中川城(なかがわじょう)
中川城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 神奈川県足柄上郡山北町中川(大六天バンガロー)
旧国名
- 相模国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 河村氏?、新田氏?
築城年
- 室町時代
主な改修者
- -
主な城主
- 河村氏
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、石垣、井戸
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
河村城(神奈川県足柄上郡)[9.1km]
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中川城の口コミ情報
2024年05月11日 いれぶん[⭕️雁雁]
中川城
リア攻めできました。
76号山北藤野線から中川橋を渡った所に車を置き、真っ暗なトンネルを越え、砂防ダムゲート横を進み、ずっとガケだった左手が盛り上がって来た所に小道が見えます。残念ながら通行禁止と表示されていますが、この場所でリア攻め認定されます。中には行けませんでした
2022年01月31日 うっきー
中川城
御殿場線の谷峨駅からバスで中川橋のバス停まで。そこから中川橋を渡って、左に折れ、真っ暗なトンネルをくぐり抜け、しばらく歩くと左手に城跡があらわれます。物見台のような小山があるので、すぐ分かるかと思います。
2020年12月12日 大膳大夫ベンジー
中川城
76号から中川橋を渡ったところで通行止め、残念。
2020年11月22日 茅小屋武蔵守太郎
中川城
東京方面から自動車で訪城する場合、R246を使用すると思いますが、渋滞を避けての県道76-727-76-中川城のコースは、道が狭いので注意が必要です。
2019年05月14日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
中川城
R246〜山北町の道の駅近辺、新東名建設工事の工事車両が多いので、車&バイク&チャリのめぐら〜さんは、くれぐれも事故などに注意して下さい。
2016年05月18日 相模守愛洲久忠
中川城
波多野氏の庶流河村氏が築いた城と伝えられています。
戦国時代になると小田原北条氏の支城となり、湯ノ沢城等と共に西丹沢の甲州道を押さえる要地として甲斐武田氏に対する備えを担いました。
1568年に始まった武田信玄による駿河侵攻で甲相駿三国同盟が崩壊すると、今川氏を支援する北条氏と武田氏の間は極度の緊張状態となり、翌1569年10月信玄は小田原遠征を行い、その帰途三増峠での激戦となります。わずか2ヶ月後の12月、信玄は再び甲相国境に出兵し北条方の境目の城9城を攻め落としこの際、足柄城・河村新城・大仏山城・湯ノ沢城等と共に落城、1590年北条氏滅亡により廃城となったようです。
河内川東岸の城山の麓に築かれており、前面の河内川を天然の堀として利用、山地の急斜面を背後に控えた要害の地で、上下2段高低差約10メートルの曲輪で構成されており、祭祀が執り行われたとされる第六天は現在バンガローとして改変されています。また、日本城郭大系には切岸に石積みがあると記載されていますが立ち入り禁止措置が継続中の為未確認です。
2015年08月02日 やまと相模守
中川城
【現在難攻不落の城】国道254号を丹沢湖・中川温泉方面に向かいます。
北条の城なのに中川温泉は「信玄の隠し湯」でうってます。境目の城で、どうやら城というより狼煙台(湯ノ沢城→中川城→大仏城山→河村城→苅谷丸山城→岩原城→小田原城)として機能していたようです。
城へは大六天バンガロー(第六天が祀られていたことから命名か)を目指しますが、南から中川橋を渡って向かおうとして、びっくり!
大雨でガードレールを突破る土砂崩れで道がふさがれてます。西側から渡河しようとしても難しそうです。
あきらめかけたのですが、別峰だが北側の西丹沢中川ロッジからトライしてみることに。中まで入ると有料のようなので、手前に車を止め中を散策することに。すると最奥(最南端)からどうやら、バンガロー方面には行ける模様。しかし通行止めの標が。
でも下の郭までならそう遠くなさそうでした。
今回は、バンガローまで行けませんでしたが、いつの日か土砂が撤去されたら再訪したいと思います。