要害山城(ようがいさんじょう)

要害山城の基本情報

通称・別名

要害城、積翠山城

所在地

山梨県甲府市上積翠寺町

旧国名

甲斐国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

武田信虎

築城年

永正17年(1520)

主な改修者

武田勝頼、加藤光泰

主な城主

武田氏、徳川氏、加藤氏

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀

指定文化財

国史跡(要害山)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

躑躅ヶ崎館(山梨県甲府市)[2.6km]
平瀬烽火台(山梨県甲府市)[4.5km]
湯村山城(山梨県甲府市)[4.7km]
甲府城(山梨県甲府市)[4.9km]
八田家御朱印屋敷(山梨県笛吹市)[6.7km]
小田野城(山梨県山梨市)[8.2km]
連方屋敷(山梨県山梨市)[9.7km]
小山城(山梨県笛吹市)[10.8km]
浄古寺城(山梨県山梨市)[11.2km]
勝山城(山梨県甲府市)[11.2km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)128 要害山城

設置場所

甲府市藤村記念館[地図

要害山城の解説文



要害山城(ようがいさんじょう)は、甲斐国山梨郡(現山梨県甲府市)にあった日本の城。躑躅ヶ崎館武田氏館跡)の詰城として築かれた山城である。国指定史跡[1]。要害城、積翠山城とも呼ばれる。

甲府盆地周縁の中央北部、相川扇状地の扇頂部に位置する甲府市上積翠寺町(かみせきすいじまち)にあって、標高780メートルの要害山[2](丸山)中腹の傾斜地を中心に築かれている。なお、要害山は山梨百名山、甲府名山に選定されている。

歴史 

『高白斎記』によれば、築城は武田信虎時代の永正17年(1520年)6月である。武田氏は前年に居館を石和の川田館(甲府市川田町)から躑躅ヶ崎館(甲府市古府中町)へ移しており、駒井政武の領地であった積翠寺郷の丸山が城として取り立てられ、館の詰城として砦や狼煙台が築かれた。

同年には駿河の今川氏勢の武将福島正成が駿州往還(河内路)を甲斐へ侵攻し甲府へ迫っており、信虎は正室の大井夫人を避難させ福島勢を駆逐しているが、大井夫人はその最中に城中で嫡男(後の武田晴信)を出産した。

勝頼期の天正4年(1576年)6月1日付武田家朱印状によれば、武田氏は要害山城から西方に位置する帯那郷(甲府市上帯那町・下帯那町)に対して要害城の普請への召し出しを命じており、帯那郷への河除(堤防普請)と他の諸普請の一切を免除している。『甲陽軍鑑』『甲斐国志』によれば、武田氏時代の城番は駒井次郎左衛門・武藤山城・駒井昌直(右京亮)が務めた[3]

天正10年(1582年)3月の織田信長の武田征伐による甲斐武田氏滅亡後、徳川氏の支配期を経て豊臣系大名が入城し、加藤光泰により修築が行われた。文禄年間の修築を示す遺構として穴太積みの石垣が見られる。

『甲斐国志』によれば、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後に甲斐は再び徳川氏が領し、廃城となった。

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(128番)に選定された。

史跡指定 

本丸(主郭)に至る通路や虎口(枡形虎口[4])、曲輪、堀切、見張台などの遺構のほか、要所をかためる石垣もほぼ完全に遺存しており、戦国大名武田氏の築いた城郭として、また中世豪族の居住形態を示すものとして極めて重要であるとして、1991年(平成3年)3月30日、「要害山(ようがいさん)」の名称で国の史跡に指定された。登山口に説明板があり、曲輪、土塁、竪堀や門跡など主要な遺構には案内板が設置されている[5]

熊城 

要害山城の支城として熊城(くまじょう)があり、要害山城の東側をガードするように築かれている。熊城は標高730メートル付近に立地し、一直線上の小規模な曲輪と堀切・竪堀、石垣が遺構として残されているが、その中には連続竪堀や登り石垣状の遺構もある。

アクセス 

甲府駅北口からバスで「積翠寺」停留所下車、登山口まで徒歩約15分[6]。登山口から本丸のある山頂部まで35分前後[7]

参考文献 

  • 【書籍】「山梨県の地名」
  • 【書籍】「川中島合戦と城郭(続)―関連城郭から展望する合戦の実像―」
  • 【書籍】「ビジュアル・ワイド 日本名城百選」

要害山城の口コミ情報

2024年08月12日 雪柳
要害山城



登山口から急坂。少し荒れた箇所もあるので、軽トレッキングシューズで。途中倒木もあるので、注意。不動さんを過ぎて、しばらく登ると少しずつ斜度が緩み、たくさんの曲輪を通過する。やっと山頂の本丸。本丸の先にも曲輪や堀切がある。思っていた以上に大きな城。下山は元の道を戻ることをお勧めする。そのまま進むと明らかに踏跡がうすくなり、ろめんの崩れた箇所や草藪を降りるはめに。無理せず戻りましょう。

2024年07月07日 碑文谷城
要害山城

2024/7/6
駐車場の脇に登山口があり、そこから登城できます。入口付近に竹製の杖が置かれており、杖を借りお礼を少し入れてスタート。途中、雨が降り出し、引き返そうと思いましたが、2人だったので、もう少し登るかとなり進みました。すると今度は倒木があり、ここでも引き返すか考えましたが、1つはくぐり、1つはまたいで通ることができました。

そうこうしているうちに雨も止み、堅掘や曲輪、土塁などがハッキリ分かる所まで来ました。小さい石垣や門跡などもあり、いくつもの曲輪を通ると山頂の主郭部分に到達です。登って見て、かなり堅固なお城だったということが分かりました。身重の妻をここに隠し、思い切り戦いたかった信虎の気持ちが伝わりました。

最後に倒木を切ったり、山道を整備したり、杖を置いてくださっている地元の皆様に感謝の気持ちをお伝えします。お陰様で良い登城が出来ました。ありがとうございます。

2024年05月12日 ゆきのじょう
要害山城



武田神社から左に曲がり、道なりに行くと右手に駐車場があります。駐車場脇の登り口から登城できますが、他の方も書かれているように倒木が複数あります。太い木が複数倒れていますので、ご注意ください。一人旅で心が折られて引き返してしまいました。倒木がなくなったらリベンジです。

2024年04月07日 大福まん
要害山城



甲府駅南口のビジネスホテルで電動レンタサイクルを借りて、武田神社の横を通り抜けてチャリをこぐこと合計約20分。結構な登り坂です。登山口から約30分で本丸跡につきます。道中、倒木があるので気をつけて下さい。

2024年02月14日 ほっぷ大蔵卿
要害山城

竪堀、切岸、石垣等の遺構がよく残っており、堅城であったことが偲ばれます。登山道の3ヶ所に倒木があるので注意が必要です。(2/13時点)

2024年01月07日 山本右近衛少将勘助
要害山城



積翠寺から山道。トレッキングシューズなどちゃんとした靴で行くことをお勧めします。

2023年11月21日 _ClaD雅楽頭リアの季節
熊城への分岐点[要害山城  その他]



要害山城の搦手から尾根道を進み、途中の分かれ道を右へ(看板あり)。やや崩落気味の道を進んで(35.7044, 138.6040)付近で右の尾根を下ります。ここからは国土地理院地図にも道が記載されていません。
その先は途中1箇所だけ紛らわしい分岐点(写真)がありますが、右へ下れば熊城はすぐです。

2023年05月18日 かつアニぃ左兵衛督
要害山城



「続100名城」なのでリア攻めしましたが、超運動不足の身には応えました笑。
バスの本数が劇的に少ないと書き込みがあったのでレンタサイクルで登山口ギリギリまで行き、そこからは徒歩。往復で1時間くらいですかね。登りの最初の10分程はとにかくデコボコもひどくハードですが、それ以降は少しデコボコさも緩やかになります。
信玄生誕の城。こんなところに籠城用の城を構えていたなんて、改めて武田家のスゴさを垣間見た気がします。色々な城に行きましたが間違いなく生涯記憶に残る城となりました。

2023年03月04日 信濃守学堂
要害山城



山梨県の山城は、関東や静岡の山城とは比較できない比高と急な勾配、そもそもの標高の高さ等、頑張って行かないと駄目な感じしてます(笑)。でも歩きがいのある山城でした!

2022年11月05日 徳賀Y絵康安房守
要害山城



要害山登山口から要害山城へ向かいました。遺構はとてもたくさん残っていて、山城好きにはたまらない城でした。今、残っているものでも、曲輪、切岸、土塁、石垣などがいくつもありました。さらに土塁と土塁の間に門を設けるなどして、非常に堅い守りをしていたと考えられます。

【ルート・時間 ※括弧()内は、登山口を0分としたときの到着時間】要害山登山口(0分)→分岐を左へ(5分)→要害山城主郭(遺構を見ながらゆっくり行って35分)→要害山城最東端の堀切(45分)

【遺構】土塁や門跡は見つけやすいものが多い(看板があるものもある)と思います。事前にインターネットで自分が見やすい地図や縄張り図を探してスマートフォンにダウンロード(山の中では通信が悪いため)しておくと、より遺構を見つけやすいです。曲輪は、縄張り図を見ると分かりますが、登山道に沿うようにいくつもあり、そのほぼ全てが平らのまま残っています(藪になっていて見えにくいですが)。石垣は、自然に石がまとまってるのか、石垣が崩れてしまったのか、分かりにくいものが多い(城の範囲以外の場所でも石や岩がゴロゴロしているため)です。ですが、先述したように、地図や縄張り図を見ながらだと、少しは判別できます。竪堀は、最東端の堀切の近くにあった2、3個の竪堀と主郭部背後の堀切を延長した竪堀以外はよく分かりませんでした。しかし当時は、他にもいくつかあったようです。堀切は、主郭部背後にあるものと、最東端の堀切がよく残っていました。特に、主郭部背後の堀切が、土塁と併用していたために迫力がありました。切岸は、だいたいどの曲輪の周りにも残っていますが、最東端の堀切の手前の曲輪が一番よく分かります。切岸にしっかり囲まれています。

【添付写真】
・分岐と主郭部の間にある曲輪の一つ、「不動曲輪」
・主郭部の表側の門跡
・主郭部背後の堀切
・主郭部の土塁
・最東端の堀切の手前の曲輪の切岸
・最東端の堀切
・要害山登山口

2022年05月08日 みー十勝守すけ
要害山城



駐車場は登山口に数台分ありますが、トイレがありません。近くの公園または躑躅ヶ崎館近くのトイレがあるので、到着前にトイレを済ませておくと良いです😊小学3年の娘と登ってきました。虫がいますので、虫対策もすると良いです。

2022年04月02日 長けた 右兵衛督 進言
要害山城

躑躅ヶ崎館の詰め城のようです。いわゆる山城で、トレッキングシューズくらいは履いていないと、登るのが厳しい。普通に山登りと思って挑む事をお勧めします。

2022年03月22日 きむ兵部少輔
要害山城



2022/03/13リア攻め
登山口に駐車場あり
現地には案内が殆どないので、事前の下調べが重要。スタンプのある藤村記念館でリーフレットを入手できます。内容は非常に簡単な物ですが、当てもなく行くよりは。3/13日現在、コロナによる休館中のため、正面右手のポストの中に押印済みの紙とリーフレットが入っていました。
結構本格的な登山になるので、それなりの準備を。

2022年03月21日 山城大炊頭
要害山城

甲府市藤村記念館は、コロナで閉館していました。続日本100名城のスタンプは押してある紙が置いてありました。スタンプ帳には押せませんでした。お城の遺構は特に北側がものすごくよかった!!

2021年06月13日 みのみの美濃守@流浪人
熊城[要害山城  周辺城郭]

ここのポイントは主郭部限定の情報となります。

要害山城からのルートで熊城を攻略しようとすると、遺構の無い通路上にポイント設定がされていましたので、迷わない様に設定しました。

リア攻めした際にリア攻めマップを確認した全員が、本当に迷いましたのでご注意下さい。

2021年05月12日 しげしげ主税頭信繁
要害山城



5年ぶりの再訪問ですが、きれいに整備されており登り易くなってました、武田不動尊曲輪の入り口の直ぐ上、左側、前は薮が酷くて入らなかった曲輪に入る事が出来、井戸(諏訪の水)が見られました。

2021年04月30日 RED副将軍
熊城[要害山城  周辺城郭]



全国各地の山城を沢山訪城しましたが、5本の指に入る素晴らしい遺構でした。訪城が大変な分、残存度は◎。

オススメ度 ★★★★★

数々の武田の魔城を見てきましたが、ここは最高です。ていうかサイコです。見所は、急峻な痩せ尾根上に突如現れる巨大堀切です。しかも二重堀切です。東側にも極めて保存状態の良い畝状竪堀があり必見です。主郭から階段状に曲輪が連なりますが石積みで補強されているのも確認できます。

要害山城は武田の詰め城ですが、地形的に弱点の東側の防御を堅めるために熊城が築かれたと言われています。要害山城と熊城の間の谷間に水の手があり、ここの防御も兼ねてと考えます。詰め城を二つ持つことで敵方を撹乱させる目的もあったのでしょうか。

山深い痩せ尾根にこれ程の土木量のやり過ぎ感はさすがに武田です。

要害山城の東側にありますが、別尾根であり搦手から回り込むことになります。熊城への案内板は出ていないので分かりにくいためご注意下さい。分岐点は地点登録しておきました。

2021年04月25日 RED副将軍
熊城への分岐点[要害山城  その他]



熊城への登城路の看板は出ていません。
要害山城主郭から東側にあるのですが、搦手から尾根筋を回り込むことになります。
結構距離がある上に遠ざかっている様な不安にかられますが、深草観音方面にいき、写真の土管型灰皿を右の尾根に歩けば辿り着きます。その先にも尾根が分かれますが、ケルンがあるところを右に降ります。

⚠️追記
その後、土管型灰皿は撤去された様です。
代わりに黄色の「クマ出没注意」と書いたラミレート板があるのでそこが目印です。

2021年03月12日 銀猫甲斐守美和♬
要害山城



城郭自体の情報は、先達が多数残してくれているため、周辺情報を記載します。

要害山城は、主に積翠寺方面から登城しますが、城背後には熊城や岩堂峠へのルートがあります。

いわゆる拠点間連絡道なのですが、これがかなりの広範囲に渡ります。
要害山城から、数百m先に熊城分岐、2km程進んだ先には、岩堂観音(深草観音)と岩堂峠があります(pic1)。
*躑躅ヶ崎館、湯村山城方面へのルートは、湯村山城の方を参照ください。

岩堂峠は、①要害山城方面、②甲斐善光寺&石和方面、③春日居町方面への3分岐点となっており、それぞれは、信虎公が甲府へ遷都する前に、元々重きを置いていた地域になります。有事の際は、城から石和地域へ移動できるように、連絡道が整備されたものなのだと思います(pic峠2・3)。

また、途中にある岩堂観音堂もオススメです。元々は、積翠寺横にある瑞岩寺の跡地なのですが、名前の通り岩窟堂になっています。切り立った岩をくり抜いて建築されており、お堂には圧巻の、岩階段と鉄梯子があります。
*いずれも登る際は、十分ご注意ください。(pic4・5・6・7)

以下に周遊ルートの一例を、記載します。
要害山城駐車場→本丸→(熊城)→岩堂観音→岩堂峠→根古屋集落→瑞岩寺→積翠寺→駐車場
*根古屋集落は、元々城前衆の集落で、現在でも野面積みの石垣が、数多く点在しています。

以上、登城に際して、お役に立てれば幸いです。

2021年03月06日 せせらぎ太政大臣
要害山城



つづら折りの急坂を登り、そろそろ本丸に着くかなと思いきや、曲輪と門跡がいくつも続き、やっと着いた主郭部は、土塁に囲まれた箱庭のようなところで、武田信玄がここで生まれたと知り、喜びもひとしおでした。

2020年11月01日 特にありません
要害山城



せっかく要害山に登ったけど、ボランティアガイド率いる集団がスポット前を占領。観光推進する方がこのレベルだとガッカリ。甲府市として改善して欲しいです。

2020年06月30日 吉岡祐樹
要害山城

武田神社沿いに少し登った所で攻略しましたが、記念に山頂の城跡の武田信玄公出生地の石碑まで登りましたが、道が藪になっていたり倒木があったり斜面が急で滑りやすく、殆ど道が無くなってる箇所もありかなり危険。天候の悪い日は注意です。

2020年04月20日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
熊城[要害山城  周辺城郭]



熊城は続100名城の要害山の南東側に突き出した支尾根上に築かれてます☆
厳重な防御態勢は圧巻の一言☆

誰がいつどんな意図で築かれたかは解りません☆印象としては要害山城を補強する為に谷を挟んだ南東側に築いた☆熊城と要害山城は別の城として機能していたと云うよりは一つの城であり熊城は拡張拡大したという印象を受けました☆
そう思った理由は…

①熊城は痩せ尾根に築かれている為兵を籠城させるのは困難な事→詰の詰城☆

②防御ラインである畝状竪堀群があり要害山城とは逆の山斜面に向けて築かれている事
主郭と呼ばれる場所は本当に狭くって一時凌ぎを行う事位しか出来なそうだし…☆水の手も見当たらない☆

沢山の疑問と妄想が浮かび上がりましたw
が迷宮入り☆遺構の残り具合は素晴らしく一見の価値ありです☆
妄想仮説として…
熊城は武田家滅亡の直前に勝頼が築いたんじゃないか?
武田家には珍しい畝状竪堀群がある事☆
勝頼は岐阜の明知城を攻め落としてます☆
この明知城は見事なまでな畝状竪堀群が存在してます☆それを見た勝頼なら…

織田信長へ向けた妻である北条夫人の勝頼を攻めないでくれと言う祈る様な書状☆

信玄の死後に徐々に衰退していく武田勝頼の時代☆詰めの詰めを考えたからこそ築いたのではないか☆まさかこんな場所に…て思われる所にある以上、要害山城が落城しても一時的に身を隠す詰めの詰め城として築くのは分からなくもないなぁ〜☆

歴史にはifは付きもの☆誰も見た事ない、触れる事が出来ないからこそ面白いですね☆

登城の仕方は先人様の口コミをご参照ください♪

2020年01月13日 国府左京大夫城介
熊城[要害山城  周辺城郭]



熊城の登城について(R2.1.13)

要害山城から最初の分岐点までは、どのルート(尾根・尾根脇)を通っても着きます。分岐点には、甲府自然休養林ハイキングマップが地面に置かれています。この分岐点は、深草観音方面(右手)へ進んで下さい。

第二分岐点までは、道幅が狭く、雨が降ればぬかるむような所です。第二分岐点には、土管の灰皿があり、右手の細尾根へ進みます。ここからは、ハイキングコース外になります。

第三分岐点までは、多少アップダウンがありますが、とにかく尾根を進むと、ケルン(石積み)がある場所を右手に降りていきます。暫く行くと、熊城の大堀切が出迎えてくれます。

基本的に分岐点があれば、右手に進むと、熊城に着くと覚えておいて下さい。

熊城にある大堀切を降りるには、先人達が踏み固めてくれたルートがありますので、それを利用して下さい。

城内は、石積みが多用されていたり、段曲輪状になっていたり、斜面には畝状竪堀群が見えます。

最後の大堀切には、巨石が組み込まれています。ここまでが熊城の城内になると思います。後は、ひたすら尾根を降って行くと、根古屋地区に着きます。ただし、台風等の影響か、倒木が非常に多いので注意して下さい。

2019年05月29日 野舘宮内少輔サラマンダー
要害山城



帰り道、途中、振り返ってみました…新緑の、とても良い山城でした。熊も出るらしいので、熊対策もお忘れ無く。皆さん、楽しく城攻めしましょう!!∠(>_<)

2019年05月29日 野舘宮内少輔サラマンダー
要害山城



結構高い所まで登って来ていたのですね…やはり、攻城した後に温泉に入りたかった…(T_T)

2019年05月29日 野舘宮内少輔サラマンダー
要害山城



主郭にある、東郷平八郎海軍大将書「武田信玄公誕生之地」石碑。歴史好きな私にはたまらない…(>_<)。これだけでも個人的には大満足でした!!∠(>_<)

2019年05月01日 お猿さん紀伊守せんとくん
要害山城

スタンプは、甲府駅の北側すぐにある藤村記念館の受付前にあります。
スタンプのインクの具合が悪く綺麗に押せません。
受付の人の話によると市にインクについて依頼してますが、いつになるかわかりません。

2018年12月21日 感謝修理大夫はる ◢͟│⁴⁶
要害山城

休館日、年末年始(12月29日〜1月3日まで?)の期間は続100名城スタンプは押せません!

が、施設内のポストの中にシールが置いてあるとの事です。

2018年11月24日 jinjing
要害山城

甲府駅前の観光案内所でパンフゲットできます。

2018年05月16日 織田上総介晃司
要害山城

躑躅ヶ崎館を右に見ながら北上するとアスファルト道路の右側に車が停めれるスペースがあります。
山道を登ること約30分で主郭に到着します。

途中、武田不動尊がある不動曲輪あたりから石垣や曲輪跡が多くなります。

躑躅ヶ崎館の詰城としての役割を持つが、ほとんど使われることはなかったそうです。

2018年04月11日 裕太中納言
要害山城

続100名城になったので、行ってみました。
まずはガード下にある30分無料の駐車場に停め、スタンプを駅前の藤村記念館で押し。
城跡へ
ナビで入りますが、武田神社を通り過ぎてドンドン上って行くと工事で行き止まりの道路横に、ちょっとスペースが。
その手前にも砂利のスペースが、そこにも駐車出来そう。
ここ登るの?っていきなり急な坂を登っていきますが、もう、
登山です。
平坦な道はほぼなく、ともかく急な坂が、落ち葉で滑りやすく、細い道もあるので気を付けて下さい。
途中から、門跡、曲輪跡が出てきて、曲輪は雑草が多く入っていけない。
頂上には信玄公誕生の地の石碑が。
この時期でも汗だくだったので、夏場は水分持参で登山感覚で登ってみてください。

2017年11月06日 【G6】OROKA参議
要害山城

熊城への案内捕捉

要害山城の本丸を通りすぎ、背後の堀切も過ぎて尾根を進みます。尾根を登る道と右側のサイドから抜ける道があるので、基本は右サイドの道を選んでください。
しばらく行くとT字路の分岐点があるので、「深草観音」方面の右へ。土砂崩れぎみの足元の悪い道をしばらく進むと、土管の吸い殻入れがあるので、ここを右の尾根に入り下ります。
しばし下ると、Y字の尾根に出くわすので、こちらも右の尾根を下ってください。急斜面を下ると、熊城の大堀切にたどり着きます。ここから城域にやっと入ります。要害山城から40分くらいでしょうか。

2本目の大堀切から左下を見ると、畝状竪堀群が見えます。急斜面なので注意が必要です。
大堀切を越えると、主郭とおぼしき石積のある場所に出ます。その下には段郭がいくつか広がっていますが、遺構は分かりにくくなっています。
大堀切と畝状竪堀はとにかく見応えがありました。

なお、途中にクマが爪を研いだと思える木の傷や、大きめの野性生物が走り去る音など聞こえたので、時期や装備などしっかりと対策をした方が良いと思います。

2017年08月16日 日高守きこりん
要害山城

熊城の案内。
要害山城の、沢一つ挟んで東隣の尾根上には支城とも言うべき熊城が存在します。築城時期や役割は明らかになっていませんが、兜山方面からの岩堂峠越えの道、また善光寺方面からの道が東麓の沢筋を通るので、そちらへの備えではないでしょうか。
要害山の主郭背後の堀切を越えてさらに尾根を行き、突き当りを右に行き沢を渡って次の尾根を降って行きます。土管の吸殻入れが目印です。整備された道はありませんが、踏み跡はあるのでそれを辿って尾根を忠実に降って行きます。紛らわしい尾根の分岐はケルンが積まれてる方へ。やがて土橋も通路もない完全に遮断する構えの大きな堀切にぶち当たり、そこから下が城域です。尾根を歩けば主な遺構は見れますが、畝状竪堀は尾根を外れる必要があり、やや危険なので気をつけてください。
尾根をそのまま降っていくと採石跡があり、そこから積翠寺の集落はすぐです。根古屋の地名が残り、古い山村の風景の中に信玄公縁の積翠寺など神社仏閣があるので、散策すると良いでしょう。
要害山に限らず甲府の里山は近年マダニが多くいます。特に熊城は草刈りされてない所を歩かねばならないので注意してください。

2017年05月21日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
要害山城

甲府からバスは本数少ないですね。
武田神社に駐車してから歩いても要害山の入口までは遠いです。
数キロあります。

城の入口にホテルあります。
川が流れていて、橋があり公道側に空間があるのでそこに駐車してる人もいました。
アスファルトでかなり膨らんだスペースがあります。

入口は要害山城の看板があり、早足なら20分位で主郭迄登れます。

道は細く、多少倒木あります。


2017年05月21日 みのみの美濃守@流浪人
要害山城

2017年GW前後にあった強風等の影響で、倒木があり、足元が危ない場所が数ヵ所あります。

信玄公が生まれた際に産湯を使ったと言われる井戸ですが、不動尊が安置されている曲輪より主郭部へ向かう道を数メートル登った左側に、獣道と思われる入り口(?)があります。そこを入っていくと曲輪があり、小さな祠と共にひっそりとあります。

藪化も進み始め、倒木もあるので足元に注意してください。

駐車場は6~7台停められるスペースがありますが、バス利用の場合、朝昼夕に各々1往復ずつで計3往復しかないのでご注意を‼

トイレについてですが、城址の中や周辺にはありません。数ヶ月前まで城址入り口に「ホテル要害」がありましたが、今現在別の施設に変わっているので、トイレ利用が出来るか否かは分かりません‼



2017年05月16日 さく守刑部卿
要害山城

ホテル要害脇から登山。所々に石積みが
見られ、門跡や曲輪などの看板が出ており
それを見ながら「頂上はまだか」と自分を
励ましながら約40分位で主郭へ。
広めの曲輪で土塁が周囲を覆っています。
体を冷ました後の帰りの下りは楽々
でしたが、3歳くらいの子供を連れた家族連れとすれ違いましたが、綺麗な洋服を
着ていましたが半べそかいていました。
熊鈴鳴らしたおじさんともすれ違いましたので、やはり山城として臨む必要あるね
と思いました。

2016年08月03日 若狭守 影丸
要害山城

最寄りバス停の積翠寺行きは武田神社経由で朝昼夕の1日3往復でした。バス停から登城口になるホテル要害入口まで徒歩15分程。積翠寺バス停から武田神社まで徒歩40分程。


2015年12月15日 野呂利左衛門督休三
要害山城

ツアーで行ったので足を使ったのは「積翠寺温泉 要害」の登り口から。
先達が書かれていますように傾斜が結構急なつづら折りの山道を登って行くことになります。
城域はこれでもかと言うくらい枡形虎口と曲輪が連続して続きます。
数々の枡形虎口の迎撃をかい潜ってたどり着いた本丸は東西に長い広々とした曲輪で(城域自体が東西に長いです)、しっかりとした土塁に囲まれています。南側の土塁に登れば、木々の合間から富士山を望むことができます。
本丸にたどり着いて終わりではなく、東側は堀切によって防御された空間が続きます。本丸傍の堀切は表面が石積されている所もあります。

道は分岐がほぼ無いので迷うことはないと思います。城域は東端と西端に史跡標柱が立っています。虎口や堀、曲輪には足元に立て札があります。

山は樹木に覆われているので、見晴らしの利く場所は少ないですが、ところどころに甲府の市街を見下ろせる場所があります。不動曲輪と呼ばれる場所からの眺望はお薦めです。石の不動様が甲府の町を見守っています。

2015年12月05日 奥州王征夷大将軍毘沙門天乱丸
要害山城

3度目の登城ε=( ̄。 ̄ )
やはりこの季節が一番いいです(^-^)
頂上からでした!

2015年12月05日 忍者
要害山城

近くを走行中に少し渋滞が

2015年02月22日 主水正ansky
要害山城

ナビ案内で要害山城まで。

2014年11月01日 まさ
要害山城

今月一番乗り!やった。
頂上はスズメバチがいるので要注意!!

2014年04月08日 みのみの美濃守@流浪人
要害山城

ホテル要害の入り口の脇に要害山城に向かう入り口があります。

本丸跡までは一本道で約40分程度で到着しますが、急勾配の箇所もあり、体力勝負かもしれません。九十九折りで一回の往復でビルの三階分の高さを昇る場所もあります。

2012年12月09日 奥州王征夷大将軍毘沙門天乱丸
要害山城

2度目の登城、一本道なので良く整備され、土塁、虎口、堀切も良く確認できる城跡です(^_^)
積翠寺までバスが1日9本ですが土日祝日は5本と少ないので駅前からのレンタル自転車がお勧めします(^_^)
疲れ果て昨日口コミ途中で寝てしまった(^^;)


2012年07月14日 
要害山城

積翠寺から積翠寺温泉に向かう坂を登ると、要害山への登山口があります(入り口に案内板あり)
躑躅ヶ崎館の詰め城として築かれた山城で、曲輪や土塁等の遺構がとても良い状態で残っています。
通路が一本なので、当時と同じ道をたどれるのも魅力です。

ただ、バスで行く方に注意。積翠寺バス停から出る本数は少ないので、帰りの時間はチェックしてから登城したほうがいいです。
でないと私のように武田神社まで歩いて下ることになりますよ

要害山城の周辺スポット情報

 武田不動尊(遺構・復元物)

 大堀切(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 井戸「諏訪の水」(遺構・復元物)

 『武田信玄公生誕之地』石碑(碑・説明板)

 根古屋跡(碑・説明板)

 熊城(周辺城郭)

 仏沢城(周辺城郭)

 切差の城山(周辺城郭)

 積翠寺(寺社・史跡)

 瑞岩寺(寺社・史跡)

 深草観音堂(岩堂観音)(寺社・史跡)

 甲府市観光案内所(御城印)

 甲府市藤村記念館(スタンプ)

 県道路側帯駐車スペース(駐車場)

 登城口(その他)

 岩堂峠(その他)

 熊城への分岐点(その他)

 熊城への登り口(その他)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore