上野原城(うえのはらじょう)

上野原城の基本情報

通称・別名

内城館、古郡館

所在地

山梨県上野原市上野原

旧国名

甲斐国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

古郡氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

古郡氏、加藤氏

廃城年

天正10年(1582)

遺構

消滅

指定文化財

市史跡(内城館跡)

再建造物

説明板

周辺の城

奥牧野城(神奈川県相模原市)[4.8km]
檜原城(東京都西多摩郡)[11.8km]
八王子城(東京都八王子市)[13.3km]
浄福寺城(東京都八王子市)[13.5km]
戸倉城(東京都あきる野市)[13.9km]
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上野原城の解説文

上野原城(うえのはらじょう)は、甲斐国(現在の山梨県上野原市上野原)にかつてあった日本の城である。

概要
上野原城は武蔵七党の古郡氏が築いた城である。横山忠重が康治年間、古郡郷の別当大夫となり、古郡姓を称した。建暦3年(1213年)、古郡保忠の時に、和田合戦で敗れ滅亡した。

その後、武田信玄の時代には、都留郡上野原の国衆で、武田氏の家臣・加藤氏が入城した。天正10年(1582年)3月、武田勝頼が織田信長に敗れ、天目山の戦いで窮地に陥った際には、加藤信景は主君救援のため、駆けつけようとしたが、武蔵国箱根ヶ崎(東京都瑞穂町)において相模国の北条氏政に敗れて滅亡した。

現在、城跡遺構は宅地開発や高速道路建設で消滅している。

上野原城の口コミ情報

2021年03月28日 ミカン左馬頭ミカン
上野原城

住宅の奥にひっそりあります。見過ごしませぬように…

2021年02月26日 さすらいライダー
上野原城

上野原の町のはずれ、高速道路沿いの住宅地の、小さな神社の中に案内看板がありました。駐車場は無し、ちょつと分かりにかった。

2021年02月23日 eiki
四方津御前山砦[上野原城  周辺城郭]



JR四方津駅から約35分の歩きで標識470メートルの四方津御前山の山頂に到着します。ここは、武田氏狼煙台ネットワークの中継点で、木々に邪魔されますが他の狼煙台ネットワークの大倉砦、栃穴御前山、鶴島御前山と上野原城があった上野原市街が眺められます。山頂は郭であったことがうかがえます。その横に堀切がはっきり確認できます。写真は右側、木の後ろのに栃穴御前山砦左の遠景に上野原市街、その前の尾根に牧野砦

2021年02月21日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
長峰砦[上野原城  周辺城郭]



長峰砦跡は上野原市大椚地区に所在した戦国時代の砦(山城)であり、武田信玄の時代に上野原加藤丹後守が築いたとも言われていますが、明確なことは分かっていません。
長峰砦跡は中央自動車道の改築工事に伴って調査が行われました、その結果として、尾根を整形して造られた郭跡、堀切跡などの中世の砦の遺構が見つかっています!
場所は中央高速の側道のこじんまりとしたスペースに有ります、専用駐車場に三台停められます、遺構は無くて説明板と長峯砦の石碑のみです!
(山梨県埋蔵文化財センターHPより)

2021年02月06日 eiki
鷹取山狼煙台跡[上野原城  その他]



JR藤野駅からハイキングコースがあり、徒歩で約1時間半で到着します。鐘が設置された平場になっており、説明板があります。遺構は特にないですが、コースの途中からは鉢岡山烽火台、鶴島御前山烽火台、栃穴御前山烽火台が眺められ武田の烽火台ネットワークの一翼を担っていたのだと感じられます。写真は鉢岡山烽火台跡、集落の後ろの山頂がやや平坦な山の頂にあります。

2021年02月03日 eiki
大倉砦[上野原城  周辺城郭]



JR上野原駅から小菅の湯行きのバスに乗り、新井バス停で降り、要害山ハイキングコースの案内に従い1時間の登りで標高536メートルの要害山頂に着きます。バス停に降りるとお椀型の山が目に入ってきますがその山の頂です。山頂は広い郭になっており南側に土塁が残っています。秋葉大権現の祠、ベンチ、説明板のある広場になっています。尾根を50メートル進むと二郭も確認できます。ここは武田氏の家臣、加藤氏の上野原城の支城でした。土塁の上から眺める富士山は雄大です。

2021年02月01日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
諏訪神社[上野原城  寺社・史跡]



1569年に武田信玄が小田原城を攻めた際の帰りとなる、三増峠の戦いが終わり甲斐国へ引き上げる時に、武田軍が暖を取る為に立ち寄ったとされる神社です、境内を歩いていたら、以前読んだ新田次郎著書の武田信玄火の巻での武田勝頼軍の配下の兵が諏訪神社の支社の床板を剥がして焼いて暖をとっている所へ武田勝頼が自ら神社に出き、叱り罰したのではなく、余は諏訪大社の大祝であり、その立場で御神体を一時預かる、そして社殿はもう古いので後日建て替えてその際に御神体を元に戻す、よって古い社殿を取り壊しておくようにと、命じその場を兵士達の行為を罰せずに済むよう事態納めたシーンを思い出しました、静かな神社境内は、戦国時代にタイムスリップしそうです!
(富士の国やまなし新田次郎著書風林火山等より)

2021年02月01日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
石楯尾神社[上野原城  寺社・史跡]

三増合戦の禍を受け1569年社殿全部が火災にあい、古記録まで焼失したとWikipediaに記載されている事から、1569年に武田軍が小田原城を攻めた際の帰りとなる、三増峠の戦いが終わり甲斐国へ引き上げる時、当時の10月は現代の12月上句にあたるので、この付近で野営した際にお寺の外壁等を焚き木にしたのかな等々想いながらの散策でした、このお寺の近くには、やはり武田軍が野営したと思われる諏訪神社が有ります!
(Wikipedia等より)

2013年04月04日 富士丸式部大輔孫兵衛
上野原城

中央道の側道を脇にポツリと鳥居があります。駐車場はありません。見るべき遺構はないので、案内板を見る位の短時間ならすぐ側に空き地があります。

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