武蔵中城
武蔵中城([腰越城 周辺城郭])
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武蔵中城の口コミ情報
2022年07月24日 RED副将軍
折れの伴う二重土塁と横堀が巡り、単郭ながらも見事なものでした✨
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。鎌倉時代は猿尾種直、室町時代初期には斎藤重範の居城であったと伝えられています。戦国時代には腰越城主である山田直定の出城となっていた様です。江戸時代には旗本の金子伊予守の陣屋が置かれました。
見所
主郭内部はテニスコートとなっている単郭の城跡です。二重の土塁と横堀が巡り、土塁は折れが伴い、横矢掛かりが効いていて、なかなか見応えがあります。
行き方は、陣屋沼緑地公園として整備され、北側に車1台分の駐車スペースがあります。仙覚律師遺跡としての案内の方が多いと思います。西側の登城口から登りました。
2022年04月17日 長森原
伝承では鎌倉時代の地元の豪族・猿尾太郎種直の居城跡とされ、学僧・仙覚律師がこの城で「萬葉集註釈」を完成させたとも伝わりますが、発掘では鎌倉時代に遡る遺構・遺物は発見されておらず、城跡と伝承との関わりは不明です。
そして現在残っている遺構は、明らかに戦国時代のもので、単郭ながら折れの有る高い二重土塁や空堀、櫓台などを見る事ができます。
中城は、鎌倉街道山辺ノ道を見下ろす台地の先端にあり、付近にある青山城、腰越城とは互いに視認する事が可能な立地でした。
ちなみに中城が見下ろしていた麓の鎌倉街道山辺ノ道は、八王子から飯能を経由して上州へと向かう古道です。(現在のJR八高線は、ほぼこの古道に沿って走っています)
この街道は戦国後期には、鉢形城大手口と滝山城、小田原城を結ぶメインルートとなった為、後北条氏にとって大変重要な道となりました。
腰越城の支城として語られる事の多い中城ですが、鉢形城が後北条氏の支配下となってからは、鉢形城と小田原城・滝山城を結ぶ連絡路の中継基地として使われる事もあったかも知れません。
2021年04月28日 みめぐり
戦国時代には腰越城の支城として利用。
小川町駅から徒歩10分程度の住宅街の台地にあり、テニスコート(主郭)を囲む2重の土塁と空堀が残っています。住宅街に現れる土塁の高さには驚きます!!
ちょっとわかりにくいですが、仙覚律師遺跡(中城)という案内が周辺にいくつかあります。
2020年11月09日 拓之助中務少輔
台地上に築かれた単郭の城郭で構え堀に二重土塁、食い違い小口、櫓台が見られます。発掘調査で15世紀後半頃の出土物が見られ文明6年「太田道灌状」にある上田上野介在郷地小河に関係する城郭と考えられます、
現在、本郭に石碑、櫓台に神社、2の郭にテニスコートと変わっていますが、堀、土塁など上手くのこっています。
2019年04月24日 土塁ルイ
武蔵中城(猿尾城)です。戦国期は腰越城の支城でした。小川町の市街地にあり、土塁、堀、櫓台など良く残っています。陣屋沼の北側に小さな駐車場あり。腰越城攻めの際は一緒に巡ってみてください。