頃のものと云われています。(建物に関する資料は土間に常備されています)
平山氏は源平合戦で活躍した平山季重の子孫と伝えられ、江戸時代頃には樋管と用水路の管理等を行う名主であったとのこと。
先の口コミの通り、南面以外の土塁や堀が残っており、かつては館の北を流れる用水路から堀に水を引いていたようです。
敷地内には今も人がお住まいになられているので、見学自由とはいえ家の方を見掛けたら一声かけたいものですね。
JAなご味の食堂(昼時のみ営業、月曜休)では、熊谷市が力を入れている「熊谷うどん」や「雪くま」が食べられますよ。
2015年06月05日 永眠武蔵守釋 葱進
平山館
熊谷市のゆうゆうバスほたる号(熊谷駅~江南地区~籠原駅)利用なら、JA直売所なご味バス停が最寄りとなります。
2014年06月01日 こにみん
平山館
JAくまがやふれあいセンター江南店の近くに「平山家住宅←」の立て看板があり、車1台通れますが、民家の庭の様なので、前述のセンターに駐車した方が無難です。民家には犬がいて吠えられるのでご注意(^_^;)。
2012年01月31日 ぎっちゃん
平山館
重要文化財の平山家住宅の建つ地が館跡。屋敷林と化していますが南を除く三方に土塁、掘が残っています。特に北側の掘は深さもあって中々のもの。今は空掘ですが、かつては用水路から水を引いた水掘だったそうです。
南側と西側の土塁・空堀は大半が道路や畑となっていて消滅していますが、北側・東側は比較的良好に土塁と空堀の遺構が確認できます。
北側の土塁と空堀は状態もよく残存しています。建物は、桁行九間(東西方向の幅17.4m)、梁行六間(南北方向の幅11.9m)の入母屋造であり、茅葺の屋根を持つ平屋建ての構造です。
西・南面は大屋根の下方に庇を重ね、重い茅葺屋根を強固に支えています。これらの庇は低く、東側では人間の肩に届くほどの高さです。吹き抜けの天井となる土間は、四十畳の広さがあり、そこにはカマドが築かれています。右手側には馬を飼うウマヤが設けられています。室内に露出した梁組の素材には、巧みに補整された赤松材などが用いられ、建築構造の緻密さと豪壮な外観が調和した建築物としては国内屈指の農家住宅です。
交通
・秩父鉄道ひろせ野鳥の森駅 徒歩15分