浄古寺城(じょうこじじょう)

浄古寺城の基本情報

通称・別名

城古寺城、中牧城

所在地

山梨県山梨市牧丘町城古寺

旧国名

甲斐国

分類・構造

平山城

天守構造

不明(天守台あり)

築城主

大村加賀守

築城年

天文17年(1548)

主な改修者

保科氏

主な城主

大村氏、内藤氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、天守台

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

小田野城(山梨県山梨市)[3.2km]
於曾屋敷(山梨県甲州市)[5.2km]
連方屋敷(山梨県山梨市)[5.9km]
勝沼氏館(山梨県甲州市)[9.8km]
要害山城(山梨県甲府市)[11.2km]
八田家御朱印屋敷(山梨県笛吹市)[12.0km]
躑躅ヶ崎館(山梨県甲府市)[13.7km]
平瀬烽火台(山梨県甲府市)[14.4km]
小山城(山梨県笛吹市)[15.0km]
甲府城(山梨県甲府市)[15.4km]

浄古寺城の解説文

武田氏滅亡後、徳川家康が天正17年(1589)に内藤三左衛門に命じて築いた平山城。中牧城・東郡城ともいう。城の名は、この地にあった寺院・城古寺に由来するが、築城に伴い、同寺は窪平の地に移転された。

城は、鼓川と笛吹川との合流点に近い高台に占地し、周囲の展望にすぐれる。史料的裏付はないが、同所は中世初頭より安田義定の居館が営まれ、また、弘安年間の二階堂氏の修築や天文年間の大村氏の修築を受けたと伝えられている。

部分的に残存する遺構から推定される城の規模は、東西320m、南北436mに及び、山梨県内では数少ない天守台をもつなど、近世城郭としての特色を備えている。城は堀や土塁で画された本丸・二の丸・三の丸からなるが、外縁には急崖をなす自然地形を巧みに利用している。

周辺に残る堀ノ内・大庭・堀端等の地名も本城に関連したものと思われる。

情報提供:山梨県教育委員会


浄古寺城の口コミ情報

2022年09月18日 気分爽快豊後守
浄古寺城



9/17にいきましたが、葡萄の収穫時期なので葡萄泥棒に間違われないよう登城時期は気をつけたほうがいいです。主郭はこんな感じでした。

2021年11月22日 涼丸
浄古寺城



畑のど真ん中!近所の農家さんちの畑みたいです。道は無く崖をよじ登る勇気も無いので、一言声掛けて通していただきました。ありがとうございました。帰りに恵林寺酔って…寄ってよもぎ餅。団子は売り切れ早いですから要注意!ちなみに信玄公生誕五百年です!んで四百五十回忌でござる。

2015年10月31日 まー刑部卿
浄古寺城

駐車場というより八幡神社境内が公園になっており、そこに駐車スペース有り。説明板の図から左手に坂道があり左脇には土塁と堀跡があり登ると本丸跡になります。本丸跡はお墓やブドウ畑がありそこを抜けると左手に一段高いところに石碑が見え天守櫓跡です。ブドウ畑の間を歩き回り込むように登る。天守櫓跡に行かずそのまま直進すると堀跡(ブドウ畑)があります。

2012年05月03日 三河守コーキしゃん
浄古寺城

駐車スペース有。歩いてすぐ天守台跡まで行けますが周りがブドウ畑になってるので形状が分かり難いです。

2012年04月01日 加賀美 摂津守遠光
浄古寺城

武田信玄公の家臣、大村加賀守によって築かれ大村加賀守、伊賀守が城主に成り、武田氏滅亡後は、徳川家康公家臣の内藤氏が城代を勤め甲府城が出来ると廃城に成りました。天守台跡が残ってます。

浄古寺城の周辺スポット情報

 内堀(遺構・復元物)

 外掘(鳥ノ口堰)(遺構・復元物)

 城古寺宝篋院塔(碑・説明板)

 中牧城本丸天守台跡(碑・説明板)

 琵琶城(周辺城郭)

 八幡社(寺社・史跡)

 恵林寺三門(寺社・史跡)

 恵林寺開山堂(寺社・史跡)

 恵林寺四脚門(寺社・史跡)

 武田信玄公墓所(寺社・史跡)

 恵林寺黒門(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 恵林寺駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 川浦口留番所(関連施設)

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