武州檜原村口留番所跡

武州檜原村口留番所跡([檜原城  寺社・史跡])

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武州檜原村口留番所跡の口コミ情報

2024年02月16日 いれぶん[⭕️雁雁]


口留番所・復元の木戸

 一夫、之を守れば万卒通り難い要所にあった"檜原の口留の番所"は元和九年(一六二三年)に三代将軍徳川家光が征夷大将軍に任ぜられて上洛した時に設置された。時移り、江戸幕府が大政を奉還した慶応三年(一八六七年)までの二四五年間、檜原村四六九番地の地に存続した。
 建物が設置されたのは、寛永八年(一六三一年)であるが、この年の五月には徳川家光の弟、忠長が甲斐の国に幽囚されている。そこで甲州中道として浅間嶺を通る檜原口は特に重視され通行するにはきびしい談があった。
 寛永八年ごろの談には"村民や近郷の樵夫や、草刈り・耕作する人の外は一切の来往を禁ず"とされていた。又時代が下って慶応元年の長州征伐が行われたような内外の騒擾が起こった時や、国内に重要な事件があった時は往来する取締りはきびしかったが、平時は通行が許された。
「通方御定法とおりかたごじょうほう」からみた往来のおおせの一部を参考までに載せると次の通りである
・甲州の方に出ていく人は役人手形や所持品を改めてから通す。
・江戸に入る者は所持品を改めてから通行させる。
・遠方への荷物や人態の変っている者は往来を禁ずる。
・女は出入りとも手形がなければ通行を禁ずる。
・夜中は村人以外の通行を禁ずる。
・番所の建物や設備は次の通りであった。
1、木戸 
道をまたいで東面し、柱間は九尺で板葺き、その左右に三間半ずつの塀垣があった。後に縮少した。
2、番屋
村の奥に向って右側にあり南面して建てられていた。建坪は間口三間、奥行二間平家建て茅葺きである。番屋には三つの道具(刺股、突棒、袖溺み)が置かれ、建物の左右には二張の高提燈がたてられていた。
3、高札場
木戸東の南側にあり掟などを掲示した。
4、桝 形
木戸から西へ出て、道が左へ直角に曲がる西の方に長さ二間と四間の桝形があった。復元された木戸は、往事に類似するようにして作られたものである。
平成五年九月一日
檜原村教育委員会
(案内看板全文)

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