安戸城
安戸城([腰越城 周辺城郭])
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安戸城の口コミ情報
2025年05月18日 マグロ常陸介祐平
城址に建つ説明板によると、松山城争奪合戦の折、松山城主上田朝直の退路とされたところで、浄蓮寺と腰城の間に位置し、物見の城か村の城であったと思われるとしています。安戸地区にある天神社の由緒には、天文5年に安戸城主上田左衛門太夫安吉とあるようです。また、安戸は上田氏の家臣山田氏の本領とされる土地で、腰越城と安戸城の中間には山田氏の居館跡や五輪塔群があります。
山田氏は、直定がお隣の腰越城の城主、直定の子の直安が青鳥城の城主とされていますが、幕臣となった山田氏の寛永譜や寛政譜に青鳥城や腰越城が記載されていないのに対して、安戸城は、寛政譜に直定の父某(伊賀守直義)が安戸城に住したと記載されています。安戸城が自分のお城だったことに対して、青鳥城や腰越城は知行を伴わない在番の武士の長だったということでしょうか。正確な実名が伝わらない直定の父の某が亡くなったのは寛永元年で、直定や直安の死よりあとまで長生きし(97歳)直安の死後は再度当主となっているようです。
説明板に縄張り図が載っていますが、お城は城山の山頂に築かれており、2つの郭で構成され、本曲輪は40×10程度で東側を除き帯郭が囲み、北側の2郭は15×8m程の大きさです。お城の東側端には可愛らしい堀切(写真7枚目)、2郭の西側には竪堀(写真8枚目)が見られます。
青鳥城や腰越城に比べると、単純でコンパクトなお城でした。
2021年01月03日 ️…
安戸城解説板より
安戸城跡 東秩父村指定 記念物(史跡)
昭和56年12月20日指定
安戸の西端に連なる城山の山頂端部に造られています。安戸側に伸びるやせ尾根東側を小さく堀り切り、その堀切から南回りで西側にかけて、本郭の西から南を2m50cm程切り落として鉢巻状に幅2〜4m程の腰郭を置いています。
二の郭は幅2m程の竪堀に遮られ15m×8m程の広場になり、本郭は二の郭より2m程高く、本郭は幅10m、長さ40m程の規模に造られています。
本城は、室町から戦国時代に数多く繰り広げられた松山城争奪合戦の折、松山城主・上田朝直の退路とされたところで、浄蓮寺と腰越城との間に位置し、物見の城か村の城であったと思われます。
本村内唯一の中世城跡として、きわめて貴重です。
安戸地域計画策定委員会 平成27年12月1日