浄福寺城(じょうふくじじょう)

浄福寺城の基本情報

通称・別名

新城、案下城、松竹城、千手山城

所在地

東京都八王子市下恩方町3259

旧国名

武蔵国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

大石信重?

築城年

至徳元年(1384)?

主な改修者

北条氏

主な城主

大石氏、北条氏

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、土塁、堀切、横堀、竪堀

指定文化財

市史跡(浄福寺城跡(新城跡))

再建造物

説明板

周辺の城

小田野城(東京都八王子市)[1.5km]
八王子城(東京都八王子市)[2.1km]
初沢城(東京都八王子市)[4.9km]
網代城(東京都あきる野市)[5.5km]
戸吹城(東京都あきる野市)[5.7km]
戸倉城(東京都あきる野市)[7.5km]
高月城(東京都八王子市)[8.0km]
横山党館(東京都八王子市)[8.1km]
滝山城(東京都八王子市)[8.2km]
二宮城(東京都あきる野市)[8.7km]

浄福寺城の解説文



浄福寺城(じょうふくじじょう)は、東京都八王子市下恩方町にあった日本の城(山城)。城跡は1972年(昭和47年)1月27日に八王子市指定史跡となっている[1]

概要 

中世山城である。新城(にいじょう)、案下城(あんげじょう)、松竹城(まつたけじょう)、千手山城(せんじゅさんじょう)など様々な別称で呼ばれていた。城の南側、陣馬街道に沿って、大石氏によって開基された浄福寺がある。この寺は、当時武将が待機する居館との説もある。

八王子市教育委員会の説明板によれば、大石氏は系図(山木伊藤家伝)によれば木曾義仲の後裔が信濃国大石郷に住んでいたが、1356年(延文元年)入間・多摩に十三郷を得て多摩に移住し、二宮(現・あきる野市)から浄福寺城、高月城(長禄2年)、滝山城(大永元年)と次第に大豪族となり城を移したといわれ、大石氏の経緯を知る上でも貴重な城跡であるという。

歴史 

沿革

1384年(至徳元年)大石信重によって築城されたと言い伝えられる。一方、『新編武蔵風土記稿』によれば、「大石源左衛門尉入道道俊と云もの当所に居城を構へし」(道俊は大石定久といわれる)との記述もある[2]

後北条氏の時代になると、八王子城の出城として使用されたとされる。また、後述のように、八王子城以前にあったとみられる所在地不明の後北条氏の支城の1つである由井城を浄福寺城に比定する説がある。

1590年(天正18年)の豊臣秀吉による八王子城攻め、落城とともに浄福寺城も落城、廃城となった。

「油井領」「由井衆」と浄福寺城

永禄2年(1559年)に後北条氏にて作成されたとされる『小田原衆所領役帳』には支城領ごとに家臣名と役高が記されているが、そのうちの「他国衆」の中に「油井領」と呼ばれている地域の記載がある。また、北条氏照が発給した文書に「由井衆」[3]「由井領」[4]と記されたものがあり、前者は元々旧大石氏の家臣であった者に宛てて出された書状であるため、「油井領」「由井領」は旧大石氏あるいは氏照の支配地域であり、「由井衆」は旧大石氏家臣を含む氏照の家臣団であったと推定される[5]。つまり、旧大石氏と関わりの深い地域に油井城・由井城と称すべき後北条氏の支城が存在していたことになる(ただし、『小田原衆所領役帳』作成段階の大石氏は公式には「他国衆」に属する従属国衆で、氏照はその養子として家督を継いだ扱い)。

これについて、齋藤慎一が同地域に関する古文書や浄福寺城の遺構に関する分析から、従来の大石氏に関する伝承を否定して、浄福寺城こそが後の「由井領」の由来ともなった大石氏の本拠である由井城(ゆいじょう)であり、大石氏を継承した北条氏照も当初はここを本拠としており、永禄6年(1563年)から10年(1567年)頃に初めて滝山城を築いて本城を移したとする説を提示している[6]

考古資料 

遺構

標高360メートル(比高約150メートル)の山の尾根上に曲輪、堀切や土橋、虎口、土塁のなど遺構が残る。

観光 

アクセス

  • JR八王子駅よりバス約25分、松竹橋下車。

浄福寺城の口コミ情報

2024年03月16日 フー甲斐守
大手道登城路[浄福寺城  その他]



従来、浄福寺城跡は皆さんご存知の浄福寺の直登以外に、散髪屋さんの裏手にある登城路がありると認識していました。
まず、登った方はお分かりと思いますが、直登はかなりハードです(私の知り合いの方に革靴で登った方がいらっしゃると聞きましたが、それは強者過ぎです😁)
又、比較的に登りやすい散髪屋さんの裏手から登るルートは手前15メートル位が薮が酷すぎて最近は登るのが非常に困難です。その藪を過ぎれば歩きやすいですが。
今回追加したのは大手道から登るルートです。こちらから登れば藪のない比較的急ではないルートを登れます。ロープがあるような所はありませんが、と言っても所々急な所はありますので登城にはくれぐれもご留意下さい。又この登城路は民家に入口が近く、その点もあわせてご配慮下さい。
又、駐車場は浄福寺にしかないので、浄福寺から都道521号沿いを歩いてこの入口に来て頂き、城を縦走する形で浄福寺に降って頂くのが良いかと思います。

2023年04月09日 千葉相模守早雲
浄福寺城



八王子城の北側に位置し、八王子城背面を守る出城の役割を持つ城です。登城路は先人様の口コミを参考にしてください。急峻で滑りやすく、ロープは無いので足元の備えは十分にした方がいいと思います。軽装だったので、かなり苦戦しました。

主郭から枝分かれした尾根上に曲輪群が広がっています。曲輪間にはに堀切が見られ、北曲輪群の先にある畝状竪堀群が最大の見どころです。

1.痩せ尾根のため、登城路は狭い。
2.竪堀。
3.主郭の下にも広がる段郭。
4.主郭とニ郭の間の堀切。
5.ニ郭へ続く尾根道。
6.ニ郭南側の堀切。
7.ニ郭北側の堀切。
8.畝状竪堀群。

2023年02月24日 いれぶん武蔵守
恩方口留番所跡碑・松姫之碑[浄福寺城  碑・説明板]



甲州街道の裏街道であった案下道(現在の陣馬街道)の関所に当たる口留番所がかって存在した場所で、説明板・関場記・関所址の他に松姫之碑・金昇庵跡の石板が設置されています。武田信玄娘である松姫は案下道より逃避し、最初に恩方で現存する興慶寺に潜み、その後は現在の恩方第二小学校校庭東端にかって存在していた金昇庵にて、後北条氏滅亡まで過ごしていたと記されています。

2023年02月21日 いれぶん武蔵守
力石城[浄福寺城  周辺城郭]



東京都遺跡地図に掲載されているだけで、築城年代や城主等の情報が不明の城 。北浅川に東西と北を囲われ、南側は山岳地域という築城に適した地形であるだけでなく、陣馬街道に面した甲州方面の警戒地として重要な位置にあります。北条氏照の所領ですが堀切等の特徴はなく、浄福寺城主であった大石氏以前の城であったのではないかと推測されています

登城は北側の陣馬街道より保養施設駐車場への道路がありますので、その駐車場から徒歩10〜15分ほどブルーベリー農場の間を通っていけば容易です

写真
駐車場からブルーベリー農場に向かう舗装道路
ブルーベリー農場道路突き当たりの登城路

2023年02月21日 いれぶん武蔵守
力石城ニノ郭[浄福寺城  遺構・復元物]



東西の登城路と南側の山への尾根筋が交わる地点にある平坦地。向かって右側となる尾根筋が主郭への進路となります。西側にある保養施設駐車場から舗装された道路で徒歩5分+山道50m程度

2022年04月04日 フー甲斐守
登城路[浄福寺城  その他]



REDさんの口コミを拝見していて書き忘れたいた登城路を思い出しましたので、ご参考まで😊

浄福寺城の登城路としては、浄福寺側からが常道です。ただ急峻な登りが玉に瑕。一方こちらの理髪店の裏の道は登り始めこそ「えっここ?」と思います(実際一緒に登った城友さんの第一声はエッでした^o^😅)が、浄福寺側からに比べて比較的なだらかです。そして急峻な登りは下りになります。2年程前ですが、理髪店のご主人へ確認もしています。

車は止められませんので、浄福寺の駐車場に停めて、陣馬街道沿いに理髪店裏まで歩きここから登城し、浄福寺側に降りれば、お城全体を楽しめます♪

2023/2/6更新
3年ぶりにこちら側から城友さんと登りました。
まず入口の藪ですが、2年前より更に酷くなっています。登りの藪で足元滑りますのでお気をつけ下さい。

こちらの道は全体を楽しめますが、途中道を見失ない易い所がありますので、その対策をして下さい。

私の体力が落ちたからだと思いますが、城全体を歩くと、以前より登り下りが急峻に思えました。滑り易く、鎖やロープ類がありませんので、手袋等しっかり準備して下さい。

現在の個人的な感想としては、お互いサポート出来るという点で、複数で行かれる事をお勧めします。

2022年04月04日 RED副将軍
浄福寺城



東京都内で屈指の山城です🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

北条氏の八王子城の出城として機能。
豊臣秀吉による八王子城攻めで八王子城とともに浄福寺城も落城、廃城となりました。

見所
主郭からの尾根道は急峻な上に導線を堀切で断ち切っています。
八王子城の北側を守る出城として納得の遺構。
北曲輪群に残る畝城岨塁。斜面ではなく、平坦部に畝状に3条の堀を入れたもので、敵の横移動を阻止しています。

登城路は整備されているものの、なかなかの斜度です。気合いを入れて登ってください。

2022年03月02日 たまちゃん
浄福寺城



浄福寺から白山大権現、観音堂を通って登るのがわかりやすいです。土が滑りやすいのと落ち葉が多く、急な斜面があるので、トレッキングポールがあると便利です。

2022年02月23日 孔明
浄福寺城

主郭までの坂がきつかった。杖は必須です。

2020年12月13日 秋山主計允紅守
浄福寺城

浄福寺から登城。主郭までの急斜面は落ち葉がすごいのと落ち葉の下が砂のような細かい土なので足をかけるところがなく滑ります。最大限気をつけて登城すれば感動の連続です。帰り道は白い紐を目印にしたのに道に迷って藪の中を降りて来ました。尾根伝いにいい道があるそうです。2人以上で登城を強くお勧めします。

2020年03月31日 東市佑飯綱権現の使い
浄福寺城



麓の浄福寺から登城。主郭までの登りはかなりの急坂でロープなしという悪条件。主郭から尾根伝いに移動すると堀切などの遺構を確認できる。関東でも珍しい畝状竪堀を備えた城でもある。南にある八王子城の搦手方面を守る要害として堅牢な構造になっている。

2020年03月21日 クッチー
浄福寺城



枯れ草が余りにも酷くて
足下がかなり滑ります。
安全第一なので
途中で諦めた

2019年12月07日 源陸中守@ポンコ2連勤残1
浄福寺城



浄福寺でお詣りしてから山側の墓地の中をボチボチ歩き、石像のある坂道へ。
この石像、西国霊場めぐりシリーズになってます。石像は15くらいあったかと。
坂道をジグザグに行くと観音堂があり、その先(観音堂の裏)は搦手側となり、尾根づたいに進むことになります。

少し進むと堀切のダウンアップがあり、さらに先を行くと食い違いになった尾根づたいの登城路、先には堀切、切岸上の小郭が見下ろすように配置が、5連続くらい続いてます。
また徐々に勾配がキツくなり、小石小枝岩の上が落ち葉絨毯で覆われ、滑りやすいので足下注意されたほうがよいです。
小郭前の切岸、堀切など個人的には面城かったです。
主郭まで行ったところで、その先の大手側に下り進むのは断念しましたが、比高160㍍の主郭は広く櫓台や土塁、大手側の堀切など見所かと思います。
大手側など別の2方向も制覇しようと思うと、半日は必要かと思わせられる広さでした。

何も考えず革靴で行きましたが、足下考えるとそれなりの靴など準備したほうがいいです。
帰りは来た搦手側を下りましたが、こちらのほうが滑りやすく危ないです。

戦国の山城を感じられる城でした。



2019年03月27日 武蔵守黒鍬
浄福寺城

浄福寺の裏手から訪問される方が多いようなので別の入り口を紹介します
陣馬街道から小学校脇の路地に入って1軒目の民家とガレージの間の細道を登ると神社に至ります
神社の裏手を更に登ると浄福寺城の尾根にでますが踏みあとの薄い山道なのであんまりオススメしないルートですが。



2018年02月11日 甑岩式部卿正頼
浄福寺城

恩方第一小学校の脇から比較的緩い登城口があるそうですが駐車場が見つからず、浄福寺の駐車場をお借りして浄福寺側から行きました。お寺さんにその旨ことわるととても丁寧に登城口まで道を教えてくださいました。
先人の仰る通り、こちら側はかなり急峻です。足まわりはかためておかないとキツいと思います。
浄福寺側は搦め手で登り切るとそこは主郭です。主郭の東側虎口から降りると深い二重堀切が見事です。その辺りから複数の曲輪群にアクセスするのですが、道がわかりにくく縄張図を持参してましたが、軽く迷子になり、結局、三重堀切がある南の曲輪群に行けませんでした。時間がなかった事もありますが、きちんとした地図があった方が良いかもです。
大手と思われる辺りまでの往復と北側の遺構を見てきましたが、尾根を幾重にも堀切で遮断した素敵な山城でした。

2015年12月11日 
浄福寺城

先人の口コミのとおり、麓の浄福寺墓地から登りました。浄福寺までのアクセスは、八王子駅から出ている西東京バスの大久保バス停もしくは恩方事務所バス停が最寄りです。

墓地から登った先にある観音堂から北側に小郭や竪堀があり、尾根沿いをさらに登ると主郭に至ります。電波塔がある小郭から主郭まで至る登り坂はかなり勾配があるのでご注意を。主郭から北東にのびる尾根筋にはいくつか郭が配置され、郭を隔てる堀切の保存状態も良好です。遺構はかなり良く残りますが、中でも城域北東に残る土塁が連続する畝状岨塁が特徴的でした。

八王子城築城後はその出城となってしまいましたが、単体としてもかなり規模の大きい山城です。浄福寺城こそが武蔵守護代だった大石氏の居城「由井城」なのではないかと言う説もうなづけます。

2013年03月16日 kuwat勘解由長官aman
浄福寺城

浄福寺の墓地の中程にある白山大権現の前を横切って山道の入り口があります.四国霊場巡りの石像を見ながら登って行くと階段がありその上の曲輪らしき場所に赤いお堂があります.お堂のなかには立派な仏像がありびっくり.頂上はすぐそこ.携帯のアンテナが立っています.

2011年09月30日 TODO甲斐守
浄福寺城

高尾駅北口からバス「タウン入口」。バス代片道220円。10分待てば概ねバスやって来ます

浄福寺城の周辺スポット情報

 力石城ニノ郭(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 恩方口留番所跡碑・松姫之碑(碑・説明板)

 力石城(周辺城郭)

 浄福寺駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

 登城路(その他)

 大手道登城路(その他)

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