山中氏館(やまなかしやかた)

山中氏館の基本情報

通称・別名

山中左衛門館、山中氏屋敷

所在地

山梨県南都留郡山中湖村山中字御所

旧国名

甲斐国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

山中氏?

築城年

室町時代

主な改修者

主な城主

山中氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁

指定文化財

再建造物

周辺の城

谷村城(山梨県都留市)[14.9km]
深沢城(静岡県御殿場市)[15.0km]
勝山城(山梨県都留市)[15.1km]
御坂城(山梨県南都留郡)[16.4km]
中川城(神奈川県足柄上郡)[17.9km]
足柄城(神奈川県南足柄市)[19.0km]
河村城(神奈川県足柄上郡)[22.2km]
本栖城(山梨県南都留郡)[22.3km]
苅野丸山城(神奈川県南足柄市)[23.4km]
岩殿山城(山梨県大月市)[23.6km]

山中氏館の解説文

山中湖村山中字御所とよばれる湖畔にある。

『甲斐国志』によれば「湖水ノ西ニアリ。広サ四段余。四方石垣ニシテ、其外ハ堀ヲ深クシ、南面ヲ表門卜云。中略。築地ハ其ママ存セリ」とある。現在は国道138号線西側で市街化し、往時の姿をとどめない。

山中氏は『妙法寺記』に「大永七(1527)年立正寺ノ旦方山中太良左衛門」とみえ、更に同記の明応三(1494)年の条に「三月二十六日ノ合戦ニハ武田彦八郎殿負ケ玉フ。中略。山中打死ナリ」と記されている。

山中氏は甲駿国境の富士北麓を基盤とした土豪であった。天正十年以後は一族が山梨市下神内川に四百三十七石を領している。

情報提供:山梨県教育委員会


山中氏館の口コミ情報

2023年05月05日 noble権中納言弥勒菩薩
山中氏館



土塁の一部が神社東側に残存しています!石積みもありますが、これは遺構ではなさそうです。

2023年05月05日 みよ釆女正
山中氏館

413号線と、山中浅間神社の間に雑木林があり、そこが山中氏館でした。看板はありません。道路挟んで諏訪神社に駐車場がありました。

2022年06月09日 みー十勝守すけ
山中氏館



駐車場が分かりにくく、通過してしまいました。山中氏館という看板はなかったので、神社(諏訪神社と浅間神社が隣同士にあります)の駐車場を利用しました。リア攻めできたのですが、周辺を歩いても民家のようで、立ち入りませんでした。山中湖が目の前で散策するには素敵なところ😊肌寒かったので、お天気予報チェックすると良いでしょう。

2021年02月19日 三輪左近衛少将直虎
吉田城[山中氏館  周辺城郭]



吉田城の初見は文亀元年(1501)の北条早雲による侵攻のときで、今川氏は何度か甲斐へ侵攻していますが、吉田城もその都度いずれかの勢力が駐屯していたと思われ、それ以前から在地勢力によって城郭が築かれていたのでしょう。
登ろうと思えばどこからでも登れる低い山城ですが東側は宅地が多いので北側の農地の脇を通り斜面に取りつきました。5分も登ると二の郭へ着いてしまったのには拍子抜けする思いでした。南尾根が破壊されてしまっているのは残念ですが、南に三の郭と北に大きな腰郭を配し東斜面には数段の帯郭を備えています。
細長い尾根を進むと浅く埋もれている堀切がありますが、間違いなく人の手が加わっている遺構です。ここから少し勾配がきつくなるが主郭まではすぐに着きます。南西に土塁が残るがあっさりとしたものでした。

2015年07月15日 みのみの美濃守@流浪人
山中氏館

国道138号線沿いの山中湖近くにある富士浅間神社と諏訪神社辺りが縄張と思われる。

しかし、この地に館跡があった…と言う案内板や石碑はなく、見落としやすい。遺構としての土塁も分かりにくいかもしれない。

国道138号線上に掛かる朱色の橋が目印で、そこから山中湖方面に50mほどが縄張と見られる。

山中氏館の周辺スポット情報

 吉田城(周辺城郭)

 忍野八海(その他)

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