要害山城(ようがいやまじょう)
要害山城の基本情報
通称・別名
- 要害城、積翠山城
所在地
- 山梨県甲府市上積翠寺町
旧国名
- 甲斐国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 武田信虎
築城年
- 永正17年(1520)
主な改修者
- 武田勝頼、加藤光泰
主な城主
- 武田氏、徳川氏、加藤氏
廃城年
- 慶長5年(1600)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
指定文化財
- 国史跡(要害山)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
躑躅ヶ崎館(山梨県甲府市)[2.7km]
平瀬烽火台(山梨県甲府市)[4.5km]
湯村山城(山梨県甲府市)[4.7km]
甲府城(山梨県甲府市)[4.9km]
八田家御朱印屋敷(山梨県笛吹市)[6.7km]
小田野城(山梨県山梨市)[8.1km]
連方屋敷(山梨県山梨市)[9.7km]
小山城(山梨県笛吹市)[10.8km]
浄古寺城(山梨県山梨市)[11.1km]
勝山城(山梨県甲府市)[11.2km]
日本100名城・続日本100名城スタンプ情報
番号・名称
- (続)128 要害山城
設置場所
- 甲府市藤村記念館[地図]
要害山城の解説文
[引用元:Wikipedia「要害山城」の項目]要害山城(ようがいやまじょう)は、山梨県甲府市上積翠寺町(かみせきすいじまち)にあった日本の城。躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)の詰城として築かれた山城である。平成3年(1991年)、国の史跡に指定された。要害城、積翠山城とも呼ばれる。
【立地】
所在する甲府市上積翠寺町は甲府盆地周縁の中央北部、相川扇状地の扇頂部に位置する。標高770メートルの丸山と呼ばれる要害山中腹の傾斜地を中心に築かれている。
【沿革】
『高白斎記』に拠れば、築城は武田信虎時代の永正17年(1520年)6月であるという。武田氏は前年に居館を石和の川田館(甲府市川田町)から躑躅ヶ崎館(甲府市古府中町)へ移しており、駒井政武の領地であった積翠寺郷の丸山が城として取り立てられ、館の詰城として砦や狼煙台が築かれたという。
同年には駿河の今川氏勢の武将福島正成が駿州往還(河内路)を甲斐へ侵攻し甲府へ迫っており、信虎は正室の大井夫人を避難させ福島勢を駆逐しているが、夫人はその最中に城中で嫡男(後の武田晴信)を出産したという。
勝頼期の天正4年(1576年)6月1日付武田家朱印状に拠れば、武田氏は要害城より西方に位置する帯那郷(甲府市上帯那町・下帯那町)に対して要害城の普請への召し出しを命じており、帯那郷への河除(堤防普請)と他の諸普請の一切を免除している。『甲陽軍鑑』『甲斐国志』によれば、武田氏時代の城番は駒井次郎左衛門・武藤山城・駒井昌直(右京亮)が務めたという。
武田氏滅亡後、徳川氏の支配期を経て豊臣系大名が入城し、加藤光泰により修築が行われた。文禄年間の修築を示す遺構として穴太積みの石垣が見られる。
『甲斐国志』によれば、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後に甲斐は再び徳川氏が領し、廃城となったという。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(128番)に選定された。
【熊城】
要害城の支城として熊城がある。熊城は標高730メートル付近に立地し、一直線上の小規模な郭と堀切・竪堀、石垣が遺構として残されている。熊城に至る案内板は一切無い為、訪城には注意が必要である。
...[続きを見る]
要害山城の口コミ情報
2020年11月01日 特にありません
要害山城
せっかく要害山に登ったけど、ボランティアガイド率いる集団がスポット前を占領。観光推進する方がこのレベルだとガッカリ。甲府市として改善して欲しいです。
2020年04月20日 龍馬太閤【備中の麒麟】
熊城[要害山城 周辺城郭]
熊城は続100名城の要害山の南東側に突き出した支尾根上に築かれてます☆
厳重な防御態勢は圧巻の一言☆
誰がいつどんな意図で築かれたかは解りません☆印象としては要害山城を補強する為に谷を挟んだ南東側に築いた☆熊城と要害山城は別の城として機能していたと云うよりは一つの城であり熊城は拡張拡大したという印象を受けました☆
そう思った理由は…
①熊城は痩せ尾根に築かれている為兵を籠城させるのは困難な事→詰の詰城☆
②防御ラインである畝状竪堀群があり要害山城とは逆の山斜面に向けて築かれている事
主郭と呼ばれる場所は本当に狭くって一時凌ぎを行う事位しか出来なそうだし…☆水の手も見当たらない☆
沢山の疑問と妄想が浮かび上がりましたw
が迷宮入り☆遺構の残り具合は素晴らしく一見の価値ありです☆
妄想仮説として…
熊城は武田家滅亡の直前に勝頼が築いたんじゃないか?
武田家には珍しい畝状竪堀群がある事☆
勝頼は岐阜の明知城を攻め落としてます☆
この明知城は見事なまでな畝状竪堀群が存在してます☆それを見た勝頼なら…
織田信長へ向けた妻である北条夫人の勝頼を攻めないでくれと言う祈る様な書状☆
信玄の死後に徐々に衰退していく武田勝頼の時代☆詰めの詰めを考えたからこそ築いたのではないか☆まさかこんな場所に…て思われる所にある以上、要害山城が落城しても一時的に身を隠す詰めの詰め城として築くのは分からなくもないなぁ〜☆
歴史にはifは付きもの☆誰も見た事ない、触れる事が出来ないからこそ面白いですね☆
登城の仕方は先人様の口コミをご参照ください♪
2020年01月13日 国府左京亮城介
熊城[要害山城 周辺城郭]
熊城の登城について(R2.1.13)
要害山城から最初の分岐点までは、どのルート(尾根・尾根脇)を通っても着きます。分岐点には、甲府自然休養林ハイキングマップが地面に置かれています。この分岐点は、深草観音方面(右手)へ進んで下さい。
第二分岐点までは、道幅が狭く、雨が降ればぬかるむような所です。第二分岐点には、土管の灰皿があり、右手の細尾根へ進みます。ここからは、ハイキングコース外になります。
第三分岐点までは、多少アップダウンがありますが、とにかく尾根を進むと、ケルン(石積み)がある場所を右手に降りていきます。暫く行くと、熊城の大堀切が出迎えてくれます。
基本的に分岐点があれば、右手に進むと、熊城に着くと覚えておいて下さい。
熊城にある大堀切を降りるには、先人達が踏み固めてくれたルートがありますので、それを利用して下さい。
城内は、石積みが多用されていたり、段曲輪状になっていたり、斜面には畝状竪堀群が見えます。
最後の大堀切には、巨石が組み込まれています。ここまでが熊城の城内になると思います。後は、ひたすら尾根を降って行くと、根古屋地区に着きます。ただし、台風等の影響か、倒木が非常に多いので注意して下さい。
2019年05月29日 野舘宮内少輔サラマンダー
要害山城
帰り道、途中、振り返ってみました…新緑の、とても良い山城でした。熊も出るらしいので、熊対策もお忘れ無く。皆さん、楽しく城攻めしましょう!!∠(>_<)
2019年05月29日 野舘宮内少輔サラマンダー
要害山城
結構高い所まで登って来ていたのですね…やはり、攻城した後に温泉に入りたかった…(T_T)
2019年05月29日 野舘宮内少輔サラマンダー
要害山城
主郭にある、東郷平八郎海軍大将書「武田信玄公誕生之地」石碑。歴史好きな私にはたまらない…(>_<)。これだけでも個人的には大満足でした!!∠(>_<)
2019年05月01日 摂津守せんとくん
要害山城
スタンプは、甲府駅の北側すぐにある藤村記念館の受付前にあります。
スタンプのインクの具合が悪く綺麗に押せません。
受付の人の話によると市にインクについて依頼してますが、いつになるかわかりません。
2018年12月21日 感謝式部大輔はる ◢͟│⁴⁶
要害山城
休館日、年末年始(12月29日〜1月3日まで?)の期間は続100名城スタンプは押せません!
が、施設内のポストの中にシールが置いてあるとの事です。
2018年11月24日 jinjing
要害山城
甲府駅前の観光案内所でパンフゲットできます。
2018年05月16日 内大臣織田晃司
要害山城
躑躅ヶ崎館を右に見ながら北上するとアスファルト道路の右側に車が停めれるスペースがあります。
山道を登ること約30分で主郭に到着します。
途中、武田不動尊がある不動曲輪あたりから石垣や曲輪跡が多くなります。
躑躅ヶ崎館の詰城としての役割を持つが、ほとんど使われることはなかったそうです。
2018年04月11日 裕太左近衛大将
要害山城
続100名城になったので、行ってみました。
まずはガード下にある30分無料の駐車場に停め、スタンプを駅前の藤村記念館で押し。
城跡へ
ナビで入りますが、武田神社を通り過ぎてドンドン上って行くと工事で行き止まりの道路横に、ちょっとスペースが。
その手前にも砂利のスペースが、そこにも駐車出来そう。
ここ登るの?っていきなり急な坂を登っていきますが、もう、
登山です。
平坦な道はほぼなく、ともかく急な坂が、落ち葉で滑りやすく、細い道もあるので気を付けて下さい。
途中から、門跡、曲輪跡が出てきて、曲輪は雑草が多く入っていけない。
頂上には信玄公誕生の地の石碑が。
この時期でも汗だくだったので、夏場は水分持参で登山感覚で登ってみてください。
2017年11月06日 OROKA和泉守
要害山城
熊城への案内捕捉
要害山城の本丸を通りすぎ、背後の堀切も過ぎて尾根を進みます。尾根を登る道と右側のサイドから抜ける道があるので、基本は右サイドの道を選んでください。
しばらく行くとT字路の分岐点があるので、「深草観音」方面の右へ。土砂崩れぎみの足元の悪い道をしばらく進むと、土管の吸い殻入れがあるので、ここを右の尾根に入り下ります。
しばし下ると、Y字の尾根に出くわすので、こちらも右の尾根を下ってください。急斜面を下ると、熊城の大堀切にたどり着きます。ここから城域にやっと入ります。要害山城から40分くらいでしょうか。
2本目の大堀切から左下を見ると、畝状竪堀群が見えます。急斜面なので注意が必要です。
大堀切を越えると、主郭とおぼしき石積のある場所に出ます。その下には段郭がいくつか広がっていますが、遺構は分かりにくくなっています。
大堀切と畝状竪堀はとにかく見応えがありました。
なお、途中にクマが爪を研いだと思える木の傷や、大きめの野性生物が走り去る音など聞こえたので、時期や装備などしっかりと対策をした方が良いと思います。
2017年08月16日 釧路守きこりん
要害山城
熊城の案内。
要害山城の、沢一つ挟んで東隣の尾根上には支城とも言うべき熊城が存在します。築城時期や役割は明らかになっていませんが、兜山方面からの岩堂峠越えの道、また善光寺方面からの道が東麓の沢筋を通るので、そちらへの備えではないでしょうか。
要害山の主郭背後の堀切を越えてさらに尾根を行き、突き当りを右に行き沢を渡って次の尾根を降って行きます。土管の吸殻入れが目印です。整備された道はありませんが、踏み跡はあるのでそれを辿って尾根を忠実に降って行きます。紛らわしい尾根の分岐はケルンが積まれてる方へ。やがて土橋も通路もない完全に遮断する構えの大きな堀切にぶち当たり、そこから下が城域です。尾根を歩けば主な遺構は見れますが、畝状竪堀は尾根を外れる必要があり、やや危険なので気をつけてください。
尾根をそのまま降っていくと採石跡があり、そこから積翠寺の集落はすぐです。根古屋の地名が残り、古い山村の風景の中に信玄公縁の積翠寺など神社仏閣があるので、散策すると良いでしょう。
要害山に限らず甲府の里山は近年マダニが多くいます。特に熊城は草刈りされてない所を歩かねばならないので注意してください。
2017年05月21日 五瓜ニ唐花紋左大臣や~きみ
要害山城
甲府からバスは本数少ないですね。
武田神社に駐車してから歩いても要害山の入口までは遠いです。
数キロあります。
城の入口にホテルあります。
川が流れていて、橋があり公道側に空間があるのでそこに駐車してる人もいました。
アスファルトでかなり膨らんだスペースがあります。
入口は要害山城の看板があり、早足なら20分位で主郭迄登れます。
道は細く、多少倒木あります。
2017年05月21日 みのみの大膳大夫@五里霧中
要害山城
2017年GW前後にあった強風等の影響で、倒木があり、足元が危ない場所が数ヵ所あります。
信玄公が生まれた際に産湯を使ったと言われる井戸ですが、不動尊が安置されている曲輪より主郭部へ向かう道を数メートル登った左側に、獣道と思われる入り口(?)があります。そこを入っていくと曲輪があり、小さな祠と共にひっそりとあります。
藪化も進み始め、倒木もあるので足元に注意してください。
駐車場は6~7台停められるスペースがありますが、バス利用の場合、朝昼夕に各々1往復ずつで計3往復しかないのでご注意を‼
トイレについてですが、城址の中や周辺にはありません。数ヶ月前まで城址入り口に「ホテル要害」がありましたが、今現在別の施設に変わっているので、トイレ利用が出来るか否かは分かりません‼
2017年05月16日 さく124S宮内卿
要害山城
ホテル要害脇から登山。所々に石積みが
見られ、門跡や曲輪などの看板が出ており
それを見ながら「頂上はまだか」と自分を
励ましながら約40分位で主郭へ。
広めの曲輪で土塁が周囲を覆っています。
体を冷ました後の帰りの下りは楽々
でしたが、3歳くらいの子供を連れた家族連れとすれ違いましたが、綺麗な洋服を
着ていましたが半べそかいていました。
熊鈴鳴らしたおじさんともすれ違いましたので、やはり山城として臨む必要あるね
と思いました。
2016年08月03日 丹後守 影丸
要害山城
最寄りバス停の積翠寺行きは武田神社経由で朝昼夕の1日3往復でした。バス停から登城口になるホテル要害入口まで徒歩15分程。積翠寺バス停から武田神社まで徒歩40分程。
2015年12月15日 野呂利左衛門督休三
要害山城
ツアーで行ったので足を使ったのは「積翠寺温泉 要害」の登り口から。
先達が書かれていますように傾斜が結構急なつづら折りの山道を登って行くことになります。
城域はこれでもかと言うくらい枡形虎口と曲輪が連続して続きます。
数々の枡形虎口の迎撃をかい潜ってたどり着いた本丸は東西に長い広々とした曲輪で(城域自体が東西に長いです)、しっかりとした土塁に囲まれています。南側の土塁に登れば、木々の合間から富士山を望むことができます。
本丸にたどり着いて終わりではなく、東側は堀切によって防御された空間が続きます。本丸傍の堀切は表面が石積されている所もあります。
道は分岐がほぼ無いので迷うことはないと思います。城域は東端と西端に史跡標柱が立っています。虎口や堀、曲輪には足元に立て札があります。
山は樹木に覆われているので、見晴らしの利く場所は少ないですが、ところどころに甲府の市街を見下ろせる場所があります。不動曲輪と呼ばれる場所からの眺望はお薦めです。石の不動様が甲府の町を見守っています。
2015年12月05日 海賊王!自粛中納言乱丸
要害山城
3度目の登城ε=( ̄。 ̄ )
やはりこの季節が一番いいです(^-^)
頂上からでした!
2015年12月05日 忍者
要害山城
近くを走行中に少し渋滞が
2015年02月22日 主水正ansky
要害山城
ナビ案内で要害山城まで。
2014年11月01日 まさ
要害山城
今月一番乗り!やった。
頂上はスズメバチがいるので要注意!!
2014年04月08日 みのみの大膳大夫@五里霧中
要害山城
ホテル要害の入り口の脇に要害山城に向かう入り口があります。
本丸跡までは一本道で約40分程度で到着しますが、急勾配の箇所もあり、体力勝負かもしれません。九十九折りで一回の往復でビルの三階分の高さを昇る場所もあります。
2012年12月09日 海賊王!自粛中納言乱丸
要害山城
2度目の登城、一本道なので良く整備され、土塁、虎口、堀切も良く確認できる城跡です(^_^)
積翠寺までバスが1日9本ですが土日祝日は5本と少ないので駅前からのレンタル自転車がお勧めします(^_^)
疲れ果て昨日口コミ途中で寝てしまった(^^;)
2012年07月14日 león☆鷹党
要害山城
積翠寺から積翠寺温泉に向かう坂を登ると、要害山への登山口があります(入り口に案内板あり)
躑躅ヶ崎館の詰め城として築かれた山城で、曲輪や土塁等の遺構がとても良い状態で残っています。
通路が一本なので、当時と同じ道をたどれるのも魅力です。
ただ、バスで行く方に注意。積翠寺バス停から出る本数は少ないので、帰りの時間はチェックしてから登城したほうがいいです。
でないと私のように武田神社まで歩いて下ることになりますよ