檜原城(ひのはらじょう)

檜原城の基本情報

通称・別名

本宿城

所在地

東京都西多摩郡檜原村本宿

旧国名

武蔵国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

平山氏

築城年

戦国時代

主な改修者

主な城主

平山氏(北条氏家臣)

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、堀切、竪堀

指定文化財

都史跡(檜原城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

戸倉城(東京都あきる野市)[4.9km]
網代城(東京都あきる野市)[9.0km]
杉田屋敷(東京都西多摩郡)[10.7km]
浄福寺城(東京都八王子市)[11.1km]
上野原城(山梨県上野原市)[11.8km]
辛垣城(東京都青梅市)[11.8km]
戸吹城(東京都あきる野市)[12.3km]
小田野城(東京都八王子市)[12.5km]
八王子城(東京都八王子市)[12.8km]
勝沼城(東京都青梅市)[14.1km]

檜原城の解説文

檜原城は、武蔵七党のひとつである西党の一員で、戦国時代には北条氏に従った平山氏の居城である。

天正18年(1590)の小田原の役の際に豊臣秀吉の軍勢に攻められ落城、平山氏も滅亡したとされる。

建造物は残っていないものの、地形は当時に近い形で残っており、歴史的価値の高い城址となっている。

檜原城の口コミ情報

2024年06月14日 加納遠江守
檜原城



吉祥寺からの急坂の山頂にある小振りな城ですが、廓がよく残っています。麓近くの豆腐屋さんで豆腐アイス、おからドーナツ召し上がれ。

2024年02月16日 いれぶん[⭕️雁雁]
武州檜原村口留番所跡[檜原城  寺社・史跡]



口留番所・復元の木戸

 一夫、之を守れば万卒通り難い要所にあった"檜原の口留の番所"は元和九年(一六二三年)に三代将軍徳川家光が征夷大将軍に任ぜられて上洛した時に設置された。時移り、江戸幕府が大政を奉還した慶応三年(一八六七年)までの二四五年間、檜原村四六九番地の地に存続した。
 建物が設置されたのは、寛永八年(一六三一年)であるが、この年の五月には徳川家光の弟、忠長が甲斐の国に幽囚されている。そこで甲州中道として浅間嶺を通る檜原口は特に重視され通行するにはきびしい談があった。
 寛永八年ごろの談には"村民や近郷の樵夫や、草刈り・耕作する人の外は一切の来往を禁ず"とされていた。又時代が下って慶応元年の長州征伐が行われたような内外の騒擾が起こった時や、国内に重要な事件があった時は往来する取締りはきびしかったが、平時は通行が許された。
「通方御定法とおりかたごじょうほう」からみた往来のおおせの一部を参考までに載せると次の通りである
・甲州の方に出ていく人は役人手形や所持品を改めてから通す。
・江戸に入る者は所持品を改めてから通行させる。
・遠方への荷物や人態の変っている者は往来を禁ずる。
・女は出入りとも手形がなければ通行を禁ずる。
・夜中は村人以外の通行を禁ずる。
・番所の建物や設備は次の通りであった。
1、木戸 
道をまたいで東面し、柱間は九尺で板葺き、その左右に三間半ずつの塀垣があった。後に縮少した。
2、番屋
村の奥に向って右側にあり南面して建てられていた。建坪は間口三間、奥行二間平家建て茅葺きである。番屋には三つの道具(刺股、突棒、袖溺み)が置かれ、建物の左右には二張の高提燈がたてられていた。
3、高札場
木戸東の南側にあり掟などを掲示した。
4、桝 形
木戸から西へ出て、道が左へ直角に曲がる西の方に長さ二間と四間の桝形があった。復元された木戸は、往事に類似するようにして作られたものである。
平成五年九月一日
檜原村教育委員会
(案内看板全文)

2024年02月16日 いれぶん[⭕️雁雁]
檜原城



南北に展開し、ニの郭と本郭の袖郭の間に竪堀と空堀を有しつつも土橋で繋ぐ他は、北から南に向かい階段状に繋がる形状の城。竪堀はほぼ直線的に麓の吉祥寺まで伸展しています。

登城路については東京都の案内看板に掲載されている縄張図に点線で記されている路が、実際のイメージに近いと思います。郷土資料館でみられる古城図の経路は、つづれおりしながら二の郭外側の複数ある袖郭の先に繋がる位置にされていましたので、現状の登城路(白木の丸太でハッキリと位置がわかるようになっていて、非常にわかりやすいです)とは位置が違うようです。大手道についてもよくわかりません。

ニの郭と本郭袖最下段からは東京側(東側)が、本郭からは山梨側(西側)の山並がよく見えました。本郭南側の搦手側は危険の為か立入禁止になっていました。

2024年02月16日 いれぶん[⭕️雁雁]
吉祥寺[檜原城  寺社・史跡]



吉祥寺は、応安6年(1373)平山一族の広風左全(法名)が、建長38世古先印元(勅諡正宗広智禅師)を請じて創建されたと伝えられる。末寺19カ寺を数えたが漸次合寺して7カ寺となった。旧建物は永正年間に焼失し、その後、吉野一族が再建、300年を経て大破し、文政8年(1825)再々健し現在に至っている。
(以上、檜原村観光協会HPより)

平山一族創建と伝えられますが、現存建物にある家紋は"三つ鱗"(北条氏)だけで、"鷹の羽"(藤橋城平山家等)や"丸に二つ引き紋"(平山季重)は見受けられません。また、檜原村観光協会HPでは、吉祥寺は館跡だとしています。郷土資料館にて発掘等の調査について伺った所、1590年と思われる火災の痕跡は見られず、合戦が起きたかどうかについても現状は不鮮明との事でした。調査の進展が必要なようです。

参拝者用の駐車場は6台程度です。御朱印を頂きに伺う時に駐車の許可を得ました。トイレについても貸して頂けるように表示がありました。

2024年02月16日 いれぶん[⭕️雁雁]
岩舟地蔵尊[檜原城  寺社・史跡]



岩舟地蔵尊
 "いつの頃か檜原村へ郷送りされて来た"と伝えられている木造丹塗りの半跏像で、吉野家(檜原村四七二番地、当主吉野連一氏家)によって代々手厚く管理供養され、なお広く村民からも尊信されてきた地蔵尊である。
 この地蔵尊は、檜原城最後の城主であった平山氏重の妹姫(鶴寿)が信仰していた念持物で、現青梅市の藤橋にあった藤橋城の城主平山光義へ嫁入りの時に持参し、その城下にあったさる寺院へ寄進しておいた。ところが懐妊している奥方の鶴寿は、平山光義が後北条氏に攻略される前に檜原城へ送り返された。永禄六年(一五六三年)後北条氏に敗れた光義は、小田原城に拉致されてしまう。それでも後北条方に敵対しなかった檜原城主と、ひいては鶴寿に対して藤橋の城下民は憎しみの余り、その念持仏を実家である檜原へ郷送りした。という説がある。しかし、この郷送りの措置は、後北条氏の監視をはばかってのことで、鶴寿夫人を慰める最高の気配りではなかっただろうか。
 ちなみに、この説に登場する平山光義は暫くして釈放され、下総(現千葉県)の多古へ渡って土着した。これを知った鶴寿は直ちに後を追って行き、翌永禄七年に第一子の光高をもうけたという。その後この平山家は、千葉県内の香取郡干潟町鎬木へ移っているが、子孫は今に繁栄しているという。
昭和六十二年九月一日
檜原村教育委員会
(案内板より全文)

平山城址公園駅前に平山季重遺跡之碑がありますが、「二十五世孫 下総国香取郡鏑木村 平山信一郎日奉正義 建石」と裏面に記されています。

2024年02月01日 いれぶん[⭕️雁雁]
檜原村郷土資料館[檜原城  関連施設]



檜原城主平山氏重文書(1580年)、伝氏重所用甲冑、檜原城縄張図数種類、伝武田信玄娘松姫手鏡等が展示されています。檜原城登城時に訪問をお勧めします。
定休日火曜日、開館9:30〜17:00(冬期10:00〜16:00、駐車場四台、館内にトイレ有り、入場無料。館前にバス停があります

2023年01月02日 気分爽快豊後守
檜原城



吉祥寺に駐車させていただき登城。墓地裏からジグザグの道を登ると城跡に到着。沢山の小さな段郭が南北に配置され、南端には三重堀切が確認できた。

①南端の三重堀切
②最大の広さの郭
③②の郭から南側の郭
④南端最高所の郭
⑤②の郭の切岸
⑥北側の郭
⑦北側の郭
⑧麓まで続く竪堀?

2022年05月05日 後志守あったらもんだ
檜原城



アクセスが不便、最寄りの駅からバス便は1時間に1本、歩けば2時間くらいかかる。登山口はお寺さんなので駐車場はあるが、無断は厳禁。ちなみに私は五日市駅中心に輪行で3城跡を攻略した。檜原城跡へはお寺さん裏の墓地からジグザグに入り組んだ十三佛めぐりの参拝路を抜けて行く。

2022年02月17日 土支田大膳大夫
王子ヶ城[檜原城  周辺城郭]

檜原城の出城とも、源為定の居城とも伝わる。現在、遺構は確認できない。

2022年02月17日 土支田大膳大夫
御嶽山城[檜原城  周辺城郭]

室町時代以前に三田氏が築城したと考えられている。室町時代に入ると山内上杉氏の拠点として、安保泰広が入城した。その後、天文21年(1552)には北条氏康に攻められ落城し、平沢政実が入城した。
現在、城跡には堀切、土塁などが残る。

2021年12月13日 マグロ常陸介祐平
檜原城



吉祥寺から十三仏巡りのつづら折りの坂道を20分登ると開けた郭に出ます。連続した小さな郭と堀切が確認できます。写真のお地蔵さんの右奥に道が続いていますが、かなり急な下りで落ち葉も多く木の枝を掴んで降りようとしましたが枯れ枝を掴んでしまい危なく滑落しそうになりました。1人でのチャレンジは辞めた方が良いでしょう。余談ですが城の裏側には払沢の滝があり一見の価値ありです。

2021年10月31日 うっきー
檜原城



武蔵五日市駅からバスで本宿役場前まで。そこから登城口となる吉祥寺までは歩いて数分。吉祥寺から城跡までは歩いて20分ほどです。

2021年09月20日 三ツ鱗▲钁湯無冷所
檜原城



檜原村観光協会の檜原城紹介記事には吉祥寺駐車場利用可能とあったので、吉祥寺に駐車しました。吉祥寺裏手の墓地に向かうも、『檜原城登り口はこちら』と言う看板は何一つありません。先人様の記事の通り吉祥寺墓地裏手をどんどん登ります。そして石仏や仏像が見えてくれば、山頂に確実に向かっている証拠となります。ご安心下さい。自分は石仏を見失い
直登をしましたが、何とか登山路を見付けられました(汗)
墓地裏手スタートから山頂迄、間伐され良く手入れされている杉檜の林をジグザクに、ひたすら登ります。かつて石垣が有った城だそうで、その崩壊石垣が細かくなってる地点があり、足元がしっかり確保出来る靴を履くべきと思いました。登り初めてから中腹は整備がされてない、踏み歩きされている細い道を歩きます。中腹より上は間伐材で整備され歩き易くなっていました。眺望は全く良くないです。高度を上げれば上げる程、少し離れた採石場の作業音が響き渡りました。本丸(説明看板の有る曲輪)から、真東方向に唯一視界が開けています。檜原村中心街とメインストリートが眼下に広がり、狭いながらも遠くにはスカイツリー方面が望めます。

2021年07月25日 もー父
檜原城

檜原城跡は、息の切れる急坂の上。城址に建立されている吉祥寺では濃い墨で丁寧な御朱印がいただけます。

2021年02月11日 源山城守@ポンコ2…
檜原城



公共交通機関で登城される際は、先人様の仰るように武蔵五日市駅から西東京バスで本宿役場前停留所まで、20分(¥430)で到着します。バスは、概ね電車が武蔵五日市駅到着に合わせた発車時刻の設定のようです。

バス停から橘橋わたって吉祥寺庫裡裏の墓地をボチボチ抜け、十三まいりのアーチをくぐって道なりに進むことになります。道案内の標識は麓の案内板近くの1ヵ所のみで、途中分岐点が何ヶ所かありますが、仏様が見えたらそれに導かれたらたどり着けます。なお、郭に一番近い仏様は、フォトの大日如来さんです。
麓から尾根上の郭まで比高約180㍍ほどですが、傾斜がきついジグザグのつづら折れ(15ヵ所までは数えましたが…)を上がることになります。また、中腹から尾根までは木製の滑り止めが最近つけられたようですが、麓から中腹までは小石や落葉の層の上を歩くため、私は出張終わりで靴底平らな革靴で進む途中、何度か滑落しそうになりましたので、足元はそれなりに整えられたほうがよいかと。
PCや着換え等出張セット背負ってましたが、バス停から最初の案内板(麓と同じ内容)のある郭まで、30分ほどでした。草枯れのこの時期ならではかと。

尾根上にいくつかの郭があり、郭と郭の間に堀切が大小4ヵ所ほどあります。郭下に帯郭みたいなスペースや切岸などもありますが、郭の広さは少人数しか守備できないくらいの広さで、八王子城向けの見張り番のような用途かと思いました。また、麓の吉祥寺裏から尾根に向けやや曲りながらの竪堀が一本ありますが、林業の伐採木材を下ろす用に後世つくられた可能性もあり、これは遺構かどうか不明です。

本日は3月の気温で登城時に汗かきましたが、尾根上は冷たい風が気持ちよく汗冷え寒いくらいでした。草など考えると冬から春先の登城がよさそうです。下城は20分ほどでした。

下城後、吉祥寺向かいのたちばな家で、昔ながらのあっさり系醤油ラーメンを個人的には美味しくいただきました。

2020年12月14日 秋山主計允紅守
檜原城

日曜日、檜原村役場の駐車場に駐車して登城してきました。時間があったので檜原村資料館も寄りました。コロナで予約制でしたが入れてもらえました。お城の資料だけでも貴重な品がたくさんあって興味深かったです。資料館の方が丁寧に説明をしてくださいました。お勧めです。

2020年09月21日 いれぶん[⭕️雁雁]
檜原城



檜原村郷土資料館に檜原城の資料があります。入場無料ですが、新コロナ対策の為に閲覧時間が30分以内に制限され、事前予約が必要です(直前可でした)。城跡絵地図・平山氏重甲冑・檜原村絵地図他を閲覧できます。松姫の手鏡には驚かされました。
http://www.vill.hinohara.tokyo.jp/0000000019.html

2017年08月12日 左近衛中将五郎八(いろは)姫
檜原城

武蔵五日市駅から西東京バスの藤倉行き、数馬行きどちらでも行けます。バス停は本宿役場前で下車。
城郭詳細のマップからの経路検索では城跡にはたどり着けませんでした。
口コミにあるように吉祥寺の裏手の墓地の右側からの十三仏巡りの道を上がると城跡の看板があり、仏様が点在しています。
山道になると地盤がゆるく、所々鉄パイプの手すりや捕まるためのロープが張ってありました。しっかりした靴がいいでしょう。
夏場は虫が多く、蛇もいたので肌があまり出ない服装がいいと思います。

2016年12月04日 まー刑部卿
檜原城

午前8時前に到着し檜原村役場の駐車場を借用。日曜日なら5〜6台は停められました。吉祥寺の駐車場でもいいが法要があったりするので気が引けました。十三仏巡りをしながら登城。竪堀はSカーブしてました。また吉祥観音像のところに古井戸有り。登城路は小石混じりで滑りやすいので御注意を。全体的に歩きづらいです。杖かストックを持参していくといいです。本郭に行く際最終的に竪堀を直登しました。

2014年04月14日 【隠者】史学会帰新参
檜原城

バスだと本宿役場前下車 。橋を渡った先にある吉祥寺の裏手の墓地に城跡までの道がある。
城の西側の三重の堀切が最大の見所。堀切までは少し道が悪いので注意。
各曲輪もよく残る。
山城なので城内にはトイレ水道なし。麓の吉祥寺に水道はあるもトイレは不明。バス停のそばの檜原村の役場にトイレ水道あり。土日でも日中は使えるとの事。

2010年09月30日 JJ参議
檜原城

檜原城跡看板探すのに一苦労

2010年06月09日 ️_
檜原城

島嶼部を除く都内唯一の村・檜原村にも落城悲話が残っています。
本宿集落の吉祥寺の西側が城跡です。
登山道入口付近にも解説板がありますが、土橋&堀切が残る主郭まで15分~20分なので、頑張ってみてください
たちばな家の手打ちラーメンとヤマメの塩焼きで兵糧補給、帰路に「瀬音の湯」に立ち寄れば、檜原城目的以外でも秋川渓谷を再訪したくなるでしょう

檜原城の周辺スポット情報

 御嶽山城(周辺城郭)

 王子ヶ城(周辺城郭)

 武州檜原村口留番所跡(寺社・史跡)

 岩舟地蔵尊(寺社・史跡)

 吉祥寺(寺社・史跡)

 御霊檜原神社(寺社・史跡)

 檜原村郷土資料館(関連施設)

 登城口(十三仏まいりアーチ)(その他)

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