恩方口留番所跡碑・松姫之碑
恩方口留番所跡碑・松姫之碑([浄福寺城 碑・説明板])
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恩方口留番所跡碑・松姫之碑の口コミ情報
2023年02月24日 いれぶん武蔵守
甲州街道の裏街道であった案下道(現在の陣馬街道)の関所に当たる口留番所がかって存在した場所で、説明板・関場記・関所址の他に松姫之碑・金昇庵跡の石板が設置されています。武田信玄娘である松姫は案下道より逃避し、最初に恩方で現存する興慶寺に潜み、その後は現在の恩方第二小学校校庭東端にかって存在していた金昇庵にて、後北条氏滅亡まで過ごしていたと記されています
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松姫之碑
甲斐の山々憂愁に静み天下布武の叫喚は風林火山の家風を焼き甲源の嫡流挽歌哀し 天正十年壬年四月武田信玄第六女松姫ら勝沼開桃寺を脱し甲斐路の山谷を武州案下路の山険を踏み分け和田峠を下り高留金昇庵に仮宿の夢を結ぶ 故郷の風雪はるかに偲ひ肌寒きを受け転して河原宿心源院の高僧に参禅し更に転じて横山御所水に移り住み機織の手作りに弟妹を育つ 幾はくもなく天正十八年庚寅六月関東の世変に会し北条氏滅び徳川氏江戸に入府と共に甲斐の旧臣八王子千人同心を結ひ八王子守衛に来り住し松姫の安否を尋ね米塩の資を助く 元和二年(一六一六)四月十六日年五十六にして信松院に歿す
松姫の生涯は戦國動乱の中に終始し政略婚の辛酸に殉し清純の操志を貫き通すその清風の香しき清節は武甲の天地にこたます婦道の鑑といふへし
先代尾崎栄治つとに松姫の生涯を貞婦婦道の象徴とし金昇庵址保存を宿願す茲に追慕の碑を建て先覚の遺風を継ぐものなり
昭和五十二年四月十六日 八王子市長後藤聦一額
佐藤孝太郎撰 中村雄山書
(碑文全文)









