菅沼城(すがぬまじょう)
菅沼城の基本情報
通称・別名
- 寺沢城、切石砦
所在地
- 山梨県南巨摩郡身延町寺沢3250
旧国名
- 甲斐国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 岡部正綱
築城年
- 天正10年(1582)
主な改修者
- -
主な城主
- 岡部氏、菅沼氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- 町史跡(菅沼城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
下山城(山梨県南巨摩郡)[6.3km]
中野城(山梨県南アルプス市)[13.7km]
本栖城(山梨県南都留郡)[15.1km]
勝山城(山梨県甲府市)[20.2km]
真篠城(山梨県南巨摩郡)[24.0km]
甲府城(山梨県甲府市)[24.6km]
小山城(山梨県笛吹市)[25.4km]
白山城(山梨県韮崎市)[25.7km]
湯村山城(山梨県甲府市)[25.8km]
躑躅ヶ崎館(山梨県甲府市)[27.0km]
菅沼城の解説文
菅沼城の口コミ情報
2024年10月07日 yama清正
菅沼城
菅沼城は閉校した中学校になります。現在は閉校した校舎はドローン会社が使っています。車で上がれ駐車スペースはありますが許可を得てからがいいと思います。
2022年05月20日 在来線男右京進
菅沼城
さあ、もうすぐだという時に会社の看板があり、入って行けませんでした。
2020年01月12日 青空仰
菅沼城
下山城に続き、本日2城目のレポートです。
【行き方】
・国道52号から旧中富中学校へと向かいます。Googleナビの案内に従っていけばよいです。
・旧中富中学校は今は天空ドローンの会社になっているようです。
【駐車場・トイレ】
・会社の敷地内なのですが、入っていいかどうかはわかりません。
・人が誰もいないので入ってみました。中学校のグランドだったので駐車場は広大です。何十台もとめられます。
・トイレはありません。国道52号沿いにある旧中富町役場か、少し甲府方面にいくとコンビニがあります。
【見所】
・遺構が何も残されていません。
・富士川が流れる断崖絶壁の上にあった難攻不落の中学校跡を見てください。
【観光・食事・特産品】
・ここに単独で行くことはないと思うので、私がレポートする他のお城と合わせて楽しんでください。
2017年12月27日 日高守きこりん
菅沼城
城跡にあった中富中学校は廃校となり、敷地は現在サイトテックというドローン開発会社のものとなっています。校舎はそのまま社屋として使われているようで、皆さんが写真投稿されている石碑も以前と同じ場所にあるものと思われますが、その現況や城跡としての地位などは確認してません。なお、学校跡=サイトテックに登っていく途中の、意図がよく分からない中途半端な場所に説明板があります。
山頂部の遺構は、学校建設時すでに破壊されているようですが、富士川(国道)向きの南側の斜面には遺構らしきものがあります。
南側斜面へは、国道52号の白山権現堂の斜向かいから登路があり。幾つかの墓地を通り過ぎ、頂上が見えてきた辺りから郭群が見られます。道の左側には幾段かの腰郭があり、右側には笹とミツマタの藪ながら、説明板の言う二の丸と思しき大きめの郭などが確認できます。
2016年05月20日 みのみの美濃守@流浪人
菅沼城
旧身延町立中富中学校が「菅沼城」となります。
今となっては、生徒数減少のため統廃合の煽りを受け、閉校となっています。
校舎正面にある「菅沼城 温故知新」の石碑と中学校の校舎が物悲しく佇みます。
富士川に突き出した台地上にある菅沼城は、天正10年(1582)6月の本能寺の変の直後に甲斐の領有を目論み、徳川家康が武田氏旧臣の岡部正綱に命じて築かせた城である。
河内領主穴山梅雪が山城国綴木郡田辺町で落命したため、後の河内路を押え、相模の北条氏の侵入に備えるものであった。家臣菅沼定政が守備したことから菅沼城と呼ばれる。慶長7年(1602)には廃城と伝えられる。
城跡は、中学校建築にあたって、本丸の北面の土塁や西端の堀切、のろし台跡、南面山腹の帯郭などが調査されている。中学校南側の尾根にはテラスが数段残っており、また北側の手打沢までには町屋林、下町屋、町屋という地名から城下町が作られていたと思われる。