於曾屋敷(おぞやしき)

於曾屋敷の基本情報

通称・別名

於曽屋敷

所在地

山梨県甲州市塩山上於曽元旗板539他

旧国名

甲斐国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

加賀美(於曾)氏

築城年

15世紀中期

主な改修者

主な城主

加賀美(於曾)氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(於曽屋敷)

再建造物

説明板

周辺の城

連方屋敷(山梨県山梨市)[2.7km]
勝沼氏館(山梨県甲州市)[4.8km]
浄古寺城(山梨県山梨市)[5.2km]
小田野城(山梨県山梨市)[6.9km]
八田家御朱印屋敷(山梨県笛吹市)[9.9km]
小山城(山梨県笛吹市)[11.7km]
要害山城(山梨県甲府市)[12.1km]
躑躅ヶ崎館(山梨県甲府市)[14.2km]
甲府城(山梨県甲府市)[15.2km]
平瀬烽火台(山梨県甲府市)[16.3km]

於曾屋敷の解説文

塩山市下於曽に元旗板と呼ばれる地域がある。この地域の中央に山梨県指定史跡である於曽屋敷がある。

於曽郷は、「和名抄」に山梨郡の郷名として見えることから、古代からの集落であったことがわかる。甲斐の古代豪族である三枝氏の支配下に属していたが、その勢力の弱体化とともに甲斐源氏の勢力下に組み込まれたものと考えられる。中世の於曽氏は、甲斐源氏の祖とも言われる逸見冠者黒源大清光の男、加賀美遠光の男である四男が於曽四郎を号しまた五男が於曽五郎を称したことに始まる。

於曽氏は室町から戦国期には『一蓮寺過去帳』・『妙法寺記』・『高白斎記』などにその名を散見することができる。

この屋敷は、県内では最も形態を伝える土豪屋敷の一つである。東西90m、南北110mの規模を有し、江戸時代の絵図によれば、二重の堀と土塁によって囲まれていたことがわかる。今日でも、北側と東側にその痕跡を認めることができる。虎口は南と東にあるが、ともに間口は2間程である。

昭和60年9月に県教育委員会で実施した発掘調査によって、南虎口の外側に幅3m以上の堀と土橋、堀の外側に柵列、その外側には掘建による奥行き二間、間口3間以上の門と思われる建物が検出された。この建物の南10mには土塁の基底部と思われる幅5m余り版築状の面が東西に延びているのも確認された。このことから、於曽屋敷は、絵図の通りの構造をもっていたことが確かめられた。

この屋敷の性格については、金山衆との関係が指摘されているが、今回の分布調査によっても、周辺に多くの金山衆関係の屋敷が確認された。

情報提供:山梨県教育委員会


於曾屋敷の口コミ情報

2024年08月01日 syokumi 雅楽頭
於曾屋敷



住宅地の中に、避難地用の公園として残されていました。お手洗いの設置の際に詳細な調査をしたようです。街中での城跡はこうして保存される事が多いですね。説明板も設置されて、街を守る公園として愛されていくといいなと感じました。土塁や巨木も残されています。住宅地の中ですので足腰の悪い方でも見学可。トイレ・駐車場あります。

2024年06月26日 内記かずりヾ(・ε・。)
恵林寺山城[於曾屋敷  周辺城郭]



さて、山国なのに山城不作の地、山梨県でGMYSGしてたら、知らんお城がヒットしたので即決で訪ねる事にした。今まで知らずに結構な頻度で目の前を通り過ぎていたのね。あ、GMYSG…「Googleマップで山城してGO♪」の事っす。

信濃のお城の神は「信濃の山城と館」に続いて「甲斐の山城と館」て本も出しておられるんだけど、信濃が全8巻なのに対して甲斐は僅かに上下2巻、県としての面積に違いがあるとはいえ、山梨県は他県と比べても実に山城が少ない地域なのだ。同書の掲載物件を見ても居館と屋敷が圧倒的、次に続くのが砦、狼煙台、物見台の類い、要害の数は極端なまでに少ない。おいらが甲斐を山城不作の地とするのは決して言い過ぎな事ではない。

恵林寺山城は於曾屋敷の北方約3.7km、標高941.8mの扇山から南東へ伸びる尾根中段上、標高約815mの小ピークを中心に立地する要害です。南麓のフルーツラインからの比高は325m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい…なんだけどそのままじゃ行けないので、同じく位置登録されている南東麓の「フルーツパラダイス駐車場」を目標に設定して下さい。問題は此処からだ。

実は相当な上段まで林道が伸びており、お山の取り付きまで軽四駆なら車で登れる。最後まで行ければ車の捨て場所には困らないのだが、最終局面は未舗装林道となるので路面状況によって随分と左右されると思う。不安を感じるようであればすっぱりと諦めるのが無難、前述のフルーツパラダイス駐車場に車を捨てて徒歩で登ろう。林道を行ける所まで…等と考えそうだが、車の捨て場所がどうしたって見付からない。林道中には果樹園と別荘が点在しており路駐はどんな場所でも論外である。

平成の終わりに発見された新城だ。まともな情報は無いに等しいんだけど安心してつかぁさい。最近じゃ城めぐにぱったりと姿を見せなくなった愛すべき甲を被った相州の狂人が完璧なまでの登城経路を自身のブログにアップしてくれている。「恵林寺山城」でググればヒットするので、残りの道程はそちらを参照するとよい。

築城年代、築城者は不明です。該地の南麓、山梨郡千野郷に居館した甲斐武田氏九代当主、武田伊豆守信春が築城者として有力だと思われる。「甲斐国誌」には、応永二十年(西暦1413年)、乱により館を失い萩原山へ逃れ、柳沢に砦を築いたとある。築城年代をこれより以前とする事も十分に可能だろう。少なくとも今に残る縄張は戦国時代より以前のものであると推測する。

急峻な山尾根上、ほぼ同一標高の3つの小ピークに城域が展開する。各小ピークにはそれぞれに削平の跡が見られ、面積もそれなりの広さがある。城郭遺構としては、土橋付きの堀切が4条、これには竪堀の落とし込みも確認出来る他、その内の2条には明瞭な虎口が上段に付いていたりもする。全体としては、郭の広さに比して堀系が少なく比較的にあっさりとした印象だが、特に最初に目にするであろう堀切と長大な竪堀の切れ味には誰でも感動する事間違い無し。ちなみに最も北側の郭には城跡を示す小さなお手製の看板が設けられている。場所にあっては設置者が主郭を此処と判断している故なんだろうか。個人的には虎口の向きから推して最も南側の郭が主郭に相応しいと思うのだが…

山城にとって最大の敵、藪が蔓延る季節である夏場は、おいらにとっては活動休止の時期でもあるんだけど、これはあくまで冬場に比しての話、たぶん一般的なめぐら〜さんよりは遥かに件数をこなしている(遺構の期待出来ない物件ばかりだけど…)。この恵林寺山城は下草が少なくすっきりとした印象でこの時期でも十分に楽しめる山城、苦労して山上に上がっても決して後悔はしない。暑くなるこれからの季節、軽めのトレッキングだと思って挑戦するのもよいかもしれない。

※熊さん対策ぐらいはしっかりとしておこう。此処は山梨県なのだ。登城中には熊さんじゃないとは思うけど、何かしらの野生動物と2回遭遇した。最近じゃ熊鈴が熊さんを引き寄せる等として熊鈴の是非を問う阿保な自称専門家がいるみたいだけど、個体別、地域別に大きな差があるこれ等レアケースを無責任に一般論として語る神経が信じられん。おいらは令和元年(西暦2019年)に7度の遭遇経験があるけど、熊鈴を装着するようになった翌年からのはっきりとした目撃例は遠い距離での1件のみに留まっている(昨冬、姿は見えないまでも接近を許した事はあったと思う…)。少なくとも人への恐怖心を持つ野生のツキノワグマ(基本的に警戒心が強く臆病な動物である。)には依然として効果があるのだ。

2023年11月27日 ペスカトーレ
於曾屋敷



公園と民家になっていて遺構はあまり残っていませんが、公園に土塁が一部残っています。

2014年08月08日 
於曾屋敷

甲斐源氏の加賀美氏の四男の居館。鎌倉時代の武士の館の典型例であり遺構がこれほどまでに残っているのは山梨県において他に例がない。

2012年09月30日 【隠者】史学会帰新参
於曾屋敷

塩山駅から南におよそ300Mの所にある。曲輪は東側が公園、西側には住宅があり今も住んでいる。南側の土塁が一番残る、他の三方向も低くなったり、切れている所があるが土塁は残る。堀跡は水路になって残る箇所もある。

於曾屋敷の周辺スポット情報

 恵林寺山城(周辺城郭)

 武田信春館(周辺城郭)

 雲峰寺(寺社・史跡)

 於曽屋敷(於曽公園)(トイレ)

 於曽第二公園・於曽公園(駐車場)

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