宝生寺
宝生寺([小菅城 寺社・史跡])
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宝生寺の口コミ情報
2025年03月03日 いれぶん武蔵守
門前の案内看板脇に武田菱を入れた墓があり、小菅氏家臣である亀井姓が記されていた。歴史との出会いに感謝させて頂きました。
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宝生寺
山寺号・住職 湧金山宝生寺・奈良憲雄
宗派 臨済宗建長寺派 本山建長寺
所在地 山梨県北都留郡小菅村川久保六〇七一
本尊 延命地蔵大菩薩
開山 勅謚覚禅師
開基 小管遠江守信景、藤原重清(古寺)
開創年月 鎌倉時代 康元元年(七三七年前)
世代 一世、寿久道法和尚 二世〜二九世省略
三〇世、梶川禅英和尚
由緒·略歴
当寺は大菩薩連嶺の東麗に在り。川久保向山の中腹、シノハチに在り。次に下り古寺に在り、小菅村の略中央にある、往昔は城砦の南門に位置し、城と双対の位置にあった。
原元元年(一二五六年)真言宗の寺として創立され応安三庚成年(一三七〇年)本願甫和尚、藤原重清の資を得て整備せりと伝う。この本願甫和尚なるもの真言の僧か、寺の過去張には記載されず。但し、当地箭弓神社の棟札にその名が誌されている。その後、文明十年(一四七八年)に至り小菅遠江守信景により、寿元道世和尚が建長寺第二十八世肯山聞悟(勅謚覚海禅師)を勧進開山として開創された。
当時は、寺宝、「十三仏画、十六善神、阿弥陀仏画影」その他多くあり、中本山として未寺七か寺あり、二階建で盛大であった。
大正五年六月十五日、日中、大火にあい、全什宝記録等一切灰となった。以後、住職の定住を欠き、遂に終戦後の農地開放にあい、多少の農地山林も解放され、記録伝説等も再び消滅す。
然し、昭和二十七年に至り、大方檀信徒の協力により、梶川和尚の努力もあり再建され、昭和四十三年、仏具 什器等調達され、その後庫裏を完成。平成四年、宝生寺、三十一世住職、秋田宗幸となった。
平成五年三月吉日
雄飛
(解説看板全文)