岩殿山城(いわどのやまじょう)

岩殿山城の基本情報

通称・別名

岩殿城

所在地

山梨県大月市賑岡町

旧国名

甲斐国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

小山田氏

築城年

享禄2年(1529)頃

主な改修者

主な城主

小山田氏

廃城年

17世紀前期

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(岩殿城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

勝山城(山梨県都留市)[8.6km]
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岩殿山城の解説文

岩殿山城(いわどのやまじょう)は、山梨県大月市賑岡町(旧・甲斐国都留郡)にある標高634メートルの岩殿山に築かれた山城跡。

小山田氏の居城であり、戦国時代には東国の城郭の中でも屈指の堅固さを持っていたことで知られた。山梨県指定史跡(指定名称は「岩殿城跡」)。

沿革
岩殿山は初め、9世紀末頃天台宗の円通寺として開創されたと伝えられており、13世紀に入ると天台系聖護院末の修験道の場として栄えており、16世紀になって大名の領国支配制が成立すると武田・小山田両氏の支配を受けるようになった。

築城は戦国時代の1530年代に武田氏の親族衆の扱いを受けた小山田氏によると考えられている。大月は武蔵国など関東地方へ至る街道が交差する地点に位置し、甲府盆地と異なる地域的まとまりをもっていた。小山田氏は初め武田氏に対抗していたが、永正6年(1509年)武田氏の傘下に入った。その後は軍事的に武田氏が相模の北条氏や駿河の今川氏、武蔵の上杉氏らと争った際の衝突地点となり、国境警備の役割を果たした。

東西に長い大きな岩山をそのまま城にしており全方面が急峻で、南面は西から東までほとんどが絶壁を連ね、北面も急傾斜である。東西から接近できるが、それも厳しい隘路を通らなければならない。各種の防御施設が配されたが、天然の地形のせいで郭も通路も狭く、大きな施設の余地はなかった。周囲には集落や武家館が点在していたと考えられている。

天正10年(1582年)に織田軍が甲斐に侵攻したときに小山田信茂は織田方へ寝返り、岩殿山城へ落ち延びてくる武田勝頼を郡内に入れず、進退に窮した勝頼は天目山で自害した。武田家を滅亡させる事に深く関わった小山田信茂だがこの戦いののち、織田信長により処刑された。

江戸に武家政権を成立させた徳川家康は、幕府の緊急事態の際に甲府への退去を想定しており、江戸時代にも岩殿山城は要塞としての機能を保った。

岩殿山
相模川水系の桂川と葛野川とが合流する地点の西側に位置する。頂上の南側直下は鏡岩と呼ばれる礫岩が露出した約150メートルの高さの崖で、狭い平坦地を挟んで、さらに急角度で桂川まで落ち込んでいる。大月市街地からも近く、大月駅からも間近にその姿を眺めることができる。

山頂までは大月駅から徒歩で約1時間。山頂からは富士山が望め、山梨百名山、秀麗富嶽十二景にも選定されている。

山の南側と桂川の間の狭い場所に中央自動車道が通っている。1972年2月末頃には岩殿山で大規模な地滑りが発生、同年3月21日から中央自動車道の相模湖インターチェンジと大月インターチェンジの間が全面通行止めとなった。仮インターチェンジを設けるなどした後、7月22日に通行止めが解除されるまで、通行止めは123日間に及んだ。...

岩殿山城の口コミ情報

えど様[2017年08月09日]
8月7日の台風5号の災害により岩殿山で土砂崩れが発生しています。駐車場は土砂に覆われて使用不可、登山道も恐らく通行止めだと思われます。行かれるか方は必ず事前に確認を。

さく3常陸介spider様[2017年05月16日]
車では岩殿山公園市営駐車場から山に沿って国道139号を登ると登山道があります。
丸山公園までもきつめですが城はそこから
階段が続き勾配もきつくなります。
岩が多くなり手摺やロープにつかまり
ながら山頂の本丸までやっとたどり着けました。岩の上の曲輪は結構広いですが、
下を見ると高所恐怖症にはクラクラする
高さです。
季節を選び体力を温存して臨んだ方が
良いでしょう。

カーネル様[2017年01月12日]
中央線大月駅南口から

駅前の細い道を東へ歩き線路を超えて北へ
T字を右に行くと国道139号線で道なりに歩き笹子川を超えると道が右に曲がり、2分くらい進むと登山口です

登山道は整備され人も多いです。ふれあいの館を過ぎると山道。こちらも歩きやすいです。ただ、高所恐怖症の自分には怖い場所もありました

途中の道は巨岩を利用した門や番所跡を超えて登山口から頂上まで20分

頂上から奥に進み馬場跡等を経由して本丸です。ここにはアンテナが建ってます
さらに進むとキレイに空堀が残ってます

今回は稚児落としにはいかなかったので、駅から往復して1時間45分くらいでした

尻啖え孫市下総守様[2014年10月13日]
小山田信茂の居城で、主を裏切ったことで有名な城。勝頼は最後にここに籠り、織田に対し無二の一戦を試みる積もりだった。ただ曲輪の規模は小さく籠城してもせいぜい500人程度で、全周敵の後詰めが期待できない地で何を期待したのか。ほぼ一国を手に入れていた上州に逃れ、上杉の後詰めも期待し、昌幸の深謀に掛け、それこそ織田に無二の一戦を仕掛けるべきであった。山頂に登りそんなことを夢想した。

甲斐の虎様[2010年06月21日]
岩殿山頂からの富士山は、とても綺麗ですよ急な階段をひたすら登って山頂でご飯食べながら観るのはサイコーですよ

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