二宮城(にのみやじょう)

二宮城の基本情報

通称・別名

二宮館

所在地

東京都あきる野市二宮2252(推定地)

旧国名

武蔵国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

大石信重

築城年

文明年間(1469〜1487)

主な改修者

主な城主

二宮氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

都旧跡(二宮神社並びに城跡)

再建造物

説明板(二宮神社並びに城跡)

周辺の城

高月城(東京都八王子市)[1.6km]
滝山城(東京都八王子市)[3.1km]
戸吹城(東京都あきる野市)[3.4km]
網代城(東京都あきる野市)[6.4km]
横山党館(東京都八王子市)[7.6km]
小田野城(東京都八王子市)[7.9km]
真福寺城(東京都武蔵村山市)[8.3km]
勝沼城(東京都青梅市)[8.4km]
藤橋城(東京都青梅市)[8.7km]
浄福寺城(東京都八王子市)[8.7km]

二宮城の解説文

東京都あきる野市にある二宮神社には、鎌倉時代に大石氏中興の祖とされる大石信重が城館を構え5代にわたり居城としたとの記録があり、 この城館の所在調査のため、昭和47年(1972)神社境内の一角が発掘調査されたが、関係する資料を得ることはできなかった。

しかし、昭和58年(1983年)の秋川市教育委員会(当時)による調査で、神社東側段丘上の「御屋敷」と呼ばれる地点から、14世紀の豪族の居館跡が発見された。周辺に土塁や空堀跡も確認され、神社境域及びその周辺は室町時代にこの地域に勢力を持った大石氏の城館であった可能性が指摘されている。

※地図は東京都の旧跡指定地である二宮神社周辺を指しています。

二宮考古館 

境内には、あきる野市の郷土資料施設、二宮考古館があり、市内の発掘調査で出土した土器や石器を中心に約150点の考古遺物を展示している。(入場無料)

交通 

・五日市線 - 東秋留駅下車、徒歩3分(駐車場なし)

参考文献 

・東京都文化財情報データベース

二宮城の口コミ情報

2024年03月07日 いれぶん金ピカマニア
兄弟塚(すってくりょう)[二宮城  寺社・史跡]



兄弟塚の伝説

今から凡そ六百八十年前、鎌倉に幕府がおかれたその頃、この地方に武蔵七党があり、その中の一党横山に菅生太郎経孝と云ふ武士がおり、三人の子供「有孝」「経久」「有孝」と云った。長男有孝は父の後を継いで菅生太郎有孝と名乗り、経久は分家として五日市宿の小倉に住み小倉次郎経久と云い、参男も分家して大貫馬之亮有経と云った。
或る時有孝は北条氏に召され鎌倉に行って、不在となった留守に福泉寺より田耕の為に乗馬を借りに来たが、主人が不在の為断ったが遇々弟経久が来たので、家来が話すと経久は軽く引受けてしまった。
数日後帰ってきた有孝は馬の様子がおかしいので、家来に尋ねると田耕に貸した事がわかり、愛馬を農耕馬に使用したと経久と口論となり、兄弟喧嘩となり家来達がとめても双方ともきき込れず、有孝は「経久お前は俺を侮辱したな」と大刀を抜き放ってしまった。弟も負けてはいません、二人は激しく戦い乍ら鯉川淵の不動尊から「すめり坂」にかかったその時、弟の打下した大刀の先が兄有孝の左耳から首筋深く切り込まれ、其の場に倒れ息絶えた。兄思いの弟経久は「兄を殺してしまっては生甲斐なし」と、この大刀で自分の喉を突いて兄の後を追ったのである。
報を受けた菅生家では寺僧と相談の上、兄弟の倒れた「すめり坂」の上の道ばたにある福泉寺の山林に、剃髪せず枕を並べ葬ったのがこの兄弟塚であります。
当時は昼間でも暗い森林でここを通ると、剃ってくれ剃ってくれと云ふ悲壮声が聞こえたと云う。
又一説にはこの所を南刀地ホトトギスの墓と云ってホトトギスが「おとのどつつきつちよ」と鳴いたとも云はれている。
 平成二十四年六月吉日    福泉寺
(解説看板全文)

2023年09月03日 マグロ常陸介祐平
二宮城



二宮神社が城址で、発掘調査では14世紀の豪族居館跡が見つかっています。
大石氏の中興の祖とされる大石信重と時代的には合致しています。

ハッキリとした遺構は、見られませんが、雰囲気は出ています。神社下の湧水は、大変綺麗です。

2023年03月30日 いれぶん金ピカマニア
二宮考古館[二宮城  関連施設]



中世よりも縄文・弥生時代に詳しいが、度々実施されている二宮神社周辺の遺跡調査記録をほぼ備えていて、学芸員に依頼して閲覧する事が可能である。二度に渡る二宮神社境内の発掘調査により、中世の遺構としては"地下式横穴"だけしか残っていないと結論付けられている。1971、1973年の調査結果として、加藤晋平氏は"二宮城"位置を"御屋敷"周辺と考え、1982年の調査により結論づけています。

2023年03月30日 いれぶん金ピカマニア
二宮城(旧岡部邸)[二宮城  周辺城郭]



大石家中興の祖とされる大石信重は山内上杉家臣であり、新田義興・義宗との戦いに於ける活躍で、武蔵二宮に居館を得たとの記録があり、"二宮城"とは信重以降の大石氏5代に渡る居館を示すものとされている。

1982年に宅地開発に伴う現地調査により、"二宮城"とされた所であり、地元では"御屋敷"と呼ばれていて、周辺には"仲丸""的場"と言う地名も残っていた。
ここからは南側に庇をもち桁行四間梁行二間の1号建物跡と桁行二間梁行二間の2号建物に、段状遺構が中世の物として出土している。

この辺りの資料は二宮考古館にあり、"二宮城址"1983.3と纏められていて、学芸員の方に依頼して閲覧可能でした。

2023年03月24日 いれぶん金ピカマニア
小川太郎宗弘館[二宮城  周辺城郭]



住宅地の中に取り残される形で林泉寺があり、小川太郎宗弘の館跡地につくられたとされている。館自体は平安時代に築かれたものだが遺構となるものは見当たらない。より秋川に近い段丘上にあったとされている小川城との関係はよくわからない。小川氏は西党で日奉氏一族になり、この辺りは小川牧とされた領地であり、更にもう一段上の段丘である二宮城の二宮神社附近も所領である為、多くの可能性を楽しめる。平井川と秋川に挟まれる他、湧水路や池が目立つこの辺りは農業生産にもってこいの土地である事は明白で、安定した実りを得られたであろうと思われる。路傍にある稲荷神社の石仏群が見て来たであろう歴史を想像したい。小川城 ・二宮神社を含め、三ヶ所を纏めて日奉氏の足跡と捉えるべきだと思う。

2021年11月21日 四間飛車左衛門佐とみー
二宮城



2021年11月20日、八王子攻城ミニ縦走その1
今日はかねてから計画してた八王子エリアの攻城ミニ縦走を実行しました。
まずは東秋留駅にほど近い本城、二宮城から攻略を開始しました。東秋留駅から徒歩5分ほどで着きます。朝のさわやかな空気の中、今は神社となっている城址でこのミニ縦走の無事を祈りました。城址は小さいながら周り小高くなっており、また明らかに人が掘ったものと思われる空堀も散見され、かつての戦闘施設の姿を偲ばせます

2021年06月20日 みっちゃん
二宮城



東秋留駅から徒歩5分くらいで二宮神社に着きました。ここが二宮城跡のようです。とても静かな駅でした。

2021年02月11日 内記かずりヾ(・ε・。)
法林寺館[二宮城  周辺城郭]



法林寺館は二宮城の南東約1.0km、法林寺付近に存したかもしれないとされる、誰のだか知らんけど、もしかしたら誰かの居館だったかもしれんと推測される場所です…文書はおろか里伝すらも残されてないので今となっちゃ何にも判らねぃよて感じですかね。

ただ此処には実に立派な土塁が残ってるんです。高さは平均で約1m位でしょか、フェンスで囲まれたクランクする土塁が住宅地にある姿はちょっと面白いですが、もしフェンスに意思があるならば「何でこの土盛りを囲んでいるのか理解出来ねぃよ…」て感じですかね。

この土塁の残るあきる野市小川東の地は武蔵七党の一つ、西党に属する小川氏の支配領域でした。西党は武蔵守、日奉氏を同一の祖とする武士団で、小川氏は官制の牧場、御牧の小川牧を基盤に発展しました。一ノ谷の戦いでは源義経配下として小河小次郎の名が同じ西党内最大のヒーローである平山季重と共に記載されています。承久の乱において小川氏は薩摩甑島や肥後益城郡の一部を恩賞として賜り本家とは別に小川氏の歴史を刻みました。そういえば城めぐの登録城である甑島の亀城は小川氏の改修によるものですね。ちなみに同時期に西党の一つ小宮氏(戸倉城築城者だとされる。)は伊予弓削島の地頭職を賜っており、ひょっとしたら西党関係者は島が好きなんでしょかw

実はこの法林寺には幼稚園が昔から併設されていまして4歳のかずりも入園しました。悪い事をするとお仕置きと称して「鼠の部屋」という暗い倉庫に閉じ込められるんですが、立派な多動児だったかずりは入牢率が極めて高く、幼な心にしっかりトラウマを植え付けてくれました。「今やったら社会問題だよ…」土塁の前でなめらかチョコクリームパンを頬張りながら思わずこんな感慨に耽ってしまいました。

2018年05月11日 野面積子
二宮城

地元です。駐車場が無いのは不便ですね。奥の手で、少し離れた所に、あきる野東部図書館エル、があり、そこなら大丈夫かと。車を停めて、踏切を渡り左に線路沿を歩くと5分位で着きます。散策の後に図書館も見て行って下さいね。月曜、祝日休館です。駐車場も停められません

2016年05月31日 まー刑部卿
二宮城

帰り道に寄ったため鳥居前の駐車出来るスペースへ路駐し高台にある神社へ行くと手水舎に案内板があります。登城時資料館は定休日のため見れませんでしたがお城を知るためには訪れたほうがよろしいかと。

2015年03月02日 おかっぴき
二宮城

あきる野市の資料によれば二宮城は現在の二宮神社か同じ市内の小川町ではないかと言われてどちらかわからないと言われています。小川町の場所は現在、地主の方が売却していまい宅地になって遺構の確認は出来ません。神社も少し変わってしまい土俵があったのに無くなってしまったんですね。残念です。二宮城の資料を見たい方は、神社に隣接している二宮考古館においてあります。

二宮城の周辺スポット情報

 石浜渡津碑(碑・説明板)

 小川城(周辺城郭)

 法林寺館(周辺城郭)

 小川太郎宗弘館(周辺城郭)

 二宮城(旧岡部邸)(周辺城郭)

 菅生氏館(周辺城郭)

 兄弟塚(すってくりょう)(寺社・史跡)

 正勝神社(寺社・史跡)

 二宮考古館駐車場(駐車場)

 二宮考古館(関連施設)

 石浜渡し(その他)

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